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第59話 この手に絆を-4-

 気を失ったレヒトが運ばれたのは、彼が最初にいた小さな部屋だった。

 寝台に寝かされたレヒトの腹部にある傷を、快の治癒魔法が生み出す淡い光が包み込む。

 レヒトの負った怪我は、決して軽いものではない。自身の持つ大剣セイクリッド・ティアを、その身に突き刺したのだから。

「……無茶ばっかりして……次に起きたら、絶対に殴ってやるんだから……!」

 レヒトは、昏々と眠り続けている。

 汗を拭うふりをして、快は溢れそうになる涙を拭った。

 もう、どのくらい魔法を使い続けているのだろう。肉体的にも、精神的にも――疲労は、極限に達しようとしていた。だが、ここでやめるわけにはいかない。

 気力を振り絞って、快は乱れそうになる意識を集中させる。

 額に張り付いた、深いワインレッドの髪。その髪を掬い上げ、レイヴンは濡れた布を、そっとレヒトの額に載せた。

「……大丈夫なのか?」

 シャウトが心配そうに、眠るレヒトの顔を覗く。つい先程まで、元気に話していたというのに。

「動き回れるような状態ではありませんでした。完全に、傷口が開いてしまっていましたから。もう一度、縫合はしましたが……」

 あの若い女性の医師――タニアが、血まみれの包帯を片付けながら、シャウトにそう説明した。

 レヒトが気を失ったのは、大量出血が原因だった。縫合した傷口が開いたことにより出血し、それによって意識が混濁、気絶したのだ。

 タニアが傷口を縫合している間、レヒトはずっとうなされていた。快が治癒魔法を使っている今は、落ち着いているようだが、未だ意識は戻らない。

「ふぇ……レヒト、起きてよぉ……」

 レイヴンはその小さな手で、レヒトの大きな手をぎゅっと握り締めた。大剣を握る戦士の手は、レイヴンよりもずっと大きい。いつも力強く、レイヴンの頭を撫でるその手に、今はなんの力もない。

 耐えきれなくなったのか、今までずっと漏れそうになる嗚咽を押し殺していたレイヴンが、声を放って泣き出した。溢れ落ちた大粒の涙が、レヒトの頬を濡らす。

「ぅ……ん……」

 微かに、その指先が動いた。

「レヒト……?」

 そっと、確認するように名前を呼べば、わずかに瞼が震え、ゆっくりとその目が開いた。

「よかった……気付いたんだね……」

 治癒魔法をかけ続けていた快が、目を覚ましたレヒトを見て、微笑んだ。疲労がどっと押し寄せたのだろう、ふらつく快をシャウトが支えた。

「……レヒト……」

 心配そうに見つめる、その視線に気付いたのか。レヒトの手――レイヴンの大好きなレヒトの手が、レイヴンの頭に置かれた。

「……ごめん、な」

 レヒトは、快に視線を移した。疲れきっているだろう彼女は、それでも微笑んだ。

「教授、タニア。いきなりで悪いが、ちょっと手伝ってくれよ。他の怪我人のほうにも、人手が欲しいんだ。……姫は疲れてるだろうし、ここで少し休んでな」

「うん。レヒト、目が覚めたみたいだし。レイヴン、お手伝いしに行ってくるね」

 シャウトが二人に声をかけ、部屋を出て行った。気を利かせてくれたのだろう。

「……大丈夫なの?」

「ああ……」

 大丈夫だと、レヒトは力なく微笑んでみせた。

「もう、無茶しないでよ? また倒れたりしたら……本当に……」

 今にも泣き出しそうな瞳が、揺れている。決して他人には見せまいと、気丈に振る舞う快が見せた、ほんのわずかな弱さ。

「……約束するよ」

「うん、約束」

 レヒトがそう答えると、快はようやく笑顔を見せた。あの可憐で、そして妖艶な笑顔。レヒトの一番好きな表情だ。

「レヒト、薬は飲めそう? タニアさん――さっきの女医さんね――が、くれた薬なんだけど」

 快が掌に載せた、数粒の薬を見せる。レヒトは起き上がろうとするが、身体にはまったく力が入らなかった。

「だめだよ、起き上がっちゃ。……待ってて」

 快が近くに置かれていた、水の入ったグラスを手に取り、薬と水とを口に含む。

 そしてそのまま、口移しでレヒトに薬を飲ませた。

 頬が、全身が熱いのは――おそらく傷のせいだけではないだろう。

 彼女の唇が離れる。惜しい、とレヒトは思った。

「……もう少し」

 なにが、とは言わなかった。

 快も、聞き返してはこなかった。

 もう一度、唇を合わせる。舌に残る薬の苦味など、甘い口付けで消し去ってしまえばいい。

 目を閉じた快の、深緑色の緩い巻き髪に、レヒトはそっと指を絡めた。




 微かな音が響き、訪問者がやって来た。快の姿はない。レヒトが眠った後、彼女は自身も休息を取るようにと、戻って来たシャウトに勧められ、彼女も一緒に部屋を出ていた。

 部屋にやってきたのは、シュリークとタニアの二人だった。

「今は……眠っているようだな。彼の傷について、話があるとのことだったが」

 タニアは頷いた。

「彼の傷は、大剣で腹部を刺し貫いたものだと聞きました。しかし、幾つか気になることがあります」

「気になること?」

「はい」

 タニアは新しい包帯の巻かれたレヒトの腹部に目をやった。

「確かに、なにか大きなもの――話にあった通り、彼の剣でしょう――が、貫通したとみて間違いない傷です。しかし、この傷は妙なのです。大切な臓器や筋肉などを一切傷付けることなく、剣が貫通しています」

「それは……。しかし、シャウトの話では、彼はとっさにそういう行動に出たということだ。そんなことは不可能だろう」

「はい。不可能です。事前に計画してあったとしても、寸分の狂いもなく貫くなど……。それがひとつめです」

 タニアは言葉を切り、紅い大きな布を取り出して見せた。それは、レヒトの着ていたお気に入りのコートと、彼の傷口に巻かれていた包帯である。もともとは白かったはずのそれらは、どちらも、血で真っ赤に染まっていた。

「これはほんの一部です。あれだけの量の血を一度に失えば、竜族でも命はありません。彼が人間であれば……今、生きているはずがないのです。これがふたつめです」

「つまり……彼は人間ではない、と?」

 シュリークの問いに、タニアは表情を曇らせた。

「……わかりません。彼は竜族ではありません。精霊人でも、魔精霊でもありません。しかし、人間だとは思えません……」

「確かに、彼からはなにか不思議なものを感じるのだ。うまく、言葉では言い表せないのだが……」

 しばし、二人の間に沈黙が流れた。

「……彼は、何者なのだろうか。聞いたところで、話してはくれぬだろうがな」

「そうですね。一体、何者なのでしょうか。あのレイヴン=カトレーヌという子供のほうも……」

 話し声が遠ざかってゆく。小さな音を立てて、扉が閉められた。

「……さぁな……何者だろうな……」

 レヒトは目を開けた。酷い怪我を負ったとはいえ、人並み外れた神経を誇っているレヒトが、誰かが部屋に入ってきて、気付かないはずがなかった。

「……俺の正体……それを一番知りたいのは……」

 包帯が巻かれた右腕を、天井に向かって伸ばす。レヒトは下ろしたその右腕で、目を覆った。

「他ならない俺自身だ……!」

 滲んだ透明な液体が、覆う右腕の包帯に、小さな染みを作った。




 レヒトがタニアから動いてよしとの許可をもらったのは、彼が倒れてから十日ほどが過ぎた日のことだった。

 レヒト一行とシャウト、シュリークは、ドラゴン・リバティの前で別れの挨拶をかわしていた。

「また、いつでも訪ねてくるといい。そなたたちは我が愚弟の恩人だからな、歓迎する。レイヴン殿も、ぜひに」

「うん!」

 いつの間にか仲良くなっていたらしい二人。レヒトはタニアに監視まで付けられ、最近は寝てばかりだったので知らなかったが、二人は話があうらしい。レイヴンの専門的な知識にはシュリークも驚いたようで、二人で他人の入り込めない深い話をしていたと、レヒトは快から聞いていた。

「長い間、ありがとうございました。それにシャウトまでお借りしてしまって」

「構うことはない。連れて行って、こき使ってやってくれ」

「……兄貴の台詞は冗談に聞こえねぇんだよな」

 シャウトがジト目でシュリークを見つつ呟いた。

「悪いな、シャウト」

 それに気付いたレヒトが声をかけると、シャウトにっと笑った。

「いいってことよ。あんたが恩人なのは事実だし、その身体じゃ、天界に辿り着くのにどんだけかかるかわかったもんじゃねぇぞ」

 動いてよしとの許可はもらったレヒトだが、まだ腹部の傷は完全に癒えたわけではなかった。普通にしている分には問題ないのだが、戦ったり、長時間に渡って身体を動かし続けることは負担となる。

 天界へも、歩いて行くのは困難と判断したシュリークが、シャウトを貸してくれたのだ。

「……僕たち、クレセント大橋は渡れないし、ラッキーだったね」

 快が小さな声でレヒトに言った。同意しつつ、レヒトはティークウェルの惨劇と、人々の脅えた瞳を思い出していた。

(……いつかは、彼らもわかってくれるはずだ)

 レヒトは、そう信じている。一度は、失いかけた希望。それをもう一度、信じさせてくれたのは、目の前で屈託なく笑う竜の青年。

「それと、ついでに俺様が竜族代表として、レイ=クリスティーヌにご挨拶ってわけさ」

「お前のような、礼儀のなっていない者を使いにやるのは不安だがな……」

 シュリークが眉間に手をやってため息混じりに言った。

「おい……誰のことだ、そりゃ」

「お前以外に誰がいる」

「あぁん!? なんだってぇ!?」

 睨みあう二人を、レヒト一行は笑いながら眺めていた。

「っと、あんま遅くなんのもまずいな。俺様なら、天界までは――そうだな、長く見て一週間もあれば行けるだろ」

「気を付けて行くのだぞ」

「おぅよ。兄貴こそ、ケアル……それから親父さんと、街の人たちのこと、頼むぜ」

 ルナルの街の住人たちは、まだドラゴン・リバティで生活していた。ルナルの街は未だ雪に埋もれたまま、吹雪や雪崩のせいで、復興は難しいらしい。

 お互いを理解するにはちょうどいい機会だと、シュリークは言っていた。

「任せておけ」

「よし、それじゃあ行くぜ!」

 シャウトは巨大な黄金の竜へとその姿を変えた。

 その背にレヒトたちを乗せて、黄金の竜が舞い上がる。風を裂き、遥か雲の上を進み、目指すは浮遊大陸、天界の地。

 竜の咆哮が、澄みきった蒼穹に響いた。

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