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第85話 桃色の協奏曲-1-

 部屋に飛び込んだレヒトは、驚愕に目を見開いた。

 炭化した机や椅子の残骸が散らばる部屋の中には、何人もの兵士が倒れ伏していた。気を失っているだけなのか、それとも命まで失っているのかは、わからなかったが。

 障害物のなくなった広い部屋――その中央に、襲撃者は立っていた。

 背中で緩く結ばれた長い桃色の髪に、まだ少年っぽさの抜けない、大きな薄紫色の瞳。片側にのみ頂く翼は、レヒトの知る少女と対になる左側。右手に巨大なボウガンを携え、左手で数個の小さな丸薬を弄んでいる。

 肉体こそ、年若いとはいえ男のそれだが、まだ若干の幼さを残しており、少年の中性的な顔立ちも、どことなく彼女と通じるものがある。

「……君は……」

「久しぶりだね、お兄さん。エンブレシアの街で会って以来かな」

 突然扉を蹴破って現れた二人に視線を移し、片翼の少年は驚くでもなく、むしろ嬉しそうににっこりと笑った。

「……あの片翼の少年……レヒトさんのお知りあいですか?」

 少年からは視線を反らさずにそう問いかけるガルヴァに、レヒトは小さく頷いて見せる。片翼という言葉を発した瞬間、横目で捉えたガルヴァの顔に、形容しがたい感情がよぎった。

「君も……『大いなる意思』の仲間だったんだな」

「そういうこと」

 こくりと頷く少年からは殺気も感じず、構えを解いた姿は隙だらけですらある。

 だが、それがかえって不気味だった。

「まぁ、僕としてはお兄さんを殺す理由はないんだけどさ。『大いなる意思』がそれを望んでるんだ。だから、悪いけど死んでね」

 まるでちょっとした頼みごとをするかのように、軽い口調で死を宣告する。それだけの自信の表れなのだろうが、『大いなる意思』や、琥珀色の瞳の男と対峙した瞬間のような、身が強張るような恐怖は感じない。

 要するに、単純な力だけなら、おそらくレヒトのほうが上なのだ。それぞれの武器の相性があるので、確実にレヒトが勝てるという保証はないが、それでも、少年にとってはかなり分の悪い戦いだということに変わりはない。

「……そう言われて、俺が素直に頷くと思うか?」

 身構え、腰の剣に手をやりつつそう言えば、少年は場違いな笑みを張り付けたまま、すっと瞳を細めた。

「アハハ。まぁ、そうだろうね。いいよ、それじゃあ遊ぼうか。『大いなる意思』に言われて、最近はずっと魔物ばっかり相手にしてたし、そこに転がってる雑魚なんかじゃ、僕つまらないし」

 倒れた兵士に軽蔑の眼差しを送り、少年はレヒトに向けボウガンを構える。鋭い銀色の矢が、凶悪な輝きを見せた。

「……せいぜい楽しませてよね、お兄さん」

 くすり、と少年が笑う。今までの無邪気な笑顔ではなく――獲物を狙う、獣の眼差し。歓喜の色が滲むその瞳に、映り込んだ自身の姿を捉えたとき、レヒトは脳髄が痺れるような感覚を受けた。そして、瞳に映った己の姿が、ぐらりと揺れ――。

 その瞬間。

「ま、待て……貴様……」

 静寂を裂いた小さな声で、少年がレヒトから視線を移す。すると、あの神経の痺れが嘘のように消えた。

 視線の先には、折り重なるように倒れた兵士のうちの一人が辛うじて身を起こし、少年に苦々しげな眼差しを向けていた。

「我々……が……雑魚、などと……。貴、様……汚……れ、た……片……翼の、分……際で……」

「汚れた、だと!?」

 少年が反応を返す前に、そう怒鳴り返したのはレヒトだった。兵士に歩み寄り、その胸倉を掴みあげる。瀕死の者に対する態度ではないが、レヒトにそんなことを考える余裕はない。

 レヒトは知っている。片翼たちは、皆、優しい人だった。

 祖先が仕えた相手が違ったというだけで、いわれのない差別に苦しみ、あれから四百年が経った今もなお、彼らは罪を背負わされている。決して、彼ら自身が悪いわけではないというのに――。

「片翼だとか、天界人だとか……そんな、そんなことで人を判断するな! それでミオが……彼らがどれだけ……!」

 怒りを抑え、なんとかそう言葉にしたレヒトに向けられた彼の瞳には、ありありと、侮蔑するような色が滲んでいた。

「……ふん……片翼が、なにをしたか……お前は、知らないからだ……。あの娘も……所詮は……汚……しい……存、在よ……。おおかた、貴様に……この場を教えたのも……あの娘……」

 その言葉で、彼はせっかく助かった命を失うことになった。

 思わず拳を振り上げたレヒトに、少年の制止する声がかかり。

 その時、少年がなにをしたのか、レヒトにはまったく理解できなかった。ただ、細められた少年の瞳が、酷く冷たい光を宿し――。

「ガッ!? ……アゥ……ガァァァア……ッ!」

 胸を押さえ、獣の断末魔のような苦痛の叫びをあげる兵士を、少年は相変わらず、口許に笑みを湛えたまま見つめていた。無邪気な表情の向こうに隠された感情。

 恐怖と絶望とに染まった兵士の瞳から、唐突に、光が失われた。

 彼の胸倉を掴んでいた手を離せば、その身体は力をなくし、床に倒れる。そのまま、ぴくりとも動くことはなかった。

 命の鼓動が失われたことを、レヒトは悟った。

 同情してやる気にはならない。レヒトは妙に冷めた眼差しで、物言わぬ肉塊となった兵士のむくろを見つめていた。

 天魔大戦を戦った天界人にしてみれば、片翼が敵であったという事実は変わるものではないのだろう。それでも――今の言葉だけは許せない。

「アハハ。いけない、いけない。またやっちゃった。けど、僕のこと怒らせるから悪いんだよ。僕のことだけならともかくとしても。……彼女まで」

 そう呟いた少年の顔には、やはり笑みが浮かんでいた。

 そして、まるでなにもなかったかのように、少年は立ち上がったレヒトのほうへと視線を戻す。

「『大いなる意思』には内緒ね。無関係な人間は傷付けるなっていうのが『大いなる意思』の口癖だからさ。ほんと、煩いんだよね」

 それは約束しかねる、とレヒトが答えると、少年は、意地悪だなぁ、とまた笑った。

「それはそうと。名前もわからない相手に殺されるんじゃ可哀想だからさ、名乗っておいてあげるよ。僕の名前はミヤ。さっきも言った通り、お兄さんを殺しにきたよ」

「……それにしては、ずいぶんと遅かったな。俺がここにいないこと、知っていたのか?」

 レヒトがこの地下遺跡に立ち入るのを偶然目撃したということも考えられるが、そうであれば、なぜ地上にいる間に攻撃を仕掛けてこなかったのだろうか。あの時はラグネスとミオが一緒だったとはいえ、拠点となっているこの遺跡に入ってしまえば、相手にしなければならない人数はむしろ増えると容易に想像できるはずだ。

 ミヤと名乗った少年の得物はボウガンである。それも、かなり巨大な。威力のほどは高そうだが、このような狭い場所では小回りの利かない武器は扱い辛い。ミヤのように遠距離系の武器であるならば必要な間合いをとることも難しく、さらに動きは制限される。それも、たった一人であればなおさらに。

 その危険を冒してまで、ミヤはわざわざここに乗り込んできたのだ。

 他になにか目的でもあるのか、それとも――。

「アハハ。違うよ。単なる偶然、かな」

「偶然? 俺がここに来るのを見たってことか?」

「違う、違う。実際に見たわけじゃないよ。ここにお兄さんがいるって、教えてくれた人がいただけ」

 隣に立つガルヴァが息を飲んだのがわかった。ミヤの言葉に動揺したのだろう。

 ミヤは言った。ここに、仲間と思っていた者の中に、内通者がいるのだ、と。

 その内通者より、ミヤはレヒトがここにいることを知ったというのだ。

(まさか――)

 一瞬、頭をよぎったその考えを、レヒトは慌てて否定した。

「アハハ。気になる? 僕に情報をくれたのが誰なのか。けど、おおかた想像はついてるでしょう?」

 そんなはずはない、と。レヒトは首を横に振る。

 少年が面白そうにその瞳を細め――。

 その時、レヒトとガルヴァが入ってきた扉から、一人の少女が現れた。ツインテールにされた桃色の髪に、穏やかな薄紫色の瞳。異国の衣服を纏い、同じく異国の剣を腰に差して。

 少女と、少年。まるで、鏡に映った幻影を見ているような感覚に襲われた。

「レヒトさん、大丈夫ですか?」

「……ミオ」

 蹴り破られた扉の前に立ち尽くしたまま。ミオはその顔に驚愕と戸惑いの色を浮かべ、部屋の中央に立つ少年に視線を向けていた。

「やあ、ミオ。久しぶりだね」

 自分と瓜二つの少女に向けたミヤの瞳には、とても優しい光が宿っていた。

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