第62話 幼賢者の教え
目を覚ましてから、どれほどの時が流れただろうか。寝台に寝転がったまま、二度、三度と寝返りを打ち――。
「……。寝られない」
仕方なしに、レヒトはもぞもぞと起き上がった。
正確な時刻はわからないが、おそらく真夜中を回ったあたりだろう。
(……また、あの妙な夢だ。それに片翼……昼間、あんな話をしてたからか?)
あの夢に決まって現れる、白髪の男。知らないはずなのに、なぜか懐かしさを感じる夢の記憶。
「……なんなんだ、あの夢は……」
「また夢見たの?」
胡坐をかき、腕を組んでうんうん唸っていたレヒトに、横手から声がかけられた。
「あぁ……って、レイ……!?」
レヒトが思わずあげかけた声を、声の主――レイヴンが、指を口許に当てて制する。
「しーっ。快とシャウトが起きちゃうよ」
はっとして、レヒトは大部屋の反対側――レヒトとレイヴンの向かい側の寝台で眠る二人に視線をやる。二人は熟睡しているようで、起きる気配はない。
まあ、シャウトはともかくとして、快が起きてくるとは思えない。彼女はこちらから起こさなければ、なにか事件でも起こらない限りは延々と寝続けるだろうから。
「悪い、起こしたか?」
「ううん。さっきから起きてたから。年甲斐もなくごろごろ転がってるレヒトが面白くってさ」
「……余計なお世話だ」
実際には、普通サイズの寝台に、大の男であるレヒトが転がれるだけの広さはないので、右を向いたり左を向いたりしていたというのが正しい。
連続でやっていれば、転がっているように見えなくもないか。
「いつから起きてたんだ?」
レイヴンは首を傾げた。
「んー……いつからかな。外はもう真っ暗だったよ。レイヴンが起きたときは快とシャウトがお酒飲んでて、それでしばらくして二人とも寝ちゃって……それでまたしばらくしてレヒトが起きたから」
「……いつまで飲んでたんだ、あの二人は」
真っ昼間から酒盛を始めた二人に付き合わされ、レヒトは半ば気絶するように眠りに落ちたことを思い出した。あれはまだ日が沈む前の出来事である。
旅を続けるためにレイから貰っている金貨のほとんどが、酒代に消えているのではないかとレヒトは一瞬考え、やめた。
世の中には知らないほうが幸せなことがたくさんあるのだ。
「レヒトの見る夢ってさ、どんな感じなの?」
前から聞こうと思ってたんだけど、と。側に置いてあった小さなランプに魔法で火をともしながら、レイヴンがそう問いかけた。
ランプの光が、部屋をほんのりと照らし出す。
「そう、だな……。夢の内容は……断片的なんだが……。俺の見る夢には、必ず白髪の男が現れる。白髪の男と……あっ」
あげかけた声を、レヒトは飲み込む。
「どしたの?」
「いや、なんでもない」
怪しい、と顔を覗き込んでくる。レヒトは笑って誤魔化した。
(そう、夢だ。あの女性――どこかで見たような気がしたが、あれは夢の中で見たからだ)
今から少し前、ティークウェルの街で盗賊団と対峙したレヒトたちを救った、謎の女性。彼女は、夢で見た女性によく似ていた。
もっともあの時あたりは暗かったし、女性の名前も聞かなかったので、他人の空似かもしれないかったが。
「むぅ……なんでもないならいいけど。じゃあね……今までに見たその夢、はっきり思い出せる?」
「ああ。全部……とは言わないが、大抵のことはな」
「そっかぁ……夢の内容なんて、普通は起きてすぐに忘れちゃうものなんだけどね」
レイヴンの眼がきらきらと輝いている。興味津々といった様子だ。
「夢っていうのはね、その人の精神状態を表すものなんだ。たとえば不安な時とか、緊張してる時なんかは、嫌な夢を見るし。幸せな時とか、嬉しい時には、いい夢を見る。けど、レヒトが見る夢は、それとは違うみたい」
「普通に見るような夢とは違うってことか……?」
腕を組み、考え込むように眉根を寄せる。
身体能力や反射神経などは、もはや人の領域を超えているレヒトだが、どうやら頭の中身は極めて普通であるようだ。
「んっとね。肉体的、精神的になんらかの関わりがある場合、不思議な夢を見ることがあるらしいの。たとえば同じ血をわけた双子が、片方の体験したことを夢に見たり。あるいは自らの遠い過去の記憶を、夢として思い出したり」
なにか思い当たることは、と聞いてくるレイヴンに、レヒトは首を横に振る。
「ま、そうだよね。これといって思い当たる節がないから、悩んでるんだし」
「そうだな」
レヒトは苦笑した。だが、頭の中はすっきりとしている。
明確な答えが得られずとも、一人で悩むよりは、誰かに聞いてもらったほうが楽になるのかもしれない。
「あの夢がなにを表すのかはまだわからないが……だいぶ楽になった。ありがとう、レイヴン。それと、もうひとつ聞いてもいいか?」
「なぁに?」
レイヴンは寝台に寝そべり、こてん、と転がった。小柄で華奢なレイヴンなら、寝台の端から端まで使えば、何回転かできるだろう。
「昼間、快とシャウトから聞いたことなんだけどな。――片翼って、知ってるか?」
一応、聞いてみる。知識の量は半端ないようだが、なにしろレイヴンは一般常識が欠落している。知らないかもしれないと思ったレヒトだが、レイヴンの返した答えは肯定だった。
「知ってる。そんなの常識だよ。知らないのなんてレヒトくらいじゃない?」
「うっ」
快だけでなく、レイヴンにまで常識知らずの烙印を押されたレヒト。なにか言い返してやりたいところだが、事実なので言い返せない。
「……聞きたいのはその片翼についてなんだ。レイ様は、どうして両方の翼を切らなかったんだ?」
「だって、両方切ったら魔界人と区別つかなくなっちゃうじゃん」
あまりにあっけない答えに、レヒトはぽかんと間の抜けた表情を浮かべた。
「……それだけ?」
「それだけ」
レイヴンは楽しげに笑った。
「嘘だよ。本当の理由はね、あの翼にあるんだ。天界人は、もともと魔法が使えない魔界人に、人工的に魔法を使えるよう改造を施した種族。あの翼自体が、魔法を使うために精霊の力を集め、行使する触媒の役割を果たしてるんだよ。翼を失うと、魔法そのものも使えなくなるんだ」
「翼の数が多いほど強い力を持つといわれるのはそのためか」
一対の翼しか持たぬ他の天界人と違い、三対六枚もの翼を持つ、天界最高責任者レイ=クリスティーヌ。ヘヴン最強の名を欲しいままにする彼の強さは、どれほどのものなのか。
「そうそう。天界人は肉体に特殊なエナジーを注入されててね。それによって無理やり精霊を感知させてるんだけど、あの翼はそれを制御する機能も持ってるんだ。レイヴンは実際に造ったことないから、これは想像でしかないんだけど……たぶん、両方の翼を切ったら、身体が耐えられずに死んじゃうんじゃないかな。だから両方は切らなかった。うぅん、切れなかったっていうべきかな。片側しかない場合は、精霊を感知する能力はあっても魔法は使えないだろうね。当然、空だって飛べないよ」
「快に聞いたんだが、片翼の流刑地は中央大陸から南東の海にある小島らしいな」
中央大陸の南東には小さな島がたくさん存在するが、いずれも無人島だと聞かされていた。というのも、あのあたりは幾つもの海流がぶつかる危険地帯で、船での航海は危険だからだ。あえて上陸を試みようとする者はいないのだろう。あるいは、いても辿り着けずに沈んだか。片翼の流刑地として選ばれたのも、それが理由だったのかもしれない。
「そうだよ。名もなき小島っていうんだ」
「……名もなき小島、か」
今、その小島に生きる人々は、四百年前に天界側として戦った者の末裔なのだろう。彼らが罪を犯したわけではないというのに。
夢で見た少年の痛々しい姿を思い出し、レヒトは小さく首を振った。
「どしたの?」
「いや、なんでもない。……ありがとな、レイヴン。なんとなくだが理解できた気がする」
「えへへ。なんかレヒトにお礼言われると変な感じ」
にこにこと満面の笑みを浮かべるレイヴン。その無邪気な笑顔に、レヒトの心は安らぐ。
レイヴンには、いつだって笑っていて欲しい。それは、レヒトの本心からの願いだった。
(……レイヴンが笑っていてくれれば、それでいい。それだけで、俺は救われる)
見つめる視線に気付いたのか、レイヴンが小さく首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、なんでもない。……少し、外を散歩をしてくる」
ここのところ、俺もあまり外出を許してもらえなかったからな、とレヒトは悪戯っぽくレイヴンに耳打ちした。
「いいなぁ。レイヴンも一緒に行きたいなぁ」
レイヴンが羨ましそうにレヒトを見上げる。退屈で動きたいのはわかるのだが、また倒れられてはレヒトの心臓に悪い。
自分が倒れた際に、仲間がどんな心境でいたのか。レヒトは今更ながらにそれを理解した。
「……今は夜だし、大事をとって、今日はもう寝たほうがいい。明日、もう一日だけ休みをもらって。そうしたら、明日は一緒に散歩に行こう。だから今日は休むんだ」
「うん、わかった。快とシャウトを説得するのはレヒトの仕事ね」
それは大変な仕事だな、とレヒトは苦笑する。
「すぐに戻ってくるけど、ちゃんと休んでるんだぞ」
「はーい」
レイヴンが火をともした小さなランプを借りて、快とシャウトを起こさないように、レヒトはそっと部屋を後にした。