第87話 桃色の協奏曲-3-
「……なるほど。貴方の目的は、よくわかりました。しかし、少々疑問が残ります」
長いような短いような沈黙の後、最初に口を開いたのはガルヴァだった。
「話を聞けば、貴方はレヒトさんよりも、むしろレイを狙っているようだ。ここにレイがいるということを事前に掴んでいたのなら……なぜ、もっと早くに乗り込んで来なかったのですか?」
ガルヴァが疑問に思うのも無理はない。ミヤは、ここにレイがいることを知っていて、今までなにも仕掛けてこなかったのだ。事情を知らない者にしてみれば、ミヤの行動は納得しがたいものだろう。
しかし、『大いなる意思』の性格を知っているレヒトにしてみれば、それは当然のことであった。
「アハハ。お兄さんは、わかるよね?」
「……『大いなる意思』が、無関係な者を傷付けることを嫌うから……だな?」
『大いなる意思』は、レヒトとレイヴン――『CHILD』以外は、できうる限り傷付けないよう徹底している。彼の目の前に立ちはだかる者に対しては別だろうが、それでも命を奪うような真似はしなかった。
快、シャウト、ガルヴァ――そして、おそらくはレイも。ましてや、無抵抗の相手に対してなど、絶対に手は出さないだろう。
部下であるミヤにも、そう命じてあるはずだ。ああいう男は、決して自分の信念を捻じ曲げない。
レヒトの予想通り、ミヤはこくりと頷いた。
「大正解。だから、ここにレイ=クリスティーヌがいることを知っていても……僕は手を出すことができなかった」
悔しそうに、ミヤが唇を噛む。
「もどかしかったよ、本当に。殺してやりたい相手がすぐ傍にいるのに、僕は手をこまねいて見ているしかないんだもの。けど、お兄さんがここに来てくれたからね。僕が『大いなる意思』から受けた命令は、魔物を討伐することと、お兄さんを殺すことだったから……」
「……それで、ここに乗り込んできたのか。俺と、レイ様の命を狙って」
「そういうこと。お兄さんがここにいることを突き止めた僕が、『大いなる意思』の命令を忠実に遂行しようとしてここに乗り込んだ。こっそり侵入するつもりだったけど、見付かって乱闘騒ぎになり……僕が放った一本の矢が、自力では動くこともできないレイ=クリスティーヌを、偶然に射抜いてしまったとしたら――」
ミヤの顔には、相変わらず笑みが張り付いていた。その仮面の下、憎悪に歪む心を隠して。
「……仕方ないよね?」
「それが貴方の狙いですか。お粗末な計略もあったものですね」
ガルヴァの皮肉にも、怒ったような素振りすらなく。
ミヤはただ笑う。
「アハハ。いいんだよ。要は僕がレイ=クリスティーヌに近付くだけの大義名分があれば、ね」
「……『大いなる意思』は、君の嘘など容易く見破る。それに、君は『大いなる意思』に仕えているんだろう? 主の望まないことを、君はやろうとしているんだぞ?」
ふとミヤの顔から笑みが消えた。レヒトの言葉に気分を悪くした、というわけではないようだ。
「まぁね。……僕は『大いなる意思』には感謝してるし、尊敬もしてる。けど、これだけは譲れないんだよ。これだけはね……」
真面目な顔でそう言って。心を隠す仮面のごとく、その顔に笑みを張りつける。
「レイ=クリスティーヌを殺して、その後でお兄さんの命ももらうからね」
まっすぐにレヒトを見据えるミヤの瞳に、冷たい殺意が宿る。
確かに殺意だった。間違えようもない。職業柄、レヒトはこの手の感情に慣れているし、常人よりも遥かに敏感だ。
しかし、たった今、ミヤから感じた殺意と表現すべきものは、レヒトが今まで感じてきた数多の殺意と、明らかに違うものだった。
それは、酷く不思議な感覚。
とても強烈な――しかし、敵意のない殺意――。
「……お咎め覚悟の上か」
首を振って、余計な考えを打ち消す。
「残念だが、俺はそう易々と殺されてやるつもりはないし、レイ様を殺させる気もない。……どうしても、というのであれば、それなりの覚悟はしてもらおう」
「アハハ。僕をとめる? 無理だと思うけどな」
腰に佩いたホーリィ・クロスを抜き放ったレヒトに視線を向け、ミヤはすぅ、と瞳を細める。面白がるように。
「お兄さんたちには、僕をとめることはできないよ。……試してみる?」
細められたミヤの瞳が、不思議な光を宿し――。
「! う……うわぁっ!?」
その瞬間、あがった悲鳴に、レヒトとミオは同時に振り返る。
「ガルヴァさん!?」
自分から注意が逸れたその瞬間に、ミヤは動揺する二人の間をすり抜け、部屋から飛び出して行った。
「……!」
追わなければならない。しかし――。
「……レイ、ヴン……なぜ……?」
がくりと膝を折り、その場に座り込むガルヴァの肩をレヒトは掴む。
「ガルヴァさん……! しっかりしてください!」
呼びかけても、肩を揺すっても、彼はまったく反応を返さない。その瞳から光が薄れつつあるのを見て、レヒトの背を冷たい汗が伝った。
先程ミヤに葬られた兵士も、これと似たような状態に陥り、命を失った。
「だめですよ! ガルヴァさん!」
「……ど、うして……レイヴン……私は、貴方の……」
レヒトがどんなに呼んでも、今の彼には届かない。
「ガルヴァさん!」
「レヒトさん、私がやってみます。……なんとかなるかもしれません」
「……頼む……!」
レヒトにはどうすることもできない。
ミオは座り込んだガルヴァの前に膝を付き、頭を抱えて震える彼の肩に、そっと両手を置いた。
それだけだ。魔法を使ったようにもみえない。
その直後、ガルヴァの身体がびくん、と一度大きく跳ね――彼の瞳に、理性の光が蘇った。
「ぁ……わ、私は……?」
事態が把握できないのか、周囲を見渡して、ガルヴァは呆然と呟く。そして自分の両手を広げ、なにかを確認するようにじっと見つめた。
レヒトとミオは顔を見あわせ、安堵の息を吐く。
「よかった……なんとかなったな……」
「はい。……大丈夫ですか? お顔が真っ青です」
「……え、ええ……私は……大丈夫です……」
混乱しているのか、ガルヴァはそう答えたきり、青ざめたまま黙り込んだ。
もう、心配はいらないだろう。精神的なダメージはともかく、少なくとも、命に別状はない。
むしろ、レヒトが側にいないほうが、彼の身は安全だ。ミヤの狙いは、あくまでレヒトとレイ。それ以外の者は、ミヤの眼中にはない。彼の邪魔をしない限りは、狙われることもないだろう。
レヒトは立ち上がり、ミヤの消えた薄暗い通路へと視線を移した。耳を澄ませば、ミヤのものだろう遠い足音が聞こえてくる。
――急がなければ。
「……ガルヴァさんは、ここにいてください。ミオ、君もここに残るんだ。……俺は彼を追う」
「レヒトさん、私も行きます」
「……ミオ……」
正直なところ、ミオにはここに残っていて欲しかった。レヒトにとって敵とはいえ、ミヤは彼女に残された最後の家族なのだ。ミオのことを考えると、どうにも戦い辛い。
そして最悪、この手でミヤを倒さなければばならないという状況にもなりかねない。
「私は大丈夫です。急ぎましょう、レヒトさん。レイ様をお救いしなければ」
レヒトを見据えるその眼差しは、相も変わらずまっすぐで。
「……わかった、行こう!」
「はい!」
ガルヴァを残して部屋を飛び出し、二人は通路の奥へと消えたミヤを追った。