第86話 桃色の協奏曲-2-
「こうやって会うのは何年振りかな。別れたときはお互い子供だったけど……綺麗になったね、ミオ」
構えたボウガンを降ろして右肩にかけ、言葉を失い、立ち尽くすミオに微笑みかける。
「『大いなる意思』に言われて、ずっとこの付近で魔物の討伐を続けてたんだけどさ。ミオと会えるとは思わなかったよ。生まれて初めて、心の底から神様に感謝したね」
「? どういうことだ? 君は……ミオと会っていたんじゃないのか? 君に、俺の居場所を話したのは……」
向かい合って立つ二人に交互に視線を移し、レヒトがそう問いかけると、ミヤは顔だけをレヒトのほうに向けた。
「アハハ。誰もそんなことは言ってないよ。僕は確かにミオから、お兄さんがここにいることを教えてもらった。けど、別にミオはお兄さんたちを裏切ったわけじゃないし、僕と接触したわけでもない」
だからミオは責めないでね、とミヤは続ける。レヒトが頷くと、ミヤはにこりと無邪気な笑顔を見せた。
「僕が勝手に情報を手にいれただけさ。……ミオと精神を同調させてね」
「精神を同調させた……?」
「そう。ミオが他人の心を読めるのは知っているでしょう? なら、僕にそれと同じか、それ以上の力があるってことくらい、想像できない?」
レヒトから視線を移し、まっすぐにミオを見据えて。
「ミオは、僕の妹なんだから」
その言葉に、ミオが目を見開いた。もちろん、驚いたのはミオだけではない。
「妹!? ミオが、君の?」
レヒトが聞き返すと、ミヤは頷きつつも首を傾げた。
「そうだけど……ミオから聞いてないの? お兄さんとミオが一緒にいたから、僕のことミオから聞いて知ってるかと勝手に思ってたんだけど」
「……ミオには、記憶がないんだそうだ」
沈黙したままのミオの代わり、レヒトが答える。
「記憶がない? ……そっか。あの時に『大いなる意思』が消したんだな。もう……記憶を消すのはわかるけど、僕のことくらい思い出すようにしてくれればいいのに。気が利かないなぁ、ほんとに」
「ま、待ってくれ。『大いなる意思』が……ミオの記憶を消した?」
「そうだよ。もう、どのくらい前のことになるのかも、わからないけど……。僕とミオが小さい頃、心ない人間たちのせいで死にかけていたところを、『大いなる意思』が救ってくれたんだ。その時に『大いなる意思』が、ミオの記憶を消したんだろうね」
その時レヒトの脳裏に、いつか見た夢の光景が蘇った。雨の中、救いを求める幼い兄妹と、二人を救った白髪の男。あれが、幼き日のミオとミヤなのだとすれば――。
レヒトはミオのほうへと視線を移す。状況を理解できないのだろうか。ミオはやはりその場に立ち尽くしたまま、ただ呆然とミヤを見つめていた。
「……どう、して……」
しばしの沈黙の後、ミオは小さく言葉を紡ぐ。
「どうして、私を置いて行ったんですか? 一人ぼっちで、自分が誰なのかもわからなくて……」
俯いたミオの頬を、一筋の滴が伝った。
「……本当に、寂しかった……!」
ミオの傍に移動したミヤが、俯いたままに涙を溢すミオの肩に、その右手を置いた。
「ごめんね。僕も、ほんとは一緒にいたかった。けど、ミオを巻き込みたくなかったんだよ。ミオはなにも知らないまま、どこかで平和に暮らせばいいって思ったんだ」
ホーリィ・クロスの柄に手をやったまま、レヒトはガルヴァと顔を見合わせた。命を狙われている以上、油断はできないのだが――ここで仕掛けるほど無粋な神経は持ち合わせていない。
「『大いなる意思』が、ミオの安全は保障してくれたし。目的を果たしたら、ちゃんと迎えに行くつもりだったんだよ」
「目的を……?」
「うん。あの頃はね、ただ『大いなる意思』に恩返しがしたくて、僕は『大いなる意思』について行った。あの頃の僕はまだ幼くて……どうしようもなく、無知だったから。けどね、今は違う」
その顔には、やはり笑みが浮かんでいたが――瞳には、ごりっとした冷たいなにかが潜んでいる。
「『大いなる意思』から、いろいろなことを聞いたよ。どうして迫害されなければならなかったのか。どうして逃げ続けなければならなかったのか……いろんなことを、ね」
「ひとつ、聞きたいんだが……」
レヒトが声をかけると、ミヤはレヒトに顔を向けた。
「君とミオは……名もなき小島にいたんじゃないのか? 片翼はレイ様によって流刑にされて……大陸との交流を、断たれていたんだろう?」
「まぁね。けど、事実はそうじゃない。それだけがすべてじゃないんだよ、お兄さん」
ミヤの言葉に、レヒトの無知を嘲笑するような響きはなかった。ただ、寂しそうに、悲しそうに細められた瞳だけが、レヒトの心に残った。
ミオが時折見せる、悲しげな微笑みと――同じ。
「……レヒトさん。片翼は、名もなき小島にいるだけではないのです」
隣に立つガルヴァが答える。
「天魔大戦で敗れた片翼たちは、確かに、レイによって名もなき小島に流刑にされました。しかし、刑が執行される前に、逃亡した人々がいたのです。……おそらく、それが……」
「そうだよ。僕たちの先祖さ。僕とミオは魔界で生まれた。辺境の山奥で、身を寄せ合って、ひっそりと隠れるように暮らしてたんだ」
「それじゃあ……私の、本当の両親は……今も、そこに?」
小さな声でそう問いかけ、自分より少しだけ背の高い兄を見つめるミオ。失われた記憶の中の両親――期待に胸躍らせる妹に、しかしミヤは視線を逸らして、もういない、とだけ呟いた。
「いない? どういうことですか? どこか、別の場所に……?」
「違う。……魔界へ逃れた片翼たちは、僕とミオを除いて、もう誰も生き残ってはいない」
「え……?」
声に出したのは、誰だったのだろう。ミオだったかもしれないし、レヒト、あるいはガルヴァだったかもしれない。
「あの悪夢の日――僕たちの住む隠れ里の存在を知った人間どもは、魔界の辺境にあった里を襲い、そこにいた片翼を皆殺しにしたんだ。僕とミオは、なんとか逃げることができたけど……それからどうすればいいのか、僕にはわからなくて。過労と栄養失調で倒れたミオを、僕は人間の村まで連れて行った。あの頃は無知だったから……きっと、助けてくれると思ったんだ」
ふぅ、と小さくため息を吐き、ミヤは首を横に振った。
「実際はどうだったかなんて、説明するまでもないよね。……誰も、ミオを助けてはくれなかった。助けを求めた僕を、足蹴にして嘲笑った。……どうして、そんなことをされなきゃならないんだ?」
嫌な思い出が蘇ったのか。左の拳を握り締め、唇を噛み締め――ミヤは必死に感情を抑えていた。
「おかしいと思わない? 罪を犯したのは、ずっと昔の先祖だっていうのに……どうして僕たちが、その罪を負わなければならないんだ?」
その問いに、レヒトも、ガルヴァも、答えることはできなかった。言葉に詰まった二人に構わず、ミヤは一方的に言葉を続ける。
「僕とミオがなにをした? 片翼の子孫として生まれただけ。ただ、それだけだ。人間どもは、偶然、人間として生まれただけじゃないか。望んで片翼として生まれたわけじゃないのに。どうして僕たちだけが、ただ片翼として生まれただけで、辛い目にあわされなきゃならないんだ!?」
「……それで、復讐を?」
意外にも、冷静な口調でそう問いかけたのはミオだった。
「そうだよ、ミオ。……となれば、わかるだろう? どうして、僕がここに来たのか」
瞳の中、激しく燃え上がる憎悪の焔。それを見たミオが辛そうに胸を押さえた。
抑えきれなくなったミヤの激しい感情が、ミオの心に流れ込んだのだろう。
ミヤがずっと感情を抑えていたのは、妹の身を気遣ってのことだったのだと、レヒトはこの時、初めて悟った。
「……僕はすべての元凶――僕たちが苦しむ原因を作った、レイ=クリスティーヌを殺しに来たんだ」
「なんだって……?」
「アハハ。人間どもはあいつを崇め奉っているからね。打ち砕いてやるのさ、そのくだらない希望とやらを!」
ミヤが吠える。憎悪と歓喜、相反するふたつの感情を、その瞳に宿らせて。