第55話 ドラゴン・リバティにて-2-
「しっかし、あんたは相当の強運の持ち主らしいな」
痛みを堪えて半泣きになっているレヒトを、面白そうに眺めてシャウトが言った。
「二人して落ちた崖のすぐ下に足場があるなんてよ。……ひょっとして、それをも見越してたのか?」
そう問いかけるシャウトに、レヒトは苦笑を返した。
ちなみに訂正しておくと、正確には、二人して落ちた、ではなく、レヒトが突き落とした、が正しい。
「いや……ただ、あの時はなぜかそうしなければいけない気がしたんだ」
あの時の行動に、確かな根拠などはなかった。無茶をしたものだと、今になって思う。
「へぇ。あんたの持つ不思議な力ってやつが働いたのかもな」
「……誰から聞いたんだ、そんなこと」
聞かずともわかってはいるのだが、レヒトは一応問いかけてみた。
「えへへ。喋っちゃった」
案の定、レイヴンが舌を出す。その頭を軽く小突けば、レイヴンはにこにこと笑った。
「あんたが突き落としてくれたお陰で、俺様は盛大に頭を打ったんだがな」
右手を頭にやるシャウトを見て、竜族の長老――シュリークがふん、と鼻を鳴らした。馬鹿にしたように。
「心配するな。元来馬鹿なお前だ。それ以上馬鹿にはなりようがない」
「んだと、こんのデコっぱちが!」
「貴様、人の気にしていることを……!」
気にしていたらしい。シュリークは短い髪をオールバックにしている。冷たく鋭い瞳と相まって、どことなく危険な雰囲気が漂ってくる。
「ならその髪型やめればいいのに」
(……ごもっとも)
非常に的確なレイヴンの突っ込みに、レヒトは心の中で同意した。
「ふむ……しかし、気に入っていてな。毎日早朝から昼にかけて、ビシッとセットするのだ」
レヒトの脳裏に、鏡の前で髪を整えるシュリークの姿がよぎった。
「……なに笑ってんだ?」
「い、いや……別に……」
痛みと戦いながら笑いを堪えるレヒトを、シャウトが怪訝な目で見つめてくる。
「ま、なにはともあれ……俺様とケアルが無事だったのはあんたのお陰だ、レヒト。……ありがとう」
改まって頭を下げられ、レヒトは慌てた。
「や、やめてくれ。俺はただ……必死で……」
「……他人のために、死ぬ覚悟で自分の腹を掻っさばくような奴……初めて見たよ」
レヒトの腹部に巻かれた包帯を見つめて、シャウトが呟く。
あの時、街の住人たちに見せた血濡れのセイクリッド・ティア――彼の剣を染めあげていたのは、レヒト自身の血。
あれはレヒトが打った、一世一代の大芝居だったわけである。
「……ああする以外に、思い付かなかった。深く考えてなんていなかったんだ」
レヒトは窓の外へと視線を移した。外は純白の雪が降り積もり、美しく輝いている。雪に反射する光が眩しくて、レヒトは目を細めた。
「……あんたとケアルちゃんを死なせたくはなかった。本当に……ただ、それだけさ」
その言葉を聞き、シャウトはにやりと笑った。
「あんた、最高にかっこいいぜ。ま、俺様には劣るがな」
「……勝手にほざいているがよいわ」
「あぁ!?」
再びいがみあう二人。どうにも相性がよくないようだ。
「仲悪すぎだよね、兄弟のくせに」
レイヴンが呆れたように呟いた。
「……まぁ、あれだな」
三人は顔を見合わせて苦笑する。
「似た者同士」
そう言って笑うレヒトたちに向き直り、二人はほぼ同時に言葉を発した。
「一緒にすんなっつの!」
「似てなどおらぬ!」
そして同時に顔を反らす。
ここまで似ている兄弟も珍しい。似ているからこそ仲が悪いのかもしれないが。
シュリークは不意にその表情を和らげ、レヒトに向かって静かに言った。
「話は、すでに聞き及んでいる。我が愚弟を救ってくれたことを……そなたに感謝せねばならぬな。そなたは人間であるというのに……」
人間、という言葉の裏に、微かだが、嫌悪するような響きをレヒトは感じた。それは、シャウトも同様だったらしい。
「……兄貴。人間だとか竜族だとか、そんなことは関係ねぇっつったろ。そんな小さいことはどうだっていいんだ」
「……しかし」
シュリークの声を、シャウトが無言で遮った。向けられた目に宿る光は、強く鋭い。
「今回の事で人間を恨むのは筋違いだ。永きに渡って人間との関わりを避けてきた、俺様たちにこそ責がある」
シャウトは一度そこで言葉を切った。
「……今、世界が危機に瀕してるのは、兄貴だって知ってるだろ。レヒトたちは、その危機を乗り越えるために、バラバラになった種族を一つにしようと躍起になってる。俺様たちだって無関係じゃねぇ。もう、無関係なフリはできねぇんだよ」
シュリークは黙っていた。シャウトを見つめるその顔には、少しばかり、驚いたような表情が見える。
「……俺様たちは岐路に立たされてる。同族だけで閉じ籠ってちゃ……この先、生き残ることはできねぇ。人間たちと手を結ぶか、それとも、ここで滅びを待つかだ」
「……いつから、長たる私に対してそのような口を利くようになったのやら」
シュリークはふっと微笑んだ。
「私が思うほど……お前は子供ではなかったようだな」
緊張していた空気が、ゆるゆるとほどけていった。レヒトは気付かれぬように息を吐いた。緊張は傷に悪い。
「当ったり前だろ。俺様だって、いつまでも子供じゃねぇっつの」
「まあ、馬鹿なところは変わっておらぬようだが」
「……なんだってぇ?」
青筋立てて怒るシャウトと、その様子を冷ややかに眺めるシュリーク。
またしても兄弟喧嘩勃発かと思われた矢先、部屋の扉が激しく叩かれた。
(……なんだ……? なにか、嫌な……)
それは、言葉では言い表せないような、嫌な感覚。外れてくれればいいのだが、レヒトの感じる予感とやらは、悪いものに限って外れたためしがない。
シュリークが入るよう促すと、一人の少年が転がり込んで来た。シュリークの足元に跪くが、相当急いで来たのか、呼吸が荒い。
「どうした。いつ何時も、常に静なる心を忘れてはならぬと……」
「も、申し訳ありません! しかし、緊急事態です! ルナルの街が……!」
シャウトの眉がわずかに跳ねたのを、レヒトは視界の端に捉えた。
「ルナルの街がどうしたというのだ」
少年は呼吸を整え、シュリークを見上げて言った。
「たった今発生しました大雪崩に巻き込まれ……壊滅状態です!」
「なんだって!? ぐぅっ……!」
少年の言葉を聞き、起き上がろうとしたレヒトは、身を襲う激痛に再び寝台へと沈んだ。
「レヒト! 無茶しちゃだめ。傷口が開いちゃうよ」
それでも起き上がろうとするレヒトの肩を押さえて、快が言い放った。有無を言わせぬ、強い口調で。
「兄貴……!」
シャウトがシュリークに視線を向けた。動揺しているのか、その瞳が揺れていた。
「……雪崩はたった今、発生したのだな?」
シュリークが念を押すように、静かに声をかけると、少年は頷いた。
「はい、間違いありません」
「そうか……」
シュリークはなにかを思案するように瞳を閉じた。誰もが、黙ったまま――まるで、言葉を忘れたかのような沈黙が流れた。
「皆に伝えよ。男はすぐにルナルの街へ向かい、生存者をここへ運べ。女は温かな部屋とスープの用意、搬送されてくる怪我人に対処せよ。急げ!」
「は、はい!」
少年は入ってきたときと同じように、転がるように走って行った。
「兄貴」
「……なんだ」
シャウトはにっと笑った。少年のような、屈託のない笑顔だ。
「ありがとな」
「さて……なんのことか、わからぬな。お前も行け。必ず全員、連れて戻るのだ。失敗は許さん。いいな」
「任せてくれよ、兄貴。俺様がいない間はケアルのこと、頼むぜ!」
部屋を出て行こうとするシャウトに、快が声をかけた。
「僕も行くよ。最近は雪掻きばっかりしてたしね。今は少しでも人手が必要でしょう?」
「レイヴンも行く!」
シャウトは頷いた。
「よし、姫と教授は俺様の背に乗って行けばいい。行くぜ!」
「了解ッ!」
連れだって部屋を出るシャウトとレイヴン。
快は寝台に横たわったままのレヒトに視線を向けた。
「……情けないな。こんなときに……俺はなにもできない……。俺は……」
悔しげに呟いたレヒトの唇に、快の指先が触れた。言葉を遮るように。
「今、レヒトがやるべきことは、少しでも早く傷を治すことだよ。レヒトが僕たちに信じてくれって言ったように……今度は僕たちを信じて欲しいの」
そう言って、快は微笑んだ。吟遊詩人が詠う伝承歌の聖女よりも――ずっと強く、そして優しい微笑だった。
「……俺はいつだって、君たちを信じてる」
レヒトがそう答えると、快は安堵の表情を見せた。
快を呼ぶレイヴンの声が聞こえ、彼女は立ち上がった。去り行くその後ろ姿に、レヒトはそっと声をかける。
「……気を付けて」
「レヒトのほうこそ、僕がいない間に無茶したら怒るからね!」
振り返り、茶目っ気たっぷりにウィンクすると、快は部屋を出て行った。
レヒトは窓の外へと目をやった。竜へとその姿を変えた人々が、ルナルの街へと飛び立ってゆく。
半ば祈るような気持ちで、レヒトは彼らを見送った。