3.
晴れて姫様んちの一員になった俺には、私室として二階のひと部屋が与えられた。姫様と料理人氏のプラベートルームは一階だそうなので、一応ちゃんと隔離してもらっている体裁である。
使われないので封じてあった部屋って話だったけども、入るとどこもかしこもぴかぴかで、そういう部屋に特有のよどんだ空気の匂いなどは少しもない。むしろほんのわずかに香水っぽいようないい匂いまでする。
おまけに家具もベッドに布団にタンスに机にと、ひと渡りが支度されられていた。
姫様が俺との会見に臨む前に、整えるよう命じておいたのだそうだ。
その時点では俺が姫様に協力しない可能性が憂慮されたはずであろうに、事が上手く運んだ場合の用意を怠らない用意周到具合が実に姫様っぽい。
「不足があれば遠慮なく言ってくれていい。調度の配置は他の部屋と同じだが、好みで模様替えをしてもらって構わない」
などと姫様は言っていたけれど、正直なところ、自分の美的センスに自信はない。よってこのままの景観が維持されるのは確定事項であろう。
しかしまあそれにしても。
この部屋、やっぱり超広い。
下手なワンルームマンションの倍くらいの面積は軽くあるのじゃなかろうか。建物の作りとして天井が高いのも、空間を広く感じさせる一因だろう。
もし仮にここに杏子がいたなら、空間を持て余した挙句部屋の隅に布団だけ持って行って丸まって涙目していたであろうと容易に想像できる。あいつにはなんかそういう、小動物みたいな気質があるのだ。おふくろの精神力は受け継がれていないのだ。まああれは受け継がなくて幸いかもしれないけども。
そしてこんなスペースが、まだまだ多数放置されてるというのだからお金持ちは恐ろしい。下手をすると館内で迷子になれるのではなかろうか。
……冗談で思ったのだが、ちょっと不安になってきた。
夜、通いの人たちが帰ってから、徘徊して構造を覚えておこうと心を決める。
他にも採寸(これは姫様がやった。俺に近づきたがらない人ばっかりだったからである。わりと恥ずかしかった)されてこっちぽい服と靴を仕立ててもらったり、練習用にちょっとした魔符を用意してもらったりした。
後者についてはこちらの世界的には懐中電灯やライターを買ってもらったようなものなのだが、魔法を使えるのが嬉しくない男の子なんていないのである。わくわくが先走ってしまうのは致し方ない。
でも我に返るとこの有様、まるで玩具を買い与えてもらう子供じゃないか。
お金持ってないのは仕方ないにしろ、流石に姫様に甘え過ぎである。
これはいかんと反省した。
そうして割合のどかに過ごす俺に対して、多忙を極めたのは姫さまである。
どうもこっちに移動してきた朝の会談でお偉いさんたちに話をつけてしまっていたらしく、現在、病魔召喚事件に関する全権が姫様に委任されているらしい。
事に関した全ての情報を知悉できるスタンスではある。
だがそれは同時に、爺ちゃんちを調査して、逃散した感染被疑者を捜索して、捕まえた関係者から事情聴衆して、病気の再発防止に努めてと諸事万端を一から企画して軌道に乗せた上で、その全部に責任を負わねばならない立場という事でもある。
一発で全権委任されるとか姫様すごいな流石だなと思ったら、何の事はない、面倒くさすぎて引き受け手がいなかったのだな。
でもその面倒の発端は俺にも責任があるし、調査に至っては、俺を元の世界に帰す手がかりを得るべく行っていてくれるわけで。せめて一臂の力くらいにはなりたいのだが、如何せん何もできないのが現状だ。
とうとう例のブーツを借り受けて、懐で温めておこうと思いつめるまでに至った。勿論途中で我に返って自重した。俺が姫様にそんな真似したら、それはただの変態行為ではないか。
俺の醜態と焦燥はひとまずおいて、この忙しい姫様に常に随伴しているのが例の革鎧さん。
どうやら姫様の近衛とかボディガードとか、そんな感じに身辺警護する仕事の人らしい。
一応この屋敷にも、警護の人が幾人かいる。たまに庭先で訓練してたりするのを見る。も交代制らしく顔ぶれはばらばらだし、日が落ちる頃には館の通いの人たちと一緒に帰っていく。
この辺りはモンスター的なものが出ないという意味で治安がいいらしいく、そんな感じで問題はないらしい。
でも革鎧さんは毎日必ず姫様の側に付き従っている。つまり警護さんたちがこの屋敷とそこにいる人々をガードの対象としているのに対し、革鎧さんはおそらく姫様個人の身の守りであるのだな。
おかげで俺とちょくちょくニアミスするのだが、今だすれ違うたびに、じろっとぎろっと睨まれる。初日から変わらず、嫌われたままなんである。
一度見かねた姫様が、「もっと友好的に接するように」と窘めたのも、どやら逆効果であったらしい。
その場では踵を打ち鳴らしながら、「は!」とか「承りました!」とかいいお返事をしていたのだが、その後姫様不在の折に廊下で行き違ったら、思いっ切り「んべーっ!」と舌を出してから走り去っていった。
あれがこの世界における親愛と友好の表現という事はないだろうなあ。
というか、お堅い人だと思っていたら意外に子供だった。
そういえば勉強もせずにごろごろしてる子供を「宿題やったの!?」と叱ると、「今やろうと思ったのにお母さんが言うからやる気なくしたー」となる現象が俺の世界には存在している。
革鎧さんも似た感じのような気がしなくもない。要は引くに引けなくなっちゃったのだな。
「あれは少し立場が特殊なのだ。すまないが私に免じて、しばらく目こぼししてやってくれ」
困り顔で言われたので、
「姫様の判断を信じてお任せします」
と答えて現状そのままになっている。
いや別に思考停止したわけではなくて。ちょっと顔を合わせただけの俺よりも、長く付き合いのある姫様の方がよっぽど彼女を知っているだろうと考えたからの発言である。
この姫様が剣を帯びさせたまま側に置いているのだから、やっぱりそこには相応の信頼があるのだろうと思う。
とまれそんな具合に姫様は、早くから出かけて遅くに帰る生活を送っている。おそらく一日中陣頭指揮を取っているのだろうけれど、でありながら疲れた顔も見せず、愚痴の一つも吐かない。
ちなみに朝食はきっちり俺と一緒である。
「お前の家族は、朝夕一緒に食事をしていたのだな?」
「ええ。そりゃ用事と都合でいたりいなかったりはありますけど、まあ大抵は一緒でした」
「では私もそうしよう。今後は少し忙しくなる見通しだ。残念ながら帰りの時刻が定まらないから夕食は無理だが、朝食はそのようにしよう。お前と話をする時間を設けたいのもあるが、何より、お前の家ではその形が普通だったのだろう?」
確かにそういう会話はしたのだが、いや初日の朝は死ぬほど驚いた。
肩を揺すられて寝ぼけ眼を開いたら、いきなり姫様がいるんだもん。一気に目が覚めた。授業中に居眠りをして、先生に揺り起こされた時よりも心臓に悪かった。
「大分よく眠っていたな。おはよう、ハギト」
「……おはようございます」
「疲れているところをすまないが、約束通り食事に来た。それと口うるさいようだが、就寝前に部屋の鍵はかけておいた方がいい。不用心だ」
うん、室内でも靴と部屋に鍵文化には確かにちょっと不慣れだ。そこは認める。
でもだからって、勝手に人の部屋に入るのはどうなんでしょうか。
すると声に出さない不満を読んだのか、
「すまない。お前が本当にここに居着いてくれるのかと思ったら、少し不安になった。不愉快を感じたのなら謝罪する」
「あ、いや、ちょっとびっくりしただけなんで。そこまで気にしないでください」
「なら、よかった」
以後なんでだか知らないが、会食の場所は俺の部屋という事になった。
こつ、こつ、こつ、とゆっくり目のリズムで三度ドアが鳴ったら姫様のご来訪である。
のみならず、夕食を一緒する場合もある。
こちらは姫様におかえりなさいを言った後、タインミングが合えば、ってな感じ。
姫様はひどく遅い時や外でご馳走になってくる場合があるので、先に食べずにいるのは俺の勝手な誠意である。
でも黙ってやると敏い姫様が察知して、無理にお仕事を片付けて早く帰ろうとする可能性がある。なので先に「食べる時間が遅いのは俺の世界の風習で姫様を待っているわけではない。だから絶対に気にしないように」と言い含めてある。
朝についても、姫様が都合が悪かったり面倒になったりしたら遠慮も前置きもなしでやめにしていいと伝えてあるのだが、今のところ姫様は、律儀毎日にやって来るのだ。
ちなみに料理は、姫様自身が、台車でごろごろと運んできていたりする。
運搬を手伝った方がいいだろうとは思ったのだが、病魔という立場を宣伝している以上、俺は食品を扱っている場所には立ち入りにくい。
すったもんだの末、二階の階段までは通いの使用人さんが運び、そこから俺の部屋までを姫様が受け持つという形が定着。ついでに利便性と配慮を追求した結果、俺の部屋には食卓としての丸テーブルに、食器棚と食器類が完備されるようになってしまった。
あと仮にも女の子が部屋に来るわけであるから、俺もみっともない顔は晒せない。ちゃんと早起きして身支度して、窓を開けて空気を入れ替えたりなんかもして。
ぶっちゃけ日本で暮らしてた時よりよっぽど、朝は早くなりました。
住み込みでない革鎧さんが姫様を迎えにやって来るのは、大体食後、しばらく駄弁ってからくらいにになる。乱暴なノックの音がどすどすとしたら、今日の雑談はそこまでだ。
じろぎろと鋭い視線を受け流しつつ、「いってらっしゃい」と姫様を送り出し、それから俺は少し省みる。
姫様の方を部屋に来させている事。それから姫様を顎で使っているように見える事。
革鎧さんが俺を毛嫌いする理由は、この世界のマナー的なものを完全無視してるっぽいこの辺りにもあるのかもしれない。
そうと理解しつつ改めないのは、これが姫様の心遣いだと知ってもいるからだ。そして何より、俺が人恋しいからだ。
何故って現在、俺とまともに話してくれるのは姫様だけなんである。
だって俺の扱いは、疫病を撒き散らした病魔様だ。
姫様が安全を保証したとはいえ、屋敷の人達はおっかなびっくり、腫れものに触るような扱いしかしてこない。というか廊下で出くわしたら基本的に逃げられる。まあ好き好んで病原菌に近づきたがるわけがないのだから、これは仕方のない話だ。
それにそもそもカバーストーリー的に、俺には姫様以外と極力喋ってはならない。何かの折には頷く、首を振るくらいのジェスチャーで受け答えをしているが、やっぱりコミュニケーション手段としては限界値が低すぎる。
そりゃまあ共犯者のメンタルケアや俺の世界の事への興味ってのも、比重としてあるのだろうと思う。思うけども、弱ってる時に優しくされればすがってしまうのが人情だ。
そんな言い訳で俺は、ついつい姫様に甘えてしまっている。気づけばほんのわずかのうちに、もうべったりと依存している。
いかんいかんと再度猛省。
ところで姫様みたいな女の子に親身に世話なんか焼かれたら、弱ってなくても勘違いして、ころっと参ってしまう輩が続出な気がする。
姫様の性格からすると、親切はきっと日常茶飯事だろう。そして慕ってくる相手を無下にもできないだろう。むしろ「私の所為で……」みたいに考えて、より一層に甘やかしそうである。
ひょっとしてあの姫様、駄目人間製造機なんではなかろうか。




