第13話 攫われた幼賢者-2-
「プチヴォルケーノゥ!」
言葉とともに、レイヴンの右手に宿る赫き光が解き放たれた。目の前に立っていた男は言わずもがな、その向こうの部屋までが、轟音とともに燃え爆ぜる紅蓮の業火に焼き尽くされ、部屋は完全に炭化し、もはや、そこになにがあったのかさえ、わからなくなっていた。レイヴンが操る風が爆炎を遮り、子供たちが捕らわれている小部屋には、火の粉の一片、黒煙の一筋すら届かない。部屋を嘗め尽くした焔が収まったのを確認し、レイヴンはひとつ息を吐く。
「よーし、終わりッ!」
くるり、と振り返ったレイヴンは、呆けたように自分を見つめるルークに向かい、右手の親指をビシッと立て、もう一度ウィンクして見せた。毛布の上に座り込んだ子供たちも、驚いたのか瞬きを繰り返している。
「ここは片付いたから、早く逃げよう。他の奴が来たら、またレイヴンが……」
「なんだ、どうしたってんだ!」
レイヴンの声を掻き消したのは、近付いてくる無数の足音と、野太い男の大声だった。レイヴンが声と気配のするほう――すっかり炭化した部屋の中、上へと続く階段に視線を向けると、そこから数人の男たちが現れた。
「な、なんだこりゃあ……!」
焔が収まってなお、濛々とした煙が立ち込め、熱気が充満する部屋を見渡して、先頭に立つ、一際大柄な男が目を剥いた。年齢は四十半ば程度。髭面で、怪我でもしているのか軽く右足を引き摺っている。男たちを先導しているところを見る限り、この男がリーダー格なのだろう。
「どうなってる! ロスとガッツォはどうした!?」
「それってここにいた見張りのこと? それならもういないよ。レイヴンがやっつけちゃったからね」
腰に手をあてて言い放つレイヴンの口許には、場違いなまでに明るい笑みが浮かんでいる。男たちは信じられない、とばかりに視線を交わした。
「お……お前が、これをやったってのか……」
「そーゆーこと! 悪いけど、レイヴン急いでるんだ。おじさんたちと遊んであげる暇ないの。だから……」
掲げたレイヴンの右の掌に、再び輝く赫き光が生まれた。レイヴンから溢れ出した力が、目には見えぬ波導となって周囲を渦巻く。空気がずん、と重さを増した。
「みーんなまとめてやっつけちゃうからね!」
レイヴンの声に呼応するかのように、手にした光が一際強く輝く。それを目にした男たちの目に、怯えの色が広がり――。
「待ちな! こ、こいつがどうなってもいいってのか!?」
怯えながらも一歩、前に進み出た一人の男。その腕に抱えられたものを見て、レイヴンの掲げた手から光が消えた。恐怖に顔を引き攣らせた、幼い少年。レイヴンはその少年に見覚えがあった。レヒトとはぐれる前に、菓子を売る露店の前で目にした、あの少年だ。
「う、うあ……」
もし、人質にとられたのが、まったく知らない子供であったなら。レイヴンは躊躇わずに魔法を放っていただろう。だが、レイヴンはあの少年を知っていた。優しそうな母親と一緒に、幸せそうに笑っていた姿を、レイヴンは見てしまっていた。
しばしの時、レイヴンはそのままの格好で、男に抱えられた少年を見つめて。
そして、ゆっくりと、レイヴンは掲げていた手を下した。ついに、魔法を放つことはできなかった。
魔法を放つ様子のないレイヴンに、安堵したのか、先頭の男が、唇の端をぐっと吊り上げた。
「へぇ……まさか魔法使いだったとはなぁ。お綺麗な顔に上等な服……どっかの貴族かと思ったが、まさか魔法まで使えるとは……嬉しい誤算だぜ。おい、お前、ちょいとこっちに来な」
レイヴンはおとなしく指示に従う。リーダー格の男がレイヴンの視線にあわせて屈み込み、また唇を歪めて笑った。酒臭い息がかかり、レイヴンは顔を顰める。
「見れば見るほどお綺麗な面だ。その上、魔法まで使えるとあっちゃあ、フォードの旦那も喜ぶ。これで俺たちは一生遊んで暮らせるだろうぜ。悪く思うなよ」
リーダー格の男がそう言うと、周りの男たちも一斉に笑い出した。
悔しいが、なにもできなかった。唯一できることといえば、目の前で笑う男たちを、精一杯睨み付けることくらいだ。その情けなさに、レイヴンは唇を噛み締めた。
「レイヴン! どこだ、レイヴン!」
街の大通りを走りながら声を張り上げ、レヒトは消えたレイヴンの行方を追っていた。あの菓子売りの露店の前で、ほんの少し目を離した隙に、いなくなってしまったのだ。
レヒトがレイヴンの姿を見失ってから、まだそれほど時間は経っていない。もしかしたらレイヴンのほうもはぐれてしまったことに気付き、レヒトの姿を捜して周囲を歩きまわっているのではないかと踏み、レヒトはあの菓子売りの露店付近に重点を置いて探していたのだが。なにしろこの人混みである。いくら目立つとはいえ、この中から小さな子供一人を見付けることは、決して容易なことではなかった。
レヒトは大通りから通じる、街の中央広場へやってきた。ここは待ち合わせなどにもよく使われる場所であり、連れとはぐれた際にはここに来る、というのがロイゼンハウエルでは常識なのだが、この街に長く住むレヒトと違い、レイヴンは知らないだろう。やはり、この場所にレイヴンの姿はなかった。
「……どこに行ったんだ、まったく」
小さくため息を吐き、振り返ったレヒトは、ちょうど後方から走ってきた人影とぶつかった。
「きゃ……!」
レヒトは少しよろけただけで済んだが、ぶつかってきたほうの人影――若い女性はまともにバランスを崩したようで、その場に倒れ込む。柔らかそうな長い髪が、ふわりと躍った。
「大丈夫ですか?」
「す、すみません。急いでいたもので……」
レヒトが片膝を付き、手を差し出せば、女性は身体を起こし、慌てたように顔をあげた。
背中で結わいた明るい栗色の髪に、同色の瞳。このあたりには多い色だ。顔立ちも特別整っているわけではない。しかし、レヒトには忘れられぬ顔だった。
「貴女は……」
「? ……どこかで、お会いしましたか?」
「あ、いえ。先程、お見かけしたんです。菓子屋の前で、息子さんと貴女を……」
レヒトとぶつかったこの女性、先程露店の前で見かけた母親だったのである。行方を晦ましたレイヴンがじっと見つめていた親子――そういえば、子供の姿はないようだが。
「そう……だったんですか。それじゃあ、ジェイをご存じなんですね」
ジェイ、というのは、話の流れから察するに、レヒトが目撃した彼女の息子の名前だろう。
「息子さんですね?」
「そうです。あの、ジェイを……その後、どこかで見かけませんでしたか? 少し前、ほんの少し前までは一緒だったんです! それなのに、少し目を離した隙にいなくなって……ずっと探して……」
口許に手をやり、目を潤ませる女性を落ち着かせようと、レヒトはその肩に優しく手を置いた。
「落ち着いてください。とりあえず、立ち上がれますか?」
「……すみません……」
手を貸して立たせ、とりあえず彼女が落ち着くまではと、レヒトは彼女とともに、噴水の縁に腰かけた。
「詳しく話して頂けますか?」
「ええ……。私はナタリーといいます。夫と、ジェイと……この街で暮らしていて……」
ナタリーと名乗った女性は、やや落ち着きを取り戻したのか、静かに語り始めた。
「……今日は、ジェイと一緒に買い物に来て……お菓子を買って……その後、ほんの少し目を離したら……」
「いなくなった、ということですね」
肩を震わせ、ナタリーは頷いた。
「前にも、何度か人混みではぐれてしまったことがあって……。その時はすぐに見付かったんですが、心配して……それで、約束したんです。もしもママとはぐれたら、お家に帰りなさいって。それからは、はぐれてしまっても、ちゃんと一人で家まで帰っていて……それなのに、どうしてか今日は……」
レヒトはすぅ、と目を細める。それは、確かに妙だ。確かにジェイはまだ幼かったが、一人で家まで帰れないほど子供ではなかった。以前、何度かそういうことがあったというなら余計におかしい。レヒトは嫌な胸騒ぎに襲われた。
「……この広場にも、何度も遊びに来ているので、もしかしたらと思ったんですが……いなくて。本当に……どこに行ってしまったのか……」
ナタリーの瞳から涙が溢れ、それは頬を伝い落ち、彼女のスカートに小さな染みを作った。
「……大丈夫。必ず、見付かりますよ」
頭を過ぎった嫌な予感を振り払い、ナタリーを安心させるようにそう声をかけて、レヒトは微笑む。
「迷子になったということであれば、街の警備隊に保護されているという可能性もあります。一緒に行ってみましょう」
「……ありがとうございます。けど……」
「ああ、俺のことであれば、気にしないでください。……実は俺の連れも、行方がわからなくて。今から警備隊の詰め所に行ってみようと思っていたんです。安心してください、俺はこう見えて、警備隊には顔が利きますから」
力強いレヒトの言葉に、ほんの少しだが安堵したように、ナタリーは張り詰めていた表情を和ませる。彼女を連れ、レヒトは警備隊の詰め所へと足を運んだ。