日常
すでに一時間目の授業が始まった教室に入る俺。当然、遅刻の罰を受けることとなる。自分の席で授業中ずっとの正座。けっこうしんどいんだよ、これが。
「泣きっ面に蜂、とはこのことだな。朝からひどい目にばかり遭ってる。最悪だ……」
キーンコーン。
ようやく授業が終わり先生から正座を解くことを許された俺。よろよろと立ち上がって椅子に座る。足がしびれてしびれて、もう……。
「ああ~。駄目だぁ~。し、死ぬぅ~」
机の上に突っ伏して足がしびれる感覚に耐える俺。そんなところに。
「よう、彦馬」
一人の男子生徒が話しかけてきた。
「大変だったな。足は大丈夫か?」
俺は少し顔を上げてその男を見る。長身ですらりとした長い手足。サッカーのゴールキーパーのような体格だ。顔立ちは少しごつごつとした印象があるが目もと口もとがキリッとしていてなかなかに端正な方だと思う。何というか、昔の映画俳優のような雰囲気を持った男だ。
俺は返事をしないでいたが男はかまわず続ける。
「おまえが遅刻とはめずらしいよな。確かにいつも学校に来るのは遅刻ぎりぎりの遅い時間だが不思議と遅刻はしないのが普段のおまえだ。だが、今日は遅刻した……さてはおまえ、何かあったな? わかった、わかったぞ。今朝もアレだな。いつものアレなんだろ?」
ニヤニヤした顔でやたらと楽しそうな様子で話す。
「隠しても無駄だぞ。俺にはわかってる。今朝もおまえは幽霊に会ったんだ。間違いない。そうに違いない。それでおまえは幽霊との間で何かトラブルがあって遅刻したんだ。おまえとはもう長い付き合いだからな。隠したって無駄だ。俺にはちゃんとわかってる」
男はこんな調子で黙っている俺に話し続ける。ああもう、めんどくさいやつだな。
「…………」
俺はふたたび机に顔を突っ伏して絶対にこいつの相手をしないことを決めた。ただでさえ足が痛いし気は落ち込んでいるんだ。俺にはぺらぺらとおしゃべりをするような元気は到底でてこない。
「今朝のことを教えろよ。な、な?」
だが、この男はめげずに俺に話しかける。
「今度会った幽霊はどんな幽霊だったんだ? 男か女か? 年齢は? 足はあるタイプか? ないタイプか? まさか動物霊だったりして。なあ、教えろよ。教えろよ、彦馬」
あまりにしつこいのでつい俺は顔を上げて言葉を返してしまった。
「うるさいなっ。あっちへ行ってろよ、藤々川!」
この男の名前は藤々川進。俺とは子供の時から仲で小学校中学校高校とすべて同じだ。しかも今までのほとんどが同じクラスだという恐ろしいまでの縁だ。それもいわゆる腐れ縁ってやつで別に俺はこいつのことが友達として気に入っているわけじゃない。むしろ嫌いなぐらいだ。
ただ藤々川の方としてはなんでも幽霊だの宇宙人だのといったオカルトに対してただならぬ興味を持っているらしくって俺にはいつもいつも寄ってきて話を聞きたがるんだ。ちょうど今みたいに。子供の頃にふと俺はこいつに自分が幽霊を見えることを言っちまったんだ。それが運の尽きだったな。それ以来こいつは俺につきまとってくるわけだ。
「なんだよ、つれないな。俺は少しでもおまえの助けになろうと思って言ってるんだぜ」
藤々川はオールバックに固めた髪をなでながら言う。
「わが藤々川財閥にはオカルトに関する様々な情報をあつかう部署もあるんだ。そこには世界中の著名な霊能力者や科学者たちによるオカルトなどと呼ばれる不可思議な現象に対しての研究内容が集まって来るんだ。その藤々川財閥の御曹子であるこの俺様ならきっとおまえの役に立つ情報も持っているはずだ」
「……あっそう」
この藤々川という男、実は家がものすごい金持ちなんだ。俺もこいつのうちには何度か行ったことがあるが確かにすごかった。建物がいくつもある和風の大邸宅、目に鮮やかな花々が咲き誇る植物園のような庭、正門から母屋までは車で移動しなければならないほどの敷地の広さ。テレビの特集に出てくるような、いやそれ以上のものすごい大豪邸なんだ。
そして、嘘か本当かは知らないがやつの財閥ではけっこう大がかりなオカルトの研究をおこなっているんだとか。まったく、金持ちの考えることはほんとにわからんな。金の使い道ならほかにいくらでもあるだろう。幽霊なんかに金をかけるなら野良猫にえさでもやってた方がまだましってなもんだ。
だが、この藤々川はそんな俺の考えもおかまいなしに言ってくる。
「どうだ、彦馬。俺の持つ数々の貴重な幽霊に関する情報、教えて欲しいか? 教えて欲しいに決まってるよな?」
「いや、いらない」
即答する俺。
「…………」
一瞬で断られて少しさびしそうな表情を見せる藤々川。どうやら話したくて話したくてしょうがないみたいだな。また、すぐに聞いてくる。
「……本当に?」
「ああ、本当だ」
「……絶対に?」
「ああ、絶対だ」
しつこいやつだな、こいつも。面白いうわさを聞きつけて近所の人に話したくてたまらないおばちゃんみたいなものだろうか。なかなか俺の席から離れていかない。
「…………」
俺の机の前をうろうろとしながら俺の顔をちらちらと見てくる。
ああもう! なんだ、こいつ! めんどくさいやつだな。
しかたがない。話し相手になってやるか。俺は妥協することにした。このままでは俺の気分も落ち着かないしな。ただし、話をするならあんまりこいつが調子づかない話の内容がいいな。
あっ、そう言えば。ちょうどいい機会なので俺はこの春からずっと思っていた疑問を藤々川にぶつけた。
「ところで藤々川」
「なんだ、なんだ?」
嬉しそうに顔をこちらに向ける藤々川。俺は尋ねる。
「だいたいさぁ、どうしておまえほどの金持ちの息子がこんな田舎の普通の高校に通うことになったんだよ。もっといいところがたくさんあるだろ。私立の名門校みたいなのがさ。おまえも家を継ぐのに勉強とかたくさんしなけりゃいけないんだろ?」
「フフフ、それはな……」
藤々川はなぜか自慢げに答えた。
「もちろん部活のためだよ」
「部活?」
「ああ、そうだ。おまえも知ってるかもしれんがこの学校にはオカルト研究部というクラブがあってな」
「いや、知らないけどな」
「そうか、まあいい。とにかく俺はそのオカルト研究部、通称オカ研に入部してるんだ。その名の通りオカ研は幽霊、宇宙人、超能力などの超常現象を研究する部活動だ。しかも、この学校のオカ研は意外にもかなりレベルが高くてな。ほかの学校ではちょっとできないぐらいの深い研究が行われているんだ。その研究や洞察の内容にはわが財閥の研究チームも一目を置くほどのもので、俺もなかなか有意義にこの学校で部活動を楽しんでいるというわけさ」
「……はあ」
「つまり俺はこうして地元にいながらいいオカルトの研究をすることができるんだ。わざわざ遠くの学校に通う理由なんて俺には見当たらないな。それにだ」
藤々川は俺の顔をのぞき込んで、
「ここにはおまえのような素晴らしい研究対象もいるしな。この学校はこの学校で充分におもしろいところだよ」
「……俺にとっちゃ迷惑この上ない話だな」
俺と藤々川がそんな会話を続けていると。
パシャ! 急に俺の隣で強い光が瞬いた。
「な、なんだっ」
俺は驚いて光った方を振り向く。すると、そこにはまた別の一人の男子生徒が立っていた。手にはカメラのようなものを持っている。どうやらこの男が手にしているカメラでフラッシュをたいて俺を写したようだった。俺はこの男のことも知っていた。
「……公理。今度はおまえか」
この男の名前は宮下公理、みんなは下の名前で公理と呼ぶことが多い。背は少し低いくらいで痩せ形。ぼさぼさの髪にそばかすのある色白の顔。高校生らしからぬ小さな丸めがねをかけていてどこか浮世離れした感のある男だ。
「やあ、彦馬。おはよう」
気さくに手を上げて挨拶をしてくる。こいつもこのクラスの人間だ。だが、藤々川みたいに俺とは子供の頃からの付き合いというわけではなく今度の高校から知り合った仲だ。最近、この宵山町に引っ越してきたらしい。
「おはよう、じゃねぇよ、公理」
俺は当然、先ほどのこいつの行動に説明を求める。
「なんなんだ、そのカメラは? いきなり俺のことを写してどうするつもりなんだよ、おまえは」
俺の質問に公理はニコニコとした笑みをたたえて答える。この男、基本的に愛想だけはいいんだ。
「いやだなぁ、彦馬。これはカメラなんかじゃないよ」
「はあ? じゃあなんなんだ?」
「これはね……」
公理は手にしたどう見てもカメラにしか見えないカメラじゃないというものを掲げて言った。
「『ゴースト・リプレゼンター』という装置だよ」
「ゴースト……え、なに?」
「ゴースト・リプレゼンター。僕が自分で開発した新しい装置なんだ」
公理は手に持ったその機械を触りながら嬉しそうに話す。
「……そ、そう。で、そのゴーストなんちゃらとかいうものはいったいどういう機械なんだ?」
よくわからないが……なんだかゴーストとか名前に付いていることからして嫌な予感がぷんぷん漂ってくるんだが。俺としては聞かずにはいられない。なんせ俺はその装置に写されてしまったわけだからな。気になってしかたがない。
「えーと、どう説明すればいいかな……」
公理は少し考えてから答えた。
「このゴースト・リプレゼンターはね、三次元以上の量子空間における霊的存在の痕跡を光子や重力子によるわずかな乱れから観測、さらに画像として復元することが可能なんだ。微少な多次元空間においては時間的な制約が曖昧なために現在を中心とする時間軸が復元の対象として選ばれるから確率的に数時間程度の範囲でなら過去における霊的存在の痕跡も見逃さずに済むというわけなんだ。ただし相変わらずハイゼンベルグの不確定性原理には抵触してしまうから明瞭な画像が必ずしもいつも得られるかというとそうではないんだよ。この辺りが今後の改良ポイントだね」
早口でそのようなことを一気にまくしたてた公理。
「……ますます何を言っているのかわからないんだが」
聞いたこともないような難解な言葉の羅列。これで理解しろっていうほうが無理だ。俺の困った顔を見て、公理はまた少し考えてから言った。
「まあ、簡単に言えばいつでも心霊写真がとれるカメラ、ってことかな。この機械は君のそばにいた幽霊を写真に写し取ることができるんだよ」
「初めからそう言えよ!」
俺のツッコミに公理は笑いながら言う。
「あはは、悪かったよ。でもいつでも心霊写真がとれる、とは言ってもちょっと前までにちゃんと幽霊がいなければ写真に写しだすことはできないわけで。その点、君の近くだったらけっこう幽霊がいそうだし。何か写るかもしれないと僕は思ったんだよ」
「……なるほど、そういうわけか」
俺はなんとなく納得する。まだはっきりとは分からないがその公理が作った装置というのはどうやら俺のまわりにいたことのある幽霊の姿を写真に納めることができるみたいだな。すごいと言えばすごい機械なんだろうが、できれば俺を実験台に使わないでほしいところだな。
「今回僕が開発したこのゴースト・リプレゼンターはかなりの自信作なんだよ。うまく機能してくれてるといいんだけど」
ニコニコとそんなふうに話す公理。
「……はあ、そうですか」
俺はどう返していいのかわからないので適当に相づちを打しかなかった。
「やれやれ、藤々川だけでも大変なのにこいつまでやって来るとは。今朝はほんとに落ち着かないな」
俺はうんざりとした様子で首を横に振る。
少しこの宮下公理という男について説明しようか。こいつ、なんでも自称天才発明家なんだそうだ。こいつと知り合ってからの一ヶ月、いつもいつも何かを作ったと言ってはなぜか俺のところにそれを持ってくるんだ。
自分で天才などとのたまうあたり、非情にうさんくさい男ではあるのだが実際にその才能は確かなようだ。本当に見たことも聞いたこともないようなものを作り上げてくるから驚きだ。その能力は確実に高校生離れしたものだろう。
まあ、そのことはいいとして。今は話を戻そう。俺は公理に聞く。
「それで、その装置、何か写ったのか?」
「ええと。ちょっと待っててね」
公理は少しの間手に持ったカメラのようなものをいじくる。
「うん、できた」
すると、機械の中から写真が出てきた。ポラロイドカメラの要領みたいだ。
「どれどれ……おっ、写ってる! いい心霊写真が撮れたみたいだよ!」
その写真を見て、大きな笑みを浮かべる公理。どうやら何かが写ったようだな。
「そうか。うまくいってよかったな、公理」
「うん。ありがとう、彦馬。君にはいつもいい実験台になってもらえてとても助かっているよ」
「……そ、そう」
そんなこと言われても俺としてはかなり複雑な心境ではあるが。でもここはさすが公理、と言ったところか。いつでも心霊写真が撮れるカメラ、なんて誰でも作れるわけじゃないからな。いちおうすごい発明品だと思う。願わくばその技術をもっと普通のことに役立ててもらいたいところではあるがな。
「そ、その写真っ……お、俺にも見せてくれっ」
そこへ今まで黙って話を聞いていた藤々川が公理のもとに駆け寄っていった。このオカルト狂にとっては心霊写真なんて聞かされると居ても立ってもいられないものなんだろうな。必死の形相で公理の手にした写真をのぞき込もうとする。
「うん、いいよ」
公理から写真を受け取る藤々川。それを一目見ると、
「うおおおーっ」
突然、やかましい叫び声を上げて俺の方に顔を向ける。
「彦馬、きさまというやつは!」
「な、なんだよ」
今度は怒りの形相で俺をにらんでくる。
「いつの間にこんなかわいい子と仲良くなったんだよ!」
「はあ?」
いきなり何を言ってくるんだ、こいつは。戸惑う俺に写真を突きつける藤々川。
「しらばっくれても無駄だ。これを見ろ!」
「ん、どれどれ」
写真を受け取って見る俺。そこに写っていたのはちょうど今朝に俺が会った女子高校生の幽霊だった。長い黒髪の純日本風といった感じの美少女。間違いない。
「あっ。これは今朝の……」
俺が思わずそう声をもらすと、
「なにっ? 今朝の……だと? 今朝の、とはどういうことだ。きさま、もしかして……」
俺の声を耳ざとく聞きつけた藤々川は鋭い視線を俺に向けてくる。
「まさか遅刻をしたというのはこんなかわいい子といちゃいちゃしていたからなのかっ。うぬぬ、だとしたらきさま許せん! 俺は断じてきさまを許せんぞーっ!」
何か勝手に騒ぎ始めた藤々川。何を勘違いしているんだ、こいつは? これは心霊写真で写っているのは幽霊だぞ。人間じゃないんだぞ。いちゃいちゃ、というか付きまとわれて嬉しいもののはずがないじゃないか。俺はとりあえず藤々川の怒りをおさめながら言った。
「お、落ち着け藤々川。とにかく落ち着くんだ。そうだ、深呼吸をしろ。ゆっくりと息を吸って息をはくんだ。落ち着いたか、藤々川? いいか、よく聞くんだ」
俺ははっきりした声でゆっくりと話す。
「この女の子は人間ではない。幽霊だ。公理も言っていたように、これは心霊写真でこの子は幽霊なんだ。よく見ろ、足がないだろ?」
だが藤々川は、
「そんなことはわかっている! これは心霊写真でこの子は幽霊だ。そんなことは俺もわかっているさ!」
「……じゃあ何を怒っているんだよ、おまえは? 俺が遅刻してまで人間のかわいい子に会っていたと勘違いしてたわけじゃないのかよ?」
俺は首を傾げてたずねる。藤々川は答える。
「俺はおまえが人間のどんなかわいい子といちゃいちゃしようが別にかまわん。そんなことはどうでもいいんだ。問題なのは……」
藤々川は俺をびしっと指さして、
「おまえが幽霊のかわいい女の子といちゃいちゃしていたことだ!」
「……は?」
俺の頭の上に点灯する疑問符。
何を言っているんだ、藤々川? 幽霊なんかと一緒にいたってまともなコミュニケーションは一切とれないし下手をすれば取り憑かれたり金縛りにあったりすることもある。いいことなんて一つもないんだぞ。そんなことぐらい藤々川も理解していると思うのだが。
「……すまない。もう少し詳しい説明をしてもらえないだろうか」
藤々川は辺りのクラスメートたちに気を遣いながら、
「いいか、彦馬。ここだけの話なんだがな……」
小さく低い声で言った。
「俺は幽霊の女の子フェチなんだ」
「……幽霊の女の子フェチ?」
「そうだ。俺は幽霊の女の子が大好きなんだ。どこかに女の子の幽霊がいるという話を聞くとすぐにその場に駆けつけたくなるんだ。彼女たちのはかなくも悲しい運命、神秘的で薄いのか濃いのかはっきりしない存在感、何がどうなっているのかわからない非日常性。それらのすべてが俺は大好きでたまらないんだ。それもかわいい子となればなおさらだ。ああ、できれば一日中一緒にいたいくらいだよ。たまらん! 幽霊の女の子、たまらん!」
「…………」
無言になる俺。
いきなり何をカミングアウトしてくるんだ、こいつは。幽霊の女の子が好きだって? 馬鹿なのか、おまえは? 幽霊の女の子がたまらない? 頭の回線がどこかショートしているんじゃないのか、おまえは?
俺は藤々川のあまりに変態的な趣味にあきれずにはいられない。
「とりあえず公理、その写真は俺にくれ!」
「うん、いいよ。藤々川も放課後にオカ研の部室でまたゴースト・リプレゼンターを試してみようよ」
「おっ。面白そうだ」
どうやら二人とも同じオカルト研究部に入っているらしくて仲良く話を続ける藤々川と公理。
キーンコーン。
ちょうど二時間目の授業の始まりを知らせるチャイムが聞こえてきた。そして、次の授業の先生が教室に入ってくる。慌てて自分の席に戻っていく藤々川と公理。俺も授業の用意をする。
「あーあ、せっかくの休み時間だったのになんか全然休めなかったな。あいつらのせいで余計に疲れただけだったわ……」
こんな感じで俺の学校での日常は今日も忙しなく続いていくのだった。