第69話 崩壊への道標-2-
さすがに力を使い果たし、『大いなる意思』と快、シャウトの三人がかりで作り上げていた防御壁が消滅する。
それを見て、レイヴンはきょときょとと瞬きを繰り返す。
「あ、あれ? なんで? あれ、あれ?」
いつもと変わらぬその様子に、快とシャウトは安堵の息を吐いた。
「もとに……戻ったってわけか」
「……今度ばっかりは、本気で死ぬかと思ったけどね……」
呟き、二人はその場に座り込む。レイヴンは驚いたように目を見開いた。
「どうしたの?」
「なにも……覚えて、ないのか?」
レヒトがそう問いかけると、レイヴンは小さく頷いた。
「うん……。けど、怖かった。あのね、暗くて冷たいところにね、レイヴンだけ一人ぼっちなの。レヒトも、快も、シャウトも……ガルもいなくて」
レイヴンの大きな瞳が、不安げに揺れる。
「……死ぬって、ああいう感じなのかな」
「レイヴン……」
「それに……みんな傷だらけだよ? ……レイヴンのせい?」
泣きそうな声で問われ、レヒトは返答に詰まった。
話すべきなのか。レイヴンの身に起きたことを。
『CHILD』について『大いなる意思』が語った言葉を、そのまま鵜呑みにするつもりはなかった。しかし――あの変貌、そしてなにより、あの圧倒的な力。彼の言葉は、真実なのだろうとも思う。
二人も困ったようで、その眼差しをレヒトに向けている。
「……いい。いいんだ、レイヴン。なんでもない」
しばし考えた後、レヒトは静かに首を振った。
教える必要は、ないだろう。この無邪気な子供には、現実は少しばかり残酷過ぎるから。
「大丈夫だ。レイヴンは一人じゃない。俺たちがいるから……」
レヒトは、ゆっくりと両手を広げる。レイヴンに向かって。
「……レヒト?」
「戻って、おいで」
レヒトの意図を掴めなかったのか、首を傾げるレイヴンに、微笑み、そう言葉をかけてやれば。
ようやく、その幼い顔に笑顔が戻る。
「……うんッ!」
答えて、彼のもとへと駆け寄ろうとしたレイヴンの身体を――一条の光が貫いた。
誰もが一瞬、状況を理解できずに言葉を失った。
「え……?」
純白の法衣が深紅に変わり、流れ落ちる鮮血が床を叩く。
自分の腹に開いた大穴と、光の飛来した方向――『大いなる意思』の顔とを、レイヴンはしばし、呆けたように交互に見つめて。
「……ぁ……」
力尽きたのか、膝を折ったその身体を――『大いなる意思』が抱き止めた。
「……怨むなら、怨め。私はそれを甘んじて受けよう……」
そう囁いた『大いなる意思』に、レイヴンは焦点のあわぬ瞳を向けて。
「…… … ……」
レイヴンの唇が微かに震え、小さな言葉を紡ぎ出す。
その言葉を聞き取ることができたのは、『大いなる意思』だけだっただろう。返すように囁かれた言葉を聞き取れたのも、おそらくレイヴンだけ。
彼の言葉に微笑むと――驚愕に目を見開き、動けないレヒトへ。レイヴンはゆっくりと顔を向けた。
「……レ、ヒト……」
痛いだろうに、苦しいだろうに。それでも、レイヴンはもう一度微笑んで見せた。
「レイヴン……!」
レヒトはレイヴンに向けて手を伸ばした。決して、届くはずなどないのに。
(……いくな、レイヴン……いっては、だめだ……)
同じように、力をなくして震える腕を持ち上げて。レイヴンもレヒトのほうへと腕を伸ばした。
それは、ほんの一瞬だったのかもしれない。永遠にも近しい時間だったのかもしれない。
その身体が、完全に力を失い――華奢な腕は、届くことなく床に落ちた。
「『大いなる意思』――っ!」
殺意すらをも滲ませた、レヒトの絶叫が空を裂く。
「レイヴンを放せ! 放せぇっ!」
「……無茶すんな、レヒト」
今にも飛びかからんばかりのレヒトの肩を掴んで制し、シャウトは『大いなる意思』へと視線を移す。
『大いなる意思』は抱えていたレイヴンを床に寝かせると、羽織っていたマントを外し――その身体に投げかける。
左手には、あの白銀のレイピアが握られていた。
「お前は、消しておかねばならん。……お前だけは」
レヒトが言葉を返すよりも早く、シャウトのほうが問いかける。
「あんたに聞きたいことがある。教授――『CHILD』がなんなのかってことは、ひとまず置いておくとして、だ」
そこで一度言葉を切り、静かに眠っているようにも見えるレイヴンに目をやって。
再び『大いなる意思』へと視線を戻し、シャウトは言葉を続けた。
「どうしてそこまでしてレヒトを狙う。あんたとレヒトに……なんの関係がある」
『大いなる意思』は、しばし思案するように沈黙し――やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……お前たちには、どう見える」
「どう見える、って……」
唐突な問いかけ。快とシャウトは思わず顔を見合わせた。
「……人間に、見えるか?」
二人は答えなかった。
言葉には出さずとも、薄々感付いていたのだろう。
レヒトは、人間ではない。人間では、ありえない。
『大いなる意思』は、二人からレヒトへと視線を移した。
「それは私の迷い。私の心が生み出したもの……いわば、私の半身だ」
「嘘よ……レヒトはそんなこと、一言も……。記憶が……ないって……」
震える声で呟いた快に、『大いなる意思』は瞳を向ける。
「言葉に偽りはない。私たちは、お互いの存在を忘れていたのだから。あの夢を、見るまでは」
その言葉に、快とシャウトが息を飲んだ。
二人は知っている。レヒトが不思議な夢を見ることを。
「私はお前の記憶を見た。お前も見ているはずだ。私の記憶を……」
レヒトの見る不思議な夢。あれは『大いなる意思』の記憶だという。そして『大いなる意思』も、レヒトの記憶を夢に見たという。
レイヴンが言っていた。肉体的、精神的になんらかの繋がりがある場合、不思議な夢を見ることがあると。
認めたくはない。それを認めてしまえば――。
「そんな……そんなこと……!」
『大いなる意思』とレヒトが、同一の存在だというのなら。
「それじゃあ……レイヴンを……」
声が震えることを、レヒトは抑えることができなかった。
「レイヴンを殺したのは、俺だって言うのか!」
「そうだ」
あっさりと。『大いなる意思』はレヒトの言葉を肯定した。
「私であり――お前だ」
それは、レヒトを絶望の底に叩き落とすには、じゅうぶん過ぎる言葉だった。
「……そうかい」
俯き、肩を震わせるレヒトを見て――シャウトはぽつりと呟いた。
「……話は、だいたいわかった。レヒトの正体がなんであれ……俺様がやることに変わりはねぇってこともな」
いつもと変わらぬ軽い口調。その瞳には、強い光を滾らせて。
「そうだね。……気になることはいっぱいあるけど……そんなこと、今はどうでもいいや」
少々覚束ない足取りで、快もゆっくりと立ち上がる。
「レヒトには手を出させない。どうしてもってんなら、先に俺様たちを倒してからにしな」
今の『大いなる意思』は、力を削がれて弱体化している。しかし、それは二人も同じこと。『CHILD』との戦闘で、二人は持てる力のほとんどを使い果たしているだろう。
――勝敗など、戦う前から決しているというのに。
シャウトに戦斧を向けられ、『大いなる意思』は静かに目を閉じた。
今まで、なぜか『大いなる意思』は、快とシャウトを傷付けようとはしなかった。『CHILD』の攻撃を防いだのも、あれは自分の身ではなく、二人を守るためだったのではないだろうか。レヒトを倒そうとした際には、二人を守ってやれ、とまで言っている。
しかし、もしも彼の邪魔をしようとするのならば。おそらく『大いなる意思』は、障害となる二人を倒すことを躊躇わないだろう。
「……退け。お前たちでは、私は止められん」
それが、おそらく最後の忠告。二人も、わかっているはずだ。
それでも、二人は動こうとはしなかった。
「……そうか」
『大いなる意思』が、静かに言葉を紡ぐ。
「そこまでの覚悟があるのならば、なにも言うまい」
そう言って。彼は一歩、前に出る。
二人は動かない。
自分よりも圧倒的に強い者と対峙すれば、その理由が理解できるだろう。
下手に動けば、命を縮める。
「許せ、などと言うつもりはない。誹りも、蔑みも、そのすべてを受けよう」
息をするのも苦しいほどに張り詰めた空気の中、快とシャウト、そして『大いなる意思』とが対峙する。
「私には為すべきことがある。愛する者のために……邪魔はさせない!」
『大いなる意思』が空を薙ぐ。
生み出された衝撃波は、しかし障壁によって弾かれ、周囲に余波を撒き散らすのみ。
それを見て、『大いなる意思』は片眉を器用に跳ね上げた。
「……おいおい、俺の留守中にずいぶんと派手なことしてくれたじゃねぇか。修理代は高ぇぞ」
まるで伝承歌の英雄のように。三闘神の姿を刻んだ大扉から、見る影もなくなった謁見の間へと足を踏み入れたのは、誰もが羨む美貌と、自身の身長よりも長く伸ばされた金糸の髪、不敵に輝く蒼穹色の瞳の若い男。
この城の主にして、ヘヴンの象徴とも讃えられる――英雄、レイ=クリスティーヌ。