第46話 ニンブル盗賊団戦-2-
「やめてよぉッ!」
闇に響く、子供特有の高い声。泣いているのか、それは微かに震えていた。
(レイヴン……ごめんな……)
絶対に、と約束を交したのに、守れそうにない。きっと怒るだろうな、とレヒトは思う。
(……?)
しかし、覚悟した死はいつまで経っても襲ってくることはなく――別に襲ってきて欲しいわけではないが――レヒトはそっと目を開けた。
ブロウ・デーモンは、最後に見たときと同じように、倒れたレヒトの前に立っていた。
だが、その目はレヒトを見てはいない。ブロウ・デーモンの視線の先にいたのは――泣き顔の、レイヴン。
きっと、誰もが理解できなかったに違いない。たった一人の子供が――。
「ど、どういうことだ?」
賊徒の頭が呆然と呟いた。
「お前……なにをしやがった!? えぇい、ブロウ・デーモンよ!」
その声に、ブロウ・デーモンは賊徒の頭に視線を向けた。
「そのガキからやってしまえ!」
賊徒の頭がレイヴンを指差して怒鳴れば、咆哮をあげ、ブロウ・デーモンが飛びかかる。
レイヴンに、ではない。ブロウ・デーモンに命じた賊徒の頭に、その爪が迫る。
「ぎぃやぁぁぁぁあ!」
耳を塞ぎたくなるような絶叫。血飛沫があがり、肉片が周囲に飛び散った。
「……所詮、人が魔物を支配するなんて……無理だったんだよ」
賊徒の頭がブロウ・デーモンに食い殺される様を見つめて、快が呟く。その瞳は、酷く冷ややかだった。
「テ、テメェら……人質の命が惜しくないようだなぁっ!」
街の住人に剣を突き付けていた男の一人が、ブロウ・デーモンの乱心をレヒトたちの仕業だと思い込んで声を張り上げた。
剣を向けられた女性が悲鳴をあげる。
「違う、俺たちじゃない! やめるんだ!」
レヒトの制止も聞かず、剣を振りあげる男。快とレイヴンの魔法も、間に合いそうにない。
(まずいっ……!)
その時だった。街の住人に剣を向けていた男たちの足元に、淡い光の魔法陣が浮かびあがり――その身体を戒める。
「な、なんだぁっ!?」
闇の静寂を裂く足音。その音を辿るように視線を移せば、闇の中――ハルニート領の方から、一人の女性が姿を見せた。
神官だろうか。白を基調とするゆったりとした法衣に身を包み、先端に宝石の埋め込まれた杖を持っている。さらさらとした茶色の長い髪、優しい水色の瞳。優しく穏やかな微笑を浮かべた、美しい女性だった。
(あの女性……どこかで……?)
はっきりとは思い出せないが、以前、どこかで会ったような気がした。
「貴方がたは……人々を守るために、戦っておられるのですね?」
静かな問いかけ。敵か味方かはっきりしないが、男たちの動きを封じたのは、状況からもこの女性とみて間違いないだろう。
レヒトが頷くと、女性はふわりと微笑んだ。
「……わかりました。私も助太刀させて頂きますわ」
よろしくお願いしますわ、と頭を下げる女性に、レヒト一行もつられて頭を下げた。
「や、野郎……舐めやがってぇっ!」
近くにいた男の一人が、無謀にもレイヴンめがけて突っ込んで来た。それを迎撃しようと、レイヴンがスタッフを振り上げ――。
大きな影が、レイヴンを庇うように、レイヴンと賊徒の間に飛び込んできた。男の剣は、その影――ブロウ・デーモンの肉体に、深々と突き刺さる。
「え……?」
構えていたスタッフをおろし、その様子を見つめるレイヴン。
苦しげな呻き声をあげながらも、ブロウ・デーモンはゆっくりとその目をレイヴンに向け、腕を伸ばす。
「レイヴン!」
動かないレイヴンの手を引き、レヒトは慌ててブロウ・デーモンから引き離す。
急所を貫かれた魔物は、ゆっくりとその場に倒れ伏した。死してなお、レイヴンに向けられたその瞳は――どこか満足そうにすら感じられた。
「……さて。よくはわからないけど、これで完全に形勢逆転、かな?」
快が挑発的に言った。
賊徒の間に怯えが走る。頭は殺され、切札のブロウ・デーモンも死んだ。人質も、すでに奪還されたも同然である。
「に、逃げろぉっ!」
捕われた仲間を捨て、逃げ出そうとする賊徒。しかし、それよりも早く、快が魔法を発動させる。
「……闇よ、抱け」
彼女を中心に、周囲に夜より暗い、濃く冷たい闇が広がった。それは近くにいたレヒトたちも飲み込み――ゆっくりと、賊徒のもとにも広がってゆく。
「……な、なんだ? こりゃ」
「はっ、驚かせやがって……痛くも痒くもねぇぞ!」
快が妖艶に笑う。
「……そう。痛くも痒くもないよ。ただ……」
その言葉が終わらぬうちに、悲鳴があがった。賊徒たちが、次々と大地に倒れ伏してゆく。
「ただ、恐怖に包まれるだけだよ」
賊徒たちは、現れた闇に身体を食われていた。闇に包まれた部分から、身体が消滅し始めたのである。
「た、助けて……助けてくれぇっ!」
足から消滅した男が、快の足にすがりついた。
快は無表情のまま、闇に飲まれてゆく男を見据える。
周囲に倒れた男たちがあげる、恐怖の声。手や足から消えていった男たちは、ただその闇から逃れようとがむしゃらに暴れ。頭から消滅した男は、まだ半分以上も残っているというのに、ピクリとも動きはしなかった。
「た、頼む! 助けてくれぇ! なんでもするっ……!」
「……君たちは、そうやってすがってきた街の人たちを、ブロウ・デーモンに食い殺させたんだよ? 無抵抗の人たちを、なんの躊躇いもなく」
快は笑っていた。酷く冷たい、氷の微笑。
「僕は、君たちだけは許せない。だから……」
男の顔に、絶望の色が広がった。
「さよなら」
その言葉とともに、男の身体が完全に消滅した。闇が消え去った時――賊徒たちは、誰一人として残ってはいなかった。
「……終わったね」
快が微笑む。レヒトは、静かに頷いた。
人の中には、これほどまでの憎悪が、眠っているというのだろうか……。
「どうやら、終わったようですわね」
あの女性が、レヒトに近付いてくる。レヒトは頭をさげた。
「ありがとうございました。貴女のおかげで、街の人も無事でした」
「いえ。私はなにもしておりませんわ。魔物を浄化するという目的を果たしに来ただけです。お気になさりませぬよう」
女性はふわりと笑った。
「魔物の浄化を?」
「ええ、それが私の役目ですわ」
言って、女性はレイヴンのほうへと視線を移した。
「なぁに?」
「いえ、なんでもありませんの。……確か二人組ということでしたし、きっと私の勘違いですわね。魔物には気を付けなければなりませんよ?」
女性は屈み、レイヴンの頭をそっと撫でた。長い睫毛に縁取られた瞳が、柔らかい光を宿す。
(やっぱり、どこかで会ったような気がする)
先程からの疑問。レヒトは思い切って聞いてみることにした。
「あの、どこかでお会いしたこと……ありませんか?」
レヒトがそう聞くと、女性は驚いたような顔をした。
「まぁ。私もそう思っていましたの。けれど、どこでお会いしたのか……」
「不思議なこともあるものですね」
「ええ、本当に」
女性はそう言って微笑んだ。
「それでは名も知らぬ旅の方、機会があれば、またお会いしましょう」
優雅に一礼すると、女性はガドレイン領の方へと歩いて行った。
「知り合い?」
見上げてくるレイヴンに、レヒトは曖昧な笑みを見せた。
「いや……見たことはあるんだが、どこで会ったのか思い出せないんだ」
「ふぅん。けっこう、綺麗な人だったね」
名前、聞いとけばよかったのに、とレイヴンが悪戯っぽく言った。
「……あのなぁ」
「旅の方……」
言葉を遮られ、レヒトが振り向くと、賊徒に捕われていた街の住人――昼間出会ったあの老人が、少し離れた場所に立っていた。
「街を救ってくれたこと、感謝しておる。だが……言いにくいんじゃが、今夜のうちに出て行ってはくれんかね」
「なん……」
「わかってます」
言いかけたレイヴンの口を封じて、レヒトが答える。老人の、住人たちの怯えた視線の先にいるのは――快。
「すまぬの……」
「……気にしないでください。快、行こう」
納得していないレイヴンの手を引き、うなだれたままの快を連れて、レヒトは街の外へ出た。
「ねぇ、なんで追い出されないといけないの? レイヴンたちがやっつけてあげたのに!」
頬を膨らませるレイヴンに、快が力なく微笑んだ。
「ごめんね。僕のせいだ」
「気にするな、快。君のせいじゃない」
その肩に手を置いて、できる限り優しくレヒトは言った。
街の住人たちは怯えていた。快の放った魔法を見て。快が人間ではないと気付いて。
「僕が……街の人たちの前で、あんな魔法を使ったからね。怖がらせちゃったんだ」
「けど、快は街の人のために魔法使ってあいつらやっつけたんでしょ? それなのに、追い出されないといけないの? 酷いね!」
自分のことのように怒るレイヴンに、快は柔らかく微笑んで見せた。
「……レイヴンは優しいね」
「レイヴン、快のこと大好きだから!」
そう言って、レイヴンは笑う。
「ありがとね」
快はどんな気持ちで魔法を使ったのだろう。どんな気持ちで人の命を弄んだ賊徒を葬り、どんな気持ちで今この場にいるのだろう。
レヒトは胸が痛んだ。彼女の、悲しそうな顔は見たくない。
人間と精霊人の間に横たわる深い溝。本当に、埋めることはできるのか。十年前の精霊狩りの再来を、とめることができるのか。
(……それでも、俺はやる。それが、どんなに困難なことだろうと)
快の横顔を見て、レヒトは深く心に誓った。
「レヒト! 見てよ、ほら! 陽が昇ったよ!」
レイヴンがはしゃぎながら水平線の彼方を指差した。闇を裂き、輝かしい太陽が姿を見せ始めている。
さっきまであんなに怒っていたというのに。二人は顔を見合わせて笑った。
「行こうか」
「……、うん」
先を進むレイヴンの後を、少し遅れて二人は追った。