4.
「まず、お前にはふたつの道がある。それぞれ私の認識するメリットとデメリットを詳らかにするから、その上で身の振り方を決めて欲しい」
言って姫様は、まず一本、指を立てた。
「ひとつは私の飾り物として、私に所属する道だ。この場合、私の嘘にも付き合ってもらう事になる。お前は不完全な召喚によって暴走したが、私と主従の再契約を交わして鎮められ、力を封じられた。細部はもう少し練って打ち合わせるが、おおよそそんなカバーストーリーで人心の慰撫に協力してもらう。多少ながら悪名を被る事にはなるが、責の9割方はお前の強制転移を行った連中に押し付ける体裁にする。安心して欲しい」
どうやら風説の流布とか、がんがんにするつもりみたいです。
この姫様、本当に継承権ない人なんでしょうか。妙に政治力があるというかなんというかなんですが、実は黒幕だったりラスボスだったりするんじゃないでしょうか。
「こちらを選んだ場合のメリットは、まず私の庇護だな。流石に行動範囲は限定させてもらうが、衣食住は保証する。そしてお前の送還が叶うよう、尽力するとも約束しよう。先程、魔術の資質は血によって受け継がれるという話をしたろう? その折我ら領家には特殊な資質が伝えられる事にも、確か触れたと思う。アンデールの特異資質、血統術は転移だ。禁制の術式として扱われているから研究資料は少ないが、これを研究すればお前を元の世界へと帰す方法も見い出せるやもしれない。お前の召喚は、言うなれば、我々の世界の側の不始末だ。私はそれを雪ぎたいと思う」
……あ。
爺ちゃんの反応から帰るのは無理と決め込んで、そんで諦めかけていたけれど。
なんか思わぬところから希望が出てきた。
「それからエイク・デュマ──ああ、これはお前を喚んだ張本人の名なのだが、この男は我々の手を逃れて消息を絶ち、未だ捕らえられないままでいる。あれはアンデールの傍系にして、今回の転移術式の構築をした人間だ。捕らえてその知識が得られれば、一層送還の現実味は増すだろう」
デュマって名前は記憶にあった。あいつだ。俺をさんざんぼてくりまわしてくれたあの眼光男である。
あれを根に持たないで何を根に持つのかって感じに恨み骨髄なんで、もしまた会う機会があったらば、絶対殴り合いをしてやろうと思っていた。ますます再会が待ち望まれる。
「次いでデメリットだが、これは単純だな。私の敵に狙われる可能性がある」
「敵、いるんですか?」
表舞台には立たないできたとか言っていたので、ちょっと意外だった。ひょっとして相手は悪の秘密結社とかだろうか。
でもびしっと果断を下す人の様子でもあるから、見当違いの意趣を持たれてるとかもありそう。
「まあ、これは可能性だ。少し気がかりがあってな。もし最悪の形でこれが当たっていたなら、そういう事があるやもしれないという話だ。ただお前は私の飾り物として知らしめる予定だ。すると私の名を挫く意図で見せしめとして狙われる公算がなくもない。私を直接狙うよりも騒ぎが大きくならず、尚且つ捨て駒として使う下手人の動機も仕立て易いからな」
「もしかして俺、飾りじゃなくて餌じゃないですか?」
「釣り餌を飾り物と呼ばわる地方が、この世界にはなくもない」
「いやないだろそんな地方」
しまった、ついツッコんでしまった。というかツッコまされてしまった。この姫様、なかなかのやり手である。
おまけに冗談めかしながら最悪の可能性をちゃんと教示してくれて、その上自分が被るであろうデメリットについては口を噤んでいるのだ。
例えば俺は風邪に罹患した人たちに恨まれてる。すると俺を使役し庇護する姫様も、同じ恨みの視線を浴びる事になる。でもそれについては全くまるで触れてこない。
考慮してないという事は絶対にないだろうから、その辺りもう、人がいいとしか表現しようがない。
「と、これがひとつの選択だ。それからもう一方だが」
「あ、いいですいいです」
「うん?」
「姫様の飾り物、やらせてください」
というか、である。
姫様の言う選択肢の残り一方は、多分姫様に協力しないルートという事になるだろう。
すると説明を聞くまでもない。
まず姫様と縁が切れた場合、俺は孤立無援だ。確実に路頭に迷う。翻訳さんのお陰でなんとか会話は成り立つが、金なし家なし知識なしのないない尽くしだ。
そのまま飢えに飢えて餓死とか、盗みを働いて捕まって獄死とか、どっかの山中に迷い込んでそのまま孤独死とか、そんな具合の素敵な最後を迎えられそうな予感がひしひしとする。
どれも日本人離れした貴重な死に様であるが、実体験したいとは欠片も思わない。
おまけに万一の確率だろうけども、「あいつ病魔だ」と告発されてコノヤロウ的勢いで殴られたり斬られたり突かれたり射られたりの暴力行為に及ばれる可能性まであったりする。
つまり選択肢その1のデメリット、「襲われて死ぬかもしれない」は、その2の方にも存在しているんである。
そしたらメリット的にも心情的にも、姫様のとこに所属するルート一択ではあるまいか。
「……そうか。うん、そうか」
俺の即答ぶりに一瞬戸惑ったようだけれど、姫様はすぐにそう言って頷いた。
なんだかわりに嬉しそうである。
保身を詰め込んだ決断であったので、ちくっと罪悪感がした。
「えーと、姫様」
「どうした?」
「そういうわけですから、どうぞ今後ともよろしくお願いします」
背中側で拭ってから、俺は手を差し出した。
握手の風習があるかはわからなかったが、前回尻込みした後悔を踏まえて、感謝と誠意を表してみたつもりだ。
「こちらこそ、よろしく頼む」
姫様はふっと不敵に笑い、それからやわらかな仕草で俺の手を取った。
さて。
その後明らかになった事であるのだが、実は姫様、一晩がかりで俺を説得するつもりであったらしい。
俺が予想外の最速であっさり飾り物になるのを承知してしまったので、すっかり時間が余ってしまった体裁になる。
そしてここで更に発覚した新事実。
この館、現在不思議魔法で閉鎖されているそうな。細かい事はよく分からないが、とにかくその出入りに制限がかかっているらしい。
「警報と衝撃の魔符の設置を命じてある」という姫様の言からするに、館周辺全域に、鳴子とダメージ床がセットされたのだと解釈しておけば近そうだ。
兵隊さんたちの撤退は、火計の準備のみならず、この閉鎖からの退避という意味もあったと見える。誰だ現地解散とか適当を言ったヤツは。全然話が違うじゃないか。
その目的の半分は、怖いもの見たさの野次馬排除にあるのだそうだ。
さっき姫様が「この館に近づく者は皆無」とか言ってたけども、どこの世界にも例外的な馬鹿はいるものだ。そういう輩の予定外かつ予想外の行動で、俺との交渉が不首尾に終わるのを危惧したのに違いない。
でもってもう半分は勿論、俺の逃走防止用であろう。
しかしこれ当然ながら、姫様の撤退も同時に阻害している。事前情報を握っていたにせよ、向こう見ずというか命知らずというか、危ない橋を平気で渡る人である。
「設置のみならずお前との交渉についても、身内には大分反対されたな。信頼のない事だ」
やれやれと傷心めいて嘯くいているけども、いや当たり前だから。
信頼がないんじゃなくて、それは心配されてるんである。至極当然の事である。俺だってその立場にいたら絶対引き止めにかかる。
「しかしだな。『したくない』とは私の恣意だ。それを押し通すのを、衆目に晒すのは上手くないだろう?」
うーむ。
一理ある、のだろうか。
俺的には大変ありがたい行動で、実際命を救われている。滅茶苦茶感謝もしている。
でも大の虫の為に小の虫を殺すような観点から見たら、それはただの我がままになるのかもしれない。人生色々むつかしい。
「とまれ、明朝に解除される手はずなのは確実だ。我が家への移動はそれからでいいだろう」
我が家って、え、姫様んち?
なんで姫様んちに移動するんだ?
「何を呆けている。お前は今後、私の館で暮らすのだぞ?」
え、ちょっと聞いてないですよ?
そりゃ住環境の確認はしてませんでしたけど、いや聞いてないですよ?
「ハギトは私の飾り物なのだ。私の側に侍るのは当然だろう。加えて世評としてお前は病魔だ。死病の褥だ。私が契約し無害化したと公表したとして、それでお前を受け入れるほどに器量のある者がどれくらいいると思う? 好き好んで火中の栗を拾う人間は多くはない。入れ込みようからしてミニオン卿ならば或いはだが、しかしかの御仁は臥せっている身だ。ならば縁のある私が引き取るのが筋だろう」
ところでまるで会話してるみたいな流れだが、実は俺、ここまで一言も発してない。
全部姫様が俺の顔を読んで、先回りして回答していたりする。いや何者だこの人。そういう魔法でもあるのか。
まあでも館ってんならきっと使用人とか一杯いるんだろうし、そんなに気を遣わなくてもいいはずだ。そんなに緊張する必要はないはずだ。というか俺、なんだってこんなに意識してるんだ。
「それに、お前が近くに居てくれると私は嬉しい。私個人としてもお前には興味があるし、異世界の知識には気を惹かれる。これは強制ではなくあくまで希望なのだが、またお前の話を聞かせてはもらえないか?」
「はいはい、それくらいでよければいくらでも」
「うん、楽しみにしている」
姫様、またしてもちょっと嬉しそう。
いかん。軽い気持ちで頷いたが、これひょっとして雑談じゃなくて、別世界の技術伝播的なものを期待されていたのだろうか。知識と記憶を総動員して、感心してもらえるような話を披露できるよう準備しておくべきかもしれない。
「すると、そうだな。私はこの件の事後処理でしばらくは忙殺されるだろう。だから話をするならつまり、その、また食事をしながらという形になるな。勿論お前が嫌でなければ、だが」
「俺の不調法でも平気なら、ぜひご相伴させてください」
即座に了解しておいた。
だって考えてみればいい。姫様んちの大勢の使用人の皆さんの中に放り込まれて、俺だけ顔見知りゼロで孤独にメシというのは凄く嫌だ。もう味なんか分からなそうな境遇な気がする。
それなら一応ながら顔見知りである姫様とご一緒する方が確実にありがたい。
何より放射されるプレッシャーに慣れてみれば、姫様はなんとも話してて楽しい人なのである。丁度いいリズム、上手いタイミングで言葉を返してくれるので、やり取りのテンポが心地良いのだ。
まあ「こんな美少女と定期的にご飯一緒できるとか役得だよね!」なんて下心と、「これ以降顔合わせる機会がなくなると寂しい」という心細さが横たわるのも否定できない。
しかし姫様と好き勝手に雑談って、この世界の常識に則ったら凄い無礼な行為なのではないだろうか。ちょっと不安になってきた。
「そうと決まれば仕方ない。うん、仕方のない事だな。できるだけ多く、私はお前との食事の機会を設けれるようにしよう」
だが当の姫様はこっちの心配なぞ知らぬげに、決心めいて呟いている。
漏れ聞くに、飯の時間ひとつにしても、偉い人にはあれこれと縛りがあるようだ。大変だなあと思った。
「あ、食事といえばですけど、明日は朝飯って届くんでしょうか?」
姫様が運んできた鍋とバスケットの中身は、既に粗方片付けてしまっている。分量としては二人前半くらいあったのだが、俺だけじゃなく姫様もなかなか健啖だったのだ。
「特に言いつけてはいないが、うちの料理人は気が利く。おそらく大丈夫だろう。明日の迎えと一緒に来るだろうと思う」
「じゃあこっちで朝食してから、姫様んちに移動ですかね」
「ああ、そういう形になるだろうな」
ふむふむ。
そうとなれば試してみたい事があるのだ。
「ねえ姫様、あれって俺にも使えます?」
言って指さしたのは火熾し用の魔符である。
合言葉と指タッチで起動OKってんなら、俺も魔法を使ってみたい。
「次はお前が温めてみるか?」
「ぜひ!」
俺の張り切りようがおかしかったのか、姫様は口元に手を当てて笑う。
そういえばさっき俺は、この火にびびって逃げた様を目撃されたのだった。
「いやあれはちょっとびっくりしただけなんで。別に火自体には慣れてますんで。元の世界じゃそこそこ料理とかしてましたし」
どうせバレやしないだろうと、ちょっとだけ見栄も張っておいた。
「では、扱いを教えておこうか」
姫様は立ち上がり、それから、
「これが済んだら夜の残りの慰めに、お前の話を所望したいな」
「いいですよ。ただ一方的にじゃなくて、交互でこっちの話も聞かせてもらえると嬉しいです」
「ではまた交代交代で、だな」
「了解です」
その後もあれやこれやと話が弾んで、結局眠らないままかなりの夜更しをしてしまった。
お陰で俺と姫様は、翌朝揃って寝不足だった。