オッシー(2)
「うっ……ぐぐっ……うぐぅ……」
俺の体がまったく動かなくなった。
「ピーッ、ピーッ!」
俺の手から逃げ出していく子ガモ。俺はまったく手足は動かせないので子ガモを追うことすらできない。
「なっ……なんだよ……これはっ?」
かろうじて口と首が少し動かせるぐらいだ。俺はこのとき悟った。これはオッシーによる金縛りを受けているのだと。オッシーの噂はガセなんかじゃなかった。本物だったのだ。
「み、みんなっ!」
俺は池の近くにいたのゆりさんたちにできるかぎりの声で呼びかけた。すると、
「きゃあっ!」
のゆりさんが悲鳴を上げる。
「か、体が動かないわ!」
藤々川と公理も、
「うっ……うわあ……ああ……」
この二人にいたっては体どころかまともに声も出せない状態のようだった。そして。
「ああっ! の、のゆりさん。い、池を見てくださいっ」
「えっ、池? きゃあーっ!」
今まで明らかに何もなかった大巻池の水面から何かが長い首を突き出しているような影が俺たちの目に映った。
「オ、オッシーだぁ!」
そうとしか考えられなかった。オッシーはやはり実在したのだった。
「……オッシー、本当にいたなんて」
たいして体を動かせないまま、ただただ大巻池の水上を見つめる俺とのゆりさん。すると、その長い首のような影はどんどんと俺たちの方に近づいてくる。
「こ、こっちに来るぞ!」
さらに近づいてくるオッシーの首。だんだんとオッシーの顔の形がはっきりしてきた。ついに、池から這い上がって全身の姿を見せたオッシー。その姿はなんと。
「カモっ?」
黄色いクチバシに羽の付いた茶色くて丸っこい体。水かきのついた短い二本足で歩く姿は完璧なまでのカモだった。
「うわあああああ!」
俺は絶叫する。ただし、このカモ。大きさが半端ない。体高は三メートルぐらいはありそうなぐらいだった。踏みつぶされたら簡単に死んでしまいそうなぐらいの大きさだった。
「グガー! グガー!」
鳴き声もカモそのものだ。オッシーの正体は巨大なカモだったのだ。
「グガーッ!」
「ひえぇ~。く、くるなぁ~」
つぶらな目を光らせてなぜか怒ったような様子で俺の方に向かってくるオッシー。
やばい! このままだと俺はオッシーに踏みつぶされてしまう!
そう俺が覚悟したとき。
「出ましたね、オッシー。彦馬さんにはわたしが近づかせませんよ!」
俺の前に立ちふさがったのはクファムだった。
「クファムっ?」
「彦馬さん、ここはわたしにまかせてください!」
まかせてくださいって、ゴーストドラゴンのクファムは相手が幽霊じゃないと触ることすらできないはずだ。
俺がそう思うもクファムは人間の姿から元のドラゴンの姿へと変身を始めた。みるみるうちに大きくなっていくクファムの体。角が生え、牙が伸び、両翼としっぽが出現する。白く美しい鱗に覆われたドラゴンの巨体。その大きさはオッシーよりもさらに一回り以上も大きいものだった。
「しかしクファム、相手はカモのオッシーだぞ?」
俺がそう言うとクファムは自信に満ちた表情で、
「大丈夫です。まあ、見ていてください」
ドラゴンであるクファムにもひるまず、さらに勢いよく向かってくるオッシー。
「グガーッ!」
クファムはそのオッシーの突撃を正面から受け止めにいった。
「えーい!」
すると。ボヨン! 妙な音、ゴムボールが跳ねるような音を立ててクファムはオッシーの体を受け止めることができたのだった。
「ど、どういうことだっ?」
俺が混乱しているとクファムは冷静に言った。
「実はこのオッシー、幽霊みたいなんです」
「えっ?」
「詳しいことはよく分かりませんがオッシーがカモの幽霊なのは間違いないです。だから、わたしゴーストドラゴンでもちゃんと触ることはできるんです」
実際にクファムはオッシーの体をつかんでこれ以上は前に進ませないようにしていた。オッシーがカモの幽霊。しかも巨大な。なんだかわけのわからない話だがここはクファムの言うことを信じるよりほかはないだろう。
「ええーい。オッシー、じっとしてくださいっ」
「ガーッ! ガーッ!」
バタバタと羽を広げたりクチバシで突っついたりして暴れるオッシー。クファムはドラゴンの大きな体と力強さでなんとかオッシーを押さえ込んでいる。
「うわっ、すげえなぁ」
そんな光景は端から見てるとまるで怪獣映画のようだった。ドシドシと俺の近くで暴れる二体の怪獣。
「ひえっ! うわあっ!」
実際には踏みつぶされる心配のない幽霊同士の戦いだろうと俺の場合は踏まれると大変なことになってしまう。俺はまだ金縛りが解けないので自分が踏まれないように必死に祈るしかできないのだった。
「とりゃー、です!」
オッシーを少し離れた場所に投げ飛ばすクファム。
「あっ。体が動くぞ!」
それによってなんとか金縛りはほどけたようだった。
「彦馬くん、大丈夫っ? 今はどんな状況になってるの?」
のゆりさんたちの金縛りも無事に解けたようだった。俺はみんなと集まって手早く状況を説明する。
「オッシーの正体は巨大なカモの幽霊で、なぜか俺に襲いかかってきたんです。今はクファムが元のドラゴンの姿に変身して俺たちを守ってくれています」
「な、なるほど」
額に汗を浮かべてうなずく藤々川と公理。この二人はオッシーの姿さえはっきりは見えないのだろうから本当にわけのわからない状況だろうな。
「そういうことなら、あたしにもできることはあるわね」
オッシーははっきりと見えるしクファムも気配ならわかるのゆりさん。彼女はすぐに鞄の中から先ほど俺たちに見せてくれた玉串を取り出した。
「オッシーが幽霊ならいくら大きくても何かできるかもしれないわ」
のゆりさんはオッシーとクファムの近くまで行く。
「クファムちゃん、ちょっとお願いがあるの!」
大きくクチバシを開けて頭をかじってくるオッシーをなんとか引きはがしながらクファムはのゆりさんを見る。
「あ、はいっ。なんでしょうか?」
「少しの間だけ、オッシーをじっとさせてもらえないかしら。その間になんとかオッシーの魂を鎮めてみるわ」
「わ、わかりました。やってみます」
しかし、押さえつけるもなかなかおとなしくしてくれないオッシー。暴れる鳥を捕まえるのはすごく難しい。実際にやってみたことのある人ならわかるかもしれない。
「ガーッ! ガーッ! ガーッ!」
「こうなったら、あれをやってみるしかありませんね……」
すると、クファムはなんとオッシーから手を離した。
「えっ?」
俺は目を見開いた。クファムが手を離したことにも驚いたが、その後にオッシーを離したクファムの両手の間に何か光るものが現れたからだ。
「光の網よ、出でよ!」
そうクファムが叫ぶと両手の前にあった光がすぐにはっきりとした形になっていき、クファムが言ったように光の網となったのだった。
「グガーッ、ガーッ、ガー……」
クファムの出した網をかぶせられてしだいにおとなしくなるカモのオッシー。俺はその網のことを尋ねずにはいられない。
「な、何をしたんだ、クファム?」
クファムは説明する。
「わたしたちドラゴンの間ではエネルギーの形を自由自在に操ることができる技が存在したのです。わたしも生きていたときからこの技を使うことができました。また久しぶりに使ってみたんですけど、けっこううまくいきましたね」
「へ、へぇー」
ぽかんとしてうなずくしかできない俺。ドラゴンってのはずいぶんと器用なんだな。俺はただただそんな感想を抱くのだった。
「さあ、のゆりさん。今のうちです!」
俺が急いで通訳すると、
「わ、わかったわ」
オッシーに近づいていって玉串を掲げるのゆりさん。
「ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる。畏れ多きは天つ神国つ神八百万の神々よ、我らが礼に非ずを許し給え、かくも荒ぶる魂を鎮め和なる御心を取り戻し給え」
のゆりさんが何か呪文のようなものを唱えると、
「グガー……グガー……」
なんと三メートルはあったオッシーの体がどんどんと小さくなっていき、すぐに三十センチぐらいの普通のカモの大きさにまで戻ったのだった。
「よし、もう大丈夫。オッシーの魂はもとの平穏さを取り戻したわ。これであたしたちを襲うことはもうないでしょう」
「ああ、よかった!」
俺は心底ほっとして小さくなったオッシーを見る。
「ガーガー」
すると、オッシーはのゆりさんに向かって何か言っているようだった。
「えーと、なになに?」
「ガーガー」
「そうだったの、なるほどね」
オッシーの声に耳を傾けるのゆりさん。俺はまたも驚いてのゆりさんを見る。
「のゆりさん、カモの言葉がわかるんですかっ?」
のゆりさんは苦笑する。
「いや、カモの言葉っていうか霊の言葉ね。なんとなくだけどオッシーの伝えたいことはわかったわ」
それから彼女は俺を見返して少し怒ったように言った。
「今回、オッシーがあたしたちに向かってきた原因がはっきりしたわ。どうやら悪いのは彦馬くんのようね」
「えっ、俺ですか?」
「そうよ。あなた、オッシーの子ガモを捕まえたでしょ」
「あっ!」
俺は思い出した。さっき子ガモたちを触りたくて捕まえてしまったことを。それでオッシーが俺に金縛りをかけて攻撃してきたことに納得がいった。
「そうか。オッシーはあの子ガモたちの親だったのか。それで自分の子供たちを守ろうとして俺に向かってきたのか」
そう言えばあの子ガモたちの親は最近死んでしまったんだったな。その死んだカモが幽霊となったのがオッシーだったというわけか。それならば今までのオッシーに関する噂も説明がつく。オッシーを見て金縛りに遭った人たちも子ガモたちを触るなり捕まえるなりしてしまったんだろうな、俺と同じように。
「もう、彦馬さん。ダメじゃないですか、子ガモを捕まえたりしたら。ちゃんとオッシーに謝ってください!」
いつの間にか人間の姿に戻ったクファムの言葉。俺はのゆりさんの足下にいるオッシーに顔を向けた。
「ごめんな、オッシー。もう子ガモたちに悪いことはしないから安心してくれ」
「ガー」
俺の顔を見て一鳴きしたオッシー。どうやら許してくれたらしい。オッシーはそれからまた大巻池の方に歩いて帰っていったのだった。
「……これでめでたくオッシーの謎は解決ね」
オッシーの後ろ姿を見ながらのゆりさんはしみじみとつぶやいた。
「でも、動物霊といってもすごいのがいるものね。子を守るために巨大化して人間に金縛りまでかけちゃうなんて。ほんと、恐れ入ったわ」
俺やみんなもうなずく。
「そうですね。オッシーの正体、子ガモを守る親ガモの幽霊。思ってもみなかった結果でしたね」
こうして俺たちはオッシーの謎をみごとに解き明かすことができ、高揚した気分のままでうちへと帰ったのだった。




