第25話 流れる血の色は-1-
クリスティーヌ領東部の街、シスカ。
精霊界への旅路の途中に立ち寄ったレヒト一行を迎えたこの街は、異様とさえいえるほどの物々しさを放っていた。
街の門前では警備隊が睨みを利かせ、大通りにも警備兵と思しき無数の影。そして、街を埋め尽くさんばかりの傭兵の姿。街の中に入りきらなかったのだろうか、外には傭兵隊の野営地まで設けられている。
「……なんなんだ、一体……」
思わず口を衝いたレヒトの言葉に、快とレイヴンも揃って首を傾げた。
「待て」
門前で通行人の監視をしていた警備兵に制止され、御者台に座っていたレヒトは馬を止めた。
「なんでしょう」
「どこから来た。この街を訪れた目的はなんだ」
そう問いかける警備兵の手元に見える数枚の紙。お尋ね者の人相書きかとも思ったが、ちらりと見えた文字に、レヒトはその考えを打ち消した。
「ロイゼンハウエルからです。旅の途中に宿を求めて立ち寄っただけです」
レヒトが答えると、警備兵は手元の紙に目を落とした。
「……旅の目的はなんだ」
「そう言われましても……」
素直に答える気はなかった。
答えぬレヒトに、警備兵が向ける疑惑の目。さてどうするかとレヒトがしばし悩んでいると。
「ねぇ、パパ。なに話してるのー?」
背後から聞こえた声に、レヒトはぎょっとして振り向いた。見れば幌の合わせ目から、レイヴンがひょっこりと顔を覗かせているではないか。
「ほぅ、お前の子供か」
レヒトを見ていた警備兵の表情が幾分か和らいだ。子連れであることがわかり、警戒心が緩んだらしい。
「え、ええ……まぁ……」
「子連れの旅は大変だろう。最近では魔物も出るというのに」
ぎこちない表情のレヒトには気付かぬ様子で、警備兵はレイヴンを見ながらうんうん頷いている。
「子供を危険な目にあわせるのは感心せんぞ。旅路を急ぐ理由でもあるのか?」
「まぁ……そういえなくも……」
「あら、あなた。どうかなさったの?」
わずかな衣擦れとともに聞こえた声に、レヒトは心臓が飛び跳ねんばかりに驚いた。
幌の合わせ目を手で捲り顔を覗かせた快が、レヒトと警備兵を交互に見ている。普段は下ろしている緩い巻き毛を背中でゆったりと結わいた姿は、不思議と家庭的な雰囲気を漂わせている。
「なんと、家族で旅をしていたのか。この時勢に大変なことだが……やむにやまれぬ事情があるのだろうな」
「はは……」
なにやら勝手に納得している警備兵。レヒトは曖昧に笑っておいた。
警備兵はしばし手元の書類になにかを書き込んでいたが、やがて笑顔を見せて通行の許可を出してくれた。
「この街は魔物に備えて厳戒態勢を敷いている。今晩は安心して妻子を休ませるといいぞ」
「はい、ありがとうございます」
引き攣った笑顔はそのままに、レヒトは馬車を街の中へと進ませる。大通りから繋がる広場で馬車を止め、レヒトは背後で楽しそうに笑う二人を振り返った。
「あのなぁ……なんなんだよ、あれは。心臓が止まるかと思ったぞ」
「だってレヒトってば誤魔化すの下手くそなんだもん。なんか変な雰囲気だったから、レイヴンたちが頑張ってすんなり通れるようにしてあげたんじゃん。ね、快!」
「まぁね。あれじゃいつまでたっても街に入れなさそうだったし」
確かにあの場を突破するために悩んでいたのは事実だが、それにしても酷い言われようである。
弁解しようとしたレヒトは、こちらを窺う気配に気付いて視線を移した。
人混みの中、真っ直ぐに向けられた気配の主を探っていたレヒトの視界に、鮮やかな金色が映り込む。視線を向けられた金色――少し離れた場所に立っていた金髪金眼の若者は、自らの存在に気付いたらしいレヒトをじっと見つめた。
「……気配は消してたつもりだったけど。さすがは天界最高責任者の特使ってとこ?」
演技力のほうは別としてさ、と若者は面白がるように言った。
「……!」
素性を言い当てられ、レヒトは思わず息を飲む。腰に佩いたセイクリッド・ティアに手をかけると、若者は唇の端を持ち上げた。
「ふぅん……俺とやろうってことかい?」
若者の身体がゆらりと揺れる。
レヒトに向かって一歩を踏み出そうとした瞬間、若者の腕が掴まれる。ちらりと視線を移し、自らの腕を掴む男性を横目で捉えると、若者は小さく肩を竦めた。
「冗談だよ、ダーク」
「……冗談でもよさないか、ジェイド」
金髪の若者を窘めた男性が、レヒトのほうへと視線を移す。
年の頃は二十代後半。長身ではあるが、無駄な贅肉を削ぎ落したようにしなやかな身体だ。茶色の髪に蒼の瞳をした男性はそっと頭を下げる。
「……我々は怪しい者ではない。……貴方と目的を同じくする者、といえばわかってもらえるだろうか」
「同じ目的……というと、お二人も……」
天界の――そう続けようとしたレヒトをダークが制し、周囲に視線を走らせる。
「……ここでは少し都合が悪い。貴方がたさえよろしければ、宿に向かいたいと思うが」
レヒトは快とレイヴンに視線を向ける。二人は小さく頷いた。
「わかりました。俺たちもちょうど今晩の宿を求めていましたから」
「なら決まり。さっさと行こうぜ」
言うなり金髪の若者――ジェイドは身を翻し、その姿は人混みに紛れるように掻き消えた。
「待て、ジェイド! ……行ってしまったか」
ダークは小さくため息を吐き、相方の奔放な行動をレヒトたちに詫びる。
「……ここから北に行った場所に、我々の取った宿がある。場所を移し、説明させて頂こう」
レヒトは頷き、先導するダークに従って馬車を走らせた。
ダークに案内されたのは、街の北部にある小さな宿。部屋を取ってから馬車を預け、二階へと上がる。一行を先導するダークについて室内に足を踏み入れると、ふたつある寝台のうちの片方に、すでに戻っていたらしいジェイドが寝転がっていた。
「遅い、ダーク」
「すまない」
起き上がることもなくジェイドが言うと、ダークはレヒト一行のための椅子を用意しながら素直に詫びた。
二人は一緒に旅をしているのだろうが、どうにも雰囲気が殺伐としている。どういった関係なのか詮索する気はないが、明らかに普通ではない雰囲気に、レヒトは少し戸惑った。
「……座ってくれ」
ダークに促されて席に付くと、寝台に寝転がったままのジェイドが言葉を発した。
「俺らの素性について詳しい話はしねーぞ。しなくたってわかってんだろうからな」
レヒトが頷くと、ジェイドは楽しげに笑った。
――密偵、という者の存在をご存じだろうか。
庶民にはあまり馴染みのないものであるが、権力者にとっては護衛や使用人と並んで必要不可欠な存在だ。いわゆる影の仕事を担当する者で、情報収集から分析、時には暗殺の類までを一手に引き受ける。決して表舞台には現れない者たちではあるが、優秀な密偵を持つ権力者は栄華を極め、そうでないものは没落する――そういっても過言ではない。
「そっちの自己紹介もいらねーよ。主から聞いて知ってる。あんたのことは、特にね」
ジェイドはその視線をレヒトに向けた。
「元ラグネス=クリスティーヌ護衛のレヒトさん。あんたにも無関係な話じゃないと思うぜ」
「……というと?」
「ダーク、説明してやれよ」
ジェイドの言葉を受けてダークが語ったのは、クリスティーヌ領の地方領主であり、この街に館を構えるガイル=ドレディアという人物の疑惑であった。
ところで、魔界には八人の領主が存在し、それぞれの領土を守っていることは前述した通りだが、この広大な魔界を領主自らが隅から隅まで統治するというのは、現実問題として不可能に近い。そこで、領主たちは自らの領地をさらに細分化し、それぞれに自らの代理人たる権力者を擁して細部の統治を委任しているのだ。この権力者のことを、八人の中央領主と区別して地方領主と呼んだりもする。
二人が語った疑惑――それは、ガイル=ドレディアがこの機に乗じて戦争準備を進めているらしい、というものであった。
「……ガイル=ドレディアが武器や傭兵を大量に掻き集めているというのは、事実であるらしいが」
窓の外を見ながらダークが言う。
同じように窓辺に立って、快も外の様子を窺った。
「小さな街には不釣り合いなほどの人数であることは確かだね。しかも、外の看板を見る限りでは、さらに募集してるみたいだし」
レヒトは椅子に座ったまま腕を組んだ。
「魔物の恐怖がある以上、傭兵を雇うこと自体はわからなくもないが……これは確かに数が多い。これだけの人数を長期間に渡って雇うには、相当の金貨が必要になるはずだ。地方領主に、それだけの財力があるとは思えないな」
シスカの街は、至って普通の街だ。特別な産業があるわけでもなく、交通の要所というわけでもない。地方領主の城があるくらいだから、街自体は決して小さくはないのだが、言ってみればそれ以外に特色はない。クリスティーヌ領の土壌は肥沃で作物もよく取れるから、地方領主たるガイルに入る税収も低いわけではないだろう。とはいえ、税収のほとんどは中央領主たるラグネスに納められているはずであり、レヒトの知る限りでは、極端に税収の低い地域はなかったはずだ。
「……なにか別の資金源がある、か?」
レヒトが言うと、ジェイドがぱちぱちと手を叩いた。
「意外と鋭いな。ガイル=ドレディアの資金源は……違法賭博さ」
「違法賭博?」
「そ。周辺の地方領主を集めては、金を賭けた賭博を行ってるらしい。まぁ、賭博自体は禁止されちゃいねーが、今回は少し事情が違ってな。なんでも、人間を賭博の対象にしてるんだと」
「……まさか」
「おそらく、貴方の想像通り。……ガイル=ドレディアが行っているのは、奴隷同士を死ぬまで戦わせ、勝敗を賭けるという違法賭博だ」
それは俗に闘技と呼ばれ、古来より強さを重んじる真魔界で生まれた娯楽だ。もともとは腕に覚えのある者同士が厳格なルールの下で戦い、その目的も相手の命を奪うようなものではなく、対戦者同士が純粋に技を競うという庶民の娯楽であったらしい。ところが、これに目を付けた貴族によって、闘技は大きく様変わりすることになる。強い出場者を金で買って専属とし、貴族たちは自身のステイタスとした。これにより、闘技は庶民の娯楽ではなくなってしまう。言うなれば、貴族同士の代理戦争のようなものだ。代理人たる出場者を再起不能の目にあわせ、命を奪うことまで起きるようになった。こうなってしまえば、自らの意思で出場しようというものはなくなる。そうして生まれたのが闘技奴隷と呼ばれる者の存在であり、現在でも真魔界には普通に存在する。
とはいえ、真魔界では合法でも、ここ魔界では違法である。ガイル=ドレディアが闘技による違法賭博を行っているのだとすれば、そこに人身売買と奴隷解放宣言違反も含まれるということになる。
「違法賭博で資金を集めて、傭兵を雇って……他国に戦争でも仕掛けようっていうの?」
「それはないと思うよ」
不安げな快の言葉を、レヒトはやんわりと否定する。クリスティーヌ領は彼女の故郷である精霊界とも近い。故郷に戦火が及ぶことを危惧したのだろうが、その可能性は低いとレヒトは見ている。
「ガイル=ドレディアの目的は……おそらく、ラグネス様への反乱だろうから」
「同感」
相も変わらず寝台に寝転がったままジェイドが言った。
「地方領主がいきなり他の領地に戦争吹っ掛けるとは思えねーからな。となれば、考えられるのは自分の上……つまり中央領主たるラグネス=クリスティーヌってことになる」
「俺とジェイドで周辺を回ってみたが……隣接する幾つかの地方領土で、戦争の準備ともとれる動きを確認している。武器、防具の補充……傭兵をはじめとする戦力増強……」
「中には住民を徴兵するような動きもあったぜ。魔物の存在を隠れ蓑に、よからねーこと企んでる奴は多いらしいな」
レヒトは嘆息した。
「この非常事態になにを考えているんだ。クリスティーヌ領は税も軽いほうだし、権利だってじゅうぶんに認められている。ここしばらくは飢饉も伝染病もないっていうのに……」
「どれほど理想的な政治をしようとも、不満は溜まるものだ。幸いにも、まだ事は表沙汰になっていない。この段階で反乱の芽を摘み取ることができれば」
「根っこまで摘み取れよ、ダーク。小さな禍根すら残さず、徹底的にな」
ダークの言葉を遮るように、ジェイドが強い言葉を発する。
「それが俺らの仕事だ。忘れんじゃねーぞ」
「……あぁ」
小さく答えたダークは、少し辛そうな顔をしていた。