1/ゼットオーナイン (改)
透き通るような小鳥のさえずりが響いていた。深緑の森の奥。萌え出づる草木、花、そして小鳥の音色。そこはまさに自然そのものに包まれていた。
ふと、がさがさと草木をわける音が響く。小鳥たちもそれにおどろいてか、パタパタと小さい翼を一所懸命にはばたかせ、どこかへと飛んでいってしまった。
「んんー。多分このあたりはと思うんだけどな。どこだろ……」
現れたのは少女。彼女、新崎刕織はこの森の中を疾駆していた。彼女の目的は人の捜索だ。
その命令が出されたのはちょうど十二時間ほど前。彼女の所属する部隊の長である、古滝哀子からの直接の命令だった。もともと、部隊と言っても数えるほどの少人数であり、隊長から直接の命令がくだされるのが普通ではあるが、哀子が普段積極的に仕事をすることがないため、刕織としても久々の外での任務だった。
哀子いわく、たまたまこの地方の様子をモニターで見ていると、人間の生体反応があったらしい。そのため、刕織に見に行かせたのだ。
『どうも、その生体反応はまだ子供らしい。精度はなんとも言えんから、実際に確認し、本当にいれば保護しろ。いや……、そうだな。可愛い女の子なら連れて帰れ。それ以外なら……』
と、刕織は哀子の言葉を反芻しかけてやめた。
「ったく、あのババァは…………」
悪態をつきながらも、刕織は気を取り直して捜索を続ける。
この深い森にはよく変な獣たちが出現する。そのために気を抜くことができない。獰猛な一角獣やホブゴブリンに出会ったら、致命的だ。刕織としても、普段なら負けない自信があるが、今回は軽装備であり武器を持ってきていないため、勝てる保証はない。刕織は一応、念の為に哀子にB装備の申請をしたのだが、有耶無耶のままに却下された。
彼女が森に入り、一時間ほど経ったときだった。刕織はちょっとした広場になっているような場所へ出た。そこだけ木々が生えておらず、柔らかな太陽の光が、地面を照らしている。
その先。刕織は樹の幹に寄りかかるようにして倒れている人影を見つけた。
「お。いた、いた」
刕織は駆け足で寄り、顔をのぞき込んだ。
「あー、男の子かぁ」
倒れこんでいたのは、刕織と同じくらいの歳であろう少年であった。
刕織は、哀子の言葉を思い出しつつ、頭を振ってそれを追い払う。
「放置なんてできるわけないよね……」
刕織は少年の身体を揺り動かす。
「ほら、起きて。大丈夫? おーい」
刕織が強く揺すっても、少年の反応はない。
「うーん……」
刕織は少々考え、ふと忘れていたことに気づいた。少年の服の右の袖をまくり上げ、腕の裏側を見る。
「お、よかった。こっち側だ」
そこには赤く刻まれたアルファベットと数字。人々を管理するパーソナルナンバー。アルファベット一つと九桁の数字で構成されている。
「ん……。でも、これって……」
少年の腕に刻まれたパーソナルナンバーを見て、刕織は首を傾げた。
『Z000000000』
それは極めて特殊なナンバーだった。それ以前に、そんなナンバーが存在すること自体、刕織は知らなかった。
刕織の知っている限りでは、ナンバー全てが0になることはないはずだった。000000001からしか存在しない。というのも、ナンバーの内、一番最後の桁が居住区を表すものであり、それが1から9しか存在しないのだ。また、最初のアルファベットは職業など、その人の地位を表すものだが、その中でもZは行方不明者に付けられる仮のパーソナルナンバーなのだ。通常、データ上だけで処理され、それが生身の人間に刻まれることはない。
そんな不思議なナンバーに刕織はため息をついた。ナンバーは全て、本部のコンピュータで管理されている。専用の端末にそのナンバーを入力すれば、個人情報が表示される仕組みになっている。刕織も、手持ちの端末に少年のナンバーを入れてはみたが、エラーが返されるだけだった。
少年の素性はよくわからない。しかし、保護対象には変わりない。
刕織は刕織は彼の身体を見た。服がところどころ破けたりはしているが、外傷はないようだ。念のため、服を破いたりして見、また触診などもしてみたが特に悪そうなところは見つからなかった。
「外傷は……なし。病気の疑いもなしか。なにか、精神的なものかな」
そうなれば、無理に起こすことも良くないだろう。このまま運ばないといけないが、十七歳の少女である刕織には、到底同い年であろう少年を運ぶだけの力があるはずもない。
刕織は腕に巻きつけてある腕時計型の小型デバイスを起動した。本部が開発した、『テレン』という機器だ。立体映像の操作画面が現れる。刕織はそれを操作し、本部へ連絡をした。
『ん、新崎か。どうかしたか?』
数秒の間をおいて、激しいノイズ音とともに彼女の隊の隊長、古滝哀子の声が聞こえてきた。高性能の通信機能を備えたデバイスとはいえ、この深い森の中では電波が悪いらしい。通信環境を考え、刕織は向こうに伝わりやすいよう大きな声で話す。
「哀子さん、見つけましたよ」
『おお、そうか。で、女の子か?」
「いえ、男ですけど……」
『む、そうか。それは残念だ』
通信機越しでも、明らかに向こうの落胆の様子が伝わってきた。刕織は、二十代前半を自称する哀子の言動にため息をついた。
「まぁ、そのことはどうでもいいとして、彼、意識ないんです。外傷はないようなので、多分精神的な何かだと思うのですが……」
『ふむ。精神的なものでは、お前の<聖なる癒し>も意味が無いな。……もう、放置しておいてもいいんじゃないか? 男なんだし。あ、いや。可愛い子なら性別は……」
「ちょっと黙ってもらえますか?」
刕織がそう遮ると、哀子はムムムと口を閉じる。
哀子は、この少年のことになど全く興味を持っていないようだった。哀子は自分に興味には素直だが、裏返せばそれは興味のないことにはとことん無関心だということだった。刕織としても、これでは本題に移れない。なんとか興味をもたせようと、刕織はふと少年のパーソナルナンバーのことを思い出した。
「なら、これだったらどうですか? これを聞けば、今の興味、関心ゼロの哀子さんでも、この少年に少なからず興味をもつと思いますよ」
『ふむ。聞こう』
「彼のパーソナルナンバーなんですけど、すこし変なんです。というのが、彼のナンバーはZナンバーでしかも000000000なんです」
言いながら、刕織はテレンに付いている超小型のカメラで少年の手を映す。
『ほう……。これは……』
息を呑むのが刕織にもはっきりと分かった。
しめた、くいついてきた、と刕織は本題に移す。
「それで、彼を運びたいんですけど、もちろん、か弱な少女である私では、彼を運ぶことができません」
どこかだ、という哀子の声が聞こえてきたが、刕織は意図的に無視した。
「ですので、綾乃を呼んでくれませんか?」
「おう。分かった。じゃあ、一衣を呼んでくるから、そのまま待機していてくれ。一旦通信を切る。次はこちらからかける』
そう聞こえ、通信は途切れた。
刕織は、はぁ、と息を吐きながら、少年を見る。彼はいまだ意識がないようだ。
それにしても、彼は何故こんな森の中にいるのだろうか。森には猛獣がたくさんいる。一人で入るなどありえない。
しかし、彼はたしかにここにいる。無傷で。
色々と考えている内に、テレンに通信がはいった。
『あぁー。刕織さんです?』
スピーカーからは、明るい、しかしどこか気の抜けたような声。刕織の同僚であり、一番の親友でもある一衣綾乃だ。
「うん、私。ちょっと、綾乃に頼みたいことがあるんだけど」
『ですかー。はい。なんですー?』
「ほら、私が哀子さんから、任務を受けてたのは知ってるでしょ?」
『はいー。知ってますですよ。それがどうかしたんです?』
「うん。で、そのターゲットの人見つけたんだけどね。私じゃとても運べないから、綾乃の<物質転送>で転送してほしいな、と思ってさ」
『はいー。もちろんいいですよ? でもきちんとお金はー。今回は三千新円でどうですか?』
「うっ……。三千も……!?」
いつもはおっとりとした性格の綾乃だが、じつは親友相手でもとるものはきっちりとるという、腹黒い性格の持ち主でもある。
刕織は素早く、画面を操作し、電子ウォレットの画面を表示する。残金五千新円。綾乃の提示した額には達しているが、刕織とて分かっていた。綾乃のことだ、二人で三千新円であるはずがない。
それでも刕織は僅かな希望にかけ、確認する。
「えーと。それ、二人での値段だよね」
『いえ、そんなわけないですよ? 二人なら六千新円』
間すら置かず、さらりと答える綾乃。
一瞬だけ、刕織の中で、もうこの少年を本当に放っておいてもいいのでは、という考えが浮かんだ。しかし、そのようなわけにもいかない。
「じゃあ、っもう。彼だけでいいよ。私は走って帰るから……」
きついことは分かっていたが、背に腹は代えられない。
『まいどありー……じゃなかった、了解です。じゃあ、その人の手に、アレを握らせてくださいー』
「うん」
刕織はポケットから、小さな紙片の入った容れ物を取り出した。その紙切れには、綾乃の書いた、刕織にはよく分からない文字が書かれている。刕織はその紙片を少年の右手に握らせた。
「準備オーケーだよ」
『はーい。では<物質転送>』
綾乃の声とともに、少年に握らせた紙が強く発光しはじめた。白い光。光は次第に大きくなり、少年の体を包むまでとなった。
次の瞬間、光がばちっと音を立て、強くフラッシュした。目の眩むような光に、刕織は思わず目を閉じる。
次、刕織が目を開いた時には少年の姿はそこになかった。<転送>されたのだ。
『それじゃあ、刕織さんはご自分の足で帰ってきてくださいねー。待ってますですよー』
「えっ! ちょっ、待っ――」
て、と言う暇もなく、テレンから聞こえてくる音はザァーというノイズの音だけとなった。