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第36話 霧の遺跡と琥珀の瞳-1-

 皇帝ウィンドリヒは皮肉な笑みを張り付けたまま、儀礼的に一礼して見せた。

「これは姉上、お元気そうでなにより」

 その言葉が本心からのものでないことなど、誰の目にも一目瞭然だ。

「まあ、陛下。このような場所へ……」

「姉上が勝手に旅人を連れて行ったと、今しがた報告を受けましてな」

 ウィンドリヒはセルトラートの言葉を遮ってそう言うと、まるで氷のように冷たい瞳をすぅ、と細めた。途端、部屋の空気がずんと重さを増す。

「……勝手な真似は慎んで頂きたいですな、姉上」

「しかし陛下。このままでは他国との関係が悪化し、争いになってしまいます。どうか、ご自重くださいますよう……」

「ほう。それでは、姉上は自国の子供たちを見捨て、他国との関係を重視する、と?」

「陛下……私は決して、そのような……」

 セルトラートは辛そうに俯く。これ以上、黙って見てはいられなかった。

「……いいんですよ、セルトラート様」

 そう言って、レヒトはセルトラートに微笑みかける。

「俺たちに任せてください」

「レヒト殿……しかし、それでは貴方がたまで巻き込むことに」

「そんなこと。俺が勝手に首を突っ込むんです。セルトラート様がお気になさることはありません。……レイ様の命を果たすためにも、ここで引き下がるわけにはいきませんから」

 レヒトはセルトラートから、皇帝ウィンドリヒに視線を移す。

「お初にお目にかかります、ウィンドリヒ皇帝陛下。俺はレヒトと申します。天界最高責任者レイ=クリスティーヌ様より特命を帯び、名代として参りました」

 ウィンドリヒが眉根を寄せた。聞きたくない名前を聞いた、と言った感じの反応だ。

「……天界の者が、我が国に何用だ」

「現在、ヘヴンに迫りつつある危機に備えるため――陛下の真魔界と、天魔両界との間に同盟を結んで頂きたいのです」

「……人間と魔精霊の間に同盟を結んだとて、我々に利があるとは思えんが?」

 ウィンドリヒは冷たい瞳を細める。歓迎されるとは微塵にも思っていなかったが、ここまで邪険にあしらわれるとは。

「陛下、そのお話は私のほうからさせて頂きたいと存じます」

 セルトラートがそう告げると、ウィンドリヒはわずかに唇を歪めた。ウィンドリヒとしても、民に絶大な人気を誇る彼女の意見を、無碍むげにはできないのだろう。加えて、同盟を申し入れているのは、あのレイ=クリスティーヌなのである。……尤も、彼はレイを嫌っているようだが。

「……貴様らが、この事件を解決できたのなら……考えてやらんことも、ない」

 しばし思案した上で、ウィンドリヒが言葉を発した。

「お任せください、陛下」

 うやうやしく頭を垂れたレヒトに、ウィンドリヒは冷たい視線を投げ返す。

「まあ、やってみるがよいわ……」

 あてになどしておらんがな、と冷ややかに続け、ウィンドリヒは部屋を出て行った。

「……レヒト殿、レイヴン殿……申し訳ありません。どうか、お気を悪くなさいませんよう……」

「お気になさらないでください、セルトラート様」

 レヒトは微笑み、ウィンドリヒが出て行った扉に視線を移す。別れ際に、彼が一瞬だけ見せた表情。憔悴したような、深い疲れを宿した瞳の中に、ほんのわずか、一瞬だけ。

(あれは、まるで縋るような眼差しだった……。いや、まさかな……)

 小さく頭を振って、レヒトはセルトラートに視線を戻す。

「早速で申し訳ありませんが、事件に関する情報、手掛かりなど、どんな些細なことでも結構ですので、教えては頂けないでしょうか」

「ええ、私の知る範囲でよろしければ。ファントム、あれを用意して頂けますか」

「はっ」

 ファントムが運んできたのは、かなりの大きさがある地図だった。セルトラートは、受け取ったそれを机の上に広げる。レヒトが持っているのはヘヴン全域が書き記された地図だが、こちらは真魔界周辺だけを詳細に書き記したものだ。

「ここが、私たちのいる帝都。そして、この街より北に広がるこの巨大な森は、白霧の森と呼ばれています」

 セルトラートが地図を指差す。レヒトとレイヴンも地図を覗き込み、その指を追うように視線を走らせた。

「犯人によって、子供たちを連行するよう指示されているのが、この白霧の森の入り口です。白霧の森には、古代の遺跡が点在しておりますし、森全体を常に霧が覆っているので、身を隠すのには最適な場所といえます」

「なるほど。となると、犯人はこの遺跡のどこかに?」

「私もそう思い、調べてみました。その結果、数多い遺跡群の中でも大きなこの遺跡……ここです」

 森の中に点在する遺跡の印。そのひとつを、セルトラートは指差した。

「この遺跡に、人影が入ってゆくのを見たという話です。確かに、ここは他の遺跡と比較しましても、丈夫な造りで中も広く、加えてかなり入り組んだ構造をしています」

「……わかりました。それでは、まずこの遺跡に行ってみます。地図、お借りできますか」

「ええ、どうぞお持ちください。白霧の森は迷いやすいので、そこまで案内させましょう。ファントム、行って頂けますね?」

「お任せを」

 セルトラートは少し心配そうに、それでもその顔に優しい微笑みを浮かべた。

「お願いします、ファントム。……同盟の締結については、私が必ずなんとか致します」

「セルトラート様……ありがとうございます。それでは、行って参ります」

「……どうかお気をつけて。必ず無事にお戻りください。……神々のお導きがありますように……」

 セルトラートに見送られ、レヒトとレイヴンはファントムとともに、犯人が潜むという白霧の森へと出発した。




 白霧の森はその名の通り、白く深い霧に覆われていた。白濁とした視界の中、二人はファントムに連れられて、舗装などまるでなされていない森の道を歩いていた。

「ねえ、レヒト」

「なんだ」

 レイヴンが欠伸混じりにそう問いかけてきたのは、白霧の森に入ってから、だいぶ歩いた頃だった。

「さっきからなーに読んでるの?」

「ミッフィーからもらったラブレターだ」

 紙からは視線を外すことなく、レヒトはそう答える。レイヴンがむっとしたように頬を膨らませたのがわかったが、あえて無視する。レヒトは忙しいのだ。

「……。ねえ、レヒト」

「今度はなんだ」

「奴隷ってなに?」

 レヒトは思わずずっこけた。見れば、こちらを振り返ったファントムも、なんとも言えない微妙な表情を浮かべているではないか。当のレイヴンは、きょとん、としたような様子だが。

「なに、なにって……お前なぁ……」

「だって知らないんだもん」

 がっくりと肩を落とすレヒト。レイヴンから一般常識が欠落しているのは知っているが、これでも神の頭脳を持つ、などと称される人物なのである。誰が付けた称号なのか知らないが、まったく、的外れも甚だしい。

「奴隷っていうのはだな……貴族や王族、要するに特権階級が使う……まあ、言ってしまえば所有物だ」

「なーにそれ? どういう意味?」

 レヒトは頭を抱えたくなった。これ以上、どう説明すればいいというのか。

「奴隷は自由を奪われ、所有者の意のままに動かされる人々のことを言う」

 頭を悩ませているレヒトに代わり、ファントムがそう言葉を続けた。

「そこにはまったく自由などなく、それこそ家畜のように扱われ、生きるも、死ぬも、所有者次第。権利なども、もちろん存在しない」

「ふーん、そうなんだ。……かわいそうだね」

「そうだな。……最近では、君のように優しい心を持った人々がたくさんいて、奴隷を解放する動きが広がっている。今も奴隷制度が残っているのは、中央・北方大陸ではこの国だけだな」

「おじさんは?」

 レヒトは慌ててレイヴンの口を塞ぐが、ファントムは柔らかく微笑んだ。

「私は奴隷ではない。どちらかといえば、使うほうの立場にある」

「……ファントムさん、貴族なんですね」

「ああ。私は奴隷解放戦争にて、英雄ラヴァンとともに戦った、シャサラザード=スィーツェルの孫にあたる」

 皇族であるセルトラートに仕えている時点で想像できたことだが、やはり貴族だったらしい。使うほうの立場にある、ということは、彼もまた奴隷を使っているのだろか。フォード卿の屋敷で出会ったミッフィーを思い出し、レヒトは少し悲しくなった。

 そんなレヒトに気付いたのか、ファントムはその視線をレヒトのほうへと向けた。

「私の屋敷に奴隷はいない。セルトラート様に誓いを立て、先代――父の奴隷は全員を解放し、望む者には私が賃金を支払い、改めて雇い入れている」

「え……」

「もちろん、セルトラート様の屋敷にも奴隷はいない。あの屋敷には以前セルトラート様のお母上が住んでおられたが、セルトラート様に代わった際、奴隷は全員が解放された」

「優しいんだね」

 レイヴンが言うと、ファントムも微笑みを見せて頷く。

「ああ。とても、お優しい方だ」

「……素晴らしい方なんですね、セルトラート様は。しかし……こう言ってはなんですが、奴隷を使う立場であったセルトラート様が、なぜ奴隷の解放を?」

「それはセルトラート様の夫が、貧民の出の者だからだろう」

 返ってきた答えに、レヒトは目を丸くする。皇族であり、皇帝ウィンドリヒの実姉でもあるセルトラートの夫が、貧民の出とは。

 通常、皇族の女性は、他国の王家や貴族などのもとに嫁ぐことが多い。これには国同士の政略的な要素も絡むため、ということも理由に挙げられるが、それにしても貧民出身の者と結ばれることなどまずない。真魔界のように、身分制度に厳しい国などでは、特に。

 瞬きを繰り返すレヒトに、ファントムは笑って言葉を続けた。

「天魔大戦を我々とともに戦った男で、一功あったとして爵位を与えられたのだ。変わった男だが腕は確かで……この国のために尽くしてくれている」

 貧民の出身でありながら、あのセルトラートが生涯の伴侶に選んだという人物に、レヒトは少し興味を持った。

「その方、お屋敷にはおられないようでしたが」

「ああ、奴は今回の事件を解決しようと単身、調査を続けていたらしい。この森を怪んでずっと張り込みを続け、例の遺跡に出入りした形跡を発見したのも奴だという話だ。姿が見えないということは、おそらく一人で乗り込んだのだろうな」

「……お一人で?」

 ファントムはあっさりと頷く。

「……そうですか……」

「中でばったり出くわすやもしれんな」

 供の一人も連れずに危険な遺跡に潜入するとは、なんとも型破りな人物である。いかに貧民の出とはいえ、今では皇族の一人なのだ。それも、この霧が漂う不気味な森で、ずっと張り込みを続けていたとは。会ってみたいような、会うのは怖いような……。

「きっとすごく変な人だよ。レイさんみたいに」

「……そうかもな」

 先を歩くファントムには聞こえないように、レヒトとレイヴンが小声で言葉を交わす。

 ファントムが足をとめたのは、それからまたしばし歩き続け、どこまでも続く同じ景色に、二人がいい加減うんざりし始めた頃のことだった。

「あれだ」

 その視線の先――白濁とした視界の中に現れたのは、朽ち果てた、巨大な建造物。刻の流れの中に置き去りにされ、時を刻むのを忘れたかのように、ひっそりと佇んでいる。

「……なんかさ、お化けとか出そうだね」

「やめろ」

 霧の中に佇む遺跡は、不気味なことこの上ない。

「ファントムさん、案内ありがとうございました。ここからは俺たちだけでも大丈夫です」

「そうか。本当は私も行きたいところなのだが、私は報告のため、陛下のもとに戻らなければならない。心苦しいが、君たちの他に頼める者がないのだ。危険な目に遭わせてしまい申し訳ないが……どうか、よろしく頼む」

 ファントムはそう言って頭を下げた。レヒトは大いに慌てる。

「い、いいんですよ。俺たちが勝手に首を突っ込むだけですから。それに事件を解決しなければ、俺たちの目的も果たせません」

「そうそう、大丈夫だよ。レヒト、頼りないけど、頼りになるから」

「褒めるか貶すかどっちかにしろ」

 言って、レヒトはレイヴンの頭を小突く。

 ファントムは微笑み、もう一度頭を下げてから、白霧の中を戻って行った。

「……ねぇ、レヒト。なんで引き受けたの?」

 ファントムの姿が霧の向こうに消えてゆくのを見送って、スタッフで肩を叩きながら、レイヴンが言った。

「嫌だったか?」

「そうじゃないけど。あんな嫌な奴のために、なんで引き受けたのかなーって思って」

 思い出したのか、レイヴンは思いきり顔を顰めた。

「あの皇帝のためじゃないさ。セルトラート様のためだ。俺たちを庇ったばかりに、辛い思いをしただろうからな」

 女性の悲しそうな顔は見たくないんだ、とレヒトは続ける。

「ふぅん……レヒトって、優しいんだね」

「女性と子供には優しく、が俺の信条だ」

 レヒトはウィンクして見せた。

「さて、それじゃあ行くとするか」

「了解ッ」

 二人は遺跡内部へと入って行った。内部は真っ暗で、少し先も見ることができない。

 レイヴンがスタッフの先に光を灯し、暗い遺跡の内部を照らし出す。

 セルトラートの話にあった通り、この遺跡、どうやらかなり広いようだ。見える限りでも、道は幾重にもわかれている。

「……さて、こういった場合はだな」

「冷たッ……!」

 レヒトの言葉は、唐突に上がったレイヴンの悲鳴によって遮られた。子供特有の甲高い声が、静かな遺跡内に反響する。

 どうも天井から落ちた冷たい水滴が首筋に当たり、驚いたらしい。

「静かに……ってもう遅い気もするが」

「ごめーん」

 笑って誤魔化すレイヴンに、レヒトはがっくりと肩を落とした。こっそり侵入するつもりだったというのに、思いきり存在を宣言してしまった。

「仕方ない。とりあえず進もう」

「分かれ道なんだけど」

 早速レイヴンが突っ込みを入れた。確かに、見える範囲内でも、道は数本伸びている。こういった場合、右手か左手を壁にあてて進めば迷わない、という法則があるのだが。

「任せておけ。こういうのは俺の専売特許だ」

 レヒトは自信満々に言った。ぐるりと周囲を見渡し、ほとんど直感に従って道を選ぶ。

「……こっちだ」

 そう言うと、はぐれないようにレイヴンの手を引いて歩き出す。

「……任せろって言われてもさぁ」

 しばらく進んだところで、不意にレイヴンが声をあげた。

「なんだ?」

「答えがわかんないから、レヒトがあってるのか間違ってるのかもわかんないよね」

「……それは、まぁ、な」

 なかなか鋭い突っ込みである。

「仕方ないだろ。こんな迷路みたいな通路をのんびり攻略するような余裕はないんだ。……とはいえ、俺も適当に進んでるわけじゃないぞ。空間は頭の中で把握してるし、今のところ迷ったような兆候はないから、あってるとは思うんだが……」

「ねぇ、そこのお二人さーん」

 不意に聞こえた男の声。二人はその場で足をとめた。

「……今の、聞こえたか?」

「うん、なんか聞こえた……ような気がする」

「ちょっと、お二人さんってば。ような気がするってなにさ」

 レヒトは恐る恐る、周囲に視線を走らせた。壁にかけられたぼろぼろの絵画や、立ち並ぶ古ぼけた鎧がなんともいえぬ雰囲気を漂わせており怖気を震う。

「……なあ、聞こえたよな? 俺の気のせいじゃないよな?」

「聞こえた……と、思う。だ、誰かいるんじゃないかな」

「そ、そうだよなぁ。誰もいないのに声が聞こえるわけはないよなぁ」

「おーい、二人で盛り上がってないでこっち見てくれないー? 寂しいんだけどー!」

 間違いなく声はしている。しかし、周囲に人の姿はなく、なぜか気配も掴めないのだ。

 レヒトの常人ならざる神経をもってしても気配が掴めないというのは異常である。しかも、入り組んだ造りの遺跡内では声が反響しまくってしまい、位置を正確に特定することができない。なんとなく近くにいるな、程度である。

「なんで気配が掴めないんだよ……隠れてないで出てこいよな……!」

「そうだよぉ。意地悪しちゃいけないんだからねッ」

「意地悪? ねえ、俺が意地悪なの? 明らかに君らのほうが意地悪だよね? っていうか、それわざとなの?」

 姿を見せない声に意地悪呼ばわりされる筋合いはないとレヒトは思う。レイヴンはといえば顎に手を当ててなにかを思案するように唸っている。

「……レヒト、これってさ」

「なんだ? なにかわかったか?」

 レイヴンはまっすぐにレヒトを見上げて言い放った。

「……お化け?」

「ばっ……馬鹿なこと言うなって!」

 思わずあげたレヒトの声が、静かな遺跡内部にこだました。

「……あーあ」

「すまない……」

 ジト目で見上げてくるレイヴンから軽く視線を反らし、それでもレヒトは素直に謝罪した。大声をあげた自分に非があるのは確かだ。尤も、そもそもはレイヴンが言ってはいけないことを口にしたのが原因なのだが。

「ねぇってば! いい加減に気付いてくれないかな! ここ、ここだよー! 上、見上げてみよーう!」

「……、上?」

 顔を見合わせた二人は、同時に天井へと目をやった。すると、さして高くもない天井に、男が張り付いて――もとい、はりつけにされていた。

「うわぁーーーーーーっ!?」

 今度こそ。二人のあげた絶叫は、遺跡内部にビリビリと響き渡ったのだった。

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