第22話 迫り来る異形の影-1-
その後は他愛ない話をしながら酒を酌み交わしていると、ゴロツキ風の男たちが数人、カウンターに近付いてきた。
「よお、兄ちゃん! えらい別嬪さん連れてんじゃねーか!」
頭から髪の毛が絶滅している先頭の男は、値踏みするかのように快を上から下までじろじろと眺めた。
「こりゃまたいいケツした姉ちゃんだなぁ! おい、姉ちゃん。そんな冴えねぇ男放っておいてよぉ、俺たちと遊ぼうぜぇ?」
「なぁに、たぁんといい目見せてやるよぉ」
相当に酔っ払っているのだろう男たちは、冴えない男ことレヒトを放り、上機嫌で快を口説き始める。無遠慮に触れようとした手を、快は慣れた様子でするりとかわした。
本日二回目のナンパである。ひょっとしたら、レヒトと出会う前にも口説かれたりしているのかもしれないが。
「ふふ、別嬪さんだなんて、なかなか正直な人たちだね」
快は嬉しそうに声をあげた。
「けど僕、気障と脳筋と生物系は嫌いなんだ」
にこにこ笑顔でそう言い放てば、ピシリ、と店内の空気が凍り付く。
(……俺は該当してないな)
レヒトは妙な安堵感を覚えた。
「そういうわけで悪いんだけど、君たちは僕の好みの対極に位置するタイプだから」
冷ややかにそう告げて、快はグラスに残った酒を一気に呷った。
たったそれだけの仕草にも、どこか優美さが漂う。
「よ、よくも俺たちをコケにしてくれたなぁ!」
声を荒げる男たちに、快はにっこりと笑みを浮かべて囁いた。
「まぁ、お約束の古臭い台詞。女の子口説く前に、お勉強が必要みたいだね。坊や?」
馬鹿にしたようなその言葉に、店内にどっと笑いの渦が巻き起こる。
「な、な、な……」
怒りのあまり、うまく喋ることのできないらしい男を尻目に、快はカウンターに酒代を置いてレヒトを促す。
「それじゃ、行こうか」
騒がしい店の扉を潜って外へ。夜の冷気が、火照った体に心地よい。
「そういえばさ、レヒトの宿はどこなの?」
思いもよらぬ問いかけに、レヒトの心臓は跳ね上がった。
「どうして、そんなこと……」
真っ赤になったレヒトを見て、快は悪戯っ子のような笑顔を見せた。
「ふふ、それはね……」
「待ちなぁ!」
快の言葉は途中で遮られた。店から出てきたのは、先程快に遊ばれた、あのゴロツキ風の男たちだった。
「まーだなにか用? お付き合いなら丁重にお断りしたはずだけど」
口を尖らせた快に、男たちは、あれのどこが丁重にだ! と突っ込みを入れた。けっこう律儀である。
「俺たちを散々コケにしてくれたんだ。落とし前はつけさせてもらうぜ」
凄みのある声で告げ、男は長剣を構えた。剣は月明かりを反射して、不気味な輝きを放っている。
「あー、はいはい。わかった、わかった。相手してあげればいいんでしょ?」
いかにも面倒な、といった様子で、快は男たちに歩み寄っていく。すぐ傍にいたレヒトにも聞き取れないほどの小さな声で、なにかを呟きながら。
男のほうはにたり、と気色の悪い笑みを浮かべた。快が大人しく従う気になったとでも思ったのだろうか。
「風よ……!」
快は男たちから少し離れた場所で立ち止まり、彼らに右の掌を向ける。
その刹那、レヒトの背筋を冷たい感覚が走った。
「危ない!」
レヒトはとっさに後ろから快を抱き締め、そのまま倒れ込むように大地に伏せていた。その直後に凄まじい破壊音が響き、先程まで彼らがいた店が、土台から真上に吹き飛んだ。
店の前に立っていた、ゴロツキ風の男たちを巻き込んで。
「なっ……!?」
「動くな!」
起き上がろうとした快を制する。
天から、もとは店の部品だったと思われる瓦礫の雨が降り注ぐ。落ちてくるものの中には――飲んでいた客や、巻き込まれたゴロツキたち、そして、あの店主の姿もあった。
「っ……!」
降り注ぐ材木が、強かにレヒトの背を打つ。鎧を着けていれば大したこともなかっただろうが、生憎、今は薄手の布を何枚か重ねているだけだ。背を走る痛みに、レヒトは顔を顰めた。
「レヒト!?」
「……大丈夫さ。心配、するな」
痛みを堪え、微笑みかければ、快はどこか辛そうに声をあげた。
「大丈夫なわけないじゃない! 僕なんか庇うから……!」
「……そんな言い方、するなよ」
快を腕の中に庇いつつ、レヒトは立ち上がる。
その目は真っ直ぐに、店へ――もとは店の中心部だったと思われる場所に存在する、異形のものへと向けられていた。
例えるなら、それは巨大な眼球だった。大きさは、人の頭ほどもあるだろうか。蝙蝠のような羽を持つ巨大な眼球が、ギョロギョロとその視線を周囲に走らせている。まるで、なにかを探すように。
「魔物……!? こんな街の中にまで……!」
二人に気付いたらしい魔物が、その邪悪な瞳を二人に向けた。
レヒトは快を抱え上げ、大きく後方に跳ぶ。二人が立っていた場所に、闇色の火柱があがった。
遠くのほうからは、別の魔物――おそらくブロウ・デーモンだろう――の咆哮が響いてくる。
「くっ……!」
着地の衝撃で、レヒトの背に重い痛みが走った。骨に異常はなさそうだが、問題は動く度に背中を襲うこの痛み。たとえ命にかかわるような傷でなくとも、痛みは集中力を削ぎ、それは即ち死に繋がる。
レヒトは快の手を引き、少し離れた建物の陰へと連れて行った。
あの魔物は再びなにかを探すように、その視線を絶え間なく周囲に走らせている。
「快、君はここに隠れているんだ。あいつは俺が相手をする」
腰にさげた大剣、セイクリッド・ティアを抜き放ち、レヒトは走り出す。痛みなど、今は気にしていられない。
迫り来るレヒトに気付いた魔物が生み出す闇色の火柱を避けつつ、レヒトは一気に距離を詰めて肉薄する。
「はぁっ!」
鋭い気合いとともに剣を突き出すが、不意に生まれた殺気を感知し、レヒトは片足を軸として身を翻す。
そこにあがる、闇色の火柱のようなもの。いつの間にか、ふたつに増えた眼球が、空中をふよふよと漂いながら、血走った眼をレヒトへと向けていた。
「……二匹いたのか」
剣を構えなおすレヒトに向かい、二匹のうちの片方が巨眼を見開き、レヒトはとっさに横に跳ぶ。
立っていた場所に、再びあがる火柱。この攻撃、狙いは的確なのだが、それゆえに避けやすい。まともに食らえばどうなるのかは想像に難くないが、もちろん、あえて受けてみる気など微塵もない。
レヒトが着地した、まさにその瞬間を狙って、もう片方の魔物が仕掛けてくる体当たり。
「甘い!」
着地したそのままの勢いを殺さず、レヒトは身を低くしてやり過ごす。空中で旋回し、もう一度体当たりをしかけてくる魔物を、伸びあがるようにして斬りつける。
セイクリッド・ティアが煌めき、魔物はあっさりと両断される。しかし、レヒトはその瞬間、言葉では表すことなどできない、嫌な予感、とでもいうべきものを感じた。それと同時に動く身体。
大きく後方へと跳んだレヒトと、たった今、彼が両断した魔物との間――先程まで、レヒトが立っていた場所を、鋭いなにかが通った。
そう表現するのは、少し間違っているかもしれない。それは言うなれば、剣が生む、ある種の衝撃波のようなものであった。剣を振る際、それは空を裂き、風を生む。レヒトが感じたのは、まさにその感覚だったのだ。まるで、剣で斬り付けられたのを、かろうじて避けたときのような。
「……今のは、一体……」
酒場の奥に陣取り、威嚇するようにレヒトを見据える魔物に剣を向けつつ、両断され、大地に転がっていたもう片方の魔物へと視線を移したレヒトは、驚愕に目を見開いた。
切断面からうぞうぞとした触手のようなものが生え出したかと思うと、次の瞬間には魔物の姿を再生させ、レヒトに暗い眼を向けていた。
「再生……!?」
呟いたレヒトに、今度は二体の魔物が同時に襲いかかってきた。
わずかな時間差を置いてあがる火柱を、レヒトは前に走ることでかわし、未だ動かず酒場の奥に鎮座する、もう一体の魔物を狙って剣を振るう。
一瞬、魔物の姿がぶれたかと思うと、またもや魔物は簡単に斬り裂かれた。
しかし、またもや背筋が凍るような感覚を覚え、レヒトはとっさに飛び退いた。
「!」
背後からレヒトを襲った、先程と同じ妙な風。かわしたつもりだったのだが、かわしきれなかったようだ。セイクリッド・ティアが、なにかにぶつかったように甲高い金属音をあげ、握ったレヒトの右腕に、紅い鮮血が散った。
「くそっ……!」
腕は動くし、力も入る。ということは、傷はそれほど深くないが――この状況下、レヒトは圧倒的に不利だった。
魔物自身が仕掛けてくるのは、闇の火柱を生み出す攻撃と、体当たり。どちらもたいしたことはないが、厄介なのは、不可視の衝撃波、とでも表現するよりない、こちらの攻撃に対するあの反撃。とにかくあの技がある限り、こちらから迂闊には仕掛けられない。
それに加え、あの尋常ならざる回復能力。セイクリッド・ティアで両断しても再生されてしまったのだ。再生を許さず、一瞬で消滅させるようなことができれば、あるいは倒せるのかもしれないが。
(どうすればいい……考えろ、考えるんだ……)
打開策は見付からず、腕と、背中に負った傷は痛みを増している。状況は最悪だった。
ふと背後に気配を感じ、レヒトは振り返る。
立っていたのは快だった。
「快……! 隠れてろって、言ったじゃないか!」
半ば怒鳴るようにして言ったレヒトに、しかし快はふわりと微笑んだ。
「守ってくれてありがとう、レヒト。……嬉しかったよ」
そう言って、快は数歩前に出る。
「少し……思い出しちゃったな」
そして振り向き、快は悪戯っぽく笑って見せた。
「後は僕に任せて」
二体の魔物の血走った眼球が快を捉え、彼女は深いスリットから覗く両足の太腿に手を伸ばす。
「ちょっとおいたが過ぎるみたいだね。……そういう悪い子は……」
太腿に装着されていた不思議な革鎧から、二挺銃を取り出し。
「お仕置きだよ!」
悪戯っ子の笑みを見せ、魔物にその銃口を向けた。