第33話 閉じた門の向こうには-2-
振り返ったのは、四本腕の男だった。一組の腕は胸の前で組まれ、もう一組は腰に当てられている。四本腕は、蜘蛛の一族に現れる印だと聞いたことがある。
「……ウェルネス領主ゼクセ様に仕える……ランドルフと申します。こちらの方のお名前は……控えさせて、頂きます……」
先程と同じ紹介を繰り返す。四本腕の男は、すぅ、と視線を細めてレヒトを見た。面白がるように。
「……ランドルフ殿、か。どこの手の者かわからんが、面白い手段を講じたな」
「それは、どういう……」
「私はウェルネス領主と一度、お会いしたことがある。その際、本物のランドルフ殿とも知り合ってな」
本物、との言葉に、周囲に控える兵士たちが放つ気配が変わった。
「本物のランドルフ殿は……黒髪だ」
四本腕の男の言葉が終らぬうち、レヒトは一気に走り寄ると、その喉元に短剣を突き付ける。
「ファントム様! 貴様っ……」
「動くな!」
レイヴンに手を伸ばした男を牽制する。
「魔界評議会の手の者か。……随分と思い切った真似をする」
「……とりあえず話を聞いてくれないか。俺の連れには手を出さないと約束してくれ。そうすれば……」
「そうすれば、手荒な真似はしない……か?」
先読みされて言葉に詰まったレヒトを横目で眺め、四本腕の男は小さく笑う。
「君は強いのだろうな。自信もあるのだろう。……だが自惚れるな」
威力を殺す暇さえ与えぬ速さで鳩尾に肘が叩き込まれ、レヒトはその場に崩折れる。手加減はされていたらしいが、思わぬ一撃に意識が遠退きかけた。
「レヒト!」
駆け寄ろうとしたレイヴンは、兵士の一人に拘束される。
「レイヴン……!」
四本腕の男が片眉を跳ね上げた。
「ちょっと放してよ! いい加減にしないと怒っちゃうからねッ!」
レイヴンの手にしたスタッフの先端に光が集まる。こんな場所で派手な魔法など使われてはたまらない。レヒトは込み上げてくる熱い液体を抑えながら叫んだ。
「レイヴン! やめろ!」
「レヒト……」
レイヴンの表情に躊躇いが浮かぶ。拘束している兵士にも、同じように浮かぶ躊躇いの色。
「……放せ」
緊張状態の部屋に、その声はやけに大きく響いた。
「ファントム隊長、しかし」
「放せと言っている。聞こえなかったか」
「し、失礼致しました!」
兵士は慌ててレイヴンから離れる。未だ膝を付いたままのレヒトの傍に駆け寄ったレイヴンは、自身よりも遥かに背の高い四本腕の男を見上げた。
「……君が、レイヴン=カトレーヌか」
「レイヴンのこと、知ってるの」
「ある人から、名を聞いたことがあった。……そうか、君が……」
四本腕の男は、レイヴンからレヒトに視線を移す。
「随分と無茶をする護衛を連れているな」
「護衛じゃないよ。レヒトはレイヴンの仲間」
レイヴンが言うと、四本腕の男は小さく笑った。漂う威圧感と精悍な外見からは想像のできない、柔らかい微笑。
「そうか。……少し加減はしたが、大丈夫か?」
「……はい」
答えてレヒトは立ち上がる。鈍い痛みが響くが、無視を決め込む。
四本腕の男は、また小さく笑った。今度は苦笑だ。少しばかり無理しているのを悟られたらしい。
「レイヴン=カトレーヌがいるということは……君も天界の関係者なのだろうな」
こうなった以上、隠すのは無理だろう。
「……そうです」
一言答えて口を噤む。隠さなかった警戒感。目の前の男の真意がわからない以上、余計なことは喋れない。痛みには強いほうだという自負はある。尤も、実際拷問にかけられて、耐えられるかどうかはわからないが――。
「そんなことをするつもりはない。まあ、君がそれを望むのであれば別だが」
レヒトが大いに驚くと、四本腕の男は声をあげた。笑ったのだ。
「君は意外とわかりやすいな。顔に出ている」
「そ、そうですか……」
四本腕の男は笑みを浮かべたまま頷いた。
「さて。まずは君の本当の名を聞かせてもらいたい」
「……レヒト、といいます」
「いい名だ。私はファントム=スィーツェルという」
ファントム、と名乗った四本腕の男は、レヒトとレイヴンを長椅子に座らせた。
「レヒト。君が私を警戒する気持ちはわかるが、正直に話してもらえないか」
「……それでは、俺からもお願いがあります。先程のこと、罪に問うのは俺だけにしてください。俺の主と……それから、レイヴンは……」
レイヴンが抗議の声をあげようとするのを制し、ファントムはレヒトを真っ直ぐに見据え、優しい微笑を見せた。
よく笑う人だ、と今更ながらにレヒトは思った。
「君は本当に面白いことを言うな。……無論、先程のことは不問に処そう。もとはといえば、こちらにも責がある」
控えた兵士の何人かが、難しい表情を浮かべた。
「……もう一度、問おう。私を信用し、話してはくれまいか」
「ねえ、レヒト。話してみようよ。この人は信じてもいい気がする」
考え込むレヒトに、横に座っていたレイヴンがそう言った。レイヴンがこうやって口を挟んでくるのは珍しい。
「……わかった、話そう。ファントムさん、貴方を信じます」
レヒトは旅の目的をファントムに話した。
無言で聞いていたファントムだが、精霊界との同盟締結の話には大いに興味を持ったらしく、レヒトは幾度か質問を受け、細部まで語った。それが、こちらの信用にも繋がると考えたからだ。
「そうであったか。ヘヴンに迫る魔物の脅威と、異種族との同盟締結……」
「はい。それが主……レイ=クリスティーヌ様の望みです」
ファントムは顎に手を当てて唸った。
「魔界各地に魔物が出現したという情報は、真魔界にももたらされている。真魔界には未だ被害はないが……精霊界にまで魔物が現れたとなると、こちらも他人事と構えているわけにはゆかぬか」
「もう、あまり時間はありません。ここに来るまでの間、たくさんの街や村を見てきましたが、魔物の被害は思った以上に大きいものでした。遠くないうち、きっと真魔界にも現れます」
「私としても、君に協力したいとは思うのだが……そうもゆかぬ事情がある」
「今、この国で起きているという事件ですか」
ファントムは頷く。レヒトは思い切って言った。
「話して頂くことはできませんか」
しばし思案するように目を閉じ――やがて、ファントムはゆっくりと目を開いた。
「……君たちに、会って欲しい方がいる。だが、あの方は自由に動くことを許されていない。帝都リデル・グ・アルスまで、悪いが一緒に来てはもらえないか」
レヒトとレイヴンは思わず顔を見合わせた。そんな二人を見て、ファントムは小さく笑った。
ファントムに連れられ、二人が真魔界帝都リデル・グ・アルスに到着したのは、キピア砦を出発してから七日目のこと。途中途中の街で馬を補充しながらの強行軍であった。ファントム曰く、もっと早い移動方法があるとのことだが、今は目立つわけにはいかないとのことで、馬での移動となったわけだ。
夜は真魔界領内の街で宿をとったが、街に変わった様子は見られず、ファントムの目を盗んで――といっても、彼は気付いていてあえて見逃してくれていたようだが――レヒトはそれとなく情報を集めてもみたのだが、得られた情報は少し前に外出禁止令が出されたことと、帝都でなにか重大な事件があったらしい、ということだけ。実際に帝都でなにが起きたのかはわからない、と語る住人たちは、皆一様にセルトラート様が心配だ、と言っていた。民に絶大な人気を誇る、とのレイの言葉、どうやら真実であるようだ。
そのセルトラートという女性の協力が得られれば、同盟の締結はそう難しくない、という話だが、果たして彼女は無事なのか。そして帝都を襲った事件とはなんなのか。
「……すべてはこの門の向こう、か」
帝都リデル・グ・アルスの正門を見上げ、レヒトはぽつりと呟いた。
「こちらだ。付いてきてくれ」
先導するファントムに付いて歩く。帝都と呼ばれるだけはあり、非常に美しく大きな街だが、行き交う人の姿はあまりなく、閑散としている。
ファントムが案内したのは、街の東側にある屋敷だった。見張りに立つ兵士が、ファントムを見て敬礼する。ファントムは視線でそれに答え、兵士が開けた扉を潜って屋敷の中へと入っていく。レヒトとレイヴンもそれに続いた。屋敷の中で擦れ違う使用人も、ファントムを見ると一歩下がって頭を下げた。レヒトがさりげなく聞いた際にははぐらかされてしまったが、どうやらかなり権威ある立場にあるらしい。
「失礼致します。客人をお連れ致しました」
突き当たりの部屋の前で立ち止まり、部屋の中に向かって声をかける。ややあって、扉の中から声がした。
「お入り頂いてください」
「はっ」
ファントムはゆっくりと扉を開き、レヒトとレイヴンを通すと、自身は扉の外に残った。
遠慮がちに足を踏み入れた部屋は水色と白とに塗り分けられており、どこか蒼穹を思わせる造り。その中央、設えられた応接用の長椅子に腰かけ、淡く微笑む美しい女性。猫を思わせる、水色の耳と尻尾。紅玉色の目は優しい光を湛え、しなやかな四肢を同じく淡い水色のドレスに包んでいる
レヒトがしばし見とれていると、天空の女神を思わせる女性が立ち上がった。
「突然にお呼びしてしまって申し訳ありません。私、真魔界皇帝ウィンドリヒ=シグルーンが姉、セルトラート=シグルーンと申します」
呆然と立ち尽くすレヒトに視線を向けて。皇帝ウィンドリヒの実姉は、花が綻ぶようにふわりと微笑んだ。






