side story 9 思い出のチョコレート
男が戻ると、部屋にはまだ明かりがついていた。
巨大なコンピュータの前に座り、一心不乱にキーボードを叩く少年。そうとう集中しているようで、男に気付く様子もない。
『まだやっていたのか』
男が声をかけると、ようやく気付いたらしい少年が、男のほうを振り返った。
『あ、おかえり。早かったじゃん』
早かった、といっても、それは普段と比較してのことで、時刻はすでに真夜中を回っている。とはいえ、ここのところは毎日、明け方近くにならねば戻れず――いや、むしろ戻ってくることができれば幸運だった。何度、施設で夜を明かしただろう。
『ミロ。アルとヴェンは?』
着替えながら問うと、少年は奥の部屋へと続く扉を指差した。
『寝たよ。ヴェンは戻ってくるまで起きてるって頑張ってたけど』
その様子がありありと浮かんでくるようで、男は小さく笑みを溢す。
『それよりさ、見てよ。あとちょっとで完成なんだ』
少年に言われ、男はコンピュータのディスプレイを眺める。ディスプレイに映るのは、『HEAVEN』の文字。
『『HEAVEN』……』
『そう。俺たちみんなの『HEAVEN』ってわけ。俺って天才だけど、ネーミングセンスも最高じゃん』
自慢げに胸を張る少年。その柔らかい若草色の髪を、男はくしゃりと撫でる。
少年は稀代の天才だった。両親の才を、しっかりと受け継いでいるのだろう。
彼の両親は、男と同じ軍に所属していた。二人とも穏やかで、とても優しい性格で。ずいぶんよくしてもらったのを覚えている。彼らはその天才的な頭脳で、数々の兵器を開発し、勝利に貢献し続けた。
世が平和であったなら、心優しい二人の才は、もっと別のことに使われていたはずだ。人殺しのための道具を造らされることもなく、それが原因で命を奪われることもなかっただろう。
二人が殺されたことを知り、男は二人の忘れ形見である少年を引き取ったのだ。
『よかったよ、なんとか間に合いそうで。アルが元気なうちに完成させなきゃ、意味ないからね』
『ミロ……』
少年は悪戯っぽい笑顔を見せ、両手を男に差し出した。
『……なんだ、その手は』
『なにって、決まってるじゃん。俺、頑張ったんだし、ご褒美』
『有償なのか?』
眉を寄せる男に、少年は当然とばかりに頷いた。
『当たり前じゃん。あ、けど無理か。薄給だし』
『余計なお世話だ』
男はあることに気付いたように、懐を探る。
『ご褒美……これでいいか?』
そう言って、男が取り出したのは小さなチョコレート。両手にいっぱいのご褒美、というわけにはいかなかったが、甘い菓子など、今では滅多に手に入らない。
『うわぁ……』
年の割にはしっかりとし、大人びた少年も、大きな金色の瞳を輝かせている。その嬉しそうな顔は、常に仏頂面と称される男の顔をも綻ばせる。
『けど、いいや』
少年は、一度は受け取った包みを男へ押し返す。
『どうしてだ?』
『ヴェンとアルにあげなよ。二人とも甘いの好きだし、まだ小さいんだし。俺は、もう大きいからいいんだ』
『……優しいな、お前は』
男は少年の手にチョコレートの包みを乗せ、そのまま、その小さな手を包み込む。
『これはお前のものだ。私に希望をくれた、お前に……』
屈んで少年と目線をあわせ、男は微笑んでみせる。
『今は、これしかないが……近いうちに、必ず平和を取り戻して……両手にいっぱいの菓子を持って帰ってくる』
『約束だからね』
『ああ……約束だ』
チョコレートを頬張って、少年は悪戯っぽく笑う。
『じゃあ、指きり』
『よし』
なにもなかったけれど、幸せだったあの頃。永き歳月を経た今も、男と少年の心に残る、甘い甘い、たった一枚のチョコレート。