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第19話 闇払う光は悪と笑う-2-

 響いた複数の足音にそちらを振り向けば、縄で縛られたベイゼル=ワイザーが、数人の警備隊員に引かれてきた。レイによって吹っ飛ばされ、廃屋に突っ込んだ際のものだろうか、前歯が折れ、服は破れて全身に傷を負っている。尤も、レヒトは目の前の男を哀れに思うような神経を、残念ながら持ち合わせてはいなかったが。

 レイの姿を映したワイザーの目に、恐怖の色が浮かび、歯ががたがたと鳴った。そして、力が抜けたのか、その場にがくりと膝を付く。ワイザーの傍まで歩を進めると、レイは腕を組み、許し難い悪事に手を染めた男を見下した。

「お前がベイゼル=ワイザーだな?」

 その問いかけにも、答えられないのか。巨体を誇る大男が、縛り上げられ、膝を付いたまま惨めにも震えていた。

「……俺は……」

 やがて、ワイザーはぽつりと呟きを漏らした。

「……殺されるのか……」

 なにを今更――レヒトはそう思ったが、レイは震えるワイザーの目線にあわせて屈み込み、唇の端をぐいっと持ち上げた。

「……そうだな。このままだと、幼児誘拐及び人身売買で極刑は免れねぇだろうな」

 ワイザーの身体が震える。俯いたワイザーの顎に手をやり、レイは再びワイザーと視線をあわせる。

「おいおい、勘違いすんなよ。俺はこのままだとって言ったんだ。……意味はわかるな?」

 蒼穹色の強い光を帯びる瞳に、まるで魅せられたかのように。ワイザーの目から恐怖の色が消えていく。

「俺に協力しろ、ベイゼル=ワイザー。お前の知っていること、洗い浚い全部吐け。そうすりゃ……お前は死なずにすむ。自由にしてやってもいいんだぜ?」

「そんな……」

 口を挟もうとしたレヒトを、ドゥエインが制する。ワイザーは罪のない子供たちを誘拐し、売っていた犯罪者である。女性や子供、力のない者を食い物にするような連中を、レヒトは決して許すことができない。

「ほ、本当か……?」

「ああ、考えてやってもいい。なにしろ、ここでは俺が法律だ。俺が白と言えば白、黒といえば黒。たとえ黒だろうが……白と言えば、白になる。断る理由はないだろう……?」

 レイの細い指が、ワイザーの頬を伝う。まるで魔法のように、ワイザーが魅入られていくのがレヒトにもわかった。

「ほ、本当だな? 本当に、自由にしてくれるんだな?」

「俺は嘘を吐かない。……ただし、お前がすべてを吐いたら、だがな」

「も、もちろんだ。ありがてぇ……自由にしてくれるんなら、なんだって喋るぜ」

 ワイザーの言葉に、レイはすぅ、と瞳を細めた。

「これで取引成立だ。……とりあえず警備隊の詰め所へ。そこで詳しく話を聞かせてもらう」

「わかった。……あんたがレイ=クリスティーヌか。英雄なんぞ、正義の味方気取りのいけすかねぇ野郎なんだと思ったがな」

「俺は正義の味方なんかじゃねぇ。……悪人さ」

 すっかりと元気を取り戻したワイザーを、数人の警備兵たちが詰め所へと連行してゆく。その姿が完全に見えなくなってから、レイはドゥエインに視線を向けた。

「取り調べは任せるぜ、ドゥエイン。俺も行きてぇが、なかなか忙しくてな」

「お任せくだされ」

「頼むぜ。まあ、言い渋ることはないと思うが、なにかあれば俺の名を出せ。そうすりゃおとなしくなるはずだ」

 ドゥエインが頷くと、レイは言い忘れた、とばかりに付け加えた。

「そうそう。……ワイザーと手下の連中に洗い浚い吐かせた後は極刑に処せ。情けはかけるな」

「はっ」

 ドゥエインは事後処理のために残った警備隊員に幾つかの指示を出し、自身は詰め所へと戻っていった。

「……ふーぅ。なんだ、間抜け面して」

「嘘吐かないって言ったくせに……」

 レイヴンが言うと、レイは悪戯っぽく笑った。

「俺は考えてもいいって言ったんだ。んで、考えた結果、やっぱり極刑しかねぇってことになったのさ」

 要するに、最初から助ける気などさらさらなかったということだ。

「言っただろう? 俺は悪人だってな」

 豪快に笑うレイに、レヒトとレイヴンは、ただ顔を見合わせるしかなかった。




 レイはラグネスとの協議のために天界城へと戻り、レヒトは事の次第を報告書に纏めるため、レイヴンを伴ってロイゼンハウエル警備隊の詰め所へとやってきていた。レイヴンはその場に残し、事情を知る警備隊員によって奥の執務室に案内されると、そこには机に向かうドゥエインと、長椅子に座るランディの姿があった。

「あ。レヒト兄」

「ランディ、君も呼ばれたのか」

 レヒトが言うと、もう終わったけど、とランディは笑った。

「おれがルヴォス代表なんだってさ。なー、隊長」

「ドゥエイン隊長、ランディと知り合いだったんですか?」

「知り合いというか、なんというか。彼らが仕事に失敗すると、ここに連絡が来ますからな」

 そう言って苦笑するドゥエイン。なるほど、とレヒトも小さく笑った。

「隊長、ようしゃねーんだぜ。この間なんか、尻が真っ赤になったからなー」

「嫌ならば捕まらんように精進せい。尻叩きで済むうちは優しいものなのだぞ」

「わかってるって。んじゃ、おれはもう行くからな。みんなが待ってるからさ」

 ランディは白い歯を見せて部屋を出て行った。悪戯っぽいその笑顔。きっと一仕事してから帰るのだろうと思い、レヒトはそっと笑った。

「まったく、困ったものですな。扉は閉めろと何度も言っているのですが」

 ランディが開けっ放しにした扉を閉め、ドゥエインはやれやれとため息を吐いた。それは決して嫌そうではなく、トゥールがレイに小言を言うときの表情にも似ていた。

「さて。お時間を取らせて申し訳ありませんが、調書の作成にご協力頂けますかな」

「もちろんです」

「ありがたい。それではさっそくですが……」

 レヒトはドゥエインに、今回の誘拐事件の背景を、レイから聞かされたことを交えて語った。真魔界、という単語に、ドゥエインは難しい顔をする。

「ふぅむ……真魔界が絡んでおるとは厄介ですな」

「はい。レイ様の命令で、これから真魔界へ赴こうとしていた矢先の出来事で、俺のほうも困惑しています」

 目的は同盟の締結、あくまで友好的にいかなければならない。ワイザーから得られるだろう情報は、いざとなれば真魔界を動かすための切り札として使えるかもしれないが、それは最後の手段と心得ておいたほうがいいだろう。

「真魔界へ?」

 ドゥエインは器用に片眉を跳ねあげた。レヒトが頷くと、やや声を落として言葉を続ける。

「これは私の耳にした噂話なのですが……真魔界は今、国境を閉ざしているのだとか」

「国境を閉ざしている?」

 ドゥエインは頷く。

「そうです。ウェルネス領から来た旅人が話していたことなので、確証があるわけではないのですが……」

「どうも真実らしいな」

 背後から聞こえた声に、レヒトは慌てて振り返った。いつの間に現れたのか、背後に設えられた長椅子に、天界城へと向かったはずのレイが腰かけて、呑気に欠伸を零していた。

「レイ様、いつの間にこちらへ?」

 どうやらドゥエインも気付いていなかったらしい。執務室の窓に鉄格子はないため、侵入経路はそこからだろうが。

「ついさっき。お前を捜してることに、ランディと擦れ違ってよ。ここにいるだろうってんで、寄ってみたわけだ」

「……国境を閉ざしているという、真魔界のことですか」

「ご明察」

 レイはどこか満足げに笑った。

「国境を閉ざしてるってのは確からしいが、それ以外の情報はまだ掴めてねぇ。俺の手のもんにも調べさせておくから、しばらく待ってろ」

「わかりました」

「じゃ、俺は行くぜ。こっそり抜け出して来たからよ、トゥールにばれるとうるせぇんだ」

 ひらひらと手を振って、レイは入ってきた部屋の窓からひらりと身を躍らせる。その姿を見送って、ドゥエインは小さく苦笑を洩らした。

「相変わらず読めぬ方ですな」

 気配とも、行動とも、性格ともとれる一言。レヒトも同じように苦笑を返した。

「ドゥエイン隊長は……レイ様とは、いつから?」

「私は十年前の大異変まで、各地を巡る傭兵をしておりましてな。流れ着いたこの街で、指揮を取っていたレイ様のもとで戦ったのが縁となったのです。大異変後、片目を失った私を警備隊へ編入してくださったのも、レイ様だったというわけです」

 そこまで言って、ドゥエインは一度言葉を切った。

「はじめ……私はあの方をよく思ってはおりませんでした」

「えっ……」

「レイ様ご自身を、というよりは……ロイゼンハウエルに辿り着く前に、巡った街での雇い主――貴族たちへの懐疑と不信、というべきですかな。自らの保身のみを第一に考え、民を犠牲にし、傭兵など番犬のようにしか思わない能無しども……私はすっかり人間不信に陥っていたのです。だから、レイ様もそうなのだろうと、最初から疑ってかかった。伝説の英雄と讃えられていても――きっと貴族たちと変わらないのだろうと」

 レイを信頼し、思慕する今のドゥエインからは想像できない言葉だった。ドゥエインはそんなレヒトを静かに見つめ、やがてゆっくりと語り始めた。

「その思いを変えるきっかけとなったのが、大異変のさなかに起きた悲しい事件でした。その事件で、一人の少女が神のもとへ召された」

「……少女……エミリア……?」

 レヒトの呟きを聞き取ったらしいドゥエインが、少し意外そうな顔をした。

「おや、ご存知でしたかな」

「あ、いえ……ランディから、その名前を聞いたことがあって……詳しくは知りませんが、なんとなく……」

「そうでしたか。レヒト殿のご推察通り、亡くなったのはエミリアという少女です」

 ドゥエインは当時を思い返すように、少し辛そうな顔をした。

「……ルヴォス地区に住んでいたエミリアは、ランディと同じように盗みを働いて生活していました。というより、あの場所に住む子供たちは、他に生きる選択肢がありません。子供同士で寄り添い――十四歳だったエミリアは子供たちの中でも年長で、幼い子のために盗みを繰り返していたのです」

 罪を重ねて生きるランディの、自分よりもずっと綺麗で、濁りのない眼差しを、レヒトは思い出した。

「ところが、その当時は……魔物という強大な危険に晒され、皆が怯えて暮らしていた。だからこそ、無力な少女は……大人たちのやり場のない恐怖と不安の矛先を向けられ……」

 ドゥエインは、ひとつ大きな息を吐き出した。

「盗みに失敗したエミリアは、中央公園に晒されました。服を剥ぎ取られ、乱暴され……可愛らしい顔は無残に腫れ上がっていた。……それを見たレイ様は、エミリアに駆け寄り、彼女を抱いて慟哭どうこくした。想像できますかな。あの英雄と呼ばれる天界最高責任者が……薄汚れた少女を胸に抱き、声を放って泣いたのです。エミリアは、レイ様の腕の中で息絶えました」

 ルヴォス地区に生きる子供たちの名付け親だというレイ。エミリアという名を与えたのも、レイだったのだろうか。

「それからです。レイ様のために、レイ様の愛した子供たちを、私のやり方で守ろうと思ったのは」

 言って、ドゥエインは笑った。

「……話が長くなりましたな。これだから年は取りたくないものです」

「いえ。話してくださって……ありがとうございました、ドゥエイン隊長」

 レヒトは謝辞を述べてから頭を下げ、部屋を出た。廊下を歩くレヒトの脳裏に、痩せ細った少女を腕に抱く、在りし日の天界最高責任者の姿が過ぎった。




「あ……レヒトさん」

「ナタリーさん、どうしたんです?」

 廊下を抜けた先、警備隊詰め所の入り口で、レヒトはやってきたらしいナタリーと出くわした。

「ドゥエインさんにも、お礼を述べようと思って」

「そうだったんですか」

「はい。あ……ついさっき、外でランディ君に会いました。これから仕事だって言って」

「ええ、俺も会いましたよ。失敗したらドゥエイン隊長の尻叩きだそうです」

 ナタリーは口許に手を当てて笑い、ふと真剣な表情を作る。

「……強いですね、ランディ君。私なんかよりずっと強い。……私、あんなふうにして生きる子供たちのこと、今まで知りませんでした」

「俺もです。俺はどこかで、彼らに対する偏見すら持っていたかもしれない。けれど、俺はレイ様に叱られ、誇りを取り戻そうと誘拐犯に飛びかかった人々を見て……間違いに気付きました」

「はい……私も。あの人たちがいなければ、ジェイは助けられなかったかもしれない。だから、次は私があの人たちの助けになれればと思っています。具体的になにができるかは、まだわからないんですけど……まずは、伝えようと思います。ルヴォスに生きる、誇り高い人々のことを」

 そう言って、ナタリーは静かに微笑んだ。

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