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第51話 愛と狂気の狭間で-2-

 ルナルの街の広場で、レヒトは興奮ぎみの住人たちと向かいあっていた。

 あの後、うとうととしていたレヒトの意識を呼び覚ましたのは、窓の外から聞こえる喧騒だった。不思議に思って窓を開ければ、闇に浮かぶ松明の明かりに、恐怖すら滲ませた人々の声。そのただならぬ様子に、こんな真夜中になにが起きているのかと部屋を出れば、レヒトと同じように気になったのか、起きてきた快と出くわした。

 廊下で彼女と話をしていると、血相変えたレイヴンが階段を駆け上がって来たのだ。

 レイヴンの話を聞き、レヒトは血の気が引くのを感じた。偶然にも起きていたらしいレイヴンは、レヒトがシャウトと話している間に、屋敷内の異変に気付いたという。そして階下に降り、事の一部始終を目撃したというわけなのだ。

 ロディの狂気と、ケアルの傷。竜族の血を引く、腹の赤子。

 状況を理解した三人はすぐさま屋敷を飛び出した。そして、三人がこの場所に辿り着いた時には、事態は最悪の状況だった。

 話し合いの余地などすでになく――レヒトは仕方なしに、人々の注意を反らして、とにかく二人を逃がすことにした。

 天を射したあの一条の光は、レイヴンが放ったものだったのだ。

 状況を察してくれたらしいシャウトのおかげで、どうにか二人を逃がすことには成功したが、街の住人たちは未だ恐怖と、ある種の興奮とに包まれていた。

「街に……竜の化け物が現れるなんて……」

 化け物、という言葉に、わずかだが快の眉が跳ねた。レヒトは視線で、激昂しないように、と諭す。

「殺してしまわなくて、よかったのか? あの化け物……逃がしてしまったら、仲間が押し寄せてくるんじゃあ……」

 誰かが発した一言で、住人たちが騒ぎ出した。

「……少し落ち着いてください」

 無駄だろうとは思ったが、一応声をかけてみる。

「これが落ち着いていられるか!」

 そうだ、と同意する声が上がる。

「化け物は怪我をしてる。今なら、まだそんなに遠くには行ってないはずだ。追い掛けて、殺してしまえばいい」

「ちょっと待ってよ!」

 レヒトよりも早く、レイヴンが声をあげた。一斉に視線が集まる。

「なんだ、あんたたちは……あの化け物を庇うってのか」

 敵意の籠った、その眼差し。快は慣れたような様子で睨み返すが、レイヴンはたじろいでいた。

 レヒトは少し悲しくなった。これほどまでに、深い溝が存在するのか。決して諦めないと、誓ったばかりなのに。

(……俺が気後れしてどうするんだ。なんとかして、この状況を打開すればいい。諦めるな!)

 レヒトは自分自身に言い聞かせ、折れかけた気持ちを震い立たせる。

「……そうではありません。貴方がたでは、竜を倒すことはできないでしょう」

「なんだと?」

「竜族は、ヘヴンで最も強い力を持つ種族です。手負いとはいえ、容易くは倒せないでしょう。下手に攻撃しては、貴方がたのほうが危険に晒されます」

 人々が押し黙った。必要以上に竜を恐れる彼らに、脅しは効果をあげたようだ。

「じゃあ、このまま放っておけというの? 危険な化け物を?」

 そう言ったのは、青年に肩を抱かれた若い女性だった。腹部が膨らんでいる。身篭っているのだろう。

 その姿に、レヒトは無邪気に笑っていた恋人たちの姿を思い出していた。

「……どうしても、始末しないと気がすみませんか」

「当たり前だわ。前々から、竜族なんていう化け物が近くにいるのは怖かったのよ」

「それなら、いっそ竜族なんて皆殺しにしてしまえばいいんだ」

「馬鹿なことを……!」

 快が呟いた。さすがに、今の言葉は腹に据えかねたようである。それは、レヒトも同じこと。

「……彼女の言う通りです」

 レヒトが快の言葉を継ぎ、住人たちを見渡して続けた。

「竜族の力は強大です。先程の竜族は、手負いでしたから攻撃を加えてはきませんでしたが……彼らの都まで行って、大勢の竜族を相手にするなど……生きて帰れる保証はありませんよ」

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

「もう、いっそ死ぬ覚悟で行けばいい!」

 人間とは、こうも――。

 レヒトは一瞬、絶望に近い感情を抱いた。

 その時、心臓が大きく脈打った。頭の奥が冷えてゆくような感覚とともに、視界が闇に閉ざされる。

『不可能なのだ』

 頭の奥で、誰かの声がした。それと同時に、重い頭痛が身を襲う。

『人間は愚かだ。人間に変化を求めること自体が、間違っている』

(……間違って、いる?)

 疲れきったような声だと、レヒトは思った。

『愚かな人間は、何度でも争いを繰り返すのだろう。……その先に待つ絶望も知らず』

(あんたは誰だ? なぜ、俺に語りかける?)

 頭痛が酷くなり、レヒトはその場に膝を付く。

『私はお前、お前は私。別個にして同一、同一にして別個の存在』

(……なんだって?)

 吐気が込みあげる。その言葉を拒否するように。

『私は光、お前は影。お前は私の心が生み出した影なのだ』

(よせ……やめろ……!)

 言葉は、震えた。レヒトの頭の中を、あの不思議な夢が、走馬灯のように駆け巡る。

(くっ……!)

 振り払うように首を横に振れば、レヒトの目の前に、一人の男――あの夢に見る、白髪の若い男が現れた。

 膝を付いてうずくまるレヒトを見下ろして、男は静かに言葉を紡ぐ。

『もう一人の私たるお前に問おう。世界を救うために、お前はどうすればいいと思う?』

(……俺、は……)

 ぐらりと視界が揺らぎ、闇の中に佇む男の姿が掻き消えた。

「――レヒト!」

 肩を掴まれた。意識が戻り、視界が開ける。

 闇に浮かぶ松明、ざわめく人々の声。肩越しに背後を振り返れば、不安げにレヒトを見つめる蒼穹の瞳。

「……快」

「大丈夫? 様子がおかしかったけど……」

 君のほうが蒼白だ、と苦笑して言えば、快は少し安堵したように息を吐く。

「……大丈夫」

 そう答えて立ち上がり、レヒトは街の住人たちに向き直る。

「俺が、行きましょう」

「できるのかね……君に」

 今まで、ずっと竜谷の方向に視線をやって、微動だにしなかった男が口を開いた。

「……ロディさん」

「君は竜族と交渉するために来たと言っていたではないか。竜族と人間との間に同盟を結ぶために。そんな君に、竜を倒せるとは思えないがね」

「……確かに、俺たちは竜族と同盟の交渉をするために、ここへ来ました。今、ヘヴンには危機が迫っています。その危機を乗り越えるために」

 魔物の出現や異常気象を、その身をもって体験している人々は、レヒトの言葉を黙って聞いた。

 少しは、落ち着きを取り戻してくれたのか――と、レヒトは少しばかり安堵した。

「人間には、魔物に対抗する術がありません。強大な力を持つ精霊族や竜族とともに、ヘヴンの危機に立ち向かって――」

「精霊族に竜族……ふん、あんな奴ら……魔物と同じじゃないか!」

 レヒトの言葉を遮って、一人の男性が声を張り上げた。

「どこが違うんだ!? 妙な技を使って……魔物とどこが違うって言うんだ! 俺たちを襲わない保証が、どこにあるって言うんだよ!」

 誰も、なにも答えない。男性は周囲を見渡して、言葉を続けた。

「それに……俺たちを苦しめてる魔物だって、奴らが作り出したのかもしれないじゃないか!」

 その言葉を皮切りに、今まで黙っていた住人たちが、再び一斉に騒ぎ始めた。

「そうだ、そうに違いない。精霊族に竜族なんて……わけのわからない連中がいないほうが、世界は平和になるんだ!」

「皆殺しだ!」

 口々にそう言って、騒ぐ人々。雪の降り続く小さな街に、狂気じみた声が響き渡る。

「くそっ……どうすればいい……?」

 それは誤解だ、いいがかりだと叫んでみたところで、彼らに届きはしないだろう。

 もはや自分たちがなにを言っているのか、なにを行おうとしているのかすら、わかってはいないだろう。ただ、突き動かされているのだ。

 人の心の奥に潜む、暗い感情に。

 快やレイヴンがなんとか場を静めようと躍起になっていたが、周囲の見えていない人々に、たいした効果はないようだ。

 喧騒に包まれた広場。天を仰ぎ、レヒトはただ静かに、先程の声を思い出していた。

「……わかりました」

 呟かれた、その言葉。小さなその呟きは、不思議なことに、熱狂の渦の中にいた人々、全員に届いた。

「そうまで言うのなら……」

 レヒトは腰に提げたセイクリッド・ティアを抜き放った。冷たい輝きを放つ刀身を、舞い落ちる雪が撫でてゆく。その様子を静かに見つめるレヒトの瞳に、光は――ない。何人が、気付いただろうか。

 言葉では表すことのできない、その違和感に。

 まるで――彼であって、彼ではないかのような。そんな違和感。

「……俺が、竜族を葬って見せましょう。それで、争いが収まるなら。世界が平和になるのなら」

 レヒトは静かにそう告げ、剣を鞘に戻した。

「……構いませんね?」

「あ、あぁ……」

 レヒトに圧されたように、住人たちが頷いた。

「……それでは、私たちも行こうか。竜族の最期を見届けに」

 ロディが言った。まるで物見遊山にでも行くように。狂気を宿した瞳が、レヒトに向けられる。

「ご自由に」

 レヒトがそう答えれば、ロディは満足げに笑った。街の住人たちも、ついて行くと口々に言った。

「……レヒト……」

 近付いて来た快が、そっとレヒトに声をかけた。その瞳が、揺れている。不安げに。悲しげに。

「二人に頼みがある。……ここから先は、俺に任せてもらいたい」

 たとえ、なにがあっても――そう、レヒトは呟いた。遠く、竜谷の方へと、その視線を向けて。

「うん、わかった。……信じてるからね、レヒト」

 そう言って微笑む二人に、レヒトは応えることができなかった。

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