第48話 禁断の恋人たち-1-
レヒトは目を覚ました。理由は単純、寒いからだ。
「寒っ……」
寒さで目を覚ますなど、レヒトにとっては初めての経験だった。
ロディは一人ずつに客室を与えてくれた。夜も更けてきたため、レヒトたちはそれぞれ与えられた部屋で休んでいたのだが、大して寝もしないうちに起きてしまったようだ。疲れの取れ具合で、あまり寝ていないことがわかる。
レヒトとしてはもう一度眠りにつきたいのだが、この身も凍るような寒さのせいでなかなか眠れない。
温かい飲み物かなにかを入れてもらうのも手だが、それなりに夜も遅い時間帯、皆すでに寝静まっているようだ。わざわざ人を起こすのも憚られて、それでは暖炉に火でも入れようかと、レヒトは寝台から起き上がった。
ふと、窓の外に視線をやれば、人目を憚るように去って行く、小さな人影が目に入る。
(あれは……)
それは間違いなく、ロディの一人娘で。
(……こんな夜遅く……それも雪の中を、一人で?)
昼間のような吹雪ではなくなっているが、外は未だ雪が舞っている。
(……行ってみるか)
レヒトは壁にかけてあった黒いコートを身に纏うと、窓を開けて飛び降りた。屋敷の中を通ることを避けての行動だったのだが。
「……慣れないことはするもんじゃないな……」
降り積もった雪にできた盛大な人型を眺め、雪まみれになったレヒトは嘆息した。
身を斬るような風の中、少女はゆっくりとした足取りで歩いて行く。
(このまま行くと……快が言っていた、竜谷へと続く森のはずだ……)
少女は積もった雪の中を平然と歩いているが、レヒトのほうはそうもいかない。慣れない雪道に足を滑らせながらも、少し離れて、レヒトは少女の後を追った。
少女はレヒトの思った通り、街外れの森へと入って行った。雪と風を避けるように、大樹の幹にもたれかかる。誰かを、待っているように見えた。
声をかけようとしたレヒトの首筋に、冷たいものが当たる。それが短剣だと気付くまでに、大した時は要さなかった。
「……愛しあう二人の逢い引きを覗き見とは、ちっとばかし趣味悪くないかい?」
すぐ後ろで、低い男の声がする。面白がるような、からかうような響きを含んだ声だった。
「あ、逢い引き!? お、俺は……!」
「しーっ。人目を忍んでるんだから、大声出してくれんなよ」
男はレヒトの首筋から短剣を離す。振り返ったレヒトは、自分を襲った男の姿を目にすることとなった。
少し長めの水色の髪に、淡い緑色の長い布を大雑把に巻き付け、鋭く、しかし穏やかな水色の瞳をした男性だった。どことなく野性的な、精悍な顔立ちだ。年は、三十半ばといったところか。軽装だが、その身には鎧を纏っている。
落ち着いた大人の男としての印象と、やんちゃな少年のような印象、その双方を受けた。
「悪い……決してそんなつもりじゃなくて」
レヒトが弁解すると、男は楽しそうに笑った。
「本当かぁ?」
「うぅ……あ……」
小さな声が聞こえた。男はからかうような笑みを消し、代わりに穏やかな微笑を浮かべて、少女のほうへ近付き、その細い体を抱き締めた。
「わかってるよ、ケアル。怪しい奴だと思ったら、とっくに殺ってるさ」
額にそっと唇を寄せ、男はレヒトに向き直った。
「ケアルを心配して、わざわざ付いて来てくれたんだろ? ありがとな」
「あ、いや……俺のほうこそ、悪かった。覗くつもりはなかったんだ、本当に」
「わかってるって。あんた、真面目なんだな。冗談だ、じょーだん」
男はにんまりと笑った。
「俺様はシャウト=フリュウってんだ。あんたは?」
「レヒトだ。彼女の家に、厄介になってる旅人さ」
男、シャウトはケアルと呼んだ少女に目を向けた。
「う……あぁ……」
「そうか、そうか。竜谷に用事があるのか」
レヒトは大いに驚いた。
「まだ説明してもいないのに……どうして、わかったんだ?」
「今、ケアルから聞いた」
シャウトは当然とばかりに言った。
「ああ、ケアルがなにを言ったか、わかんねぇのか。人間ってのは、けっこう不便だな」
シャウトはケアルの髪に指を絡め、満足そうに微笑む。
「ケアルはさ、喋れねぇの。目も、見えてねぇ」
そう言われれば、確かに。彼女の瞳は、焦点を定めることなく、虚空を彷徨っている。
「目が見えないのに、よくここまで来れたな」
「人の身体ってのは五感のどれか一つでも欠如すると、他の機能がそれを補うようにできてんだぜ?」
シャウトが言った。レヒトにはよくわからないが、ケアルを見ると、そうなのだろうと納得する。レヒトはケアルの後を追って来たが、彼女が視界の利かぬ人だとは感じなかった。
「俺様に会うために、この雪道を健気に歩いて来るなんて、大感激だぜ。あー、俺様死んでもいい」
シャウトはケアルの細い体をぎゅっと抱き締めた。
(恋人同士と言うよりは、父親と娘……なんてな)
年の離れた恋人たちを眺め、レヒトは失礼なことを考えていた。
「それにしたって、なんでまたこんな森の中で? それも夜中に」
レヒトが言うと、シャウトは唇の端を歪めた。
「そりゃ昼間、大っぴらに会えないからに決まってんだろ。俺様だって……ちゃんと会いたいっつの」
「……その、悪い……」
レヒトが謝ると、シャウトはにやりと笑ってレヒトの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「あっはは! あんた、本当に面白い奴だな」
「うわっ! よせって!」
その腕から逃れて、乱れた髪をもとに戻す。
「俗に言う禁断の愛ってやつだ。なぁ、ケアル?」
「うぅっ……あぅ……」
口付けを交わす二人から、レヒトはなんとなく視線を外した。
「……見ててもいいぜ?」
それに気付いたシャウトがにやりと笑う。
(……この破廉恥男め)
レヒトは内心毒付いた。
「あんたは愛する人、いないのか?」
突拍子もないシャウトの言葉。レヒトは思わず足を滑らせた。
「な、なにを突然……!」
「その様子からすっといねぇな? 恋はいいぞー?」
「煩いっ。別にいないわけじゃ……!」
そこまで言わされ、はっとした。が、時すでに遅し。
「なぁんだ、立派にいるんじゃねぇの。どんな娘だよ。な、教えろって」
「あ、あんたに言う必要はないだろ」
「いいじゃねぇの。教えろって」
シャウトはバシバシとレヒトの背を叩いた。とんでもない馬鹿力だ。
「く、苦しいっ……」
その様子を見て――実際には見えていないのだろうが、ケアルがくすくすと笑った。
「ん? 面白かったか? そうか、ケアルが喜んでくれれば、俺様最高に幸せだ」
シャウトはケアルに優しく笑いかけた。
雪の中、無邪気に笑いあう二人が、とても微笑ましい。
「さて……残念だが、そろそろタイムリミットだな」
シャウトは本当に残念そうに、ケアルから身体を離した。
ほんのわずかな、二人の逢い引き。
「レヒト、ケアルを連れて帰ってやってくれよ。大丈夫だとは思うが、やっぱり可愛い恋人を一人で帰すのは不安でな」
「あぁ、わかった」
レヒトは頷く。
「……手は出すなよ?」
「心配するな、あんたじゃないんだ」
「なんだよぅ」
くす、とケアルが小さく笑ったのがわかった。
「……また逢おうな、ケアル」
約束の口付けを交わして、シャウトは雪に覆われた森の中を立ち去って行った。
シャウトがどこに帰るのか、レヒトにはわからない。だが、なんとなく、彼とはまた会えそうな気がした。
「それじゃあ……俺たちも戻ろうか、ケアルちゃん」
レヒトが声をかけると、ケアルは小さく頷いた。
「ぅ……あぁ……」
「なんだい?」
なにか、伝えたいことがあっても。レヒトには、シャウトのように、彼女の意思を汲み取ることができない。
それを、レヒトは歯がゆく思った。
「……ごめんね」
レヒトが謝罪の言葉を口にすると、ケアルは首を横に振って微笑んだ。
(今度シャウトに会ったら、ケアルちゃんとの話し方を教えてもらおう)
レヒトはケアルとともに、屋敷へ向かい雪道を歩き出した。
そんな二人に気付かれぬように。大きな影が、小さくなる二人の後ろ姿を、そっと見守っていた。