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第7話 はじまりの終わり-1-

「おっはよぉ! ……なに朝からぼけーっとしてんの?」

 レヒトがあてがわれた部屋に飛び込んでくるや否や、開口一番、これである。

「……変な夢を見てな……なんとなく、寝た気がしない……」

 寝台に腰かけてぼーっとしていたレヒトは、寝癖がついて飛び跳ねたワインレッドの髪を掻きながらそう答えた。まだどこか夢の余韻が残っているようで、頭の中がぼんやりしている。

「ふぅん、どんな夢?」

 興味をひかれたらしいレイヴンの問いかけに、レヒトは寝惚け眼を擦りつつ、欠伸をひとつ。

「薄暗い通路を、ひたすら走ってる夢だった。見たこともないような場所で……爆発して、炎に巻かれそうになったり……。夢の中での感覚が、まだ身体に残ってるような気がするな……」

 崩落した瓦礫で負った怪我の痛み、纏わりつく焔の熱さと流れる汗、そして、先を急げと焦る心……そういったものを、まるで己の身をもって体験してきたかのような、そんな感覚なのだ。夢から醒めたとわかった今でも、あれは本当に夢だったのかと、思ってしまうほどに。

 しかし、夢の中でレヒトが自身を投射していたのは、レヒトのまるで知らない男であったし、夢の中で舞台となっていた場所も、まったく記憶にはない場所だった。

 ――単なる夢、といってしまえばそれだけだ。

「なにそれ、嫌な夢。なぁんだ、もっと面白そうな夢かと思って期待したのになぁ」

「それは残念だったな。……おかげで、俺も朝から気分がよくない。どうせなら……そうだな、鳥にでもなって、空を飛ぶような夢がよかった」

 レヒトがそう言うと、レイヴンが唇の端をぐいっと持ち上げた。この悪戯っ子を思わせる笑い方、どこかの天界最高責任者と同じである。

「夢を見る人ってさ、子供っぽいんだって聞いたことあるよ」

「……子供っぽいんじゃなくて、ロマンチストだって言ってくれ」

 自分より遥かにお子様のレイヴンに子供扱いされ、納得いかない様子のレヒトがそう訂正すると。

「ロマンの欠片もないような夢見たくせに」

「……」

 レイヴンを口で言い負かすのは不可能である。レヒトはひとつ学んだ。

「……ところで、レイヴン」

「なぁにー?」

 レイヴンはレヒトが退いた後の寝台に寝転がっている。朝夕はだいぶ冷える季節になってきた。人の温もりの残る毛布は心地よいのだろう。

「いつまでここにいるんだ?」

「なんで?」

「いや……その、な……」

 レヒトは少し言いにくそうに頬を掻いた。今ので悟って欲しかったのだが、伝わらなかったようだ。しかし、本当にわかっていないのか、それともからかっているだけなのか、レヒトにはいまいち判断がつかない。

「……着替えたいんだが」

「だから?」

 不思議そうに首を傾げられた。どうやらきっぱりはっきり言わないと伝わらないらしい。

「俺が着替え終わるまで、廊下で待っててくれないか?」

「えー!? なんでなんで? ガルは着替える時も出てけなんて言わないよ?」

「……それは、だな……」

 返答に詰まったレヒトを見て、レイヴンはにこにこと笑った。

「別に恥ずかしがることないじゃん! レイヴンが着替えるの手伝ってあげる!」

「うわぁっ! よせっ、やめろっ! は、放せぇーーーっ!」

 上の階から響く悲鳴と笑い声と凄まじい破壊音に、研究員たちが何事かと天井を見上げ、ガルヴァが仲良しですね、などと一人のんきに笑っていたのは、また別のお話。




 にこにこ笑顔のレイヴンと、やつれた様子のレヒトが降りてきたのは、大騒ぎが始まってから二十分ほど経った頃だった。

「レイヴンとレヒトさんはとっても仲良しなんですね」

 ガルヴァが優しい微笑みを湛え、銀色のトレイを二人に差し出す。そこにはほんわかと湯気をたてる、温かなココアのカップがふたつ載っていた。レイヴンは大喜びで、レヒトは苦笑しつつ、カップを受け取った。

 夕食がパンケーキ、朝食がココアとは、レイヴンは筋金入りの甘党であるようだ。

「ありがと、ガル! レイヴン、ココア大好き。あ、ガルも好きだよ」

「まあ、レイヴン。レヒトさんの前で、そんな熱烈告白を」

(……熱烈だったか?)

 二人のやりとりを少し離れて眺めつつ、レヒトは温かいココアに口をつけた。レイヴンの味覚に合わせてあるからだろうか。普通よりもだいぶ甘めのココアが、冷えた身体を温める。

「今日は天界城へ行くのでしょう? 支度は大丈夫ですか?」

「うん! ばっちりだよ!」

 元気いっぱいに答えるレイヴン。この元気、いったいどこから生えてくのだろうか。

 それに対して、レヒトのほうは憂鬱そうである。理由は簡単だ。

「天界城。……またあの森を抜けるんだな……」

 筋肉痛の足と、未だに鈍い痛みの残る腹部を擦り、レヒトはうんざりと呟く。体力には自信があったレヒトだが、昨日の森歩きは相当に応えた。

 聞くところによると、レイヴンはここ数日、栽培できないという貴重な薬草を求め、魔物の出る森の中を一人で探索していたというから驚きだ。あの小さい身体のどこにそれだけの気力と体力が眠っているのか。

(あの元気、本当にどこから湧いてるんだ。……若さか? はっ、もしかして……俺が老いただけか!?)

 軽い衝撃を受けるレヒト、二十三歳。しかし、そんなレヒトにレイヴンが返したのは、思いもよらぬ言葉だった。

「っていうか、あんな森抜けて来たのはレヒトが初めてだよ」

「……は? いや、だって天界城からここに来るには……」

 レヒトがそう言うと、レイヴンとガルヴァは顔を見合わせた。

「きっと、レイですね」

「だね」

 ガルヴァが口にした天界最高責任者の名前に、レヒトの顔が引き攣る。

「……まさか」

「ええ。おそらくレヒトさんの想像通りだと思いますよ」

「レヒトってば可哀想だね。とことんレイさんに遊ばれちゃってさ」

 ガルヴァどころかレイヴンにまで同情されてしまい、レヒトは激しく傷付いた。

「まあ……なんていうか、レイさんの意地悪はいつものことだからね。レヒトより酷い目にあってる部下なんか、それほど星の数ほどいるだろうから。レヒトも諦めて、早く慣れたほうがいいよ」

「そうですね。一度標的にされたら最後、レイが飽きるまでもてあそばれると思いますが、気をしっかり持ってくださいね」

 元気付けようとしてくれるのは嬉しいのだが、恐怖をあおるような言葉ばかりが並んでいるように思えるのは気のせいだろうか。レヒトは深く考えるのをやめた。

「さーて。そろそろ行こう、レヒト。帰りは楽ができるからさ」

 ココアを飲み終えたらしいレイヴンが言う。レヒトはひとつ息を吐き、苦笑を零して頷いた。

「そうだな。ガルヴァさん、どうもお世話になりました」

「こちらこそ、なんのお構いもできませんで。レイヴンのこと、よろしくお願いしますね」

 ガルヴァはそう言って頭を下げる。

「任せてください」

「じゃあ行ってくるね、ガル」

「ええ、行ってらっしゃい」

 微笑を湛えたガルヴァに見送られ、二人は研究所の地下へと続く階段を下りてゆく。壁に沿って螺旋状に設けられた階段には、等間隔に踊り場が設けられており、扉が設置されていた。勝手知ったるレイヴンがどんどんと先に進んでしまうため、扉の中の様子を窺うことはできなかったが、奥の部屋もおそらくは研究に使うものなのだろう。幾つかの部屋の中には、研究員だろう人の気配も感じられた。

 いい加減、階段を下るのにもうんざりとし始めた頃、二人はようやく最下層へと辿り着いた。壁や仕切りが一切ない、かなり広々とした円形の空間である。その中央には、大人が両手を広げたくらいだろう大きさの太陽を模ったような紋章と、レヒトにはまるでわからない古い言葉とが刻まれ、わずかな光を放っていた。

「こっちだよ、レヒト」

 紋章の傍に立つレイヴンがそう言って手招きする。レヒトが傍に寄ると、レイヴンは紋章に視線を向けた。

「これは俗に空間転移装置って言ってね。離れた場所と場所を繋ぐ、いわば道みたいなものなんだ。魔界から天界に来る時、レヒトも同じようなものを使ってるはずだよ」

「『天への道』と『地への道』のことか」

「そう。魔界と天界を繋ぐあれも、三闘神が造り出したものだって伝えられてるんだ。この空間転移装置はね、それを応用してレイヴンが造ったの。ここと天界城を結んでるよ」

 レイヴンはえへん、と胸を張った。

「凄いじゃないか。三闘神と同じものを造り出せるなんて」

 レヒトが素直な称賛の言葉を口にすると、意外にもレイヴンは少し照れたようにはにかんだ。

「まだ再現できたのはこれだけなんだけどね。それに、これもまだ不安定でさ、他の場所に設置するのは難しいんだ。安定性はもちろん、距離だって全然だし。……昨日見せた指輪もそうだけど、ヘヴンには他にもたくさん、三闘神が遺した不思議なものがあるんだよ」

「レイヴンは三闘神の遺したものを研究しているのか?」

「うーん、そうともいえるかな。レイヴンが研究してるのはね、ヘヴンっていう世界そのものなの。ヘヴンの根源たる精霊は、三闘神の精神そのものとも言われているから……三闘神が遺したものを調べることは、ヘヴンを知る上で重要なことなんだよ。……って、ちょっと難しかったかな」

 どう反応すればいいかわからなくなっているレヒトを見て、レイヴンは少し気まずそうに頬を掻いた。

「要するにね。レイヴンはこの世界――ヘヴンの理を知りたいってことだよ。さ、難しい話はもう終わりにしてさっさと行こう。レイさん、待たせるとうるさいから」

 声の調子を落として、悪戯っぽく囁かれた言葉に苦笑を返す。レイヴンとともに太陽をかたどった紋章の上に立つと、紋章が一際強い光を放った。

 身体を襲った浮遊感と軽い眩暈に、レヒトは反射的に目を閉じた。しかし、いつまでたっても消えぬ浮遊感に異変を感じたレヒトが目を開けると、そこは闇に支配された世界。慌てて周囲を見渡すが、確かに傍にいたはずの、レイヴンの姿が消えていた。しかし、置いて行かれた、というわけでもなさそうだ。

『――なんだ、ここは……天界城じゃ、ない……?』

 意識を集中させ、周囲を探っていたレヒトは、ふと小さな気配を感じて振り返る。

 そこには、三人の少年少女が立っていた。周囲に光などないというのに、闇の中に佇む三人の姿を、レヒトははっきり捉えることができた。

 一人は若草色の髪の少年。他の二人と比べると、それほど整った顔立ちというわけではないが、利発そうなその瞳が、少年の秘めたる才能を感じさせた。その隣に立っているのは、紫色の髪をした、おそらく少年だろうと思われる子供。綺麗に整った顔立ちに加え、どことなく寂しそうな俯き加減の表情が、儚げな少女のようにも見える。そして、最後の一人は少女だった。可愛い顔をしているが、その肌は病人のように真っ白で、同じく純白の長い髪が、まるで彼女を人形のように見せていた。

 三人は自分たちを見つめるレヒトに気付いたのか、ふわりと身を翻してしまう。

『ま、待ってくれ!』

 レヒトは慌てて後を追う。三人の少年少女は先を行くが、時折振り返ってはレヒトが付いてきているかをどうか確かめているようだった。

『俺を……どこかに連れていくつもりなのか……?』

 しばらく進んだところで、不意に三人が立ち止まった。その姿が、闇の中に掻き消える。

『! 消えた……』

 よく目を凝らしてみると、そこには人影が見て取れる。大きさから見て、あの三人ではないだろうが。レヒトは少し躊躇ってから、一歩一歩、慎重に歩みを進める。人影が、ゆっくりと近付く。レヒトは小さな違和感を覚えて眉根を寄せた。

 そして、その人影のすぐ前に来たところで、レヒトは違和感の正体に気が付いた。

『鏡……なぜ、こんな場所に……』

 そう。それは、縁に美しい装飾の施された、大きな姿見だったのだ。しかし、鏡の中に映っているのは、レヒトではない。

 雪のような白髪に、冷たい光を宿す金色の瞳を持つ男。瞬きを繰り返すその顔に浮かぶのは、驚きと戸惑い。レヒトが今、浮かべたのと同じ表情だ。

『……これは……』

 数歩、鏡のほうへと歩み寄る。鏡の中の男も、同じように歩を進め、二人はもう、手を伸ばせば、届く距離に。

 なにかに引き寄せられるように、鏡の中の男に向かい、レヒトはゆっくりと手を伸ばす。鏡の中の男も、レヒトと同じように手を伸ばし、鏡越しに、二人の指が触れ合って。

『!』

 刹那、鏡の中から強い光が弾けた。同時に砕け散った破片から身を守るために、レヒトはとっさに顔を覆う。

 目を焼くような、強い光の奔流に飲まれたレヒトが最後に見たのは、割れて縁だけとなった鏡の向こう側に立つ、三人の少年少女と、あの白髪の男の姿だった――。

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