魚人戦士インスマン
俺の名前は真州大斗。21歳。職業は正義の味方(変身ヒーロー系)。
まあ、世間的にはフリーターとかプー太郎とか言われることもあるが、俺には巨悪を倒し、正義を成すという大望がある。弱きを助け、強きを挫くべく日夜邁進する俺は忙しい身だ。
勤め人の真似事などをして浪費できる時間はない。
決して何度面接受けても内定もらえないとか、
そもそも働くのめんどくさいとか、そういうわけでは決してない。
ないったら、ないのだ。
そうして俺は、今日も愛すべきこの町に魔の手が忍び寄るのを未然に防ぐべく、
平日の午前中からブラブラとパトロールをしている。
別に家でゴロゴロしてたら母親に掃除の邪魔だと言われて叩き出されたわけではない。
たまたま、あと十分したらパトロールに行こうと思っていた時に母親が掃除を始めたに過ぎない。
とりあえず駅前の本屋の店内を見回り、異常がない事を確認した後、雑誌をいくつか立ち読みする。
小汚いジジイが俺の背後を通りざまに、「いい若モンが平日の昼間っから暇そうに…嘆かわしい…」
などと呟くのが耳に入ったが、俺のことではないだろうとスルーする。
俺は正義の味方なのだ。重要な使命を背負って戦う人間なのだ。
そんじょそこらの愚民どもと違い、額に汗して働く必要などないのだ。
軽いイラつきを飲み込んで、俺は読んでいた漫画雑誌を棚に戻す。
毎週楽しみにしていた微エロ漫画が、今週はパンチラのひとつもなかったことが、俺のイラつきを助長する。
ふと気づいて店内を見れば、平日の午前中でもあり、店内に客は俺以外には中年女性が一人いるだけ。
立ち読みを続ける俺の方に、バーコードハゲの店主がチラチラと厭そうな視線を向ける。
なんとなく気まずくなって俺は店を出た。
店を出てみると、道の少し先をさきほどの小汚いジジイが歩いて行くのが見えた。
さっきは華麗にスルーしてやったが、人の背中でボソボソと嫌味を呟くなど、ろくな人間ではあるまい。
いや、きっと悪人に相違あるまい。
これは町の平和を守る正義の味方としては捨て置けぬ。
よし、ひとつ後をつけ、その化けの皮を剥がしてやろうと決意し、追跡を開始する。
20メートルほど先を歩くジジイは俺の気配に感づいた様子もなく、
貧乏たらしくトボトボと歩き続ける。
色のあせた柄物シャツに小汚いドカジャン、黒のスラックスにスニーカー。
スニーカーはもとは白かったと思われるが、小汚く黒ずみ、今では黒とも灰色とも茶色とも、なんとも言いがたい色をしている。
頭にはダークグレーのニット帽を被っているが、毛糸がほつれまくって小汚さを強調している。
きっとあの帽子の下には小汚いマダラハゲがあるに違いない。
要は、典型的な小汚いジジイだ。
だが、俺にはわかる。あの小汚い格好は悪事の為の偽装なのだと。
町中に於いては誰の印象にも残らないタダの小汚いジジイであり、
闇に紛れればその黒と灰を基調とした色彩は立派な迷彩となる。
大ぶりなドカジャンは、その下に得物を隠すのに最適だし、
ゆったりしたスラックスと履き慣れたスニーカーも動きやすさを考慮したものと考えられる。
ジジイに気取られぬよう、俺は細心の注意を払って電信柱の陰から陰へと渡ってゆく。
駅前の繁華街を抜け、閑静な住宅街にたどり着いた。
高度成長期に都市部へ通勤する者達のベッドタウンとして整備された区画で、
地元ではニュータウンと呼ばれている。
コピペで並べたような建て売り住宅が道の両端に延々と続いている様は、ある種の不気味さを醸し出している。
ジジイはひたすらに住宅街の奥へ奥へと進んでゆく。
そろそろ尾行に飽き始めていた俺が「肉欲を持て余した有閑マダムに逆ナンパされたりしないかな…」などと考えていると、ジジイは突然サっと横道へと入った。
妄想から我に返った俺はやや気を引き締めて歩調を早め、
ジジイが消えた横道の入り口へ急ぐ。
曲がり角のコンクリ塀からそっと顔を半分だけ出して覗き込むと、なんとジジイの姿がない!
さては尾行に気づいて逃げられたか、それとも近くの建物に入ったか。
俺は曲がり角から姿を現すと、慎重に横道へと入っていった。
横道は軽自動車一台がかろうじて通れる程の幅で、両端には民家の塀と庭の植木がそびえ、日当たりは悪く薄暗く、ジメジメしている。
道は30メートル程で行き止まりになり、突き当たりは民家だった。
二階建の洋風住宅で、周囲のコピペな建て売りより明らかに年季が入っている。
おそらくはここらがニュータウンとして開発される以前よりここに建っているのだろう。
長年の風雨によって傷んだ駒形切妻屋根が今にも崩壊して崩れ落ちてきそうに見える。
立派な大理石でできた門柱には「阿波戸」と表札がかけられ、
錆だらけの鉄の門が閉まっていた。
家の中から見られぬよう、門柱の陰に隠れて考える。
事態を整理しよう。
不審なジジイを尾行したところ見失い、
その先は行き止まりで一軒の怪しげな洋館があるのみ。
横道の左右の家は2メートル近い塀に囲まれ、老人が乗り越えられたとは考えにくい。
よってジジイはこの洋館に入っていった可能性が高い。
概ね三つの可能性が考えられる。
1.尾行をまくために、この家の庭を突っ切って逃走した。
2.薄暗い横道の奥にある、人目につかない家、つまり用心の悪いこの家に、
ジジイは忍び込んで今この瞬間にも悪事を働いている。空き巣か強盗か。
3.この家は悪のアジトである。ジジイはその構成員の一人である。
どれもありそうだが、俺としては3である可能性が高いように思う。
このなんとも不気味な古い洋館は、いかにもソレっぽいではないか。
こんな薄暗い横道を入らなければ見つからない建物など、
奴らにしてみれば格好の隠れ家であろう。
これは、正義の味方として無視できぬ。
奴らが悪事を成す前に正義の鉄拳で成敗すべきであろう。
俺は洋館に潜入することにした。
敵の人数、装備など不明な要素が多く、危険な戦いになるかもしれぬ。
父さん、母さん、姉さん、俺にもし万一の事があっても悲しまないでくれ。
あなたの息子は、弟は、勇敢に悪に立ち向かい、名誉の死をとげたのだ。
あと、俺が死んだらベッドの下にある段ボール箱は開けずにそのまま捨ててくれ。頼んだよ、絶対だ。
よし、覚悟は出来た。いざ死地へと赴かん!
さすがに正門から堂々と入るのはためらわれるので、少し離れたところの塀を越える事にする。
とは言え、たいした幅があるわけでもないので、実質門の横の塀を昇るだけだが。
塀は赤レンガを積み上げたもので、これもおよそ2メートル程の高さがある。
レンガが崩れかけていた場所に足をかけ、反対の足で地面を蹴る。
身体が浮くと同時に腕を伸ばし、塀の上端をつかむ。
だが、その瞬間手の平に激痛が走った!
痛みに驚いた弾みで地面に落ち、したたかに尻を打ってしまった。
尻の痛みは無視して手の平を確かめると、何筋かの切れ込みがつき、
ドロリとした生暖かい血が流れ出す。
野郎、塀の上にガラス片なんぞ植えてやがった。
ところどころ崩れかけたレンガ塀と思って油断した!
こんな凶悪なトラップを仕掛けてあるとは、やはりカタギの家ではあるまい。
もはや偵察は不要。最初から全力で叩き潰すのみだ!
俺は立ち上がり、右手の人差し指と中指を揃えてのばし、
指先を地面に触れると、手の平から流れる血で地面に文様を描く。
正方形×正方形の回転式八芒星、さらに同心で一筆書き六芒星を描き、
出来上がった魔方陣の中央に立つ。
目を閉じ、手に印を結び、呪文を唱える。
「フングルイ ムグルゥナフ クトゥルフ ルリイェ ウガフナグル フタグン」
射精の瞬間にも似た恍惚感が俺の脳髄を突き抜ける!
全身のチャクラが開き、おぞましき外宇宙からもたらされた名状しがたいエネルギーが身体を駆け巡る!
そして俺の身体は闘争に特化した形態へと変身する!
肌は硬質な青黒い鱗に覆われ、シャツを突き破って背中に背ビレが生える!
全身の筋肉は力強く肥大化し、服を突き破って現れる!
手足の指の間には膜がはり、ヒレを形成する!水中戦への対応も万全だ!
さらに指先には固く鋭い爪がはえてくる!
横方向の視界を確保すべく眼球は左右に離れ、顔面からやや突き出すようになる!
瞬きによるスキをなくすべく目蓋はなくなり、口元は耳まで裂ける!
裂けた口には鋭い乱杙歯がズラリと並ぶ!
首元にはエラが出来る!
このエラは水中呼吸の役に立つのは当然、空気中においても周囲のマナを取り込み、俺の力へと変えてくれるスグレ物だ!
「魚人戦士インスマン参上!」
俺が変身を終え、格好良くポーズを決めた時には、手の平の切り傷などなくなっていた。
「キシャアァァァァァァ!!!!」
気合い一閃、錆びかけた鉄扉を蹴破り、そのままの勢いで玄関ドアを体当たりで粉砕する!
玄関からは右手に二階へ続く階段、正面には一階奥へ続く廊下がある。
俺は逃げ場のない二階は後回しにし、先に一階を制圧すべく、廊下を走る。
廊下の途中にドアがあるのに気づき急停止。ノブを回したが鍵がかかっている。
そのまま力づくでノブを引きちぎりドアを開く。
中には十代前半と思われる少女が洋式便器に腰掛けていた。
「キャアァァァァァァァァァ!!!」
絹を裂くような悲鳴。
このようないたいけな少女の格好で油断させ、悪事を働くとは度しがたい巨悪だ。
俺は躊躇することなく、その恐怖に歪んだ顔面に正義の鉄拳を叩きつける!
ベチャっと小気味良い音を立てて、後ろの壁に血と脳漿が飛び散る。
次にリビングへいくと、四十代くらいの男が、重そうなガラス製の灰皿をつかんで殴りかかってきた。
さすが悪の組織の構成員。危険で凶悪な鈍器を使用してくる。
しかし、俺は男が振り抜いた灰皿をダッキングでかわすと、すかさず一歩踏み込み、男の腹に合わせ抜き手を叩き込む。
腹筋を断ち割って、俺の指が根元まで潜り込み、男は絶叫をあげる。
俺は手首を反転させて手の甲を合わせた状態にし、そのまま左右に押し広げる。
男の腹がアケビみたいに割広がり、紫色の臓物が腹圧によって押し出されてくる。
腹からドロドロと臓物を垂れ流しながら痙攣する男を持ち上げ、
庭に通じるガラス戸に叩きつけると、男はガラス片と臓物をまき散らしながら庭を転がっていった。
奥の台所の方から「ヒィッ!」という声が聞こえたのでそちらへ行くと、
四十代位の太った女が出刃包丁を持って震えていた。
そんなモノで俺の鱗を切れるものか。しかし、抵抗の意思を示すのであれば鎮圧しなければならない。
左手の爪を振りかぶり、女の右腕を肩口から斬り落とす!
さらに返す刀で左腕を斬り上げる!
両腕を失った女は豚のような悲鳴を上げながら床の上をのたうち回る。
両肩の傷口から勢いよく飛び出る血が、さながら散水機のようだ。
傍らのコンロに油が煮えているのを見つけた俺は、鍋をつかむとその中身を床でのたうつ女にブチ撒けた。
「ブヒィィィィィィィィィィィ!!!」
一際大きな声で豚のような悲鳴をあげると、女は動かなくなった。
一階にはもう人の気配はない。
俺は一度玄関まで引き返し、二階へ続く階段を上った。
階段を上りきり、二階の床に足をかけた瞬間、
轟音とともに胸部に強い衝撃。
たまらずに階段を転げ落ちる。
何が起こったのかわからなかったが、
胸元をみれば、小さな銀色の球体がいくつか、鱗をひしゃげさせていた。
どうやら散弾銃で撃たれたらしい。
なめられたモノだ。00バック程度で俺の鱗を抜こうとは。
俺は起き上がると、一気に階段を駆け上った。
二階に姿をさらす直前で跳躍。直後に轟音。
思った通り、敵は俺が階段を上り切る所を狙っていたようだ。俺の足下を散弾が通過してゆく。
廊下の奥に、散弾銃を構えた人影。
先程のジジイだ!やはり奴がこのアジトのボスか!
床に着地するより早く、壁を蹴って三角飛び。
直後に轟音。三弾目を回避。ジジイがポンプアクションするより、俺の方が早い!
そのまま飛び膝蹴りを顔面に叩き込み、もつれあったままジジイの背後の壁をブチ抜いて庭へと落下する!
空中でジジイの首を俺の股に挟み込み、頭を下に固定する!
着地と同時に破砕音。
二階の高さからのパイルドライバーでジジイの頭部は原型がわからぬほどに砕け散った。
こいつでラストということは、もうこのアジトに敵戦闘員は残されていない。
俺は危険な賭ではあったが悪の組織のアジトに突入し、これを制圧した。
悪の芽は未然に摘み取られたのだ!
「クトゥルフ フタグン」
と唱えると全身の鱗と爪が剥がれ落ち、
ヒレとエラは消え、目も元の位置に戻り、目蓋が再生された。
膨張した筋肉は弛緩し、元の肉体に戻る。
そして強烈な脱力感と疲労に襲われる。
俺は自分が全裸なのに気づき、
家の中に戻ると適当な衣服を調達して現場を後にした。
帰宅すると服装が変わっているのを母親が怪訝に思ったらしいが、
ちょいちょい有ることなのであまり強く追求もされなかった。
母親が用意した昼飯をかっ込むと、俺は自室に戻り死んだように眠った。
この変身は燃費が悪いのが難点だ。
翌日、目を覚ますと既に午後だった。
寝ぼけ眼でフラフラと自室を出ると、テレビの音が聞こえた。
母親がリビングでワイドショーを見ているようだ。
興奮気味のリポーターの声が聞こえてくる。
「昨日午前10時半頃、K県紅霧市で会社員、阿波戸大作さん宅に何者かが押し入り、
阿波戸大作さんと妻の振代さん、長女で中学二年生の愛子さん、大作さんの父親の吹蔵さんの四人が殺害されるという事件がありました。
現場は閑静な住宅街に囲まれ…」
「やだねえ。すぐ近所じゃないか。それで昨日からやたらパトカーがうるさかったんだわ。」
と母親が言うが、俺は適当に相づちをうちながら冷めた焼きそばを食べる。
飯を食ったらまた寝よう。いつ悪が現れるかわからないのだ。
正義の味方としては、いつでも悪との戦いに対応できるように万全の支度を常に調えていなければならない。
俺には世間の些細な事件などにかかずらっている暇はないのだ。
ラヴクラフト先生、ごめんなさい