表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/112

第67話 罅割れたセイクリッド・ティア

 飛び散った鮮血が、真白い頬に紅い筋を残す。開かれた瞳に映し出されたのは、血に染まった、銀色の煌めきを放つ大剣だった。

「えっ……?」

 一瞬、なにがどうなったのかわからずに、レイヴンは小さく声をあげていた。

 恐怖に眼を閉じたレイヴンには、『大いなる意思』がレイピアを振りあげたその瞬間、なにが起こったのかはわからなかった。だが、風を斬る微かな音と、なにかがぶつかるような鈍い音に、恐る恐るその目を開き――飛び込んできた光景がそれだった。

 『大いなる意思』は、レイヴンが瞳を閉じる前とまったく同じ格好で、レイヴンの目の前に立っていた。

 ただひとつ違うのは、その胸から生えた一振りの大剣。

 薄紫を基調とした服に、真紅の染みが広がってゆく。『大いなる意思』は表情ひとつ変えぬまま、血に染まった刀身を眺めていた。

 ――自らの胸を貫く、レヒトのセイクリッド・ティアを。

「……」

 懇親こんしんの力を籠め、体当たりをかけるように突き出された剣は、深々と『大いなる意思』の胸に潜り込んでいた。剣の切っ先から、ぽたりと鮮血が滴り落ちる。

 沈黙が支配する中に響く、獣を思わせる低く荒い息遣い。

「……レイヴンに……触るな……」

 レヒトが、呟く。その瞳に、獰猛な肉食獣のように、鋭い光を滾らせて。

 『大いなる意思』の胸を貫いていたセイクリッド・ティアを、レヒトは後ろに飛ぶ形で一気に引き抜いた。

 ずるり、という嫌な音と、床を叩く血の音とが、静寂に包まれた謁見の間に響き渡る。

 自らの胸を貫いていた剣を引き抜かれ、支えを失った『大いなる意思』の身体は、ふっと揺らめき――。

 それだけだった。

 彼は、ただ振り返っただけなのだ。レヒトのほうを。

「なっ……」

 驚愕に声をあげたのはレヒトか、はたまた後ろの二人だろうか。

 レヒトのセイクリッド・ティアに貫かれた胸の傷は、『大いなる意思』が振り返るまでの一瞬の間に、傷跡さえ残さず癒えていた。

「今の一撃は……驚いたぞ。まさかお前に、それほどの力があるとはな」

「……レイヴンには、指一本触れさせない。俺が守る!」

 一度は引いた剣を、レヒトは再び構え直し、床を蹴り、一気にその間合いを詰める。

 剣と剣とがぶつかりあう甲高い音が響き渡り、絡みあうふたつの刃が、文字通り火花を散らした。やむことのない剣撃の響きが、その激しさを物語る。

 矢継ぎ早に繰り出されるレヒトの斬撃を、『大いなる意思』は片手のレイピアでなんなく受け流す。

 シャウトほどではないにしろ、レヒトの一撃にもじゅうぶんの重さと力が乗っている。それを、『大いなる意思』はその場に立ち止まったまま、片手で捌いているのだ。

 自分からは、仕掛けてすらいない。

 まるで、遊んでいるかのように。

「くそっ……どうして……!」

「……太刀筋が読まれているのか、だろう? その答えはわかっているはずだ」

 震える声で呟いたレヒトに、『大いなる意思』は面白くもなさそうに言葉を返した。

「くっ……おぉぉおっ!」

 烈帛れっぱくの気合いとともに剣を振り降ろすレヒト。それは、内心の動揺を隠すためのものだったのかもしれない。

「……そろそろ終わりにしようか」

 一方的なレヒトの攻撃を捌き続けていた『大いなる意思』が、そのとき初めて攻撃に転じた。

 その表現は、ある意味では間違っている。彼は掴み取っただけなのだ。

 レヒトの振り降ろしたセイクリッド・ティアを、空いた右の掌で。

「!」

 先ほど、『大いなる意思』の身を切り裂いたはずの刃は、彼の手によって――素手で、軽々と掴まれていた。

「……いかに剣が優れていようと」

 『大いなる意思』の唇が、静かに言葉を紡ぐ。

「使い手がお前では、私には届かない……」

 剣を握るその手に、わずかに力を籠めたようにも見えた。

 その瞬間だった。

 ぱきん――小さな音を立て、セイクリッド・ティアに無数の亀裂が走った。

「お前では、決して……」

 掴まれていた部分から走る亀裂は、今や全体に広がっている。

「……私には、届かない」

 掴んでいたセイクリッド・ティアから手を離し、空いた右手で虚空を薙ぐ。

 軽い右手の一振りで、生み出された衝撃波。

 周囲の壁に亀裂が走り、かなりの高さがある天井からは、ぱらぱらと欠片が剥がれ落ちた。

「……ッ!」

 レイヴンは声にならない悲鳴をあげていた。駆け寄りたいのに、膝が震えて立ち上がることさえできない。

 放った衝撃波の反対側――『大いなる意思』の背後にいたレイヴンはなんの被害も受けなかったが、前方にいた三人――至近距離でその一撃を浴びることになったレヒトは、まず間違いなく無傷では済まない。

 壁にすら亀裂を入れるような破壊力である。人間の身体で、それに耐えられるはずがない。

 最悪の事態が脳裏をよぎり、レイヴンの瞳を絶望の色が染めあげ――。

「ルュゥォォォォオン!」

「焔よ、踊れ!」

 左右から挟み込むように、眩い光と紅蓮の業火とが、『大いなる意思』に襲いかかった。ようやく金縛り状態から脱した二人が、左右へと回り込んで攻撃を仕掛けたのだ。

 シャウトの放った竜の吐息と、快の生み出した焔とが、その身体をまともに直撃するが――。

「……児技じぎだな」

 それが、『大いなる意思』の返した反応だった。

「ちぃっ!」

 追撃をかけたシャウトが横薙ぎに戦斧を振るうが、『大いなる意思』はあっさりと身をかわす。二度、三度と繰り出されるシャウトの攻撃は、左手に握られた白銀のレイピアによって防がれた。

「焔よ、踊れ!」

 シャウトと剣をあわせ、動きのとれない『大いなる意思』めがけ、再び快の手に宿った、紅蓮の焔が降り注ぐ。

「……何度やっても無駄だ」

 迫り来る焔に向け、『大いなる意思』が右手を掲げ――。

「爆ぜよ!」

 快の言葉とともに焔が弾け、幾筋もの螺旋を描く。焔は『大いなる意思』の周囲の床に突き刺さって爆発し、細かい破片を舞いあげた。

「!」

 虚を突かれ、一瞬『大いなる意思』はその動きをとめる。

「恨むなよ!」

 そこを狙い、袈裟懸けに振りおろされたシャウトの戦斧。いかに並外れた反射神経を誇ろうと、これはかわせる間合いではない――が。

 風の唸りさえも伴い、吹き飛ばされたのはシャウトのほうだった。大きく体勢を崩しながらも、シャウトはなんとか足から着地する。

 しかし、彼は着地と同時に床に膝を付いた。

「なっ……!?」

 その足元にうっすらと浮かびあがる魔法陣。それが、彼を戒めているのだ。

 『大いなる意思』ではない。正面の大扉から現れた、茶色い髪の美しい女性――ティークウェルの街で出会ったシルディール。

 近付いてくるシルディールを見上げ、シャウトは呟く。

「おいおい……女とやりあうのは……俺様の趣味じゃねぇっつのに……」

 シャウトの言葉に、シルディールはおっとりと微笑んだ。

「ご安心ください。私が貴方の動きを封じるだけ。やりあうことにはなりませんわ」

 爆発による目くらましと同時に、レヒトのほうへと駆け寄ろうとしていた快も、シャウト同様、その動きを戒められていた。忽然と彼女の背後に現れた、一人の男によって。

 金髪に褐色の肌、琥珀色の瞳――かつて、真魔界で対峙した、名前も知らぬあの男。

「……おとなしくしていろ」

 背後から抱きすくめるように快を拘束する男が、囁く。その声に――快の瞳が揺らいだ。

「私の邪魔はしないでもらおう。『CHILD』を滅ぼす……誰にも、邪魔はさせない」

 『大いなる意思』が、首だけを動かして、横目でレイヴンに視線を向けた。

 ぞくり、とレイヴンの背筋を冷たいものが伝う。

「くそっ! 教授に手ぇ出すんじゃねぇ!」

「逃げて、レイヴン!」

 レイヴンの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。

「快……シャウト……! ごめんね……ごめんね……!」

 自分には、なんの力もない。大切な人を、守るだけの力すらない。

 ――力が欲しい――

 力があれば、快も、シャウトも、レヒトも――そしてガルヴァも、守れたかもしれないのに。

 大切な人が傷付き倒れてゆくのを、救うことができたかもしれないのに。

 ――なにもできずに、ただ震えているだけなんて――

「力が……欲しいよぉ……ッ!」

 血を吐くような悲痛な声に、低い呻き声が重なった。

「……まだ生きていたか」

 『大いなる意思』が発した言葉に、レイヴンは顔をあげた。

 その言葉が差す人物――レヒトが、ゆっくりと立ち上がる。

「……死なせは、しない」

 罅割れた聖剣を、両手にたずさえ。

「俺の仲間を……傷付けさせは、しない」

 剣と同じように、無数の傷を負った身体を引きずって。

「だめ……だめだよ、レヒト! レイヴンを連れて逃げて! 早く!」

「逃げるんだ、レヒト!」

 快とシャウト、二人が叫ぶ。

 しかし、レヒトは歩みをとめない。

「……その者たちを守ってやれ」

 シルディールと、琥珀の瞳の男に、『大いなる意思』がそう命じる。

「……私は、もう迷わぬと決めたのだ……」

 小さく呟き、『大いなる意思』は左手を、進み来るレヒトへと向けた。

「お前はもう必要ない。消えろ、我が弱き心よ!」

 レヒトに向けられた『大いなる意思』の左手に、輝く光が集う。

「やめて……もう、やめて……!」

 震える声は、なんとか意味ある言葉になった。

「レイヴンが狙いなんでしょう!? じゃあみんなは傷付けないでよ……!」

 溢れ落ちた温かな滴が、床に落ちて砕ける。

「……お願い……だから……!」

 ――なんて、無力なんだろう――

「ぐすっ……助け、られない……」

 ――大切な人を、守ることすらできないなんて――傷付けてしまうなんて――

「……ふぇっ……ごめん、なさい……」

 ――もっと、力が――大切な人を、守れるだけの力があったなら――

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 ――誰も、傷付けずにすんだかもしれない――

「レイヴンのせいで……!」

 ――傷付けてしまって、ごめんなさい――

 泣き叫ぶレイヴンの周囲に、黒い闇が生まれた。

 決して救われることのない、冷たく、哀しい、光なき闇が。

 『大いなる意思』が放った光は、レヒトの身を貫く寸前で、彼の周囲に生まれた闇に飲まれて消滅した。

「なんだとっ!?」

 今度ばかりは、その顔に驚愕の色を滲ませた『大いなる意思』が、レイヴンのほうを振り返り――。

「うわぁぁぁぁッ!」

 レイヴンの意識が、爆ぜた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ