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第74話 穢れなき白翼-2-

 家の裏手にあるリーシェンの工房に向かい、レヒトとミオは並んで歩いていた。昼食の支度ができたため、彼を呼びに行く途中なのだ。

 リーシェンは毎日、この工房へ足を運ぶ。しかし、決して剣を打とうとはしなかった。もう打たないのかとレヒトが尋ねると、もう捧げる相手がいない、と酒を呷りながら呟いた。

 それでも、彼は毎日ここへやってくる。

 レヒトが名もなき小島で暮らし始めてから、すでに数日が経過していた。生きる気力をなくしたレヒトを、ミオはずっと家に置き、世話をしてくれている。

「……ありがとう、ミオちゃん。迷惑だろうに、ずっと置いてもらっていて」

「いいんですよ、そんなこと。お心が落ち着くまで……好きなだけいてくださって構いませんから。気にしないでくださいね」

 そう言って、ミオはふわりと微笑む。ミオの優しさが、レヒトにとっての救いとなっていた。

「なにか、不自由な思いなどされていませんか?」

「……大丈夫だよ。村の人もよくしてくれるから……」

 大陸との交流を絶たれている割には、村人はよそ者であるレヒトに対して好意的だった。尤も、それは家族も仲間も帰る場所すら失い、独り流されてきたことへの同情からくるものだったのかもしれないが。

 この島で生活するうち、レヒトには幾つか気になることができていた。

 リーシェンとミオに対する村人の態度が、どこかよそよそしい。冷たい、というよりは、なにかを恐れている、とでも表現したほうがいいだろうか。二人も、自らに向けられるそれに気付いているのだろう。しかし、二人はなにも言わない。気付かない振りをして、普通に接している。なまじ村人がよそ者である自分に対して好意的であったがために、レヒトは余計に気になっていたのだ。

 そして、なぜ天界人であるリーシェンが、名もなき小島にいるのかも。

「いないみたいですね、リーシェン」

 ミオの言葉で、レヒトはふと我に返る。もうひとつ、レヒトが気になったのが、これなのだが。

「もう……」

 腰に手を当て、ミオは眉根を寄せた。

 ミオの視線の先――主が不在の工房には、空になった酒瓶がごろごろ転がっている。

 レヒトが目覚め、二人の家に厄介になり始めた時にはすでにそうだったのだが、毎晩、リーシェンは浴びるように酒を飲み、死んだように眠る。彼は、特別酒に強い体質というわけでもないらしい。酷い酔いに苦しみながらも、それでも彼は酒をやめようとはしない。

「酔っぱらったままでどこに行ったのかしら……もう、本当に世話が焼けるんだから」

 ミオは小さく息を吐くと、レヒトのほうを振り返る。

「私、少し探しに行ってきますね。あれでも私の父親ですから、放っておくわけにもいきませんし」

 そう言ったミオも、決して嫌そうではなく。世話の焼ける父親を、彼女が大切に想っていることがわかる。

 リーシェンが飲む酒を用意し、運ぶのはミオの役目なのだが、その中身が途中から――リーシェンに酔いが回ったあたりからすり替わっていることをレヒトは知っている。彼女は酒に溺れる父親を心配して、中身をすり替えているのだろう。

 飲むな、と言わないのも彼女の優しさだ。父親が酒に溺れる理由を、彼女は知っているから。

「すみません、レヒト殿。先に戻っていて頂けますか?」

「いや、俺も行くよ。ミオちゃんとリーシェンさんには世話になってるし……俺も、なにか手伝いたいんだ。それにもしリーシェンさんが酔って寝ていたら、ミオちゃん一人じゃ運べないだろう?」

 レヒトの言葉に、ミオは苦笑した。酒に強いとはいえない父親が、酔うとどうなるかを知っているからだろう。

「そうですね……じゃあ、お願いします」

「よし、行こうか」

 ミオには、父親の居場所はだいたい見当がつくようで、工房を出るとまっすぐに歩き始める。

 二人の住む家は、村からは離れた場所にある。工房の音がうるさいからとミオは言っていたが、レヒトにはそれだけが理由だとは思えなかった。

 工房から消えたリーシェンの姿を見つけたのは、さして歩かぬうちだった。

 島の北側に広がる砂浜に立ち、愛用の煙管キセルくゆらせて、彼はぼんやりと彼方へ視線をやっていた。おそらく、ここからでは見ることのできない、遠い天界の地を想って。

「……戻りましょう、レヒト殿」

 彼の後ろ姿を見つめたまま、ミオが小さく言葉を発した。

「あぁ……」

 どちらともなくきびすを返し、言葉もなく、もと来た道を戻り始める。

「……亡くなられた方は、辛かったのでしょうね」

 歩きながら、ミオがぽつりと呟いた。

「けれど……残された人は、もっと辛いのでしょうね。その哀しみを胸に抱いて……それでも、生きていかなければならないのだから……」

 ミオの言葉は、レヒトの心に深く響いた。




「レヒト殿。少しよろしいですか?」

 ミオがそう声をかけてきたのは、ちょうどレヒトが昼食の片付けを終えた時だった。リーシェンは、まだ戻っていない。

「なんだい、ミオちゃん。改まって」

「……レヒト殿に、会って頂きたい方がいるんです」

「俺に、会って欲しい人?」

 ミオは小さく頷く。

「私のお仕えする方……隠者様に、お会いして頂けませんか?」

 隠者――その名は、ミオから聞いたことがあった。永きに渡って名もなき小島に住まい、ミオが仕えている人だという話だった。村をのぞいてもそれらしい人は見付けられず、レヒトもずっと気になっていたのだが。

「すみません、突然に。貴方の悲しみを知ってしまったから……なかなか、言い出せなくて。けれど、やっぱり……貴方のいるべき場所は……ここではないと思ったから……」

「……迷惑、だったかな」

「いいえ。そうではないんです。今まで、ずっと黙っていましたけれど……」

 しばしの沈黙。ミオはまっすぐにレヒトを見据えて言葉を続けた。

「私には、わかるんです。貴方のことが、貴方以上に」

 レヒトに向けられる澄んだ眼差し。不思議な色を湛える、吸い込まれそうに深い紫の双眸。

 いつか聞いた村人の言葉を、レヒトは思い出していた。ミオ様に嘘は吐けない。ミオ様はすべてを見通す眼をお持ちだ――と。

「貴方は、こんな小さな島にいるべき人ではありません。貴方は世界に必要な人。危機に陥ったヘヴンを救える、唯一の人だから……」

「ミオちゃん……君は……」

「……行きましょう、レヒト殿。そこで、すべてをお話します」

 ミオはなにも答えることなく、ただ静かに微笑んだ。




 地図にも載らないという名もなき小島は、本当に小さな島だ。数時間もあれば、島を一周できてしまうだろう。

 島の中央に鎮座する大きな山。その山の麓に造られた小さな村が、名もなき小島で唯一の集落。島の北側には砂浜が広がっており、南側は絶壁になっている。

 ミオに案内され、レヒトが辿り着いたこの島は、名もなき小島よりもさらに小さかった。島の中央にある小さな建物を除けば、他に目に入るものは青々と茂る草樹だけである。

 名もなき小島と北西に存在するこの小さな島は、浅瀬で繋がっているために歩いて行き来することができる。しかし、それは昼の間だけ。夜になると浅瀬は沈んでしまうので、この島へ渡ることはできなくなるらしい。

「失礼します、隠者様。ミオです」

 建物の前に立ったミオが声をかけると、中で気配が動く。

 ややあって、中から顔を覗かせたのは一人の青年だった。柔らかそうな若草色の髪、大きな瞳に低い鼻。童顔で、特別整った顔立ちというわけではない。

「ミオ、よく来たのぅ」

 まるで老人のような口調でそう言って、青年は嬉しそうに笑った。

「このような辺鄙へんぴなところまで来るのは、おぬしかあの大馬鹿者くらいなものよ。まあ、入るとよい」

 二人を招き入れると、青年はどっこらしょ、と声をあげながら敷物を敷いた床に座った。ミオは靴を脱いであがり、青年の向かいに膝を折って座る。レヒトも同じようにしてミオの隣に座った。

 小さな建物の中は、レヒトの知る住宅のイメージからはかけ離れていた。壁や床、そして天井まで、そのすべてが黒っぽい木で造られており、どこか温もりを感じさせる。なにに使うのかはまるでわからなかったが、青年とミオ、レヒトが向かいあって座る間の床、その一部が四角く切られ、中には灰が敷き詰められていた。

「隠者様、この方がお話していたレヒト殿です」

 レヒトは青年に軽く頭をさげた。

「おぬしがそうであったのか。このような生活を送っておるゆえに、わしは隠者と呼ばれておるよ」

「俺はレヒトといいます」

「レヒトか……よい名だのぅ」

 飄々とした青年だが、金色の瞳は、まるで底知れぬ深い海。普通の人間には、ありえないその瞳。深く鋭く、それでいて濁りがない。彼の瞳は、どこか『大いなる意思』に近いものがある。だが、この青年の場合、その瞳に宿る輝きは、『大いなる意思』のような冷たさではなく、すべてを包むような穏やかさ。

「わしの名は、ミロスラーフという」

 レヒトは一瞬、言葉に詰まった。

「ミロスラーフ様……!? あ、貴方が……!」

 驚愕するレヒトに、ミロスラーフと名乗った青年は顎に手をあてて幾度か頷く。

「ふむふむ、やはり知っておったか。そうじゃよ、わしがミロスラーフ。三闘神、と呼ばれることもあるのぅ」

 悪戯っぽくそう言って、隠者と呼ばれし青年――三闘神ミロスラーフは、少年のように人懐っこい笑みを見せた。

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