第37話 霧の遺跡と琥珀の瞳-2-
「……そんなに恐がらなくても。っていうかわざとじゃなくて素だったんだ」
思わず抱き合ってしまった二人を見下ろして、男はのほほんとした口調で言った。
「もうッ! びっくりさせないでよねッ!」
「いやぁ……ごめん、ごめん。君らがあんまり面白いからつい、ね」
男は悪びれた様子もなく、にへらっと笑った。
「ようやく気付いてもらえてよかったよ。んで、早速で悪いんだけど助けてくんない? ほら、ここで会ったのもなにかの縁だし」
「そう、言われてもな……。どうすればいい?」
「おおっ、助けてくれる? んじゃ、そこにある魔方陣……そうそう、君たちの足元。それさ、擦って消してくんない? 俺の身体縛ってるこの鎖……その魔方陣のせいだからさ、たぶん」
男の言う通りに足元を見れば、そこには確かに薄ぼんやりと光る魔方陣があった。
「助けるの?」
「……あのままにして、もし本当に死なれでもしたら夢見が悪い」
「あー、確かに」
二人は頷きあうと、足で擦って魔方陣を消し、少しばかり後方に下がる。
ぱちん、と小さな音を立てて男の身体を戒めていた鎖が解け、天井に張り付けられていた男は意外と軽やかに降り立った。
「いやぁ。助けてくれて、どーもありがとね」
男は極楽鳥も真っ青の、ケバケバしい派手な衣装に身を包んでいた。他に類を見ない独創的な色遣いとデザインであり、一言で言ってしまえば趣味が悪い。顔だけ見ればかなりの美形だが、そのチャラチャラした雰囲気や派手な服装とが、彼を三枚目に見せていた。
「俺の名前はシャサラザード。君らは?」
「俺はレヒト、こっちはレイヴンだ」
「ふんふん、レヒトにレイヴンね。んで、こんなとこでなにしてんの? ここ、けっこう危ないぜ?」
シャサラザード、と名乗った男は指を左右に振りつつ言った。なにか塗ってあるのか、その爪は毒々しい紅い色をしていた。
「あんたこそ、なにをしてるんだ? 危険な遺跡で……宝探しか?」
シャサラザードは、にへらっと笑って見せた。なんというか、締まりのない顔だ。
「お宝はお宝かもな。攫われた子供たちを探してるのさ」
「あんたも? 俺たちもだ」
レヒトがそう返すと、シャサラザードは口笛を吹いた。
「そりゃ奇遇。んじゃさ、一緒に行こうぜ。けっこう危険な敵さんだし、戦力は多いに越したことないだろ?」
「……まぁ、な」
確かにそうなのだが、この男を一緒に連れて行って、果たして戦力になるのだろうか。
レヒトほどの腕前になれば、初見の相手でもそこそこにその実力がわかるものなのだが、この男からはまったくそういった類のもの、言ってしまえば匂いを感じないのだ。それは相手が素人同然か、あるいはレヒトよりも数段実力が高い、相当の手練れであるかのどちらかである。当然のことながら、ファントムは後者に当たる。
「ほらほら、ここで会ったのもなにかの縁ってことで、さ。それに目的は一緒なんだ、わざわざ別れなくたっていいだろ」
「それもそうだな。……と、そういえば、あんたは犯人と接触したんだろ?」
シャサラザードは、けっこう危険な敵さんだ、と言っていた。これは要するに、彼が犯人と接触したということを意味する。こんな場所で磔になっていたのも、その攻撃を受けて、と考えるのが自然だ。……単純に、遺跡に残る罠に嵌っただけ、などということも考えられるが。
「ああ、会ったよ。ちょうどここで。これがかなり美人なお姉ちゃんでさ、見とれてたら魔法で磔にされたってわけ」
照れたように頭を掻くシャサラザード。
「……助けないほうがよかったんじゃないの?」
ちょいちょいとレヒトの服の裾を引き、小声で呟くレイヴン。レヒトも頷いた。
「んじゃ、そういうわけだし行こうか。ちなみに道はあっち」
シャサラザードは別れ道を右に指差した。
「自信ありそうだな」
「そりゃあね。昔、奥さんと一緒に来たことがあるからさ」
「奥さん!?」
驚きの声をあげたレヒトとレイヴンに、シャサラザードはきょとんとした表情を見せた。
「どーかしたのかい?」
「あ、いやいや……なんでもないんだ」
ぱたぱたと手を振って誤魔化す。シャサラザードは首を傾げたが、それ以上は追及してこなかった。
「この遺跡は一番奥に、ちょっとした広間みたいなとこがあってな。子供たちと犯人は、たぶんそこだろ」
真面目な顔で、シャサラザードが二人にそう説明した。こういう顔をすると、どことなく気品のようなものが滲み出る。が、すぐにまた締まりのない表情に戻った。真面目な表情は長くもたないらしい。
「ここってさ、けっこう複雑な造りしてて、知ってる奴でも迷うくらいなんだ。よくここまで辿り着けたな」
「俺には幸運の女神の加護があるから……なんてな」
レヒトが言うと、シャサラザードは唇の端を持ち上げた。
「なるほど。……んじゃ、こっちのほうは?」
「試してみるか?」
そう切り返せば、彼はけっこう、と両手をあげた。
レヒトにしてみれば、寧ろ彼の腕のほうが気になるのだが、自分で話題を振ってきた以上は自信があるということなのだろう。
「さーて、子供たち救出に、レッツらゴー!」
鼻唄を歌いながら先頭を進むシャサラザード。二人も少し離れて後に続く。
「変な人だね」
「……俺もそう思う」
一応、二人は小声で話している。仮に聞こえていたとしても、彼はなにも言ってこないような気もするが。
「……あの人の奥さん、見てみたいな」
「え? 俺の奥さん、見たいって?」
シャサラザードが突然振り返り、レイヴンにずずいっと詰め寄る。やはり聞こえていたようだ。
「う、うん。まぁ……」
珍しく押されぎみのレイヴン。
「この事件解決したら会わせてあげるよ。もうね、めっちゃ美人。俺に負けず劣らず強いし、聡明だし、なにより優しいしで最高さ」
「そ、そうなんだ」
延々と続くシャサラザードの妻自慢を聞きながら、曲がりくねった複雑な廊下を歩き続けた一行は、やがて古い大扉の前へと辿り着いた。
「ここは?」
「この奥が、例のちょっとした広間ってやつ」
「すごい扉だな……」
人の背丈の二、三倍はあろうかという巨大な扉を見上げつつ、レヒトは呟く。
「んー、ここって、昔は城だったらしいんだよね。今は廃墟だけどさ。だから、その当時の謁見の間かなんかだったんじゃないかねぇ?」
「なるほど」
レヒトは扉に手をかける。当然のごとく、扉は押しても引いてもびくともしなかった。
「……駄目だ。鍵が掛かってる」
「まあ、そりゃそうだろうね。まっかせなさーい。ちょいとそこ退いてて」
シャサラザードの指示に従って、レヒトは大扉の前から離れる。それを見届けたシャサラザードは固くなった身体を解すように伸びをして、そして扉の向こう側に誰もいないことを確認すると。
「うぉりゃっ!」
気合一閃、扉を一蹴り。凄まじい音と震動とを伴って、破壊された扉は内側に倒れ込み、朦々たる土埃を舞いあげた。
「はい、完了。子供たちはどこかなー?」
目を丸くする二人を置いて、シャサラザードはすたすたと中に入って行った。
「……なに、あの人」
「俺が知るか」
二人もシャサラザードを追い、広間になっているという場所へ。と、その時。
「うわっ!?」
風を斬る音とともに、レヒトを襲った鋭いもの。レヒトはとっさに半歩下がってかわすが、髪の一房が裂かれて散った。
「な、なんだ!?」
レヒトの声に気付いたらしい、シャサラザードが近付いてくる。声はほぼ同時にあがった。
「ありゃ、誰かと思えば」
「父上!? 父上ですね!?」
レイヴンがスタッフの先に灯した光が、レヒトを襲った人物を照らし出した。
年の頃なら十代半ば、まだ幼さを残してはいるが、整った顔立ちの美少年だった。
「父上って……?」
「ん? こいつ、俺の息子」
少年の隣に立ち、まだ細い肩を叩きながらシャサラザードが答える。
「父上のご友人でしたか。先程は失礼致しました」
少年はレヒトに向かい、深く頭をさげた。
「私はリーンハルトと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ」
レヒトも会釈を返す。安堵したように微笑む少年は、並び立つ父親にはあまり……というか、全然、似ていない。母親似なのだろうか。
「まったく。こーんな黴臭いとこに可愛い息子を二ヶ月も閉じ込めやがって、酷いことするぜ。……と、そうだ。リン、他の子は?」
「奥です。凄まじい音がしたので、もしや魔物かと思い、私が出て参りました」
「そっか、そっか。子供たちが無事ならそれでよし。とりあえずここを出よう」
シャサラザードがそう言った、その時だった。レヒトの背筋を、冷たい感覚が走り抜ける。
「退がれ!」
レヒトはセイクリッド・ティアを抜き放ち、虚空に――シャサラザードによって破壊された、扉のほうへと向けて振った。
甲高い金属音が響き、弾かれた投げナイフが周囲に落ちた。
全員が、臨戦体勢に入る。
「……やるな。防がれるとは思わなかった」
扉のあった場所に立つ人影。魔法の光がその姿を照らし出す。
一人の男が、そこにいた。小麦色の肌に、硬質の髪はくすんだ金色。そしてなにより印象的なのは、猛禽類のような、鋭い琥珀色の瞳。年は、若くも見え、老けても見えた。
(この男……かなり強い)
息が詰まるような威圧感。目の前の男は動いてすらいない。こちらも動かない。いや、動けないのだ。動けば、瞬時に殺られる。
「あー、君がもう一人の敵さんか」
シャサラザードが呑気な声をあげた。そして、なにを思ったかゆっくりと男に近付いてゆく。
「男女二人組だって聞いてたのに、俺が会ったのは美人のお姉ちゃんだけだったからさ」
「……シルディールが言っていたのはお前のことか」
「あのお姉ちゃん、シルディールちゃんって言うのか。よーし、覚えたぞ」
まるで、世間話でもしているかのように。それでも、一歩ずつ、確実に距離は縮まってゆく。
長いような短いような時の後。二人の距離は、もう手を伸ばせば届くところまで縮まっていた。
そして、シャサラザードが立ち止まる。
対峙は一瞬だった。
二人は一度大きく後方へ飛び、動く。放たれた投げナイフを弾き、シャサラザードが肉薄する。耳障りな金属音をあげ、ぶつかりあう二人の影。男が繰り出す攻撃を、シャサラザードはあろうことか、長く伸びた片手の爪で受けとめていた。
「ほーら、なにやってんの。子供たち連れて、さっさと逃げな!」
「あんたを一人残して行けるか!」
「いいから、早く行け!」
声を荒げるシャサラザード。彼の息子のリーンハルトが、レヒトの手を引いた。
「父上は大丈夫です。あんな奴に負けはしません。行きましょう!」
「……わかった!」
奥にいた子供たちを連れ、出口に向かって走る。直感に従い、レヒトは皆を先導した。あと少しで、出口。
「!」
その足が、止まる。目の前に、現れたのは。
「魔物だと!? ……こんな時に!」
獅子と、鷲の姿をあわせ持つ、巨大な魔物――グリフォン。獰猛な魔物が、出口へと走る一行の前に立ちはだかった。
「レヒト、こんな場所じゃレイヴンの魔法は使えないよ。魔法なんか使ったら、衝撃で遺跡が崩れちゃう」
レイヴンが悔しそうに声をあげた。
「わかってる。俺がなんとかするから……レイヴンは子供たちを、頼む」
「うん」
レイヴンと子供たちを退がらせ、レヒトはグリフォンと対峙する。
視界に捉えたレヒトを邪魔者と判断したのか、グリフォンは一声吠えると、その口から灼熱の炎を吐き出した。
「くっ!」
体勢を低くして相手の懐に飛び込むことで炎を避け、レヒトはセイクリッド・ティアを一閃させる。しかし、グリフォンは背中の翼を羽ばたかせると、瞬時に空中へとその身を躍らせた。
「くそっ!」
ここが出口に近い場所であることをレヒトは悔やんだ。この遺跡――もとは城だったということは、ここはエントランスホールかなにかだったのだろう。無駄に広い空間は、翼持つ魔物に逃げ場を与える。そして、空中に逃げられては、レヒトの剣は届かない。
空中へと逃れた魔物は、怯えた視線を送る子供たちめがけて一直線に降下した。
「まずい!」
レヒトは慌てて走り出すが、魔物には到底、届きそうもない。
子供たちの絶叫が、響き渡った。