5.
その後何故だか当然のように、姫様は俺の部屋についてきた。
俺が汗を拭っている間に、サンドイッチふうの軽食を用意してパクついている。
「またタマちゃんにわがまま言ったんですか」
「いいや。タルマが不在のようだったからな。勝手に残り物を使って自作をしてきた」
実に多芸な人だった。しかもその才能の虹の全部が一流なんだからずるい。
ぐいと皿を突き出されたので、うちひとつ頂戴した。
俺が物欲しそうな顔をするのも予測済みだったようだ。量的に見て、どうやら最初からふたり分である。
手慰みで作った、みたいな口ぶりだったけれども、形は綺麗に整えられている。
具はおそらくハム。ちなみにこっちのハムが何の肉かは相変わらず不透明なままだ。俺は訊かないからな。絶対に訊かないからな。
ぱくりと食いつくと程よい塩と香辛料の風味がした。動いた後の舌にはひどく美味に感じられる。
がっついたのがおかしかったのか、「あまり食べ過ぎるなよ」と釘を刺された。
水を呷りつつで、たちまちふた切れを平らげてしまった。
「ご馳走様。おいしかったです」
素直に褒めたら、口の端だけで得意げに笑った。
うーむ。姫様女の子なのに、こういう仕草がやたらと様になるのはなんでなのだろうか。
「えーとですね、まずお礼を言いっておきたいと思います。ありがとうございました」
「うん? 何の礼だ?」
軽食がひと段落したところで申し述べると、姫様は本気で不思議そうな顔をした。
「いやさっきのスクナナさんの件ですよ。姫様に助けてもらわなかったら、折れてましたよね、俺の腕」
「ああ、あれか。あれなら褒められた仕業ではない」
決まり悪げに目を逸らし、姫様は毛先をいじった。
「こちらに戻ってきてふと見れば、スクナナがやけに張り詰めた顔をしていた。何かやらかすだろうと隙を窺っていただけの事だ」
やたらタイミングいいと思ったら、あれは出待ちだったのか。
「まあそれでも助けてもらったのに変わりはないわけですし。ありがとうございます」
「いつもながら律儀だな、お前は」
「何かしてもらうのを当然だと思ったら、人間終わりですから」
「なるほど、違いない」
言いながら姫様は窓へ行き、大きく開け放った。
外の風が勢いよく吹き込んできて、姫様の長い髪を揺らめかせる。
「スクナナも、お前の温情裁きに感謝している事だろう」
「そういえばあの処断云々って、絶対俺がスクナナさん庇うと思って言い出しましたよね?」
「ああ、お前は女に甘いからな。きっと、スクナナが恩義に感じる物言いをすると思っていた。あれはそうした情の深い娘だ。以後お前にへの態度も改まるだろう」
何から何まで計算ずくですか。
あと弁解しておくとですね。
「可愛い子に甘いのは男のサガです」
「その割に、私には冷淡なようだが?」
「俺、好きな子には意地悪しちゃうタイプなんで」
「……」
あれ、軽口が返ってこない。
不思議に思って目をやったら、何故だか姫様は真っ赤になって硬直していた。俺と目が合うと慌てて手で顔を覆って、
「……不覚だ。許可をするまでこちらを見るな」
言い放つなり、ぐるぐるとカーテンに包まってしまった。
いや何やってんだこの人は。
「それよりも、スクナナだ。スクナナの話をしよう」
「あ、はい。俺も知りたい事あったんで、それは歓迎なんですけど」
しかし筒状のカーテンお化けと会話するというのは、なかなかの珍事だ。真面目な話をしてるのに、てんでそんな空気にならない。
「そうだな、あれの事情についてもお前に伝えなければ不公平だ。だがその前に、感想を聞いておきたい。お前はスクナナの身体能力を見て、どう思った?」
「びっくりしました」
手のひらを握って開いて思い返す。
自分の全力が、女の子の細腕一本に敵わないというのはかなりショックな体験だった。
兄貴みたいに鍛えてるわけじゃないけど、それでもモヤシっ子じゃないはずだったのに。
「力が強いだけじゃなくて、滅茶苦茶速かった。人間あんな真似ができるんだなって感じです。あそこまでに至るには、並大抵の努力じゃ足りなかっただろうと思います。正直羨ましいというか、悔しいというか」
すると姫様はカーテンの中で愉快そうに笑い、それからひょこりと顔を出した。
変なものに潜り込んだ所為で、綺麗に整えてあった髪がぐしゃぐしゃになっている。
「心配はしていなかったが、ハギト、やはりお前はそういう反応か。予断を与えたくないから黙っていたのだが、スクナナはク族という特殊な一族の生まれだ。そしてク族は、身体強化術式を得手とする」
そのまま軽い足取りでテーブルの脇までやって来て、食器でも持ち上げるみたいに片手でひょいと、重い木製の卓を持ち上げて見せた。
うええええ!?
「見ての通り、強化術式は施術者の身体能力を増大させるものだ。魔術として行使するなら持続時間は十数秒から数十秒。無論唱呪も必要となる術なのだが、ク族は生まれつき、この術を自在に行使する事ができる。言うなれば生ける魔符だ。ただ一言でこれを起動し、望むだけの時間、効能を維持できる。無論術の強度に個人差はあるがな」
なるほど。
スクナナさんの怪力や姫様の電光石火の早業は、魔法によるファンタジー性能だったのか。そりゃ人間離れした動きになるわけだ。
「だがそれ故にク族は恐れられ、貶められた。数代前から融和政策が取られ、ク族はアンデールの一般的な民、という事になっている。しかし残念ながら建前だ。現実にはク族への差別、迫害は未だ根強い。蔑視され、色眼鏡で見続けられている」
テーブルを下ろして手を叩くと、姫様はやれやれと言いたげに首を振った。
「そこで私はク族の住む院を建てた。そうやって住環境を整えてやる代わりに、一族随一の使い手であるスクナナをもらった。私はあれを近衛として用いる事でク族への十全の信頼を示し、あれが重用されている限り、私の庇護は確かなものだとク族は安心できる。およそそのような仕組みになっていた。ここまで言えば、スクナナがああもお前に危機感を抱いた理由も分かるな? 私が別の気に入りを作って、自分を放逐するのではないかと危惧したのだ。いや、私が危惧させてしまったのだ」
俺は黙って頷いた。気持ちがよく分かる構図だった。
何故って、俺も殆ど変わらない立場だからだ。姫様に見捨てられたら、あっという間に日干しになれる。
俺だって、突然降って湧いた男が姫様と仲良くし始めたら、例えば姫様と毎朝一緒にそいつの部屋で食事をとり始めたりしたら、自分の立場に不安を抱く。というか今ちょっと想像したら、それだけでなんかイラっとした。
ないがしろにされたではないにしても、やはり依存するところが大きい分、足場を失うように感じてしまうのが普通のはずだ。
おまけに俺は自分一人の生き死にだけれども、スクナナさんはそうじゃない。彼女は自分の一族全ての事に責任を負っていた。自分だけじゃなく人を、それも少なからぬ数を背負ってるとなれば、そりゃ重圧に追い詰められもするだろう。
しかし考えてみればスクナナさんのみならず、同じ事を姫様もやってのけているのだよな。
二人とも俺とそう変わらない年なのに、自分の足でしっかりと立っている。まったく、本当に頭が下がる。
「理解していたつもりだったが、これについては私の配慮が足りなかった。よもやスクナナがあそこまで過剰に反応するとも予想の他だった。お前には、またすまない事をしてしまったな」
「いいえ。それ以上に助けてもらってますから」
姫様は軽く顎を引いて謝意を示すと、改めて俺に向き直った。
「これでスクナナの事情は全て話した。この上で、忌憚のないところを聞きたい。お前はスクナナを許したが、今後あれを信じられるか? 体験した通り、スクナナはお前の首を容易く取れる猛獣だ。危険を避けるのは賢明さであって、それは臆病とは異なる。お前がスクナナとの関係を忌避したいというのであれば──」
「姫様ストップ」
「む?」
ほんっとにこの人は、他人の心配ばかりをして、自分を押し殺す人であるなあ。
でもその辺りが姫様らしいとか思ってしまうのは、俺がもう大分毒されているからなのか。
「あのですね、姫様が俺とスクナナさんの両方に、できるだけ便宜を図ろうとしてくれてるのは分かります。でも、困るんですよね? 俺とスクナナさんの仲が悪いと。姫様の考えてる今後の絵図には、俺たちが上手い事仲良くなって、協力体制を取れるのが一等いいんですよね? じゃあ言ってくださいよ。そういうふうに言ってください。自分の希望を、分かるように言ってください。俺は姫様の飾り物なんで、大抵望んだ方になびきます」
「そうか」
告げると姫様は一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、それからもう一度、嬉しそうに頷いた。
「うん、そうか。ありがとう。ではハギト、そのように頼めるか。お前とスクナナとが、できるだけ隔意なしに行動できるようになっておいてもらいたい。お前は異世界人で、ク族に偏見も予断も全くない。だからスクナナともども、彼らとの折衝役になってもらえればと思っていた。病魔様がク族についたなれば、それだけで見方を変える者も出るはずだからな」
姫様、そんな事を考えてたのか。
なるほどそんな具合に使いたいなら、俺の来歴と虚名は広告塔として実に便利である。
「承りました。あと俺個人的に言えば、スクナナさんはちょっと怖いけど大丈夫そうって感じです。むしろわりとスタンスが近いんで、結構いい友達になれるかもしれません」
「それは重畳だ。心強い。……あ、いや待て」
俺の言葉に姫様はほっとした笑顔を浮かべかけ、それから急に眉根を寄せた。
「言っておくがスクナナにも、不埒な真似は許さんぞ?」
「しませんから。しませんから!」
まったく、この姫様は俺をなんだと思っているのか。
いやまあ確かに、前科はあるんですけどもさ。




