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第88話 桃色の協奏曲-4-

 追跡は容易かった。足音が遺跡内に反響し、それだけでは正確な位置までは特定できないものの、ミヤ自身の放つ、強く、そして異質な感情が、確実にレヒトとミオを彼のもとへと導いてゆく。

 遺跡の構造に詳しくないレヒトは、ほとんど直感に従って道を選んでいるのだが、こういう時、レヒトの直感はおそろしいまでの的中率を誇る。

 ミヤも、それほどこの遺跡には詳しくないのだろう。彼の放つ感情に、僅かな焦りと苛立ちとが見え――唐突に、それが掻き消えた。終始鳴り響いていた足音も、今やふっつりと聞こえなくなっている。

 レヒトとミオが、目的の場所にたどり着いたのも、まさに、その瞬間のことだった。

 長い長いまっすぐな通路を、ゆっくりと歩く後ろ姿。右手にボウガンを携え、左手でなにかを弄びながら、ミヤはゆっくりと歩いてゆく。なにかを噛み締めるように、一歩一歩。その向こうでは、槍を手にした一人の兵士が、扉の前に立って彼の行く手を塞いだ。

「何者だ。この部屋に立ち入ることを許されるのは、限られた者のみ。まず、武器を下ろせ」

「……」

 ミヤはなにも答えぬまま、左手を振る。手に持っていたなにかを、放り投げたのだ。足元に転がったそれを、怪訝な顔をした兵士が拾いあげる。一見すると飴玉のようにさえ見える、小さな丸薬――それを捉えたレヒトの背に悪寒が走る。

「! 逃げろ!」

 レヒトの声に重なって。視界が一瞬光で閉ざされ、同時に鼓膜を破るほどの破壊音が響き渡った。

 己の身になにが起きたのか、彼は理解できなかっただろう。その一瞬の後には、彼の身体は砕け散り、炎に巻かれて物言わぬ肉塊となってしまったのだから。

 ミオを抱えて地に伏せていたレヒトの上に、ぱらぱらと壁や天井から剥がれ落ちた破片が降り注ぐ。

「っ……」

 破片を落としながら立ち上がり、レヒトは重い頭痛に顔をひそめた。とっさに耳を塞いでいなければ、鼓膜が破れていたに違いない。

「やっぱり追ってきたね」

 振り返ったミヤが、そう言って笑う。普段から張り付けている作り物の笑顔ではなく、心からの歓喜を見せて。

「ミヤ……なんということを……」

 小さく呟いたミオの声は、震えていた。

 ミヤの背後――小さな部屋へと続く扉は、今の爆発で完全に破壊され、側の壁も崩れ落ち、もはや原型をとどめてはいない。

 さして広くもない部屋だ。あれだけの爆発を、至近距離で受けたなら――。

「レイ、様……」

 レヒトはたとえようのない感情が心に溢れるのを感じた。

「アハハ。お兄さん、本気で怒ったみたいだね」

 行き場をなくしたなにかが、心の中で荒れ狂っている。熱くて、冷たい。混乱して、なにも考えられないはずなのに、酷く冷静だ。

「さあ、剣を抜きなよ、お兄さん。斬りかかってくればいい。そんなにレイ=クリスティーヌが好きなら、すぐに後を追わせてあげるよ」

「だめです、レヒトさん。挑発に乗っては……」

 剣の柄に手をかけたレヒトを、ミオが制する。

 二人がやっと通れるほどの広さしかない通路は一直線で、間に障害物となるものは、なにもない。

 ミヤの得物は連射機能のついたボウガンである。ここが広い屋外であったなら。あるいはミヤが並の弓使いであったなら。レヒトにも勝機があったかもしれない。

 純粋な戦闘能力だけであれば、ミヤの力は、彼の仲間のシルディールにも、琥珀色の瞳の男にも、そしてレヒトにも及ばないだろう。だが、決して並の腕というわけではない。ミヤは、確かに強い。

 さらに、この狭い通路、障害物の有無、武器の相性と、条件はすべてミヤに有利に働いている。それに加え、レヒトがミヤの矢をかわそうものなら、背後のミオが危険に晒される。ミオを、彼とは戦わせたくなかった。

 レヒトは唇を噛み締めた。なにもできない自分が、酷く惨めで情けない。

「それじゃあ、さよなら。お兄さん……」

 ミヤの指が引き金にかかり――その時、彼の背後で響いた微かな物音に、弾かれたように振り返る。

 ミヤの視線の先には、爆弾で破壊された扉の向こう、原型をとどめていないだろう小さな部屋。

「……! そんな、馬鹿な! あれだけの爆発で、どうして……!」

 ミヤが珍しく動揺を見せた。

「どうして生きているんだ!?」

 彼が驚いたのも無理はない。部屋の中は、爆発が起きる前と、なんら変わらぬ状態だったのだ。

 力なく椅子に腰かけたレイが、焦点のあわぬ虚ろな瞳を、ただミヤのほうへと向けていた。

「……なるほどね、魔力障壁か……。こんな状態になっても、魔法が使えるとは思わなかったよ。さすがは英雄ってところかな」

 ミヤが肩にかけたボウガンをレイに向け、構える。

「生きようとするその執念には感服するけどね。……それも、これで終わりだ」

「よせ!」

「……来るな! 来たら……すぐに、この引き金を引いてやる。僕のボウガンは特別製なんだ。さっきは魔力障壁で防がれたけど、この矢は防げないからね……」

 走り出そうとしたレヒトを、ミヤがそう牽制する。レヒトが止まろうが止まるまいが、レイを殺す気でいるミヤは、躊躇うこともなく引き金を引くだろう。

 だが、レヒトは動けなかった。

「やめるんだ、ミヤ。レイ様を殺しても、なにも変わりはしない。それどころか、人間はますます片翼を憎むようになってしまう」

「ミヤ……お願いします。武器を捨ててください……!」

 片翼を追放すること。当時、レイが下した判断――それが正しかったのかどうかなど、レヒトにはわからないし、過去――そして現在のレイにも、そしておそらく、他の誰にもわからないだろう。

 だが、わからないなりに、レヒトは思うのだ。片翼が迫害されているという現状を、一番嘆き悲しんでいるのは――判断を下したレイ自身なのではないか、と。

 それ以上、かける言葉が見付からず、黙り込んだまま、二人はボウガンをレイに向けたミヤを、緊張した面持ちで見つめていた。

「……わかってるさ、そんなこと」

 長い、沈黙の後に。二人には背を向けたまま、ミヤはそっと口を開いた。

「お兄さんの言う通りだよ。僕がレイ=クリスティーヌを殺したところで、なにも変わらない。けどさ……もし、お兄さんが僕の立場だったら? 目の前で家族を、友達を殺されたら……。不毛だからやめろって言われて、簡単に憎しみを捨てられる?」

 レヒトのほうを振り返り、ミヤがそう問いかける。紫の綺麗な瞳に、悲しみの色を宿して。

「一度吹き出した憎悪は、簡単には消えないよ。僕の家族を奪った奴、僕を認めようとしなかった奴、そしてその原因――あの戦いを起こした過去の奴……全部、全部皆殺しにしてやりたいって……」

 ミヤの瞳から悲しみが消え失せ、彼が乗り込んできた時からずっと感じていた異質な感情――すなわち、狂気にすら似た歓喜が顔を覗かせる。

「復讐はとっくに始まっていたんだ。最初に殺したのは、僕たちの里を襲った人間。次は、僕とミオを嘲笑った人間……アハハ、まだ終わらないよ。すべての元凶――レイ=クリスティーヌを葬るまでね。全部を壊して、壊して……!」

「だめです、ミヤ! そんなこと……!」

「どうして? いいじゃない、僕はこの世界に未練なんてないもの。こんな世界、全部壊してやり直せばいい。そうすれば『大いなる意思』が、もっといい世界を創るよ」

 無邪気な笑みを浮かべ、ミヤは再び二人に背を向け、ボウガンを構えた。

「さあ、お別れの時間だよ。貴方の悲鳴が聞けないのは、少し残念だけどね」

「だめだ……やめろぉっ!」

「アハハ! 死ねぇっ!」

 その顔に笑顔を浮かべた死神が、引き金にかかった指を引いた。打ち出された銀色の矢は、彼を死者の国へと導く死神の鎌か。

「レイ様ぁ――っ!」

 狂気じみたミヤの洪笑と、レヒトの絶叫。

 ――伸ばした腕は、また、届かなかった。

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