エピローグ
俺たちが邪竜島から戻って一ヶ月が経った。俺の体の具合も病院で検査した結果はまったくの異常なし。あんな恐ろしい目に遭ったってのにこれは信じられないほどの幸運だった。入院とかもそこそこに俺はいつも通りに学校に通っているのだった。
いつも通りの毎日。ただし。
「いつも通り、とは言ってもそれはクファムと出会う前のいつも通りだ。クファムはまだ俺のうちには戻ってきてはいなかった」
このままクファムはいつまで経っても俺の前に姿を現さないんじゃないだろうか。そんな不安も常に俺の心の中に残ってはいたものの、何はともあれこうして俺の生活はまた普通で平凡なものに戻ったわけだった。クファムと会う前とほとんど同じ暮らし。
「相変わらず幽霊には会ったりするから完全に普通な生活とは言えないかもしれないが、それも俺にとっては日常だ」
学校から早く帰っては犬を散歩に連れて行き、テレビで野球の放送があるときはそれを見る。時折、幽霊に出くわしてはしばらく相手をしてやることになる。そんな日常。以前と変わったことと言えばたまにオカルト研究部の部室に顔を出すようになったことぐらいか。
「いちおう俺も正式にオカ研の部員になっていたわけで、クファムがいなくなったからといっていきなり退部するのもおかしな話だからな。部員であるなら週に一度は部活に出ないといけない。それで俺もみんなとは顔を合わせるようにしてるってわけだ」
それに、今回のことでみんなには世話になったということもある。鬱陶しくてたまらない藤々川や公理だが、一緒にいるのも前ほど嫌ではなくなったという俺の心境の変化もあるかもしれない。
「今日は土曜日だ。ちょっと部室にでも行ってみるか」
俺は授業が終わるとオカ研の部室がある校舎に向かったのだった。
「あれ、めずらしく今日は誰もいないなぁ」
放課後の部室にやってきた俺。俺は窓際に置かれた椅子に腰を落とすとそのまま窓の外を眺めた。
「今日も天気はいいし、生活は普通そのものだ。ああ、普通はいいなぁ」
カレンダーの日付は六月に変わったものの俺たちが住んでいるところはまだ梅雨入りしていないみたいだ。晴れ渡った青空が毎日のように広がっている。五月の頃と変わらない青空。そんな青空を見ているとふと思い出してしまう。
「そう言えば、初めてクファムの見たときは驚いたよな。空からいきなり馬鹿でっかいドラゴンが降りてきて。あのときは本当に喰われるかと思ってハラハラしたぜ」
窓の外を眺めながらニヤニヤと思い出し笑いをしている俺。
「おい、彦馬」
突然、後ろから声がした。藤々川だった。いつの間にか部室に入ってきていたこいつは俺の顔を見ながら言った。
「なにニヤニヤしてんだ、おまえは。気持ちの悪いやつだな」
「うっ」
嫌なところを見られたな。俺が言い訳を探していると藤々川は、
「おまえ、どうせまたクファムさんのことでも考えていたんだろう。顔に書いてあるぜ。クファムさん、俺は一日でも早くあなたに会いたいです、ってな」
「うっ」
俺はまたもうろたえる。藤々川のやつ、妙なところで鋭いんだな。その鋭さを少しでも多くほかのことに回せばいいのに、まったく。藤々川は言う。
「でも、おまえの気持ちは俺もわからんでもないぞ」
「ん?」
「俺も今、全力を挙げてクファムさんの行方を調査しているところなんだ。我が藤々川財閥の力で世界中からドラゴンに関する噂やクファムさんに似た女の子の目撃情報とかを探しているんだ。もしかしたら何かわかるかもしれないぞ」
「へえ、そうなんだ」
藤々川もいいところがあるんだな。これは見直したぜ。藤々川は得意そうに続ける。
「どうだ、彦馬。俺が手に入れた情報を教えてやろうか? 例えば、ロシアの雪山の中でクファムさんらしきドラゴンの姿を見かけたとか、ニューヨークの雑踏の中で変な帽子をかぶった女の子を見つけたとか。有力そうな情報がかなり集まっているんだぞ。ほかにも聞きたいか?」
「……いや、遠慮しとくよ。気持ちはありがたいんだけどね」
どうやらあまり役には立たなそうな情報ばかりのようだな。まあ、クファムの姿は誰にも見えないんだからそう簡単にわかるはずもないよな。俺は藤々川の申し出をやんわりと断っておく。少し経って。
「やあ、みんな」
次に部室に姿を現したのは公理だった。
「お、今日は彦馬もいるんだ。ちょうどよかったよ」
「……いったい何がちょうどいいんだ?」
俺は嫌な予感を感じる。公理は俺の隣まで来ると、
「彦馬に使ってほしいものがあるんだ。僕がまた新しく作ったものなんだけどね。えーと、どこだっけ? あっ。あったあった!」
学生バッグの中からごそごそと何かを取り出したのだった。
「これが僕の新しい発明品『ドラゴン・ポインター』だよ!」
公理が手に持っていたのは画面の大きな携帯電話のようなものだった。俺はうんざりして尋ねる。
「……いちおう聞いてやる。ありがたく思え。それはなんなんだ?」
俺の質問に待っていたかのように公理は長々と難しい言葉で機械の説明をしゃべり出す、と思いきや、
「このドラゴン・ポインターはドラゴンのエネルギーを感知する装置さ」
「おまえの説明は長くて――えっ?」
俺は公理の端的な言葉に驚く。
「どうしたんだ、公理? いつもと違って説明が短くてちゃんとしてるじゃないか。何か悪いものでも食ったのか?」
「失礼だな、彦馬。僕はいつでもちゃんとしてるつもりだよ。でも、今回は確かにいつもより真面目な気分ではあるかな。なんたってこの機械はクファムさんのための装置だからね」
俺はさらに驚いて公理に聞く。
「ほ、本当か? クファムのための装置って、その装置を使えばクファムが見つかるのかっ?」
公理は言ったように真面目に答える。
「今、話したみたいにこのドラゴン・ポインターはクファムさんや邪竜なんかと同じドラゴンのエネルギーを感知してエネルギー源の位置を表示することができるんだ。うまくいけばクファムさんのこともわかるかもしれない。でもこの装置、有効範囲はそれほど広くはないんだ。使えるのはせいぜい僕たちの住む宵山町ぐらいの広さまでの範囲だね。だから、実際にはこの町にクファムさんがいるかどうかの確認、それぐらいしかできないかもね」
「……そうなのか」
俺は肩を落とす。公理の話に期待を込めて聞いていたが、やはり世の中それほど都合がいいようにはできていないみたいだな。いなくなったクファムを見つけ出す。そんなことは不可能に近いことは俺にはわかっていることだ。いくら公理でも無理な話だろう。とはいえそのドラゴン・ポインターだっけ、クファムのことが少しでもわかりそうなのはありがたい話だな。なので俺は公理に笑顔を向ける。
「でも、役には立ちそうな機械ではあるな。さすがは公理だな」
「うわっ。彦馬が僕のことを誉めてくれるなんて。彦馬こそ何か悪いものでも食べたんじゃないのかい? 今日は雪が降りそうだよ」
「……おまえ、人が誉めてやってんだ。素直に喜んでおけよ」
俺たちがそんなは話を続けていると、
「はぁーい。みんな、集まってるぅー?」
元気のいい声とともに扉がガラガラと音を立てて横に開いた。部員の中で最後に姿を見せたのはのゆりさんだった。のゆりさんは俺のことを眼にとめるなり言った。
「あら、彦馬くん。こんにちわ」
「どうも」
「ちょうどよかったわ。あなたがここにいて」
「……はあ」
また、ちょうどいいって言われたな。本当に嫌な予感しかしない言葉だ。
「今日はあなたが来ていなかったら無理矢理にでも呼び出そうと思っていたところだったのよ。呼び出す手間がはぶけたわね」
「……そうですか」
しかも、無理矢理俺を呼び出そうと思っていただって? この人、いったい何をたくらんでいるんだ? のゆりさんは俺たちの顔を一通り見回すと、
「よし、みんなそろってるみたいね。感心感心。うちの部もようやくまとまってきたみたいね。あたしも部長としてうれしいわ」
のゆりさんは藤々川に尋ねる。
「藤々川くん、今日出かける場所はきちんとチェックできてる?」
「はい、まずは隣町での情報から調べてみたいと思っています」
「よし、わかったわ」
次は公理に、
「公理くん、例のものは準備できてる?」
「はい、ドラゴン・ポインターなら完成しました。いつでも使えますよ」
「よし、完璧ね」
最後にのゆりさんは俺に向かって、
「あたしたちはこれから隣町まで出かけるわ。彦馬くん、あなたも付いてきなさい」
「はい? 隣町?」
これはまた急な話だ。
「隣町って。いったい何しに行くんですか?」
のゆりさんはきりっと眉を上げて宣言した。
「それはもちろんクファムちゃんを探すためよ!」
「ク、クファムを探す?」
俺はすぐさま尋ねる。
「いったいどういうことですか、のゆりさん? 隣町とクファムに何の関係があるんですか? 俺には隣町にクファムがいるとは到底思えないんですけど」
のゆりさんは力強く答える。
「いいこと、彦馬くん。今回は最初ということでとりあえず隣町に行くことにしたわけだけど、大切なのはどこに行くかではないのよ。大切なのは目的。クファムちゃんをきっとあたしたちの手で見つけ出す、ということなのよ」
「……クファムを見つけ出す、ですか」
この人、本気でそんな夢みたいなことを言っているのだろうか? のゆりさんは続ける。
「そう。あたしたちオカルト研究部はクファムちゃんを見つけ出すためならできるかぎりのことをすると決めたの。少しでも可能性のあるところなら実際に行ったりして探ってみましょう。当然、クファムちゃんを見つけるのは簡単なことではないことぐらいはあたしにもわかっているわ。でも、何もやらないよりはましよ。あたしたちだって彦馬くんに負けないくらいにクファムちゃんのことは気になってるんだから。だから彦馬くん、あなたもあたしたちに協力しなさい!」
この人、本気だ。それはのゆりさんの眼を見ればわかることだった。
「…………」
俺はとっさに返事ができない。もちろん、返事はイエスだ。クファムにまた会いたいという気持ちは俺が誰よりも強いと思っている。その手伝いなら俺も喜んでしよう。だが、オカ研のみんなもこんなにまでクファムのことを考えてくれているなんて。俺には信じられない気持ちでいっぱいだった。
「あ、あの……」
俺はようやく声を出した。
「わかりました。もちろん俺もクファムを見つけるためなら必死でがんばります。のゆりさん、みんな、本当にありがとう!」
優しく微笑みかけてくるみんな。
「いいのよ。あたしたちもクファムちゃんには助けてもらったんだし。これぐらいやらないと罰が当たるわ」
「それにクファムさんのことは俺たちの活動とはまったく矛盾しないからな。むしろ喜んでやるさ」
「彦馬がいつまでも浮かない顔ばかりしてるのも見ていられないしね」
「みんな……」
言葉にならない感激に包まれる俺。
ややあって、のゆりさんが言う。
「さあ、彦馬くん。わかったのなら早く出かける準備をしなさい。みんな、出発するわよ!」
「はい!」
宵山高校の校舎を出る俺たち。
「まずは細かい話し合いもかねての腹ごしらえね」
昼食をみんなで食べるためにいつもの田舎道を歩いてファミレスへと向かう。
「今日は本当にいい天気だなぁ」
ふと、上を見上げると。空はやはり六月とは思えないほどきれいに晴れ渡っていた。まるで二ヶ月前のようにドラゴンが飛んできそうな青空だ。そのときだった。
――ピコーンピコーン
何かブザーのような音が聞こえてきた。
ん、なんだ? 俺が思っていると公理が言った。
「あれ? これは僕のドラゴンポインターの音かな」
公理は慌てて学生バッグの中から自分の発明品を取り出す。携帯電話のようなものがやはり大きな電子音を鳴らしていた。
「どうしたんだろう? これはドラゴンのエネルギーにしか反応しないはずなんだけど……」
画面を見ると動きながら点滅している光があった。
「この光はドラゴンの位置を示すサインだ。あれ、おかしいな? いきなり壊れちゃったかな、これ?」
訝しげにドラゴンポインターを眺める公理。
「も、もしかして……」
俺は体が打ち震えるのを感じた。ある可能性を感じたからだ。
「お、おい公理!」
俺は必死になって尋ねる。
「その光ってる部分、どの方角だよっ? 実際にはどの場所を指し示してんだよっ?」
「え、ええ?」
公理は急変した俺の態度に驚きながらも答えてくれた。
「えーと、あっちかな? ちょうど隣町の方角だね」
その方角、晴れ渡った空をじっと見つめる俺。
「……あっ!」
すると。
「あ、あれは……」
空の向こう側から何か大きなものが飛んでくるのがわかった。
「やっぱり……」
飛行機のような大きさ、風に流されるアドバルーンのようなゆっくりとした飛行速度。
「ドラゴン!」
鮮やかな赤い翼、白く美しい鱗に覆われた体、長い角と牙の生えた迫力のある顔。
「クファムだ!」
間違いなかった。空を飛んでくるのはゴーストドラゴンのクファムだった。
「クファム、本当にクファムなのかっ?」
俺たちの目の前に降りてきた巨大なドラゴン。
「彦馬さん!」
ドラゴンは大きく口を開けて答えた。
「そうです。わたしゴーストドラゴンのクファムです!」
すぐに人間の姿に変身するクファム。アンティークドールのような子供っぽい顔に、赤くて腰の辺りまである長い髪。ドラゴンの顔を模した帽子に清楚な白いワンピース。いつもの見慣れたクファムの姿だった。
「ああ、クファム!」
「彦馬さん、彦馬さん!」
クファムは飛びながら俺の体に抱きついてきた。
「やっぱりまた会うことができましたね、彦馬さん! わたし、うれしいです!」
「俺もだよ、クファム!」
「う、うわ~ん。ひ、彦馬さ~ん」
俺の体にしがみついて泣きじゃくる彼女。ひんやりとする彼女の体は紛れもない幽霊のものだ。しかし、彼女の流す涙は生きている人間のものとまったく一緒。熱いほどに彼女の気持ちを感じることのできる涙であった。
以上でこの小説は終わりです。いちおうテーマは「孤独からの解放」でした。ドラゴンのように長く生きる存在はひとりぼっちだとすごくつらくて悲しいのでは、と思って書いてみました。一番書きたかったのは「夢と記憶」の部分で、序盤の妙に高いクファムのテンションとかは伏線ですね。と、そんなことを考えながら書いていたんですが、全体的には冗長でまとまりがなかったでしたか。次はもっとマシな小説が書けるように頑張りたいと思います。
では最後になりましたが、この小説を読んでくださったみなさん本当にありがとうございました。今後も長編を中心に書いていきますので、また読んでもらえたら大変うれしいです。
べ、べつに感想なんか欲しくないんだからねっ///




