三丁目の猫屋敷
地元で有名な不良―――それが俺に張られたレッテルだった。
あの時までは俺は世界のすべてが敵のようだった。
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全てがひっそりと静まり返る静寂の世界。
もうすぐ深夜という時間帯、しかも公園となればあまり人はいない。
もっと遅い時間なら、ヤンキーやカップルが来るかもしれないが、
とりあえず、今はこの公園に俺は、1人でベンチに座っていた。
「・・・やめて、離して!」
遠くの方から、女の子の声が聞こえた。
反射的に声のした方を振り向く。
女の子が、男に連れられている。
「へへっ、残念だけど、この時間はこの公園は誰もいないんだぜ。」
(あいつ・・・・隣の町の不良の子分か・・・女でも連れてヤる気なのか・・・・)
人助けには興味ないが、あの不良の子分には因縁がある。
この間、あいつらと喧嘩して、骨を折られた恨みがあるので、俺は、ベンチから立ち上がり、そいつの元に向かった。
「おい、何してんだよ。離せ。」
「・・・何だよ岸田。正義のヒーローでもなるつもりか?」
不良は、下品な笑いをしている。
「はっ、まさか。この間の右腕のお礼だよ。」
俺は、不良の腹にパンチを食らわせた。
「ぐっ・・・・。」
不良は腹を抱えながら、俺を睨んだ。
「ヤる気か?この間は三人だから右腕やられたが、一人なら負けねーぞ?」
俺が、挑発的に微笑むと、
「・・・・覚えてろ!」
と、負け惜しみを言いながら不良は去って行った。
・・・あいつ、親分がいないと何もできねーんだな、と俺は、心の中であいつをこき下ろす。
「・・・あの、助けてくれてありがとうございました!」
側で見ていたセーラー服の女の子が、俺に対して頭を下げた。
・・・・忘れていた。そう言えば、いたんだっけ。
「・・・いや、俺はお前を助けたんじゃねー。
この間三人がかりで殴ってきて俺の右腕を骨折させたヤローにやり返したかっただけだし。」
「・・・でも、あの、すごく怖かったので、助かりました。あの、名前を聞かせて貰えますか?」
「・・・岸田一樹。」
「わたしは、樫野小夜です。あの、たぶん、同じ中学の方ですよね?何年なんですか?」
「・・・二年。」
「えっ、あっ、同い年なんだ。何組なんですか?」
「・・・二組。」
「あれっ?同じクラス?ごめんなさい。まだわたし、転校したばかりで名前を覚えてなくて・・・」
樫野が、申し訳なさそうに何度も頭を下げる。
「いや・・・その・・・・覚えてなくて当然だって。俺は学校に行ってねーし。」
「・・・そう。
良かった。初めましてだったんだ。宜しくね。」
樫野はそう言って、笑顔を見せた。
・・・なんか、調子狂う。
人に笑顔を向けられたのは何年ぶりだ?
「・・・・・お前、俺が怖くないのか?」
「えっ?そんな・・・恩人を怖がるなんてそんな失礼なことできないわ!」
樫野は慌ててかぶりを振った。
「・・・・・」
(この反応は初めてだな・・・)
今まで女と言えば、目を合わせたら怖がる。近くにいるだけでひそひそ話させられたり・・・
「アンタなんて産まなきゃ良かったわ。」
俺は、母親に言われたあの一言を思い出していた。
くそっ、胸くそ悪い。
「あの、岸田君?」
樫野が心配そうに話しかける、
「・・・何だよ。」
俺は、つい、ガンを飛ばしてしまった。
だけど、樫野は俺のガンに物怖じしなかった。
「どうしたの?何か悲しい顔しているわ・・・」
樫野の手が、俺の顔に触ろうとする。
「触るな!」
俺は、そんな樫野の手を衝動的に振り払った。
「あ・・・・・・」
しまった。
怯えた顔の樫野を見て、後悔が巻き上がる。
「・・・ごめんね。お節介だよね。」
樫野は、そう言って、笑った。
なんだよ、なんで、そこで笑うんだよ・・・・・。
悪いのは・・・・俺なのに・・・・。
「それじゃあ、またね・・・・」
樫野はそう言うと慌てて俺に背中を向けて走り出した。
「あ・・・」
俺はただ棒立ちで彼女の背中を見送っていた。
声をかけたかったけど、俺は、怖かった。
何か言ったら、彼女を傷つけそうで。
誰かを傷付けることが、こんなにも怖いと思うなんて、初めてだった。
樫野に出会ってから、俺は、おかしくなった。
ケンカすることが怖くなり、殴られるだけのケンカが増えた。
「・・・・・ぐっ!」
不良達にやられて、俺は、薄汚い路地に転がった。
「ははっ!この間の勢いはどうした!」
不良達は、トドメとばかりに俺の体を踏みつける。
俺は、うめき声しか出せなかった。
「はっ!喧嘩番長がぼろ負けとか情けねー!」
「ぎゃははははは!」
不良達は俺を罵倒し、あざ笑いながら去って行った。
俺は、地面に仰向けになり、ビルのスキマから空を見る。
(ああ、いつもならあんな奴らイチコロなのによ・・・・)
―――目を閉じると、樫野の怯えた顔が浮かぶ
(あんときから、調子おかしいな・・・)
何でだろう。人に嫌われるのは慣れてんだ。
「岸田君って怖いよねー。」
「岸田君のクラスは大変ですね、先生。」
「ねえ、聞きました?また岸田さんの家の息子が・・・」
「社会のクズ」
「なんでアタシの息子として産まれたのよ!」
これまで俺の耳に届いた雑音達。
もう、色んなことを言われすぎて、俺は、何も感じていない。
今まで、散々人に嫌われて、散々人を傷付けて。
そうやって生きてきたのに、どうしてーーー
「岸田君?」
空耳なのか、樫野の声が聞こえる。
まさか・・・・。
まさか・・・・な。
「岸田君?大丈夫?聞こえる?」
そうだ、これは、きっと空耳なんだ。
「岸田君?しっかりして!」
だってあいつは・・・・目が覚めると俺は、知らない和室で寝ていた。
(ここは・・・どこだ?)
「あ、起きた?」
樫野の声が聞こえる。
俺は、声のした方を見る。
「・・・・樫野?」
夢じゃない。樫野だ。
それじゃあ、ここは樫野の家?
「もう、びっくりしたわよ。家の前で倒れているんだもん。」
「はあ?だって、俺が喧嘩していたのは三丁目の裏通り・・・
あそこに家っていったら、幽霊屋敷で有名なボロ家しか・・・」
「悪かったですね、幽霊屋敷で。」
樫野が少し怒ったように頬を膨らませた。
「あ・・・・ごめん。てか、ここはお前ん家なのか・・・」
「ううん。おばあちゃん家なの。わたしの家はなくなっちゃったから。」
なくなった?どういうことだろう?
聞きたかったけど、俺は、彼女を傷つけた前科があるので下手なこと聞けない。
「それより、怪我はどう?」
樫野が、包帯を巻いていた俺の腕に触れる。
・・・もしかして、樫野が全部手当をしてくれたのだろうか・・・・。
「あ・・・うん。大丈夫だ・・・」
俺は、それを言うのに精一杯だった。
樫野が触れてからなんか心臓がうるさい。
顔が赤くなる。
・・・俺、おかしくなったのかな。
「・・・そっか、良かったぁ。」
安心したように、樫野が笑う。
「・・・お前・・・俺が怖くないのか?」
「またその質問?うん、この間はちょっと怖いと思ったけど、大丈夫だよ。」
樫野はそう言って花のように笑う。
きれいだな、と思った。
思わず、俺は彼女に見とれてしまう。
「そ、そうか・・・」
うう、なんかやばい。
これ以上こいつの顔見ていたら何か爆発しそうだ。
「俺、ちょっと寝るわ。」
俺は、布団を被って寝ることにした。
とにかく、やばい。これ以上こいつの顔を見ていると何かしてしまいそうだ。
「お休みなさい。」
だけど、眠れるはずもなく、その夜は色々と悶々として、全く寝れないまま朝を迎えた。
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「おはよ・・・」
俺は、眠い目をこすりながら、台所に顔を出す。
彼女は朝食の準備をしていた。
「おはよう。岸田君。」
(やっぱり、夢じゃない・・・)
樫野の顔を見て、俺は、昨日のことが夢じゃないことを再確認する。
「もう少しで朝ご飯作れるから待っていてね。」
「お、おう・・・・」
ち、朝食作ってくれるとか、なんか新婚みたいだ・・・。
と、俺は、変なことを考えながらじっと料理をしている彼女の後ろ姿を見ていた。
「にゃー」
俺の膝に猫が乗ろうとする。
「うん?猫か。」
「にゃー」「にゃー」「にゃー」
「!?」
気がつくと、俺は、猫に囲まれていた。
何匹いるんだ?1、2、3・・・7匹くらいか?
「・・・随分猫が沢山いるんだな。」
「最近飼いはじめたの。この町は捨て猫が多くて・・・なんだか放っておけなかったから・・・」
「ふーん・・・」
樫野の声は、なんだか震えているような気がした。
だけど、樫野は後ろを向いていて顔を見ることはできない。
しばらくして、料理をお盆に乗せる為に振り向いた彼女は普通の顔をしていた。
「はい、できたよ。」
そう言って、樫野は朝食を並べはじめた。
「おお、さんきゅ」
どうやら、二人分の食器を並べているみたいだ。
(あれ?二人分?確か昨日ここはばーさん家とか言っていたよな?)
「・・・・おばあちゃんね、お店やっているのよ、和菓子の花知ってる?」
樫野が俺の考えていることを見透かしたように話しはじめた。
「ああ・・・この辺じゃ有名だよな。」
確か、この町の名産品の饅頭があって・・・・なんか最近有名だったような・・・・
「いつも仕込みとかで朝早くから夜遅くまで働いているんだ。」
・・・もしかして、さっき俺なんで食器が二つなんだって口に出していたのか?
・・・・いや、出してないよな?
まさかこいつ、エスパーとか?
「今日は学校、こないの?」
「・・・行きたくない。どうせクラスの奴もセンコーも迷惑そうな顔するし・・・・。」
「・・・そっか。じゃあ、怪我もまだ治ってないし、家にいたら?」
樫野の返答に俺は、なんだか拍子抜けしてしまう。
てっきり、学校に行けと言われると思ったけど・・・・
「・・・・学校行けって言わねーのか?」
「言わないよ。無理してまで行く必要ないじゃん。」
「・・・・まあ、そうだけど。」
(変な奴・・・・)
なんか不思議な気分だ。
こうして、誰かと普通に話して、一緒に飯食って。
そういう、当たり前の生活をしている自分が信じられなくて、夢でも見ているんじゃねーか、と今でも思う。
俺は、樫野の作ったご飯を口にした。
すっげーうまくて・・・・なぜか、少しだけ、涙がでそうになった。
その日から、寝ても覚めても彼女のことばかり思うようになった。
どこにいても、何をしていても、いつも彼女のことを考え、彼女に会いたくなる。
参ったな。
もしかして、これが恋というやつなのだろうか。
俺は、ため息をつく。
(あ、樫野だ。)
俺は、歩道橋を渡っていたら、下の歩道を歩く樫野を見かけた。
「おーい、樫野!」
嬉しくて、俺は、樫野に向かって声をかける。
だけど、彼女は、俺の声に気づかなかったのか、すたすた歩く。
「?」
(どこに行くんだ?そっちは確か・・・)
なんとなく、樫野の様子がいつもと違う気がして、俺は、樫野の後を追っていった。
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彼女の向かった先は、墓地だった。
「お父さん、お母さん。来たよ。」
樫野家と書かれた墓石の前で、彼女はしゃがみ込む。
「今日はね、先生にこのまま行けば志望校行けるって言われたんだ。
学校にも慣れてきて、友達も一人増えたよ。希ちゃんって子。」
樫野は眈々と墓石に向かって近況報告をする。
その背中が、とても小さく見えた。
「・・・もういなくなってから三ヶ月だね。
・・・わたしは大丈夫・・・いつも笑顔で・・・」
樫野は言葉につまり、静かに泣きはじめる。
ーーー俺は、彼女の何を見ていたんだろう。
俺は自分のことに精一杯で、彼女の寂しさに気付けなかった。
そうか、だからあの家には猫がいっぱいいたんだ。
きっと、まだ傷は深く、彼女は1人だと泣いてしまうから。
―――だから、猫を拾って、寂しさを埋めていたんだ。
「小夜・・・・」
俺は、彼女の側まで行き、彼女に話しかけた。
「・・・岸田、君・・・・ご、ごめん、なんでもない、すぐ泣き止むから・・・」
小夜は慌てて、涙を止めようとしている。
俺は、彼女の隣に座った。
「泣きたい時は泣けよ。」
「うっ・・・・・ううっ・・・・。ごめんね・・・少しだけ、泣かせて。」
俺がまともな人生をおくっていたら、彼女の寂しさにもっと早く気づけたのだろうか。
こういう時、彼女を慰めることができたのだろうか。
小夜に優しくしたい。
彼女を幸せにしたい。
俺は産まれて初めて他人に対してそう思った。
俺なんかが彼女の側にいていいのかわかんねーけど、精一杯やるさ。
彼女は俺に対して笑ってくれた。
飯も作ってくれたし、傷も手当てしてくれた。
だから、今度は、俺が、彼女を助ける番だ。
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帰り道、俺と小夜は並んで歩く。
「・・・・俺さ、学校に行こうと思う。」
小夜がじっと俺を見つめていた。
歩くのをやめ、俺たちは立ち止まる。
「ちゃんと勉強して、喧嘩もやめて、高校にも行って・・・まともになって・・・・。
お前を守れるような男になる。」
「・・・・・岸田君・・・。」
小夜が驚いたような顔をする。
気のせいだろうか、少し頬が赤く染まっていた。
「だから、その・・俺と、付き合ってくれ!」
小夜はしばらく俺を顔をじっと見ていた。
俺も彼女の顔を見る。
一瞬のような、永遠のような静寂が二人を包む。
「うん。宜しくね。」
小夜はそう言って、花のように笑った。
たくさんの人を傷つけて、傷つけられて、誰にも愛されなかった俺。
愛する家族を失った彼女。
俺たちはきっと、お互いに傷を舐め合う為に出会ったのかもしれない。
そして、俺たちは手を繋いで帰る。
――――三丁目の猫屋敷へと
END