side story 4 覚醒
男は小高い丘の上に立ち、魔物に蹂躙される街に目をやった。美しい街並みは見るも無残に破壊され、逃げ惑う人々が通りに溢れかえっている。
凄まじい破壊音と、魔物の咆哮。そしてあがる悲鳴と血飛沫――。
『ぐっ……!』
突如、胸をえぐられるような感覚に襲われ、男はその場に膝をついた。頭から血の気が引き、動悸が激しくなる。視界が黒く染まり、意識が遠退いてゆく。
『かはっ……!』
蹲り、襲いくる吐気に必死に耐える。
男の脳裏に、あの三人の姿が浮かび上がった。同じ苦しみに、必死で耐えているだろう、愛すべき者の姿が。
『これ、以上は……!』
その時だった。
『何者だ!』
背後からかかった声に、男はゆっくりと振り返る。
そこには、一人の青年が立っていた。血を思わせるような深いワインレッドの髪と瞳を持つ、まだ若い青年だ。傭兵か、志願兵かなにかなのだろう。鮮血に染まった革製の鎧を身に纏い、大剣を担いでいる。
青年は血の気の引いた男を見ると、傍に歩み寄り、その肩に手を置いた。
『なんだ、人間か。……どこかの街から逃げてきたのか? ……見えるだろう、ロイゼンハウエルはあの状況だ。今はどこに逃げても同じようなものだが……。とにかく、場所を移したほうがいいな。歩けるか? 怪我はないか?』
大丈夫だ、と言おうとして、男は激しく咳き込み、再びその場に蹲る。
『大丈夫か!? しっかりするんだ! 今、街まで……』
青年の言葉は、突如上がった咆哮に掻き消された。
空中を旋回していた魔物が、男と青年の姿を見つけ、襲いかかってきたのだ。
『くっ……!』
力を放とうとするも、重い身体は言うことを聞かない。
男に向かい、爪を振り下ろす魔物の姿が――不意に、掻き消えた。男と魔物との間に割って入った、青年の影となって。魔物は青年の大剣に頭を貫かれ、完全にこと切れていた。
『……無事、か?』
青年が、ゆっくりと振り返る。その唇の端を、鮮血が伝い落ち――彼の身体から、力が抜ける。
『!』
反射的に、男は倒れた青年を支えた。その胸に、魔物のものだろう鋭い爪が、深々と突き刺さっている。
『なぜだ……私を、助けようと……?』
青年は静かに微笑む。男は拳を握り締めた。
『……これ以上は……。もはや、私がやるしかないというのか……!』
男は立ち上がり、右手を天に向けた。男の手に、輝く光が集う。光は徐々にその輝きを増し、一条の筋となって天へと放たれた。
『我が命に従え!』
男の声が響いたその一瞬、厚い雲に覆われていた天が、輝いた。そして上空から、幾筋もの光の雨が降り注ぐ。
まるで傷付き、荒れ果てた大地を癒すかのように。魔物が溢れる世界を、浄化するかのように。
光が消え去った後、魔物の姿は、すでに世界のどこにも存在しなかった。
男は、再び眼下の街へと視線を向けた。人々は魔物が消え去ったことが信じられないのか――ただ呆然と、天を見上げていた。
『っ……!』
その時、男は頭に激痛を感じて倒れ伏した。頭の中で、誰かの声が響く。
『……私、は……私は……!』
ドクン、と心臓が激しく脈打った。
『ぐあぁぁぁっ!』
己の中から、なにかが吹き出すかのような、感覚。男は意識を失った。
『……くっ』
どのくらい気を失っていたのか。気付けば、あたりはすっかり闇に支配されていた。
男はゆっくりと立ち上がる。頭の痛みは、すっかり引いて――むしろ、先程よりも軽くなったようにすら感じられる。だがそれと同時に、なにか、大切なものを失ったようにも、感じた。
男は気付かなかった。男を守った、あの紅髪の青年の姿が消えていることに。
『……まあ、いい。どうせ取るに足らぬものだ』
男は小さく呟き、純白の髪を掻きあげた。
『……もう、迷うまい。このままでは、世界は確実に滅びに向かう。そんなことだけは、させない。私たちの『HEAVEN』は……』
風が吹き、男の髪と法衣を揺らす。
『私が守ってみせる』
その姿は、さながら伝説の神々のごとく。
ヘヴンを危機から救った男は、誰にも気付かれることなく姿を消した。