立ち話もなんですから・・・
「どうやら変身はちゃんと成功したみたいですね。えへへ。やったぁ!」
いきなり現れてそう言う少女。
「ああ……ああ……」
唖然として彼女を見つめる俺。つぶやくように問う。
「あの、えーと、その……」
「はい?」
「君がさっきのドラゴン……だよね?」
「はい、そうですよ。見た目をちょっと変えてみました。人間風に」
「……そ、そう」
ちょっとと言うか、その姿はまるっきり人間の女の子だった。しかも十代半ばぐらいの。
「人間の格好もなかなかいいものですね。わたしにぴったりです。うん、気に入りました」
彼女は体をひねったりして自分の姿を一通り眺めている。
「わたし、ゴーストドラゴンはこれからはこのイメージで行こうと思います!」
元気にそう言うクファム。
「どうですか、わたしの姿?」
それから彼女はにこにことしながら俺に聞いてくる。
「……い、いいんじゃないかな」
俺は少し経ってやっと答える。
「なんかこう、普通な感じになって」
あまりの変化にびっくりはしたけど冷静に考えると先ほどのドラゴンの姿よりかははるかにましと言える。なんというか、ようやく声と相応の見た目になったって感じはあるかな。これはこれで不自然さは多少和らいだかもしれない。
「ほんとですか? わたしも見た目を変えるなんて久しぶりのことだったからあまり自信がなかったんですけど。よかったぁ~。うまくいって。あっ、でもですね。まだ安心できないかも。この人間の姿はあなたから、人間の眼から見てどこかおかしなところはありませんか? 不自然なとことか」
そう言ってそばに寄ってくるクファム。
「え、えーと……」
俺はその姿をじっと眼に写す。パチクリとした大きな朱色の瞳、小動物っぽいちょこんとした小さな鼻、もちもちとした柔らかそうな白い肌、赤くて腰の辺りまである長い髪。全体的に子供っぽさの残るまるで西洋のアンティークドールのような顔立ちだ。背はあまり高くなく手も足もほっそりとしている。
服は白いワンピースのようなもの。足下は幽霊らしくほとんど消えかかったような感じで体全体がわずかに空中に浮いている状態だ。幽霊ということを除くと今までの凶暴そうな見た目からは打って変わって本当に普通の女の子だ。ただし、
「おかしなところって言うか……」
クファムの質問に答えるなら彼女の見た目にははっきりと一つ、妙な部分があった。それは。
「なんでそんなかぶりものしてんの?」
彼女は頭に白っぽい何かをかぶっていた。変な帽子というか、絵が描いてある頭巾というか、動物の着ぐるみというか。
「あっ。これはですね」
彼女はその頭にかぶったものを両手で押さえながら答えた。
「ドラゴンの顔です」
「ドラゴンの顔?」
「そうです。ドラゴンの顔です。見えませんか?」
「……ど、どうだろう」
俺は彼女がかぶっているものをもう一度よく見てみる。確かに言われてみればドラゴンの顔に見えなくもない。先ほどまでのドラゴンの頭部に似ているとも言えなくもない。眼のようなものがあって角のようなものがあって牙のようなものがある。ちょうど大きく開いた口の中に彼女の顔がある、というデザインだ。動物園に売ってあるトラやキリンなどの顔を模した帽子みたいな感じだ。
ただし、このドラゴンの場合そのクオリティはかなり低い。本当にただの頭巾に小さな子供が落書きをして粘土を引っ付けた、という程度のものだ。ぱっと見では何が何だかわからない代物だろう。
「ド、ドラゴンの頭ねぇ……見えなくないことはないこともないかな、ははは」
まあ、変に否定してクファムの機嫌をそこねる必要もないだろう。俺は笑ってごまかしておく。
「そうでしょ? わたし、これはよくできてると自分でも思っているんですよ。わたしが自分でイメージして作ったんですけど、すごくいいイメージができたなーって。えへへ」
満足そうな笑顔を浮かべるクファム。俺はとりあえず尋ねる。
「で、なんでドラゴンの顔を頭にかぶっているんだ? 何か意味はあるのか?」
クファムはその質問を待っていたかのように嬉しそうに答えた。
「いいえ。特に意味はないですよ」
「へ?」
「でも、わたし、いちおうドラゴンなんで。人間の格好になっても少しぐらいはその名残も残しておかないとまずいかなー、なんて思ったりして。えへへ」
「…………」
その心境は理解できるような理解できないような。まあ、どうでもいいや。ドラゴンの気持ちなんて深く考えても頭が痛くなるだけだ。俺の知ったことではないわな。本人が満足そうなんだからそれでいいわな。
「ところでですね。わたしも質問なんですけど」
少ししてクファムは俺に聞いてきた。どうやらまだ俺は解放してはもらえないようだ。
「まずあなたのお名前、教えていただけますか? あと呼び方とか」
俺は平凡に答える。早く帰りたいのはやまやまだがここはあきらめるしかない。
「俺の名前は北村彦馬。みんなからは普通に彦馬って呼ばれているよ」
「そうですか。彦馬さんですね。よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げるクファム。俺もつい同様に応じる。
「あ、いえ。こちらこそ」
それからクファムは、
「このまま立ち話もなんですよね。わたし、少し疲れちゃいました。変身とかもしたし」
「はあ」
「あ、そうだ!」
パンと手を合わせる彼女。
「わたし、またいいことを思いつきました」
この後、クファムは耳を疑うようなセリフを吐いた。
「わたしを彦馬さんのおうちに連れていってください」
「えっ?」
頭が真っ白になる俺。しばらくの沈黙をはさんで、
「えっ?」
もう一度、俺の口からは驚きの声が出る。クファムは言う。
「いやだから、ここで立ち話もなんですし。彦馬さんのおうちでお話の続きでもしようかと」
「俺の……うち?」
いやいやいやいや。さすがの俺もこんな話は受け入れられない。
「そ、それは……ちょっと……」
どこの国にドラゴンなんて得体の知れない生物を自分の家の中に招きいれる人間がいるというのだ。何が起こるかなんてわかったもんじゃない。少なくとも俺が望む普通とか平穏とかいう状況とはかけ離れたことになるのは決まってる。もう確実だ。確実におかしなことになる。
「あの、その、うちはちょっと困るかなって……」
俺はなんとかこの話を断ろうとする。
「そう! 俺のうちはせまいし汚いんだ。うちに来てもくつろいで話なんかできないと思うな。やめといたほうがいいよ。うちには来ない方がいいよ!」
しかしクファムの方も引かない。
「あ、大丈夫ですよ、それぐらいのことは。せまいのも汚いのもわたしは全然気にしませんよ。ドラゴンというのはどんな環境にも適応できるんです。全然へっちゃらです」
そう言って笑顔を見せる。
「さあ行きましょう。彦馬さんのおうちはここからどのくらいですか? バスとか電車とか乗ります?」
もう、うちに来る気まんまんだ。うーん。これは困った。
「いや、その、だからね?」
さて、どうやって断ったものか。俺は必死に知恵をしぼる。何かいい口実はないか。うまく説得する方法はないか。俺はちらりとクファムの顔を見ると、彼女はらんらんと眼を輝かせてこっちを見ている。
「うっ。これは……」
クファムのやつ、まるで休日に親から外に連れていってもらうのを待つ子供のような眼をしてやがる。これはちょっとやそっとじゃあきらめそうにないな。
「さあ行きましょう!」
せかすクファム。ええ~、まじかよ~。俺は内心でうんざりする。なんなんだ。なぜこれほどまでにこのドラゴンは俺に付きまとう。だいたいうちに来て話をしたいとか言っていたがいったい何の話をするというんだ。俺には聞きたい話もしたい話もなんにもないぞ。ほんとにもう放っておいてくれよ。俺を解放してくれよ。早く日常に戻りたい。俺は日常生活を楽しみたいんだ。早く家に帰って犬の散歩に行きたい。これなら普通の幽霊の相手をしている方がはるかにましってもんだ。
よし。こうなったら……。
俺は心の中である決心を固めた。
こいつから逃げよう! 逃げるしかない。
勝算は薄いかもしれないがほかに手はない。
今ならこいつは人間の体をしている。もしかしたら逃げ切れるかもしれない。
淡い期待を胸に俺は学生鞄を脇に抱えると逃げ出すタイミングをうかがう。
まったく。何がゴーストドラゴンだ。こんな面倒そうなのを自分の家の中に入れてたまるかってんだ。冗談じゃないぜ。ここは逃げの一手だ。
俺はいきなり前のほうの空、つまりクファムの後ろ側の空を指さして叫んだ。
「あっ! UFOだ!」
「え?」
後ろを振り返るクファム。
「UFO、どこどこ?」
――今だ! 俺は田舎道を家の方へと向かって走り出した。
「あれぇ。UFOなんてどこにも見えませんよぉ?」
きょろきょろと空を見ていたが、すぐに俺の動きに気がつくクファム。
「……って、あーっ! 彦馬さん逃げたーっ!」
すでに全力で走り続けている俺。
「うおおおー!」
「ま、待ってくださいー!」
後ろから走って、いや幽霊らしくふよふよと浮いて追ってくるクファム。
「ひ、彦馬さーん! 待ってぇ~!」
誰が待つものか。当然、ノンストップだ。
「ま、待ってぇ~。待ってください~。うえ~ん」
さっと背後を見やる。やはり人間の姿のクファムはあまり速くは飛べないようだ。飛ぶスピードはごく普通の女の子が走るのと変わらないくらいだ。いや、もっと遅いかもしれない。俺の方がはるかに移動スピードは速く、二人の間の距離はどんどんと離れていく。
「うう、もうダメかも。こうなったら……」
やがて、そのような言葉を最後にクファムの声は俺の耳に届かなくなる。
「ハァハァ……なんとか逃げ切れそうだな」
息を切らせて走る俺。田畑やビニールハウスの間に延びる田舎道はもうすぐ道が分かれるところにさしかかる。この辺りを過ぎれば民家が増えてきて見通しは悪くなるし道も複雑になる。土地勘のないクファムは間違いなく俺の姿を見失うだろう。そうなれば俺の勝ちだ。
「これでまた一つ面倒事を回避できた。やったぜ!」
にやりと笑いながら道を曲がろうとした俺。そのとき。
「うげえっ!」
急に体に鈍い衝撃が広がった。
「うぐっ、うぐぐぐっ……」
そして、体の自由がまったく利かなくなる。体全体が何かに押さえつけられているような感じだ。たいした痛みはないが締め付けられるような苦しさがあり、立ったままの状態で俺は前に進むことができなくなってしまった。
「どう……いう……ことだ?」
俺はなんとか自分の体に視線を落とす。すると、俺の全身を白い何かが覆っているのがわかった。さらに、その先端には象牙のような鋭くて硬そうなものが付いていて、これにはいつでも俺の体を引き裂くことができるような危険さが漂ってあった。
「うぐっ……これはっ!」
俺はそれに見覚えがあった。それはクファムの手だった。今の人間の姿ではなく巨大なドラゴンの姿だったときのクファムの手だ。俺はドラゴンに体をつかまれていたのだった。
「うわあああああ!」
すぐに俺の体は空中へと持ち上げられた。そして、眼前に現れたのはドラゴンの姿に戻ったクファムの顔だった。
「もうっ。彦馬さん!」
ドラゴンはギラリと鋭い牙の並ぶ口を開いて言う。
「どうして逃げるんですか。ひどいじゃないですか!」
クファムは元の姿にまた変身して俺を追ってきたのだった。
「あわわあわわあわわわわ」
俺は命の危険を感じて無我夢中で謝る。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ……」
俺の言葉をさえぎって、クファムは少し落ち着いた声で言った。
「もうわたしから逃げたりしませんか?」
「はいっもう絶対逃げたりしません誓います絶対に逃げたりしません誓いますからっ!」
俺は恐怖のあまりに震える声で答える。
「そうですか、わかりました。それならば許してあげましょう」
ややあってクファムの手が開く。どさっと地面に落ちる俺の体。
「いてっ!」
俺は地面に尻餅をつく。ただ、それほど高い位置から落ちたわけではないのでたいした痛みではなかった。それよりクファムだ。クファムを怒らせてしまったことに俺は大きな恐怖を覚えずにはいられなかった。俺は顔面蒼白でクファムの様子をうかがっていると、
「じゃあ、また人間の姿になりますね」
そう言って巨大なドラゴンの体はぽわんとした光に包まれた。
「ふうー。何度も変身をすると疲れますね。ドラゴンに戻るのは楽なんですけど人間になるのはけっこう大変みたいです」
あっという間に女の子の見た目に戻ったクファム。彼女はくりっとした眼で俺を見ながら、
「あ。大丈夫ですか、彦馬さん? おしりとか打ちましたか? 痛いですか?」
「い、いや……」
立ち上がる俺。
「だ、大丈夫。平気だよ。どこも痛くない」
「それはよかったです。もう。逃げたりするから。いけませんよ、彦馬さん」
「は、はい。今後は気をつけます」
どうやらクファムはそれほど怒ってはいないようだった。これは助かった。人間の格好にも戻ったようだし何かの拍子で殺されてしまうという心配はとりあえず去ったと言っていいだろう。
「はあ~」
俺は長く息を吐いてほっとした気持ちになる。しかし、これでクファムから逃げることももう不可能となったと言っていいだろう。それどころかクファムは今回みたいにいつでも元の凶暴なドラゴンの姿に戻って俺を襲うことができる、ということもはっきりとわかった。これは本当に大変なことになったなぁ。
「はあああ~」
俺は横にいるクファムをちらりと見やって、さらに長いため息を吐いたのだった。
そんな俺にクファムは、
「彦馬さんはわたしが見えるだけじゃなく、わたしの体を触れることもできるんですね。彦馬さんの体をつかめそうだと思ったら本当につかめちゃいましたよ。不思議な人もいるものですねぇ」
それから俺の顔を見ながら、
「彦馬さんって、ほんと変わってますよね。あなたみたいな人間はほんと初めてですよ。わたしゴーストドラゴンも驚きっぱなしです」
「…………」
ゴーストドラゴンみたいな意味不明な生き物にまで変わり者扱いされる俺って……。ああもう、自分で自分が嫌になってくる。幽霊が見えたり幽霊を触れたり幽霊に付きまとわれたり、さらにはドラゴンが見えたりドラゴンを触れたりドラゴンに付きまとわれたり。いったい俺の体はどうなっているんだ? 考えれば考えるほど頭が痛くなってくるぜ。
俺が悲しい気分にひたっているとクファムは、
「でもわたし、ますます彦馬さんのこと興味持っちゃいました。彦馬さんのこと、もっとよく知りたいです。えへへ」
のんきにそんなことを言ってくる。
「さあ、そろそろ彦馬さんのおうちに向かいましょうか」
道を進み出すクファム。しょうがないので俺もクファムを俺の家まで案内するように田舎道を歩き出したのだった。