第34話 帝都に立ち込める暗雲-1-
「まあ、それで旅をなさっているのですか」
レヒトはセルトラートに乞われ、キピア砦で話したのと同じ内容を、もう一度語った。レヒトの話を聞き終え、セルトラートは驚いたように口元に手を当てる。
「はい」
「そうでしたか……レイや紅蓮にも、心配をかけてしまって……」
目を閉じ、セルトラートは小さく呟く。
「魔界ではそんなことが起きていたのですね。お恥ずかしい限りですが、私は外の様子を知ることがかないません。時折、こうしてファントムが外の出来事を伝えてくれるのですが……」
セルトラートは少し、寂しそうに笑った。
「……お二人のお話はよくわかりました。ヘヴン各地での魔物出現――我が真魔界も無関係ではありません。私としてもなんとかしたいところですが、今の状況では……」
「今、この真魔界でなにが起きているのですか?」
レヒトがそう問うと、セルトラートは沈痛な面持ちで小さく息を吐いた。
「……すべての始まりは、そう、あの日のことです……」
レヒトたちが旅に出るより前――今を遡ること二ヶ月前に、この街で起こった事件。それは、二人組の男女がこの街を訪れたことにより始まった。
二人組の男女は、真魔界の貴族の一人であり、ウィンドリヒやセルトラートとも遠縁にあたるという、ブラム=フォードという人物の紹介で皇帝ウィンドリヒに謁見し、その場でこう述べたのだという。
曰く――自分たちは『CHILD』というものを探して旅をする者だ。『CHILD』は危険な存在で、この世界を滅亡の危機に追いやっている。その『CHILD』がいずれこの国を訪れるはずなので、協力を願いたい――というのだ。
皇帝ウィンドリヒは、その話を一蹴した。まあ、無理もない話である。
二人組の男女は、断られると意外にもあっさり引き下がった。だが、事はそれだけでは終わらなかったのだ。
街中の子供たちが姿を消してしまったのは、その翌日のことだった。それと同時に、ウィンドリヒに宛てた書簡が届いた。それは例の二人組が書いたもので、子供たちを預かっている、返して欲しくば、この街を訪れるはずの『CHILD』を引き渡せ、と書かれていたという。
当然ウィンドリヒは激昂し、すぐさま二人組となんらかの関係があるはずのフォード卿を呼び付けた。それに対し、フォード卿は、二人組に脅されて仕方なく紹介状を書いた、と言ったそうである。
フォード卿より得られた情報は、『CHILD』が子供の姿をしている、ということ。そして、いずれ必ずこの街を訪れる、ということだけ。
それを受けてウィンドリヒが取った行動が、真魔界を訪れる旅人を調査し、その中に子供がいれば強制的に連行するというものだった。それを知り驚いたセルトラートが、キピア砦の門を閉じるよう命じ、今も門は閉じられたままになっている、ということらしい。
「連れて来られた子供たちは、犯人に指示された場所へ連れて行かれたようですが、犯人は現れず、あれから二ヶ月が過ぎた今でも、事件は解決していません」
「二人組が探している子供とは違った、ということですか」
おそらく、とセルトラートは頷く。
「その子供たちはファントムに言って、国境まで送り届けてもらいましたが……このようなことを続ければ、いずれ他国との間に軋轢が生じます。陛下のご命令に逆らうことはできませんが……それだけは、避けなければ……」
セルトラートは知らないかもしれないが、ファントムは子供を送っただけでなく、子供を連れて行かれた旅人にも、なんらかの働きかけをしたのだろうとレヒトは思った。謝罪し、金貨かなにか握らせたのかもしれない。だからこそ、大きな問題に発展しなかったのだろう。
「……皇帝陛下は……」
セルトラートはゆっくりと首を振った。
「何度か進言したのですが、陛下は私の言葉などに耳を傾けてはくださいません。……情けないことですが、私にはなにも……」
「セルトラート様……」
どこか悲しげに微笑んで、セルトラートは席を立つ。
「……紅茶が冷めてしまいましたね、新しいものを用意しましょう。……少し、お待ちくださいね」
三人分のカップをトレイに戻し、セルトラートは部屋を出て行った。
「……セルトラート様とその皇帝ってさ、実の姉弟だって、確かレイさん言ってたよね」
「そうだな。……いろいろとあるんだろう」
しばし、部屋に沈黙が落ちる。
「……ねえ、レヒト。さっきの話なんだけどさ」
その沈黙を先に破ったのは、レイヴンのほうだった。
「どうかしたか?」
「誘拐犯と接触した貴族の名前、フォードって言わなかった?」
腕を組んで、先程聞いた話を思い出す。
「ああ、確かブラム=フォードだ。セルトラート様と、遠縁にあたる貴族だという話だな」
「そっか。うーん……」
なにやら難しい顔で考え込んでいる。レイヴンが魔物でなく、人に興味を持つとは珍しい。
「それがどうかしたのか、レイヴン」
「んー、ちょっとね。どっかで聞いたことあるような気がして。けど、どこで聞いたんだったかな。つい最近だったと思うんだけど……」
そう言ってまた考え込んでしまう。レヒトも記憶を探ってみたが、レヒトの知る限りでは、ブラム=フォードの名を聞いたことはない。
「うーん……どこでだったかな。なんか大事なことだったような気がするんだけど……」
ぶつぶつと呟いているレイヴンの隣で、レヒトもまた思考の海に沈んでいた。
(……どうもおかしい。なにかが引っ掛かる)
レヒトが覚えた、違和感、とでも表現すべきものは、なにがどうおかしいのか、と問われれば、わからない、と返すしかないような、そんな微かなものなのだが。
しかし、レヒトはそんな微かな違和感を、拭い去ることができなかった。
「お待たせしました。……どうかなさいましたか?」
部屋に戻ってきたセルトラートが、二人して唸っているレヒトとレイヴンを見て首を傾げた。
「あ、いえ……少し、気になることがあって」
「気になること、ですか?」
「はい。……そうはいっても、これは本当に些細な、違和感みたいなものなんですが……。ブラム=フォードという方と、お会いすることはできませんか?」
二人組の男女と最初に接触を持った、ブラム=フォードという人物。今回の事件に、なんらかの形で彼が絡んでいるのは間違いない。
「フォード卿に? そうであれば、私が書状を書きましょう。それをお持ちくだされば、お会いできると思います」
「申し訳ありません、お手を煩わせてしまって……」
「いえ、とんでもないことです。それでは少々お待ちください。今、書状を用意します」
セルトラートは再び部屋を出て行く。レヒトは特に説明しなかったが、セルトラートはなにも聞かずに申し出を聞き入れてくれた。ひょっとしたら、彼女もまた、レヒトと同じような違和感を抱いていたのだろうか。
「レイヴン、悪いがここで待っていてくれるか。少し気になることがあってな。それを確かめてくる」
「ん、わかった。フォードって人のとこに行くんだね」
「ああ。……彼がこの事件に関わっているのは間違いないんだ。子供たちを誘拐した犯人は、なぜか数多くいる貴族の中から彼を選んだ。誰でもよかったのかもしれないが……どうにも引っ掛かるんだ」
興味のないことに関しては、とにかく覚えが悪いレイヴンが、彼の名前を知っていた、ということも気にかかる。
「気をつけてね」
「ああ。すぐに戻るが、大人しくしてろよ」
レヒトがそう言うと、レイヴンはむっとしたように眉根を寄せた。
「むぅ。レイヴン、もう子供じゃないもん」
「お前は立派に子供だ。ちゃんとした大人なら、誘拐なんか……」
セルトラートが書状を持って現れたのは、ちょうどその時。
「フォード卿にあてた書状です。これをお持ちください」
「ありがとうございます、セルトラート様。……それと、レイヴンをここで待たせて頂いてもよろしいでしょうか」
「ええ、それは構いません」
レヒトはありがとうございます、と頭をさげ、レイヴンの頭を軽く小突くと、セルトラートに手渡された書状を手に、事件の鍵を握るであろうブラム=フォードのもとへ向かったのだった。
フォード卿の屋敷は、立ち並ぶ貴族たちの屋敷の中でも一際大きく、また立派な造りをしていた。フォード卿はセルトラートやウィンドリヒの父親、要するに先代の真魔界皇帝であった、ゼファルド=シグルーンの従兄弟であり、二人とは遠縁にあたる人物である。特に要職にもついておらず、貴族の中ではそれほど目立つ存在ではなかったというのだが……。
(……そうだとすれば、余計におかしい。なぜ、犯人である二人組は彼に接触したんだ。要職にあったわけでもなく、特に発言権もない、彼に……)
フォード卿は二人組に脅され、仕方なしに紹介状を書いた、といったそうである。夜中に寝首でも掻かれたのだろうか。
(とにかく、彼に会えばすべてわかることだ)
レヒトは来賓用の長椅子に腰かけ、出された紅茶を啜っていた。
先程、門番をしていた兵士にセルトラートの書状を渡し、通されたのがこの部屋だったわけである。
軽く扉が叩かれ、部屋の扉が開く。入ってきたのは、レヒトをここまで案内した男性だった。彼はこの屋敷の使用人で、フォード卿の側近を務める人物だという。
「申し訳ございませんが、主は執務中故に少々遅れるとのこと。しばしお待ちください」
「わかりました。それでは、ここで待たせて頂きます」
レヒトが答えると、男性は小さく頭をさげて部屋を出て行った。その足音が、徐々に遠退いてゆく。
(よし……)
足音が完全に聞こえなくなってから、レヒトはそっと席を立つ。そして男性が出て行った扉を開き、廊下へ。周囲に誰もいないことを確かめ、扉を閉めると、レヒトは足音を忍ばせ、気配を殺して奥へと進む。
目指すのは、この屋敷のどこかにある、フォード卿の執務室。彼はそこにいるだろう。仮にフォード卿がいなくとも、なんらかの情報が得られるかもしれない。今は迷わず、行動あるのみだ。
屋敷は三階建て、加えてかなりの広さがある。その中を、レヒトはほとんど直感に従って進んでいた。
しばし歩き続け、やがて彼が辿り着いたのは、一枚の扉の前。そこからは、年配の男性のものと思われる声が漏れていた。
「そ、そんな……今度は天界の使者が来るとは……ああ、困った。わしはどうすればよいのだ……」
しわがれた老人のように弱々しいその声は、ほとんど悲鳴に近い。レヒトは扉の前に立ち、中の様子を窺う。
「しかも、相手はセルトラートの書状を持っているという話ではないか。これでは追い返すこともできん。ああ、これもすべてはあの妙な二人組が来てからじゃ……」
「……しかし、連中、一体どこから嗅ぎ付けてきたのでしょう。このタイミングで、ということは……やはり、天界の密偵かなにかだったのでしょか」
返す声は、レヒトが会った、例の男性のものに間違いない。
「皆目見当もつかんわい……」
「ブラム様。もしや、奴が裏切ったのでは? 例の件に関しましても、奴からの連絡は途絶えております」
「うむむ……ワイザーめ、このわしが目をかけてやったというに、裏切りおったのか。はっ……あるいは、奴が天界の手に落ちたのでは? そ、そうなれば、わしは……わしはおしまいじゃ!」
フォード卿が発した言葉に、レヒトは衝撃を受け、数度瞬きを繰り返した。
(ワイザーだと!? それはベイゼル=ワイザーのことか!?)
ベイゼル=ワイザー。魔界首都ロイゼンハウエルを根城としていた、人身売買組織のリーダーだった男の名だ。レイヴンが誘拐されたことにより事件が表沙汰になり、ワイザー以下、組織の者たちは捕らえられ、今はその取り調べが行われているはずである。
(……なるほど、それで、か)
レヒトは口元に笑みを浮かべた。
この街の子供たちを連れ去った二人組、彼らがなぜフォード卿を接触役として選んだのか。そして、どうしてレイヴンが、レヒトの知らないブラム=フォードの名を知っていたのか。
レイヴンは誘拐された時、ワイザーの一味より、その名を聞いたのではないだろうか。そして、その二人組とやらは、フォード卿が魔界の民を奴隷として使っていることを知り、彼を脅したのではないだろうか。
そう考えると、すべての謎が解ける。
(……なんとかその証拠を見付けて……。後は、彼とどう話をするか、……おっと)
扉のほうに近付いてくる気配。例の使用人の男性だろう。
「……これ以上、待たせるわけにもいくまいて。……うむむ、とにかく、その客人とやらを呼んで参れ」
「はい」
その言葉を聞くなり、レヒトはやはり足音を立てず、走って先程通された部屋に戻る。
使用人の男性が扉を開いた時、レヒトはちょうど紅茶のカップを口に運ぶところだった。
「大変お待たせいたしました。こちらへどうぞ」
「あ、はい」
男性に案内され、向かったのは、やはり先程の部屋の前。ゆっくりと部屋の扉が開かれ、レヒトは部屋の中に足を踏み入れる。
そこに、彼が立っていた。