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第17話 ロイゼンハウエルの闇-3-

「だぁーっ、お前ら離れろって! 俺は逃げも隠れもしねぇよ!」

 今にも崩れ落ちそうな廃屋の一室に、天界最高責任者の絶叫と、子供たちの歓声が響き渡った。レヒトの目の前には、子供たちにたかられるレイ=クリスティーヌという、世にも珍しい光景が広がっている。

「おいこら、痛ぇ! 髪は引っ張るな! これ整えんの面倒なんだぞ!」

 子供たちは久しぶりに訪れた友人に大興奮の様子である。レイの話によると、ルヴォス地区を訪れたのは、どうも彼らに会うためだったらしいのだが。

(……なんというか、凄い光景だな……)

 呆気に取られてその様子を見つめるレヒトに気付いたらしいレイは、飛び蹴りを仕掛けた幼い少年を、逆に床へと転がしながらレヒトのほうを振り返った。

「あー、悪ぃな。しばらく解放してもらえそうにねぇわ。あの姉ちゃんが目ぇ覚ましたら呼んでくれ。……こら、退け! お前ら重てぇんだよ!」

「わかりました」

 子供まみれになっているレイに苦笑しながら答え、レヒトは邪魔にならないようにと部屋を出る。閉めた扉越しに子供たちの賑やかな声を聞いていると、ふと机の上に置かれたものが目に入った。

 ――よく熟れた、赤い果物。魔界では広く一般的に食べられているもので、それほど高級なものではない。ロイゼンハウエルの大通りに所狭しと軒を連ねる露店で、山積みにされているそれをレヒトも幾度か購入した。

「――罪、か」

 レイに言われた言葉が頭を過ぎる。

 貧しさゆえ、盗みを働かねば生きられない子供たち。ラグネスの庇護のもと、豊かなロイゼンハウエルの中心部で生活してきたレヒトは、ルヴォス地区を危険な場所だと勝手に位置付け、近寄ろうともしなかった。差別的な偏見すら、持ってはいなかっただろうか。

 レイは、そんなレヒトの持つ差別的な感情を見抜き、あのように強い言葉で叱咤したのではないだろうか――。

「……、食べる?」

 やや躊躇いがちにかけられた言葉に、レヒトの意識は現実へと呼び戻された。振り返ると、レイと子供たちがいる部屋とは反対側の扉が開き、少年が顔を覗かせていた。レヒトは小さく笑みを零して頷いた。

「頂くよ」

 レヒトが言うと、少年は嬉しそうに笑った。レヒトには、まだレイの言わんとしたことすべてが理解できたわけではなかったが、少なくとも、彼の笑顔は罪にけがれてなどいない。それで十分だとも思えた。

「さっきはすまなかったね。……俺はレヒトっていうんだ。君の名前は?」

「おれはランディ。レイ兄が付けてくれた名前なんだぜ」

 少年――ランディは自慢げに胸を張った。

「おれだけじゃなくて、ここにいる奴らはみんなレイ兄から名前もらってんだ」

 どうやら、レイはここの子供たちの名付け親であるらしい。なるほど、あの懐かれっぷりが少し理解できたような気がして、レヒトは小さく笑った。

 今も隣の部屋から聞こえる賑やかな声に耳を傾けていると、ランディはなにかを思い出したように指を鳴らした。

「そうだ、うっかりしてた。あの姉ちゃんが起きたって言いに来たんだった」

「ナタリーさんが?」

 確認するようにレヒトが尋ねれば、ランディは、そうそう、と言葉を返す。

「姉ちゃんはリズとシータと一緒に隣の部屋だよ。会うんなら連れてくけど」

 レヒトは頷き、ランディに続いて崩れかけた表玄関を潜った。古い柱が腐って倒れ、隣の部屋に繋がる扉が通れなくなったために、わざわざ外に出て、隣の家の潰れかけた二階の窓から入り、今にも壊れそうな梯子を伝って、ようやく目的の部屋まで辿り着く。小柄で身軽なランディと違い、レヒトは潰れませんように、崩れませんようにと祈りつつ、細心の注意を払って移動するはめになった。

「レヒトさん、ご迷惑をおかけしてすみません。……なんだかお顔の色が優れないようですけれど……」

 木枠に薄布を被せただけの簡素な寝台に腰掛けたナタリーが、部屋に入ってきたレヒトを見て心配そうに言った。どうやら自分の責任ではないかと思っているらしい。レヒトは慌てて笑顔を見せる。

「いえ、そんなことは。……俺のほうこそ、こんなに振り回してしまって、申し訳ないです」

「私は大丈夫です。この子たちからお水と果物を頂いて、すっかり元気になりました」

 ナタリーの傍に立っていた、二人の少女が顔を見合わせて笑った。ランディの言っていた、リズとシータとはこの二人のことだろう。

「それはよかった。……今回の誘拐事件に関する話を、少しレイ様から伺ったのですが……」

 すべてを話すと長くなるし、ナタリーが真魔界との関係など、細かいことまで気にする必要はない。なるべく簡単にわかりやすく、この事件の背景と関係者に関することを掻い摘んで説明する。

「そうですか……やっぱりジェイは攫われて……この街のどこかにいるんですね」

「潜伏先の情報はまだ掴めていませんが、おそらく間違いはないでしょう。これから急ぎ対策を講じる必要があります」

「……はい……」

 ぎゅっと服の裾を握り、ナタリーは目を伏せる。その頬を、熱い滴が伝い落ちた。

「……あっ……す、すみません……私……」

「ナタリーさん……」

 狭い部屋に落ちる、重苦しい沈黙。

「心配するな!」

 そんな沈黙を破ったのは、底抜けに明るいレイの声だった。声のしたほうを見上げれば、床板が外れて大きな穴の開いた天井から、レイが顔を覗かせていた。

 つられて顔をあげたナタリーとレヒトを交互に眺めて、レイは唇の端に笑みを浮かべた。

「俺がなんとかしてやる。任せとけ、お前の息子は必ず俺が取り戻してやるさ」

 そう言って、無邪気な子供のようにウィンクしてみせる。

 ナタリーは数度、瞬きを繰り返して――その瞳から溢れた涙は、頬に幾筋もの後を残した。

「……レイ=クリスティーヌ様……ありがとう、ございます……!」

 震える声で礼を述べ、ナタリーは何度も頭をさげる。その肩に手を置きながら、レヒトはふわりと舞い降りたレイを見つめていた。

 ――四百年前の天魔大戦を終結に導いた、高潔な魂の持ち主で、聖人君主と誉れ高い人物。レヒトの目に映ったのは、間違いなく、伝承歌サーガに謡われる『英雄』の姿だった。




 ロイゼンハウエル最南端に位置するルヴォス地区は、地区の真ん中を南北に貫く大通りによって、東エリアと西エリアのふたつにわけられる。先程、レヒトとナタリーが襲われた場所こそがエリアの境となる大通りであり、レイに連れられてやってきたこの隠れ家は西エリアの北部にあるのだと、レイは地図を指し示しながら二人に説明した。

 地図といっても、むき出しの地面にそこいらで拾った棒きれを使って、レイが自ら描きあげたお手製のものである。大雑把な上に、ありとあらゆるものが省略された随分といい加減な地図ではあったが、とりあえずの位置関係を把握するだけなので問題はあるまい。

 レイの描いた地図を眺めながら記憶を思い起こしてみると、レヒトとナタリーが情報収集をしていたのはどうやら東エリアらしかった。レヒトは記憶を思い起こしつつ、それを告げる。

「なるほど……この場所は花籠やら酒場やらの多い一角だ。お前らが得た情報通り、ベイゼル=ワイザーとかいう男の根城があるのも、この近辺って可能性は高いが……」

「なにか、問題でも?」

 レイは東エリアを棒きれで突きながら唸った。

「ここいらには数十件もの安宿、花籠、酒場――いわゆる怪しい店があるんだぜ。堂々と看板出してるとも思えねぇし、片っ端から調べようもんにも数が多すぎる。時間もかかるし、下手すりゃ感付かれて逃げられかねん」

「……」

 大人三人が揃って黙りこくっていると、後ろから地図を覗き込んでいたランディが不意に声をあげた。

「おれらが調べてこようか」

「馬鹿野郎。んな危ねぇ真似させられっか」

 レイが即座に否定する。レヒトとナタリーも同意した。

「そりゃ危ないかもしんねーけどさ。レイ兄、あんまり時間ないって言ってたじゃん。ぐずぐずしてたら、手遅れんなっちまうよ」

 レイは苛立ちを抑えるように頭を掻いた。

 わかっているのだろう。ランディの言っていることは正しい。レヒトたちよりもルヴォス地区に詳しい彼らの手を借りるのが、最善の選択であると。しかし、危険であることは否めない。だから、迷っているのだ。

「ランディ……君は、どうして?」

 深く目を閉じ、黙ってしまったレイに代わってレヒトが問えば、ランディは胸を張って答えた。

「――『殺さず、乱暴せず、弱いものから奪わず』」

「! ……ランディ、お前……」

 はっとしたように顔をあげたレイに、ランディは白い歯を見せて笑った。

「『ルキノ=ルヴォスの英雄への誓い』――ルヴォスに生きる奴が絶対に守らなきゃなんねー決まりごとだ。そうだろ、レイ兄」

「……そうだな」

 言って、レイは口の端に笑みを浮かべた。

「わかった、お前らに任せよう。絶対に無茶はすんじゃねーぞ。危ないと思ったらすぐに逃げて来い。……約束だぞ」

「うん。約束するよ」

 そう答え、ランディは何人かの子供たちを連れて住処すみかを出て行った。

「……『ルキノ=ルヴォスの英雄への誓い』とはね」

 彼らの後ろ姿を見送ったレイが、小さくそう呟いた。レヒトとナタリーが向けた視線を、説明しろと取ったのか、レイは苦笑しながら言葉を続ける。

「……四百年前の天魔大戦で、英雄と呼ばれる者のために戦った男がいた。荒廃したロイゼンハウエルで若い連中を束ねていた男で……天魔大戦終結後、その男は天界への誘いを断ってこのロイゼンハウエルに残った。戦いで傷付き、飢えた者を迎えるために……」

 それがこの場所だ、とレイは言った。ここは男の名を取って『ルヴォス地区』と呼ばれるようになったのだと。

「天魔大戦終結直後は多くの奴らがここで生きた。ところが戦争の傷が癒えるにつれ、こうした場所は忌み嫌われるようになる。……ロイゼンハウエルはふたつに割れた」

 ルヴォス地区と、それ以外――レヒトの知る、美しく華やかなロイゼンハウエルとに。

「一触即発の状態で、男が取った行動が『ルキノ=ルヴォスの英雄への誓い』なんだ。男は争いを鎮めるために訪れた天界最高責任者に対し、三カ条の誓いを立てた」

 『殺さず、乱暴せず、弱いものから奪わず』――行く当てのない者の居場所を奪わないで欲しいと願った男が立てた誓い。結果、ルヴォス地区は存続を認められ、ここの住人たちは、ずっとそれを守り続けているのだろう。

「ここは確かに薄汚いし、貧しい。罪ってやつを重ねなけりゃ生きていけない連中もいる。……それでも、みんな誇りを抱いて生きているのさ」

 レヒトは頷いた。それを見て、レイは満足げに笑う。

「……馬鹿な野郎どもをぶん殴って、ルヴォスの誇りを取り戻してやんねーとな」

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