第44話 夕闇に染まる廃墟で
廃墟と化した街中を、レヒトは一人歩いていた。立ち並ぶ建物のほとんどが、もはや原型を留めてはいない。
生き残った住人たちは、快が破壊した門から、すでにガドレイン領へと避難させている。あとは賊徒がやってくるのを待つだけとなり、レヒトは見回りも兼ねて、街を探索し始めたのだ。
「……酷い有様だ」
街を吹き抜ける冷たい風。まるで泣き叫んでいるようだとレヒトは思う。
街の南側を一回りし、レヒトは中心部へと戻った。街の中心部は、本来ならば露店などが立ち並んでいるためか、ちょっとした広場のようになっている。
散乱していた惨い遺体は、簡易的な弔いをすませた後、快が精霊の力を借りて火葬した。充満していた血臭も風が運び去り、今はただ、夕闇に染まる廃墟があるだけ。
レヒトはどす黒い血溜まりの中、佇む鮮やかな真紅を見つけた。
胸の前で両手を組み、目を閉じて。その唇が、微かに言葉を紡いでいた。
近付けば、レヒトに気付いたのか、彼女はゆっくりと視線を移す。その瞳に、いつもの強い輝きはない。代わりに存在するのは――暗く、冷たい、なにか。
「なにをしていたんだ?」
「……祈ってた」
レヒトが問いかけると、快は小さな声で答えた。
「そんなの……気休めでしかないって、わかってるんだけどね……」
レヒトは理解した。快の瞳の奥に存在するものが、深い哀しみの色なのだと。
「快……」
「大丈夫だよ、僕は」
快は微笑んで見せた。彼女の微笑みを見ると、レヒトは、それ以上なにも言えなくなる。快が時折見せる、美しくも哀しいその微笑みは、他人を拒絶する壁でもあった。
「そんなことより。ほら、これ見て」
「これは?」
快が見せたのは、茶色い、硬質の太い毛。
「……亡くなった人の衣服にね、ついてたんだ。レイヴンは、ブロウ・デーモンの体毛だろうって言ってる」
「ブロウ・デーモン……」
「それに、亡くなった人たちの身体を見ても……剣とかでやられた感じじゃないんだ。これはあくまで推測だけど、鋭い爪とか牙とかで……食いちぎられたんだと思う」
「賊徒と……魔物が一緒にいたってことか……」
それは、レヒトも薄々感じていたことだった。あの建物の壊れ方――人間がやったとは思えなかったからだ。それに、生き残った街の住人が見たという、黒く大きな獣の影。
「そんな話、聞いたこともないけど……たぶん、間違いないよ」
そう言って、快は引き攣つれ、焼け爛れた壁を指差した。
「あの爛れた壁も……普通に焼けただけじゃ、ああいう風にはならない。かなり強力な魔法が直撃して、ああなったんだと思う。けど、あの焼け跡からは精霊を感知できないんだ」
精霊人や天界人が魔法を発動させるには、精霊の力を借りなければならない。
快が言うには、精霊の力を借りて発動させた魔法――それによって破壊されたり、傷を負ったりした場合、そこにはしばらくの間、わずかな痕跡が残るというのだ。街の住人の話によれば、賊徒が現れたのは五日前。痕跡が完全に消え去るには早いと快は言う。つまり、彼女がそれを感知できないということは――。
「……魔物、か」
快は頷いた。
魔物も魔法を使うが、ひとつ大きな違いがある。魔物は精霊の力を借りずに、魔法を発動させることができるのだ。
快によると、魔物が魔法の発動に必要とするエナジーは、その体内で自己生成されている、というのがヘヴンの研究者による通説らしい。魔物が精霊を行使するための詠唱を必要としないのはそのためである、と。
「……魔物は精霊の力を借りずに、魔法を使う、か……」
それなら、レイヴンは――そう言いかけて、レヒトはやめた。それは、レヒトがずっと疑問に思っていることだった。快も、レヒトの言わんとしていることがわかったようだ。
レイヴンは、精霊を感知することができないらしい。そして、魔法を発動させるための詠唱も、必要としない。にも関わらず、レイヴンは人並外れた、凄まじい破壊力の魔法を扱えるのだ。
人間でも、精霊人でも、魔精霊でも、竜族でもないというレイヴン。あの子は、一体――。
「……レイヴンは、レイヴンだ。たとえ、あの子の正体がなんであれ……」
そう呟けば、快もにっこりと笑った。
「当たり前でしょ。レイヴンは大切な仲間だよ。それに、ちょっとくらいミステリアスなほうがいいじゃない」
快らしい言葉だ。彼女の言葉には、他人を安心させる不思議な力があるとレヒトは思った。
しばらく快と話をしていると、広場から街の北側に続く道を走る、見慣れた小柄な人影が見えた。
「レヒトー! 快ー!」
見張りに出ていたレイヴンが戻ってきたようだ。
賊徒が現れるのは街の北側、ハルニート領。そのため、三人は交代で、賊徒が現れるという北側の門を見張ることにしたのだ。
こちらから打って出るという選択肢もあるのだが、これはレヒトのことを考慮して却下された。というのも、泳げないレヒトは、水に囲まれた橋の上という場所に、恐怖心を覚えるのだ。こればかりはいかんともしがたい。
そのため、それなりの広さがあり、水の上だということを感じさせない街中で、賊徒を迎え撃つことになったのである。
「おかえり、レイヴン。その様子だと、まだみたいだね」
レイヴンは頷いた。
「うん。まだ見えないよ」
「それじゃ、次は僕が見に行こう」
「気を付けろよ、快」
レヒトが声をかければ、快はウィンクして見せた。
「任せてよ」
快が見張りのためにその場を去り、レヒトとレイヴンが残された。
二人の間を、強い風が吹き抜ける。
「……風、強いね」
「あぁ……」
かける言葉が見付からず、二人の間に沈黙が流れる。
「ねぇ、レヒト」
先に言葉を発したのは、レイヴンのほうだった。
「なんだ?」
「んっとね……えっと……」
いつもとは違うレイヴンの様子に、レヒトは首を傾げた。
言葉を探しているのではない。言いたいことがあるのに、言おうかどうか迷っているといった感じだ。
「言ってみな? ちゃんと聞いてやるから」
そう言えば、レイヴンは小さく頷き、やがてゆっくりと話し始める。
「あのね……さっき快に聞いたんだけど、魔界の南のほうにね、綺麗な海があるんだって。ずーっと砂浜が続いてて、すっごく綺麗なんだって」
レヒトは黙ってその言葉を聞いていた。
「だから……だからね、今度一緒に行こうよ。レヒトと、快と、レイヴンと。……いいでしょ?」
不安げに、上目遣いに見上げるレイヴン。断わられるかも、と心配したのだろうか。
その頭に、レヒトはそっと手を置いた。
「ああ……使命を果たして、この旅を終えたら……一緒に行こうな」
レヒトがそう答えれば、レイヴンは輝くような笑顔を見せた。
「ほんと!? 約束だよ! 絶対だからね!」
「約束しよう」
「うん! 楽しみにしてるよ! 泳げないからって、約束すっぽかしたらだめだからね!」
そう言って、何度も何度も、約束を交わす。
繰り返される、絶対、という言葉に、レヒトは何度も頷き、その度に何度も、絶対、と返した。
幾度かそんなやりとりを繰り返すうちに、街はすっかり闇に包まれた。
吹き荒む風が破壊された建物の間を抜け、その音は、まるで悲しげな悲鳴のように、廃墟と化した街に響いた。
「……レヒト」
不意にレイヴンがあげた小さな声。レヒトは無言で頷いた。
「どうやら……来たようだな」
その言葉が終わらぬうちに、廃屋の向こうから快が姿を見せた。その手には、すでに銃を構えている。
「数は、ざっと二、三十人ってとこかな」
ほぼ予測通りだとレヒトは思った。
「さて……お客様をここまでご案内するか」
レヒトがおどけた口調で言えば、レイヴンがスタッフの先に光を灯した。
蒼穹に浮かぶ太陽――とまではいかないが、レイヴンの生み出した光は、三人の存在を知らしめるには十分な輝きを放った。
「……油断するなよ、二人とも」
レヒトはセイクリッド・ティアを抜き放つ。魔法の光を受け、剣は美しく煌めいた。