2.
「と、まあこんな具合に過ごしてます。タマちゃんにはすっかり頭が上がりません」
珍しく姫様に、俺の世界の話ではなく近況報告を求められた。
なので最近の事を面白おかしく話してそう結んだら、姫様は不思議そうに目を瞬いて、
「『たまちゃん?』」
あ、いけね。
途中まで「タルマさん」で通してたのにまたやらかした。どうも話に興が乗ると、俺の口はアレだなあ。
「愛称です。タルマさんの」
「愛称か。そうか、愛称か」
開き直って言い切ると、ふむふむと姫様は数度繰り返し頷いて、そして唐突にテーブルの下で俺のスネをぽこっと蹴った。例のブーツなので地味に痛い。
「……姫様」
「どうした?」
「俺、今なんで蹴られたんです?」
「心当たりがないな。事故だろう」
「いやありますよね心当たり。絶対悪意もありましたよね」
追撃したら、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向かれた。一体何がお気に召さなかったんだ。
「そういえばそのタマちゃんなんですけど」
「……」
ご機嫌取りの意味もあって姫様の友人の話を振ったのだが、なんだかジト目である。
うーむ、話題選びを間違えただろうか。姫様とタマちゃんの仲が悪いって事はないと思うのだけども。
まあ口を切ってしまったものは仕方ない。
「昼飯に誘ったんですけど、曖昧な笑顔でお断りされました。やっぱ俺、まだ怖がられてるんですかね」
「馬鹿め」
今回の「馬鹿め」は優しくなかった。
そしてまたもやぽこっとスネを蹴られた。だから地味に痛いですって。
「最初に言っただろう。タルマの前では肩より上に手を上げるな、と」
「あ」
思いっ切りうっかりしていた。いくらなんでも粗忽を連発しすぎである。
食事ってのはどうしたって、食べ物を口に運ぶのだ。そして肩より下に口が付いてる人間ってのはあんまりいない。
つまりタマちゃんの前でご飯を食べる事自体が、お手上げ禁止ルールに抵触するのだ。
「今のところあいつは、私以外とは一緒に食事を取れない。だがまあ、人見知りのタルマにしては珍しく、お前には気を許しているようだ。そのうちにお前も平気になるかもしれない。私以外に慣れる機会でもあるから、もしタルマに頼まれ事をされたら協力してやってくれ」
「了解です。それと手の位置については、もっかい肝に銘じておきます」
しかし、と返答しながら考える。
タマちゃんが人見知りって、そうだろうか? 大分人懐っこい子な気がするんですけども。
姫様、自分では気づかずに近づきがたい系のオーラを放出してるからなあ。言うなれば高嶺の花過ぎて孤独になっちゃうタイプ。
タマちゃんもこの姫様プレッシャーに負けて、人見知りっぽい感じになってたりするのではないだろうか。あとやっぱり恩人な上に高貴な人ってのがあるかもしれない。他世界人の俺が思うよりずっと、この世界における身分差って大きいだろうし。
姫様は時折抜けてるけども、基本的に頭がいいし人を見ている。そういう遠慮は簡単に見透かすだろう。
あ、そうだ。見透かしといえば、だ
「うっかりしてました。俺、姫様に頼み事があったんです」
「珍しいな。どうした?」
「見透かしの魔法って、俺も受けられますか?」
以前聞いたステータス画面開示のあれである。
こっちに永住、もしくは長逗留する事になった今、可能なら俺に何ができるのかを知っておきたいと思っていたのだ。
「受ける事自体は可能だろうが……」
姫様は顎先に拳を当てて考えて、やがて首を振った。
「うん、賛成はできないな。見透かしを使えるのは、法王府の人間だ。これと破壊魔法の資質の持ち主は、基本的に法王府に引き取られるように定められている。重要な魔法資質は人の争いに用いられぬよう、国家外権力が管理するようになっているのだ。よってお前の資質についての配慮を求めにくい上、口止めの要請は一切効かない」
それに何の不都合が、と言いかけたが、ちょっと考えたら分かった。
俺に見透かしを受けさせれば、俺の性能が全部施術者に筒抜けになる。
そこで病気を発生させたり平癒させたりする能力が見えなければ、つまり俺が無能力だと判明してしまえば、姫様がしてきた宣伝が全くの嘘だとバレてしまう結果に繋がってくるわけだ。
終息宣言が出て混乱が治まったとはいえ、それは病気の再流行がないと信じ込まれているからこそ。
もし俺が本当はアンデール熱を抑える事などできないと知られれば、残り火として燻る感染への不安は、再び燎原の火のように広がってしまうかもしれない。
でもって事実を隠匿したくとも、人の口に戸は立てられない。おまけに相手は別組織の所属である。そちらの権力に守られてるから上手くはいかないし、そんな真似をする事自体、国としては上手くないって次第なのだ。
「金で口を封じるという手もあるが、一度金に転んだ者は、それ以上の金でまた転ぶものだ。おまけにそれは弱みを教える行為に他ならないからな。お前という飾り物は私の切り札の一枚だ。それがあっさり失効する可能性のある危ない橋は、渡りたくないのが本音になる」
それにしてもハッタリを切り札と言い切るとは、この姫様、肝が太いというかなんというか。
本当は不安に感じるべきところなのかもしれないが、俺はこの人と一蓮托生、乗りかかった船というより乗り込んだ船だ。切れ者の相棒の判断を信じて付き従うばかりである。
「まあ一人、法王府に友人がいなくもないのだが、流石に今すぐ呼び寄せてとなると難しい。お前がどうしてもと言うなら声はかけてみるが」
「いえ、やめときましょう。ちょっと興味があっただけですし。またの機会にって事にして、ひとまず忘れてください」
「そうか。そう言ってもらえると助かる。では代わりに、というわけではないのだが」
姫様はそこで少し逡巡をして、俺の顔を窺った。
「私からひとつ提案がある。ハギト、戦闘訓練を受けてみるつもりはないか?」
「……えーと、俺、素人ですよ?」
信じて付き従うとか思った直後でありながら、露骨に尻込みしてしまった。うーむ、俺格好悪い。
でも戦闘訓練というと、大変専門的なもののような気がするわけで。知識も経験もない俺が受けて身になるものなんだろうか。そもそも訓練内容についていけるもんなんだろうか。
「案ずるな。あくまで目的は護身技術の指導だ。教師役もタルマのように、私の信頼する人間をつける」
俺の不安を読み取って、姫様がそう付け足した。
ああ、タマちゃんの授業みたいに専任コーチがついてくれる個人指導か。それなら大丈夫、かな?
「そういう事ならお試しで受けてみたいですけど、ひとつ訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「教師役って誰ですか?」
俺としては「警護のおっちゃんらの誰かだったら気楽でいいんだけどなー」くらいの質問だったのだが、
「お前も知っている人間だ。スクナナ・ク・ヴァン。もう幾度か会っただろう? 私の近衛騎士だよ」
姫様が答えたのは、その名前だった。
俺の知ってるスクナナさん。
となるとつまり革鎧さんか。革鎧さんかよ。
ええええええ。
「そう不安そうな顔をするな」
どうやらよっぽど面白い表情になってしまっていたらしい。
姫様は苦笑混じりに俺をたしなめる。
「お前とは少々相性が悪いようだが、タルマとスクナナは私の両翼だ。できたらこれを機に、交誼を結んでもらいたいと思っている」
なるほど。
戦闘訓練だの護身術だの、姫様にしては唐突な言い出しだと思ったけれど、狙いは身内の不和を取り除く方にあったのか。
しかしそんな気回しをさせてしまうほど、俺と革鎧さんはぎこちなく見えているのだな。
でも正直な話をすると、実は俺、彼女の事はそんなに嫌いではない。一方的に敵視されてるっぽいので苦手意識があるのは確かだけれど、そもそも嫌いになるほど彼女をよく知らないのである。
「スクナナはあの通り、融通が利かない性格だ。心労をかけて悪いが、お前から歩み寄ってやってもらえないだろうか。幸いアンデールの火の件は落着しつつある。連れ歩く事も減るからスクナナが館にいる時間は増える。私も仕事は手短に済ませて、できる限りお前たちの間に入っていくつもりだが……」
そこで言葉を濁したのは、多分例の一件が、自分が「仲良くするように」と言った所為で革鎧さんが一層頑なになってしまった件が思い出されたからだろう。
「介入は、また余計な軋轢を生むだけで終わるかもしれないからな。できたらお前のその才覚で、溝を埋めてみてはもらえないだろうか。虫のいい話だとは思うが、頼む」
うーん、この姫様、自分がスペック高いもんだからって、わりと無茶言うよなあ。あの革鎧さんとふたりっきりで、何を話せと言うんだ。逆に気まずくならないといいんだけども。
でもまあやらずに悩んでいても仕方ない。何も変わらない。まずは走り出すのが肝心である。
挑んでみますか、スクナナさんとの関係通常化交渉に。
「分かりました、やってみます。でもあんまり期待しないでくださいよ。俺は人付き合いが上手いとか口が回るとかなタイプじゃないんで」
「……」
そう結論して頷いたら、姫様、何故か無言で立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出すと俺の両頬をぐににとつねった。
いや何すんですか。
「この口か? タルマをたちまち誑かし、わずかの間に警護の兵たちとも誼みを通じておきながら、まだそんな戯言を紡ぐのは、この口か?」
一体なんの言いがかりですかそれ。
あと誑かすってなんですか。人聞きの悪い。
……などと反論したいのは山々だったが、物理的に口封じされているのでままならない。もごもととしか言えないまま、姫様にやりたい放題をされた。
傍目にはじゃれてるようにしか見えなかったかもしれないが、結構深刻に痛かった。
「まったくもー」
散々に引っ張り回してようやく気が済んだ姫様は、その後しれっと席に戻り、何事もなかったかのような顔で箸を使っている。
俺はじんじんする頬を両手で擦りつつ、
「姫様といいタマちゃんといい、この世界の女の子はなんだって人の頬っぺたを最優先攻撃目標にするんですか」
「……あのタルマにそんな真似をされたのか? ハギト、お前まさか、何か不埒を働いたのではあるまいな」
あれれ姫様。
なんかまた目が怖いですよ?
「いや、いやいやいや、してませんから。あれは事故ですから」
付け根近くまで露わになったタマちゃんの脚線美が思い出されて、慌てて俺は首を振る。
多分それがまずかった。
「心当たりがあるようだな。詳しく聞かせてもらうおうか」
「あの、姫様。今日はちょっと暴力的じゃありませんか?」
「うるさい。お前が悪い」
またしてもテーブルの下で、姫様の足が動く気配。だが甘い。
「む」
直後、姫様が柳眉を寄せた。ふふふ、空振りしたな。
また蹴られるのは御免なので、ちょっと椅子を引いて攻撃範囲外に逃げておいたんである。
「そう来るのは読んでました」
すると姫様、がたっと勢いよく席を立った。何故かそのまま俺の方へにじり寄ってくる。
あ、いかん。これムキになってる。
結局スクナナさんが迎えに来るまで、テーブルを挟んでぐるぐると不毛な鬼ごっこが続いた。後半、ちょっと楽しくなってたのは秘密である。
息を荒げて顔を紅潮させ、しかも乱れ髪な姫様を見て、スクナナさんはかなり動揺した風情だった。
駆け回ったのが原因なのだけれども、あらぬ誤解を招いたかもしれない。




