第65話 愛しき貴女に花束を-3-
「雷よ、射て!」
「プチポァルス!」
レヒトが行動を起こすよりも早く、横手から現れた快とレイヴン、二人の魔法の十字砲火に、魔物はあっさりと打ち倒される。
「レヒト、大丈夫!?」
スタッフの先端に光を宿したレイヴンが近付いてくる。
「ああ、俺は大丈夫だ」
そう答え、レヒトはあの少年がいた民家の屋根へとさりげなく視線をやる。だが、少年の姿はすでになくなっていた。
(……片翼? ……まさか、な……)
快がレヒトの側に倒れている青年を抱き起こした。幸いにも、まだ息がある。
「快、その人の治癒を……頼む」
「わかってる。でも……」
快が躊躇う気持ちはわかる。
それが直接の原因かどうかはわからないとはいえ、レイヴンの容態が悪化したのは、彼女が治癒魔法を使った直後だったのだ。そのことが、快を迷わせているのだろう。
しかし迷っている暇はない。青年の呼吸は、徐々に弱くなっている。
「快、その人のこと助けてあげて? 助けてあげられるのは、快の治癒魔法だけだから……」
「レイヴン……」
躊躇う快に小さくかけられた、レイヴンの声。レイヴンは、おそらく自分の身に起きたことを知らないのだろう。
だが、そのレイヴンの言葉は、他のなにより快の心に強く響いたはずだ。
「わかった。任せて、絶対に助けてみせるから」
そう言い、邪魔な青年の兜を外し、ただれた顔の右側に手をかざす。
青年の真っ赤な髪が、血の気が引いた顔を彩っていた。
彼を快に任せたレヒトは、先ほど桃色の髪の少年が倒したワイバーンのほうへ歩み寄る。そのすぐ傍に見える、栗色の髪の女性――。
「……ジーナさん」
屈み込み、うつ伏せに倒れたジーナの身体を抱き起こす。確かめるまでもなく、その命はない。背中を、ばっさりとやられている。
見開かれた夕焼け色の双眸を指で閉じ、その両腕を胸で組ませる。
(助けられなかった……)
レヒトは立ち上がり、拳を握り締めた。抑えていたつもりだったが、震えていたのだろうか。その背に、レイヴンの声がかかる。
「……どしたの?」
「いや……なんでもない」
振り返り、そう答えたレヒトのすぐ真後ろで、複数の強い殺気が弾けた。
いつの間にか、闇より現れた数匹のブロウ・デーモン。
治癒魔法を使い、動きのとれない快を守るように、彼女の前へと飛ぶ。レヒトは槍を構え、レイヴンがスタッフを振り上げ――。
「ルュゥォォォォオン!」
人間には決して発することのできない声とともに、上空から光の刃が降り注ぎ、現れたブロウ・デーモンを灰に変える。
その背に翼を生やしたシャウトが、上空からブロウ・デーモンの群れに竜の吐息をかましたのだ。
「ほらよ、レヒト! 忘れもんだ!」
投げ落とされたセイクリッド・ティアを受けとめ、レヒトは上空のシャウトに向かい声を張り上げた。
「魔物は!?」
シャウトがぐるりと周囲を見渡し、大きく首を横に振った。かなり面白くない状況だということだろう。
「それでもやるしかない。くそっ……こうなったら自棄だ! 片っ端から蹴散らす! レイヴン、快を頼むぞ!」
そう言って、レヒトはセイクリッド・ティアを抜き放った。
「よし! 捕まれ、レヒト!」
降下したシャウトが伸ばしたその手を掴む。パニックを起こし、走り回る人々の間を抜けながら魔物を探すのは、得策でない。
シャウトはそのまま高度をあげ、魔物に蹂躙される街を飛翔する。次々にあがる火の手。街の至るところで傭兵や警備兵などが、数人固まってブロウ・デーモンと対峙している姿が見て取れる。どうやら彼らも善戦しているようだ。
レヒトほど腕が立つ者や、または快のように魔法が使える者にとっては、ブロウ・デーモンなどは大した敵にならないが、一般的な兵士や傭兵などにしてみれば、決して楽に打ち倒せる相手ではない。それも、街の中に入り込んでいる数は、十や二十といった生易しいレベルのものではない。
ちょうど大通りの上空を飛んでいると、不意にシャウトが急降下した。そのすぐ上を、空の覇者の爪が裂く。
「ちっ……なにが空の覇者だ。天空の支配者を……舐めるんじゃねぇっつの!」
吠え声とともに虚空に出現した光の刃が、瞬時にワイバーンを撃破した。
だがそこへ、別の一体が再び迫る。
街中へと向けられていたレヒトの視線があるものを捉えたのは、そんな時だった。
「シャウト、俺を降ろせ!」
「……気を付けろよ!」
突然の言葉だったが、シャウトは驚かなかった。ひょっとしたら、彼も同じことを考えていたのか。
レヒトを降ろし、シャウトは闇色の空へと舞いあがる。
いかに竜族といえど、多数のワイバーンを相手に、余裕の戦いなどできるわけがない。レヒトというおまけがついていればなおのこと。
自由に空を飛び回るワイバーンを相手にするには、魔法も使えず、遠距離戦に不向きなレヒトには、少しばかり荷が重い。シャウト曰く、天空の支配者たる竜族に任せたほうがいい――レヒトはそう判断したのだ。
そしてなにより――。
「そっちは任せる! 俺は先に行くぞ!」
シャウトに声をかけ、レヒトは走る。
レヒトが目指した場所は、街の中心部。最も人の多いその場所に見た、蠢く無数の黒い影――。
パニック状態の住人たちが、右往左往と滅茶苦茶に走り回っている。転んだ少女めがけて放たれた火炎弾を、レヒトのセイクリッド・ティアが切り裂き、吹き散らす。ブロウ・デーモンたちの意識が、その場に現れたレヒトに集中した。
「なんて数だ……!」
闇に浮かぶ魔物の姿に、レヒトは呻く。とにかくやるしかないと剣を構え――その時だった。
空から響いた高い鳴き声。同時に、風より速く舞い降りる、数羽の巨大な鳥の姿。その背から飛び降りた人影は、大地に降りる前に巨大な獣へと姿を変えた。
「あれは……!」
声に出したのは誰だったのだろう。
その場にいたブロウ・デーモンが、あるものは嘴に貫かれ、あるものは獣の爪に裂かれ――そしてまたあるものは、鳥たちが巻き起こした風の刃によって肉塊と化した。
大地に降り立った一羽を残し、鳥と獣たちは魔物が残る街中へと消えて行く。
人々が呆然と見つめる中、その一羽が人の形へと変化した。鎧に刻まれた、真魔界軍を示す刻印。
「到着が遅れ、申し訳ありませんでした。私は真魔界軍第八師団所属、ツヴァイ=ラターニアと申します」
淀みない口調でそう告げて、見た目には若いその男性は、レヒトに視線を向けた。見た目は若いとはいっても、彼は魔精霊である。外見と実際の年齢が一致するとは限らない。
「……天界最高責任者代理、レヒト様ですね?」
天界最高責任者、との言葉に、周囲がざわめいた。
「……そうですけど……貴方は?」
そう尋ねると、男性が苦笑してみせた。
「あはは、やっぱり覚えてませんか。以前、私は貴方にお会いしたことがあるんですよ。ほら、貴方がたが初めて真魔界にいらした際に」
「ああ、あの時に」
「思い出して頂けましたか。私どもの部隊が、ちょうどウェルネス領におりまして。足の速い者が先行し、こうして助けに参りました」
「そうだったんですか……」
真魔界が、小規模ながら魔界の各地に軍を派遣したという話は、シャウトから聞いていた。
「おーい、レヒト!」
そのシャウトが後を追い、やってきた。彼の背にある黄金色の翼に、脅える人は、いない。
「真魔界軍が助けに来てくれた」
レヒトがそう言うと、シャウトも頷く。
「加勢してもらったからな。それだけじゃねぇんだよ。聞いて驚け、レヒト。精霊人の義勇軍も到着した。中には姫みたいに、治癒魔法が使える人もいるらしいぞ」
「本当か!?」
あがった声は、レヒトのものではなかった。
「治癒……ってことは、傷を治せるのか!?」
血と泥で汚れた中年男性が、シャウトに掴みかからんばかりの勢いでそう問いかけた。彼が背負った少年は、酷い怪我を負っているようだった。
「ああ、治せる」
周囲の人々に広がった、安堵の表情。絶望の只中にいた人々に、その言葉は希望の光をもたらした。
――魔物を倒し終えた精霊人の義勇軍と、真魔界軍の兵士たちとがその場に姿を見せたのは、ちょうどそんな時だった。
街から少し離れた小高い丘の上に、その場所はあった。小さな石の墓標が並ぶ、街の共同墓地。この三日の間に、ずいぶん墓標が増えていた。
エンブレシアが魔物に襲われたあの夜から、数えて三日。
助太刀に現れた魔精霊と精霊人のおかげで、すべての魔物を討伐することができ、エンブレシアは滅びの危機を免れたのだった。
レヒト一行の姿は、まだエンブレシアにあった。
ウェルネス領主への報告などで忙しい日々を送っていたのだが、魔精霊と精霊人たちが事後処理と街の復興、警備などを一手に引き受けてくれたため、レヒトたちは今日、天界へと向けて旅立つことにしていた。
花束を手に、レヒトは墓地を歩く。目的の墓標は、この三日で新しく作られた女性のもの。その墓標の前で祈る人影を見付け、レヒトは立ち止まった。
顔の右側に残る酷い火傷の痕には包帯が巻かれ、真っ赤な髪が風になびいている。
青年は、レヒトには気付かず、ゆっくりとした足取りで去って行った。
彼が祈りを捧げていたその墓標には、たくさんの花束が供えられている。
誰が捧げたのかなど――考えるまでもない。
レヒトは墓標の前に膝を付き、手にした花束を手向けた。
「……俺の言った通りだったじゃないですか、ジーナさん。息子さんは、あんなにも貴女を愛してた」
風が、緑の丘を吹き抜ける。
「……どうか、安らかに」
他に言葉が見付からず、レヒトはそうとだけ呟いて。
エンブレシアの街へと戻るために、白い墓標の並ぶ丘を、ゆっくりと下り始めた。