第24話 精霊に愛された娘
事後処理を街の警備兵に任せ、レヒトとレイヴンは快を伴い、ラグネスの城へと戻ってきていた。
さすがに疲れたのか、レイヴンは城に着くなり眠ってしまったため、レヒトは快と二人で少し遅めの夕食をとった後、快のあてがわれた客間へと移動し、旅の目的を説明したのだった。
「……なるほど、ね。まあ、事情のほうはだいたいわかったけど……」
窓辺に立ち、天空に瞬く星々を見上げて、快は言った。
「人間と精霊人の同盟、か……」
そしてわずかに苦笑し、小さくそう呟く。
「自分がどれだけ無茶言ってるか、自覚ある?」
「……ああ」
快の後ろ姿を見据え、レヒトは答える。
「無茶は承知の上さ。だが、もう時間がない。街の中にまで魔物が現れるほど、事態は深刻になってきている。……これは、決して人間だけに限った問題じゃない」
「確かに、ね。それは、僕も同感」
レヒトの言葉に、快も頷いた。
「けどね、現実問題として……人間と精霊人が、同盟を結べると思う?」
「それは……」
快の問いかけに、レヒトは答えることができなかった。
「……人間にとっては、永い時間だったかもしれないけど」
そこで一度言葉を切り、目を閉じて、彼女は静かに続ける。
「精霊人が受けた傷は、まだ癒えてはいないんだ。……四百年前のことも……十年前のこともね……」
快はレヒトに向き直った。深い悲しみを宿した、蒼穹色の瞳。彼女もまた、過去の人間の手による凶行――その被害者なのだろうか。
「わかってはいる。……人間にとっては、それはずっとずっと昔の話で……精霊人を傷付けたのも、ずっとずっと昔の人間なんだって。けどね……」
ふっと、快は遠い目をした。
「……けどね。頭ではわかっていても……それと感情は別なんだよ。忘れることなんて、できない。どんなに時間が流れても、決して……」
快はゆっくりと首を振る。それは、溢れそうになるなにかを、必死に抑えているようにも見えた。
「ねえ、レヒト。貴方はそれでも、人間と精霊人の間に、同盟を結ぶと言えるの?」
「……ああ」
静かに、だがはっきりと、レヒトは答える。
「俺は、ただ同盟を結びたいだけじゃない。……絆を、取り戻したいんだ」
「絆……」
「……天魔大戦が始まる前までは……人間と精霊人は、仲がよかったんだろう? その頃は、魔界にもごく普通に精霊人が生活していて……お互いの間に、垣根などなく……手と手を取り合い、共に生きていたと……俺は、そう聞いたことがある」
四百年の昔まで、確かにそこに存在したはずの絆は、途切れてしまっている。人間と精霊人――その間に、絆は、確かに存在したのに。
「……絆は失われてしまった。だが……いや、だからこそ、か。もう一度、取り戻せると思うんだ。この世界――ヘヴンに生きる種族同士、相容れない存在であるはずがない」
快は、少し驚いたような表情を見せた。
「過去に起きてしまった悲劇を、繰り返さないためにも……人間と精霊人の間に同盟を結び、その手に絆を、取り戻す。……もちろん、口で言うほど簡単じゃないのはわかっているつもりだ。けれど、だからと言って、ここで逃げるわけにはいかない」
「レヒト……」
自分を見つめる快の視線に気付き、レヒトは照れたように頬を掻いた。
「馬鹿な奴だって、思った?」
「……まさか」
唇に指を当て、悪戯っぽい仕草で微笑む。
「僕、惚れちゃったかも。……なーんてね」
「かっ、からかうなよ……」
レヒトの頬が朱に染まったのを見て、快はくすくすと笑った。
「冗談はともかくとして。……君たちを、精霊界に案内してあげるよ」
「本当か!?」
快はにっこりと微笑み、頷いて見せた。
「……人間と精霊人が、相容れない存在であれば……僕は、生まれなかった。同盟が結ばれるよう……僕が、懸け橋になってあげるよ」
「快……ありがとう。だが、君は……」
「なぁに?」
小首を傾げる快。しばし躊躇った後、レヒトはゆっくりと口を開く。
「君は人間を……恨んではいないのか?」
返答は、ない。快はレヒトに視線を向けていたが、その瞳は、どこか遠くへ――おそらく、二度と戻らない過去へと向けられていた。
「……憎しみは、憎しみしか生まないよ」
しばし時を置いて、快は答える。
「昨日を嘆き悲しむより、前を向いて明日を生きろと……彼がそう、教えてくれたから」
彼女は微笑んでいた。しかし、レヒトの目には、泣き顔のように映った。
「……明日は早いよ。今日はもう休もう」
小さな声でそう告げて、快は夜空を見上げる。月光を受けた後ろ姿は、触れれば消えてしまいそうなほどに、儚くて。
「快!」
「どうしたの?」
彼女の存在が掻き消えてしまうような、どうしようもない不安を感じて名を呼べば、快は振り返り、あの可憐で、そしてどこか妖艶な笑みを見せた。
「……あ、いや……」
言葉を濁すレヒトに、快はまた、どうしたの、と笑いかける。
「君が……消えてしまうような気がしたから……」
小さな声で、レヒトは呟く。聞き取れなかったのか、首を傾げる快に、レヒトはなんでもない、と笑って見せた。
「……明日は早いんだろう? 俺も、もう寝るとしよう」
「あ、そうだね。おやすみ、レヒト」
「……おやすみ、快」
そう答えて、レヒトは部屋を出る。
背後で扉の閉まる音を聞き、快はそっと窓を開けた。
「……これで、いいんだよね? 僕は……正しい道を、選びとれたよね?」
流れる風をその身に感じながら、快はぽつりとそう呟いた。
「……貴方は、今どこで……この風を感じているの?」
温かな雫が溢れ落ち、木製の窓枠に染みを作る。
「……会いたいよ……疾風……」
小さな声は、風に流されて消えた。この地上のどこか、彼女の想い人のもとへ、言の葉を届けるかのように。
「……疾風……」
風が、そっと快の髪を揺らす。部屋の外、廊下に立ち尽くす人物に、彼女はついに気付かなかったようだ。
(ハヤテ……か)
扉の前に、レヒトは佇んでいた。
(……盗み聞きするつもりは、なかった)
しかし、快の呟いた名を耳にした途端、足が動かなくなった。
疾風――聞いたことは、ない。快と同じく、不思議な響きを持った名前だった。おそらく、精霊人なのだろう。
(恋人……なんだろうな)
レヒトは胸のあたりが痛むのを感じた。
(馬鹿なことを……余計な詮索なんか、するもんじゃない)
浮かんでは消えてゆく様々な想い。それを振り払うように、レヒトはゆっくりと首を振った。
翌朝。集合を約束した食堂に、一番乗りでやって来たのはレヒトだった。すぐに、給仕が朝食を運んで来る。
すると、ぱたぱたと元気よく階段を走り降りる音が聞こえてきた。それから食堂の扉が勢いよく開き、現れたのは、レヒトの予想通りの人物。
「おはよう、レイヴン」
「おっはよぉ!」
片手をあげて、元気いっぱいにそう返してくる。
「疲れはとれたか?」
「ばっちり!」
そう答えると、レイヴンはレヒトと向かいあわせの椅子に座る。すぐに、給仕がレイヴンの朝食も運んで来た。メニューはあの極甘パンケーキである。昨日のうちに、料理長にレイヴンの好物を伝えておいたのだ。
当然のことながら、正常な味覚の持ち主であるレヒトは、普通にパンとスープで朝食をとっている。
「わぁ、パンケーキだ!」
嬉しそうにパンケーキに手を伸ばすレイヴン。それを見て、レヒトは小さく微笑んだ。
レイヴンには不思議な力がある。それは周りにいる者を幸せにしてしまう、その笑顔だ。
「切り分けてやろうか?」
「うん!」
その様子を見ていた給仕や料理人たちが、まるで親子のようだと話していたのは、ここだけの話。
「快、遅いね」
三段重ねのパンケーキを食べ終えたらしいレイヴンが言った。レヒトも頷く。
「確かに遅いな。……様子を見に行くか」
「レイヴンも行く!」
二人は食堂を出て、快のあてがわれた部屋へ向かった。
ラグネスの城は、魔界を統べる者が住まうにしては質素なものだ。必要最低限のものがあるだけで、無駄は一切ない。調度品なども花を飾る花瓶や、客間に置く絵画程度のものである。
これはラグネスの性格を反映したものであり、そんなラグネスに育てられたレヒトにも、少なからぬ影響を与えている。
「快、起きてるか?」
返事はなかった。しかし、いないわけではなさそうだ。
「参ったな……まだ寝てるのか」
「なんで、参ったな……なの?」
レヒトの声真似をしながらレイヴンが言った。似てないぞ、と一応突っ込みを入れておく。
「……と言われてもな。男の俺が、女性の寝所に押し入るわけにはいかないだろう」
「なんで?」
レヒトは軽い頭痛を感じた。
(……これは説明しないといけないのか?)
しかし、答えない限り、延々と『なんで』と『どうして』が繰り返されることは目に見えている。探求心と知的好奇心において、レイヴンの右に出るものはいない。
そして知ったのだが、どうやらレイヴンは一般常識というものが欠落しているらしい。神の頭脳を持つ、などと称されるくせに、日常生活で必要な知識や一般常識などは人並み以下なのである。なにしろナイフとフォークの使い方すら、わかっていなかったのだから。
「……。一般常識だ」
しばらく悩んだ末、レヒトはそうとだけ答えた。これ以上は説明する気にならない。
「快! まだ寝てるのか?」
何度呼んでも返事はなく、気配も動かない。
とはいえ、いつまでもこのまま扉の前に突っ立っているわけにもいかない。
「仕方ないな……入るぞ」
聞いてはいないだろうが、一応断わりを入れる。扉に鍵がかかっているかとも思ったが、かかっていなかった。
「不用心だな……」
寝台で毛布にくるまったまま、まだ惰眠を貪っている姫君を見て、レヒトはため息混じりに呟いた。
「快、起きろ。約束の時間は過ぎてるぞ」
細い肩を揺する。さすがに目が覚めたのか、薄く目が開き、むにゃむにゃと、言葉にならぬ声が唇から漏れた。
「出発するんだろう? 早く起きて……」
レヒトが言い終える前に、快は寝惚け眼で起き上がり、レヒトに右手を向けて言い放った。
「……水よ、泣け」
水瓶を引っくり返したかのような水流が、避ける間もなくレヒトを襲った。
快が寝惚けているからか、威力はだいぶ落ちており、被害はレヒトと、城の床と壁の一部がずぶ濡れになっただけですんだ。
ちなみに、レイヴンは快のあれが魔法の詠唱だとわかっていたらしく、少し離れた場所に避難しており無事である。
「……快」
「ふぁ……なぁに?」
まだ完全に覚醒していないのか、欠伸混じりに返す快。
「起きろぉーーーーーっ!」
城中に、レヒトの怒声が響き渡った。