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第42話 戦士の休息-3-

 瞬時にして長く伸びた二人の爪がぶつかりあい、火花を散らす。

 大地を蹴り、リーンハルトが後方に飛べば、追い撃ちをかけるようにシャサラザードの爪が空を裂く。

 紅い爪が庭の草を散らし、風に吹かれて舞いあがる。

 大地に手を着き、その反動を利用して、リーンハルトは蹴りを叩き込んだ。

「おぉっと!」

 それを、シャサラザードは軽く上体を反らして避ける。

「……さすがだな」

 目の前で繰り広げられる一進一退の攻防に、レヒトは感嘆の声をあげた。

 シャサラザードはさすが英雄と賞されるだけあり、その動きは常軌を逸している。そして、そんな彼に育てられ、また鍛えられたからだろうか、リーンハルトの動きもしなやかかつ大胆。変則的なシャサラザードの攻撃を受け流し、常に反撃の機会を窺っている。

 静寂の中、爪と爪とがぶつかりあう、甲高い音が周囲に響く。

「リン! がんばって!」

 きゃっきゃっと楽しそうに声をあげるシンシア。稽古とはいえ、戦いなど怖がるのではないかとレヒトは思っていたのだが、シンシアは怯えるどころかシャサラザードが持ってきた訓練用の剣を嬉々として振り回している。これは、将来かなりの大物になるかもしれない。

「シンシアはリンが好きかい?」

 レヒトがそう尋ねると、シンシアは満面の笑みで頷いた。

「うんっ。シンシアね、リン大好き!」

 リーンハルトの頬が微かに朱に染まったのを、レヒトは見逃さなかった。

「シンシアが応援してあげれば、勝てるかもしれないな」

「レ、レヒト殿! からかわないでくださいっ!」

 生真面目な少年は真っ赤になった。

「はは、悪かった」

 シャサラザードの放った一撃を避け、リーンハルトは再び真剣な表情を見せた。その顔には汗が伝い、まっすぐに父親を見据える目には、若干の焦りも滲む。

(……まだ、シャサラザードのほうが上手か)

 笑みまで見せ、余裕のあるシャサラザードとは対照的に、リーンハルトのほうは呼吸が荒くなっている。集中も途切れてきたのだろうか、徐々にシャサラザードの攻撃を防ぎきれなくなってきたようだ。

「まだまだ甘い! ……おりゃっ!」

 鋭い気合いとともに、一撃を受けとめようと構えたリーンハルトの右手の爪を、シャサラザードが弾く。同時に左の肩に拳が叩き込まれ、数歩下がったリーンハルトが、がくりとその場に膝を付いた。

「はぁ……また負けてしまいました。やはり父上はお強いです」

 リーンハルトは額の汗を拭きつつ笑った。

「動きはだいぶよくなった。あとは基礎体力の向上と……まあ、経験だな」

 師匠でもあるシャサラザードが告げれば、リーンハルトは素直に頷く。

「うぅん……なぁ、レヒト。リンに稽古つけてやってくれないかい?」

 のんきな傍観者を気取っていたところに突然話を振られ、レヒトは大いに驚いた。

「え、俺が!?」

「見てるだけじゃ退屈だろ? それに、リンの経験にもなるからさ」

「はい! ぜひお願いします、レヒト殿!」

 シャサラザードが言えば、リーンハルトも嬉しそうに声をあげた。レヒトはしばし思案する。

「……俺はほとんど我流だし、戦い方もいい加減だけど。それでもいいなら」

「問題ないさ。俺だって我流だもんな。ほら」

 シャサラザードがレヒトに、先ほどまでシンシアが振り回していた、例の訓練用の剣を投げて寄越す。稽古にもよく使われる小振りな剣で、刃がついていないため、斬れることはない。

「じゃあ、行くぞ」

 レヒトは剣を構えた。リーンハルトも腰を落とし、臨戦体勢に入る。

「はい。よろしくお願いします」

 言葉とともに、彼の爪が長く伸びた。紅色の長い爪が、霧の中にぼんやりと浮かぶ。

「遠慮はいりません。本気でお願いします!」

「ああ」

 レヒトは頷く。

 しばし、二人は対峙し――先に仕掛けたのは、リーンハルトのほうだった。

「はぁっ!」

 突き出された爪を剣で受けとめる。まだ子供はいえ、彼も魔精霊。繰り出された一撃は、すでにレヒトを凌ぐほどに重い。

「!」

 レヒトは剣を退き、間合いをとった。指先に残る微かな痺れ。

「……驚いたな。力では、俺なんかとてもじゃないが敵わないぞ」

「力では、ね」

 観戦していたシャサラザードが、微かに笑ったのがわかる。

 濃くなった霧に阻まれ、視界はいよいよ悪くなっていた。剣を交えつつ、じりじりと下がるレヒトに対し、リーンハルトは追撃の手を緩めない。攻撃をかわすために背後へ跳んだレヒトが、一瞬、わずかに体勢を崩したようにも見えた。

 その隙を逃さず、リーンハルトが迫る。

「わっ……!」

 だがその瞬間、右足に軽い衝撃を受けて、リーンハルトの動きが止まった。

「はっ!」

 そこでようやく攻勢に転じたレヒトの剣が、その肩を強かに打つ。先程、シャサラザードが拳を叩き込んだ場所だ。

「!」

 突かれた肩を押さえ、リーンハルトは大きく後方へと飛んだ。その姿が、霧に隠されて見えなくなる。

「霧を味方につけるとはねぇ」

 いつの間にか眠ってしまったらしいシンシアを腕に抱き、二人の様子を眺めていたシャサラザードが、感心したように言った。

「そんなんじゃない。俺はただ、せこいだけだ」

 レヒトは笑った。

 種を明かせば至極単純、レヒトは霧で体が隠れているのを利用して、足元の小石を蹴っ飛ばしたのである。

「邪道と言われれば邪道だが」

 構えを解き、レヒトはシャサラザードのほうを振り返る。

 隙だらけ……という以前に、まったくの無防備である。

「残念ながら、俺が戦ってきたのは手段を選ばないような連中だったんでな。なんでもありだ。生き残るため、守るためには――」

 背後から振り降ろされた一撃を、レヒトは振り返りもせず、背に回した剣で受けとめた。

「えっ……!?」

 驚愕に声をあげたリーンハルト。動きがとまった隙に、レヒトは剣で爪を弾く。

 そして瞬時に振り返るも、すでに剣の間合いの外である。

 とっさに後方へと飛んでいたリーンハルトの頬を、銀色の閃光が浅く掠める。頬に、微かな紅い筋が走った。

 リーンハルトは目を見開き、そのままずるずると地面に座り込む。

「言っただろ?」

 そんなリーンハルトを見下ろし、剣を手放したレヒトは悪戯っぽく笑った。

「――なんでもありさ」

 レヒトは手を貸してリーンハルトを立たせた。ぱちぱちと、シャサラザードが手を叩く。

「いやぁ、やるね。さすが、さすが。まさか剣をぶん投げるとは思わなかったけどさ」

「だから言っただろう、我流の邪道戦法だって。……っと、大丈夫だったか? 稽古なのに、つい本気で」

 うつむき、肩を震わせているリーンハルトに、レヒトは気まずげに声をかけた。

(少し大人げなかったかな)

 困ったように頬を掻くレヒト。

「レヒト殿……」

 リーンハルトがゆっくりと顔をあげた。その瞳はきらきらと輝いている。

「素晴らしいです、レヒト殿! 教えられることがたくさんありました! これからは、私もレヒト殿を見習って……!」

 拳を握り締めて捲くし立てるリーンハルト。レヒトは大慌てに慌てた。

「いや、それはやめたほうが。俺のは邪道だから」

「とんでもない! 戦い方に邪道も正道もありませんっ!」

「あ、いや……けどなぁ……」

 そんなやりとりがしばらく続き、ふとシャサラザードが視線を移した。なにかあったらしく、屋敷の中が騒然としている。

「なぁんか騒がしいな。なんかあったのかな?」

 屋敷内に戻ると、召使いが慌ただしく走り回っていた。

「おーい、どーかした?」

「ああ、シャサラザード様!」

 シャサラザードに気付いた召使いが駆け寄ってくる。

「それが、室内に剣が投げ込まれまして……。幸い怪我人はなかったのですが、花瓶が砕け散ってしまいました。賊やもしれません。お気を付けください」

 その言葉に、三人は思わず顔を見あわせる。

「……はは、それは賊じゃなくてだなぁ……」

「?」

 言葉を濁すシャサラザードに、首を傾げる召使い。

「……真似はしないほうがいいぞ」

「そうします……」

 人騒がせな邪道戦法が受け継がれる危機は、どうやら去ったようである。




「おーい、レヒト!」

「快」

 客室に戻ろうとしたレヒトは、廊下で快とばったり出くわした。自然と心が弾む。

 快は上質な絹の夜着に身を包んでいる。シンプルだが美しい白い夜着は、快の清楚で可憐な印象を際立たせ、彼女を彩る。

 ちなみに、レヒトも同じような夜着を借りているのだが、彼の場合はなんというか、似合わない。

「なんか、いつものレヒトと違うからかな? 不思議な感じ」

「……まあ、似合わないのは認めるが。そういう快は様になってる。まるでどこかの姫君じゃないか」

「あら、ありがと」

 快は艶やかに微笑んだ。

「……あ、その、快?」

「なぁに?」

 言い淀むレヒトに、快は小首を傾げてみせる。

「ありがとな」

 レヒトは小声で言った。

「一緒に、来てくれて」

「気にしないで。僕が一緒に行きたいって言ったんだし」

 ひょっとして迷惑だったかな、と快が言えば、レヒトはぶんぶんと首を横に振る。

「とんでもない! ……嬉しいよ」

「ふふ……ありがとう。なんだか、楽しい旅になりそうだね?」

 そう言ってウィンクする快に、レヒトもぎこちなく笑い返す。

「ああ、そうだな。……き……き……」

「どうしたの?」

「あ、いや……き、今日は、もう休ませて貰う。明日からは、また忙しくなるしな!」

 軽く咳払いしてそう言えば、快もそうだね、と頷いた。

「少し疲れちゃったし、僕も休ませてもらおう。おやすみ、レヒト」

「ああ……おやすみ」

 他愛ない言葉を交わして快とも別れ。しばし歩いたところで、レヒトはそっと振り返る。

(……君がいるから、なんて……言えるわけないって)

 立ち去ってゆく快の後ろ姿を眺めて、レヒトは軽いため息を吐いた。




 翌朝は快晴、絶好の旅日和。一行は屋敷前で別れの挨拶を交していた。

「すっかりお世話になってしまって……」

 そう言ったレヒトに、セルトラートが柔らかく微笑む。

「昨日はとても楽しかったですよ。また、お立ち寄りくださいね」

「そうそう! 友人ダチだろう? また来てくれよな」

「ああ、必ず!」

 レヒトは差し出されたシャサラザードの手を握り返した。友人、という言葉が、なにより嬉しい。

「真魔界と魔界の国境まで、馬車で送らせるからさ。そっからは徒歩で魔界を進んで、北方大陸へはクレセント大橋を越えて行くことになるわけだな。長い道のりだけど、頑張れよ」

 シャサラザードがレヒトの肩を叩く。

「ああ」

「セルトラート様、馬車の準備が整いました」

 御者として遣わしてくれた初老の男性が、セルトラートに声をかける。

「わかりました。……お名残惜しいですが、ここでお別れですね」

「レヒト殿。また、ぜひお立ち寄りください。その時は、きっとレヒト殿から一本取ってみせます」

「楽しみにしてる」

 答えて、レヒトはリーンハルトに手を差し出した。少し驚いたようなリーンハルトが、笑顔でその手を握り返す。

 次に会う時、この生真面目な少年はレヒトを超える強さになっているかもしれない。それを、どこか楽しみに思う自分がいることにレヒトは気付いた。

「ばいばい」

 リーンハルトの影から手を振るシンシアの頭をそっと撫で、レヒトは立ち上がった。

「それじゃあ、俺たちはこれで」

「お元気で。皆さんの旅の成功をお祈りしています」

 四人に見送られ、朝露の残る道を馬車は進む。彼らの姿が小さくなって見えなくなるまで、レヒトは手を振り続けていた。

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