表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/112

第77話 人の哀哭、獣の狂気

「――憎いか、レヒト」

 唐突な問いかけ。ミロスラーフは、海を思わせる金色の瞳に、不思議な感情を湛えていた。

「……どんな理由があっても……『大いなる意思』がレイヴンを手に掛けた事実は変わりません。俺は……」

 呟いて、レヒトはゆっくりと首を振る。

「……レヒトよ。憎しみに囚われてはならぬ。憎しみに囚われた心では、見えるものも見えなくなる」

 ミロスラーフの瞳が揺れた。

「それでも……憎しみを捨てることは、できぬか?」

 無言の肯定。ミロスラーフは静かに目を閉じた。

「……致し方ないことなのかもしれぬがのぅ……」

 レヒトに向けられた金の瞳が、悲しそうに、寂しそうに揺れた。

「わしの言葉……今のおぬしには届くまい。だが、もしもその気になったのならば……アルカディアスを訪ねるがよい。『大いなる意思』のこと……おそらく話してくれるだろう」

「……わかりました」

 彼の瞳に宿る感情――それがなにを意味するのか、レヒトにはわからなかった。ミロスラーフが静かに言葉を紡ぐ。

「レヒト……『大いなる意思』は、わしらの――」

 続く言葉を掻き消したのは、空を裂くような吠え声だった。




 レヒトが立ち上がるよりも早く、ミロスラーフが扉へと走り寄り、開け放つ。

 顔を見合わせ、二人も彼の後を追う。

 ミロスラーフは、扉を出たところで立ち尽くしていた。彼の視線を追って、レヒトもまた硬直する。

「魔物が……!」

 ミオが悲鳴に近い声をあげた。小屋を取り囲む魔物――十数匹のブロウ・デーモンが、一斉に炎の弾を吐く。

 飛び出そうとする二人を手で制し、ミロスラーフは虚空を睨む。迫り来る幾多の炎の弾は、ひとつ残らず霧散した。

「この魔物は……」

 レヒトの脳裏に蘇る、先程の映像。黒い光を浴びた生き物が――。

「島の小動物であろうな」

 魔物を睨み付けたまま、ミロスラーフがそう答えた。

「ゆっくりと話している時間はないが……自我の強い人間が魔物化することはないと思うてよい。おぬしらに見せたあの光景は……少し特殊な状況下においてじゃ」

 彼の言葉に、レヒトは少しだけ安堵した。人間でなければいいという問題ではないだろうが、この中に見知った顔がいないことは幸いだ。

 ミロスラーフが右手を掲げる。天から降り注いだ光の柱が、何体かの魔物を光の中へと消し去った。次々と、苦しむ素振りさえ見せずに浄化されてゆく魔物たち。

 いつか、どこかで同じような光景を目にした気がした。

「ここに魔物が現れたということは……名もなき小島にも……」

「あぁ……急ごう、ミオちゃん!」

「しばし待て」

 走り出そうとした二人に、制止の声がかかる。

「ミロスラーフ様……!」

「ゆっくりと走っている暇はあるまい。わしはここの魔物をなんとかする。村のほうはおぬしらに任せよう」

 その言葉が終らぬうち、レヒトは軽い眩暈を感じて目を閉じる。

 次に目を開けた時、目の前には先程とはまったく異なる光景が広がっていた。

「ここは……ミオちゃんの家の前……」

「隠者様が送ってくださったんです。それより、今は急ぎましょう」

 レヒトは頷き、ミオの後を追って走り出す。

 村までは、道なりに東へと進めばいい。半ばを過ぎた頃、急ぐ二人の足が止まった。

 道を塞いで現れたのは、一体のブロウ・デーモン。

 反射的に腰へと手をやり、レヒトは小さく舌打ちした。

 ――セイクリッド・ティアは、ない。

 振り下ろされた爪の一撃を、大きく後ろに飛ぶことでかわした。身体には少しだけ違和感があったが、幸いにもつちかった感覚は衰えてはいなかったらしい。

 しかし、いくら攻撃をかわすことができても、倒せなければ意味はない。今のレヒトに武器はなく、いかに最下級の魔物とはいえ、素手で倒すことなど不可能に近い。

 先を急ぐ今、このような場所で時間を無駄にするわけにはいかないというのに――。

「――レヒト殿。そこを、動かないでくださいね」

 耳元で、ミオの声が聞こえた気がした。

 レヒトが聞き返すよりも早く、ブロウ・デーモンの断末魔が響き渡る。しばらく痙攣した後に、ゆっくりと倒れ、土煙をあげる魔物の巨体。

 その向こうに、レヒトはミオの姿を見付けた。

 右手に握られた小さな剣。ナイフかとも思ったが、よく見ると違いがわかる。リーシェンが持っていた、あの不思議な片刃の剣を、そのまま小さくしたような形状だ。

 剣など、所持しているようには見えなかった。服の下にでも仕込んでいたのかもしれない。それにしても――。

「……腹を二回、背中へ回って一回……」

 若いながらも恐るべき技量。そしてなにより、特筆すべきはそのスピード。常人では、その動きを捉えることすらできないだろう。

 剣を黒塗りの鞘へと戻し、ミオが振り返る。彼女は返り血に濡れた頬を腕で拭った。

「行きましょう、レヒト殿」

「あぁ……急ごう!」

 村へと続く道を、二人は再び走り出した。




 目に飛び込んできたその光景に、レヒトは知らず知らずのうちに息を飲んでいた。

 ようやく村に辿り着いた二人が目にしたのは、おびただしい数の魔物の死体だった。そのほとんどが、もはや原型がなんであったのか、それすらもわからないほど、細切れにされている。

 正直、人間の手によるものだとは思えなかった。

「……これは……」

 呟き、表情を曇らせるミオ。

「ミオちゃん……ど、どういうことなんだ、一体……。これだけの魔物を、こんな風に……」

「……これは……リーシェンが……」

 その瞬間。レヒトは大地を蹴り、ミオに体当たりをかける形でその場を飛び退いた。

 刹那――二人がいたその空間を、白い光が裂き、貫く。

「なんですか、今のは……!?」

 言いかけたミオの言葉がとまる。同じく、その光のほうを見たレヒトの身体にも、緊張が走った。

「……おいおい……」

 レヒトは呻いた。

 女性の上半身と、大蛇の下半身を持つ呪われし魔物――ゴーゴン。すべてを石に変えるこの恐るべき魔物と、かつて、レヒトは一度だけ対峙したことがある。あの時は、偶然出会ったレイヴンの魔法で、なんとか撃退することができたのだが――本気で、洒落にならない相手である。

「レヒト殿、私が戦います。下がっていてください」

 立ち上がり、ミオは一歩前へと進み出る。ゴーゴンが、レヒトからミオへと視線を移した。

「この小太刀で通用するかどうか……桜吹雪を持ってくればよかった……けど、やるしかありませんね……!」

 ミオが魔物に躍りかかる。魔物に届く直前で、彼女は軌道を変え、側面から魔物へと剣を振り下ろす。

 その刃が、魔物を裂く寸前。

「火炎獄!」

 彼女の言葉に反応し、手にした剣が焔に包まれ、切り裂いた魔物の身を焼き尽す。

 苦痛に身を震わせながらも、ミオめがけて鞭のような尾が唸る。ミオはそれを後方に飛ぶことでかわし、再び魔物に迫る。

 その時だった。レヒトの真横を、一陣の風が吹き抜ける。

 敵意も、殺意も、悪意も感じなかった。しかし――。

「伏せろ、ミオちゃん!」

 言葉では表せないなにかを感じたレヒトが彼女に声をかけるのも、それに反応したミオが行動を起こすのも。

 わずかに、遅れた。

 白い影が大地を走った。そして、幾筋もの、銀色の光がほとばしる。レヒトが辛うじて捉えることができたのは、それだけだった。

 小さな肉塊となり果てた魔物が、大地に落ちる。断末魔の悲鳴を、魔物は残すことがかなわなかった。もしかすると、自らを襲った死にすら、気付かなかったかもしれない。

 巻き添えを食らったのか、ミオの身体も大きく跳ね飛ばされ、幾度か大地を転がった。しかし、傷を負っている様子は見られない。

「くくっ……ひゃははは……! まぁだ残ってやがったか……いいぜぇ……」

 声は、レヒトの真後ろで聞こえた。

 慌てて振り返ると、そこには。

「リーシェンさん……?」

 二振りの抜き身の剣を両手に提げた、リーシェンの姿が。普段は穏やかで、そして気だるげな光を宿すその瞳。

 そこに覗く、狂気の輝き。獲物を狙う獣のごとく、純粋な、甘美な狂気。

「血が……俺の血がたぎる! もっと、もっと斬れってなぁ……」

 彼の瞳に映った己の姿――レヒトは首を絞めあげられたような感覚に襲われた。

 ふらふらとした足取りで、彼は一歩、レヒトのほうに歩み寄る。

「……斬り、たい……斬らせろ……もっと……もっとだ!」

 リーシェンの姿が掻き消える。レヒトは思わず目を閉じた。

「――リーシェン!」

 ミオの声。恐る恐る目を開くと、リーシェンの剣は、レヒトの喉を裂くまさに寸前でとめられていた。

 正気を取り戻した、彼自身の手によって。

「……ミオ、か……?」

 がくりと膝を折ったリーシェンに、ミオが駆け寄ってくる。

「リーシェン……大丈夫……?」

「……あぁ。ミオ、俺はなにをした? なんで、こんなとこに……」

 そこで、彼はようやく気付いたようだった。自身の手に握られた、二振りの剣に。そして、ゆっくりと、周囲に転がる肉塊を見渡して。

「……まーた……やっちまったか……」

 疲れた口調で呟いて、自嘲気味に、わらう。

「……違うわ。リーシェンは……村のみんなを守ったのよ。魔物を倒して……」

 目を閉じたリーシェンを、ミオは優しく抱き締める。

「貴方は英雄だわ……!」

 閉じられた彼の目から、一筋の涙が零れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ