第57話 この手に絆を-2-
竜族の暮らす都、ドラゴン・リバティは、ひとつの巨大なドーム型の建物である。ひとつの建物の中に、竜族全員が住んでいると聞いて驚いたが、なにしろ竜族は絶対数が少ない。ヘヴンで最も個体数が多いのは、まず間違いなく魔界人である。それに魔精霊が続き、精霊人、天界人、竜族となるだろう。
レヒトがシュリークに連れられ辿り着いたのは、建物の地下部分にある広い部屋だった。部屋の中は暖かく、女性たちが毛布と温かなスープを用意し、雪崩に巻き込まれたルナルの住人たちを待っていた。
忙しく働く女性たちの中に、見知った姿を見付けて、レヒトは邪魔にならぬようそっと近付いた。
「ケアルちゃん、手伝いかい?」
声をかけられたことで、ケアルはレヒトに気付いたらしい。振り返り、柔らかく微笑んだ。
しかし、焦点の定まらぬ彼女の瞳が、不安げに揺れているのをレヒトは見逃さなかった。愛する人を待つ心細さ、そして不安は――レヒトも今、まさに体験中だ。
「……シャウトはちゃんと帰ってくるよ。それに……ロディさんだって、きっと無事だから…」
彼女の細い肩に手を置いて、レヒトが励ますように言葉をかけると、ケアルは小さく頷いた。
ちゃんと帰ってくる――それはひょっとしたら、自分自身への言葉だったのかもしれない。
竜族の女性がケアルを呼び、彼女は軽く頭を下げると呼ばれたほうへと歩いて行った。彼女が障害物を避けて歩けるのが、レヒトには不思議で仕方ない。レヒトが目を閉じて同じように歩いても、障害物を避けるどころか、真っ直ぐに歩けるかどうかも定かではない。
ケアルは竜族の女性たちと、なにか話しているようだ。時折笑い声があがるのを聞き、レヒトは安堵した。
シュリークが語った過去の話を聞く限りでは、竜族は人間を嫌悪しているように感じられた。人間であるケアルが、竜族とうまくやっていけるかと不安だったのだが、どうやら杞憂だったようだ。
「健気な良い娘だな。あれにはもったいない」
レヒトの隣に立つシュリークが、ケアルの後ろ姿を見て言った。
「結構、お似合いだと思います。二人を見てると、感じるんです。種族の違いなんて、関係ないんだって」
それは、レヒトの本心からの言葉だった。無邪気に笑いあう二人は、本当に幸せそうで。
種族の違う恋人たちには、様々な障害があるだろうけれど……きっと、乗り越えてゆける。なにがあろうとも、きっと。
「いつか……世界中の人々が、種族の違いなど気にせずに、手を取り合って生きることができればいいと……俺はそう思っています」
「……そうだな」
シュリークが小さく発した同意の言葉。それが、レヒトはただ嬉しかった――が。
「そなたも精霊人を愛しているようだからな。うむ……いいことだ」
顎に手を当て、なにやら一人で納得している。
(……この親にして、この子あり……なんてな。あ、親子じゃないか)
レヒトは彼の横顔に、シャウトの姿を重ね見た。
不意に、静かだった外が騒がしくなった。人の姿に戻った竜族の男性たちに支えられて、ルナルの住人たちが運ばれてくる。
その顔は寒さのせいか蒼白だったが、部屋の暖かさと人々の優しさに、どこか安堵したような表情も伺えた。
「随分と少ないが……残りはまだ戻らぬのか」
シュリークが、戻ってきた竜族の青年に声をかけた。
「はい。予想以上に被害が大きく……また、再び雪も降り出したために、救出作業は難航しております。全員を救出するには、もうしばらく時間がかかると。私もすぐに加勢に戻ります」
「頼む。なんとしても……全員を救い出したいのだ」
青年は頷き、仲間とともに、再び雪と氷とに閉ざされた極寒の大地へと出て行った。
「……あんたは……」
運ばれて来た住人の一人が、レヒトの姿を見て声をあげた。
忙しそうに指示を飛ばすシュリークから離れ、声をかけてきたその男性の傍へと移動した。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……もう、大丈夫だ」
その言葉通り、顔色はだいぶよくなっているように見えた。
「すみません……貴方がたを、騙すような真似をしてしまって」
男性は、ゆっくりと首を振った。
「いや……俺たちが、間違ってたんだ。竜族を……よく知りもしないのに、勝手な思い込みで、あんな馬鹿なことをしようとした。それを……あんたが止めてくれたんだ。なにを謝ることがある」
竜族の女性が、温かいスープを運んで来た。それを受け取り、男性は小さい声で、だが確かに、ありがとう、と言った。それは、女性にも聞こえたらしい。ほんのりと頬を染めて、彼女は微笑んだ。
立ち上がったレヒトは、ふと、部屋の入り口付近に立つ毛布に包まった小さな人影に気付いた。
「誰かを探しているのかい?」
近付き、声をかけると。毛布を頭から被った幼い少年が、レヒトに視線を向けて頷いた。
「……ママ、待ってるの」
少年の年は五、六歳といったところか。母親が運ばれて来るのをじっと待っている、寂しそうなその少年に――レヒトは、レイヴンの姿を重ねていた。
「はぐれちゃったのかい? じゃあ、お兄さんも一緒に待っていてあげるよ」
「本当!?」
知らない場所に、知らない大人ばかり。一人きりで、不安だったのだろう。泣きそうだった少年の表情が、ぱぁっと明るくなった。
「あぁ。君の名前は?」
レヒトが問いかけると、少年は元気よく答えた。
「ユアン!」
「よし。男の子は泣いちゃだめだ。ユアンのママが来るまで、少しお話をしよう」
入り口付近に座り込んでいたら邪魔だろうと、レヒトは場所を移した。少し離れた、しかし入り口の様子はよく見える場所に陣取って、レヒトはユアンと一緒に腰を下ろす。
「おじちゃん、竜に乗せてもらったことある?」
元気を取り戻したユアンがレヒトに言った。
「竜に? 俺はないな。それと、俺はまだお兄さん」
二十三歳におじちゃんは酷いと、レヒトは訂正した。こんな幼い少年に、わざわざ訂正するレヒトもレヒトだが、おじちゃん扱いは少し悲しいものがある。
「ぼくはね、あるよ!」
ユアンは自慢げに胸を反らした。近くにいた人々が、そんな無邪気な少年を見て、微笑んでいた。
「……ユアンは竜が怖くないかい?」
「怖くないよ! あのね、竜ってすごくかっこいいんだ! いいなぁ……ぼくも変身できたらいいのに」
羨ましそうに呟いたユアンの頭を撫でてやる。擽ったそうに笑っていたユアンが、ふと視線をレヒトから外し、その幼い顔に満面の笑みを浮かべた。
「あっ! ママだ! おじちゃん、またね! おじちゃんも、竜に乗せてもらえるといいね!」
ユアンは元気よく手を振って、母親のもとへと駆けて行った。母親も、はぐれた子供を心配していたのだろう。ようやく見付けた我が子を抱き締めて泣いていた。
「……よかったな」
「ほーんと、よかったね」
言葉とは裏腹に、冷たい声が背後から響き、レヒトは身を強張らせた。
恐る恐る振り返れば、そこには。
「……僕の言ったことが理解できなかったみたいだね、レヒト?」
表面上は誰もが見惚れるような笑顔を浮かべた――内心は般若の表情だろう――快の姿が。
「……は、はは……」
覚悟はしていたとはいえ、やはり――怖い。
「あれだけ無茶するなって言ったのに!」
ぐっと拳を握り締める快。
彼女はしとやかに鏡の前で紅を差すような女性ではない。あの巨大な銃を振り回して、敵を薙ぎ倒す戦士である。ということは、それなりに力もあるわけで。
「うわぁっ! レイヴン、見てないで助けてくれ!」
「いいじゃん、男前で」
いれてもらった温かいスープを啜りながら、頬に鮮やかな紅葉を作ったレヒトを眺めて、レイヴンが言った。それはもう、心底楽しそうに。