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第12話 攫われた幼賢者-1-

 母親に買ってもらった甘い焼き菓子を、嬉しそうに頬張る少年を、少し離れた場所に立ち尽くしたまま、レイヴンはじっと見つめていた。口を満たす菓子の甘さより、大好きな母親が自分のわがままをきいてくれたことのほうが嬉しいようで、少年は幼いその顔に満面の笑みを浮かべ、母親と手を繋いで歩いて行った。

「お母さん、か……」

 レイヴンはぽつりと呟いた。両親の顔を、レイヴンは知らない。名前も知らない。知っているのは、もう、自分の両親はこの世にいないのだ、ということだけ。

 長く伸ばした自身の銀髪を、レイヴンはそっと握った。レイヴンの見事な銀髪は、父親譲りだと聞いたことがある。母親は神々しいまでの金色の髪で、両親とも、とても美しい人だったそうだ。

「レイヴンのお父さんとお母さん……どんな人だったのかな」

 今まで、一度たりとも気にしたことなどなかった、両親のこと。この時初めて、レイヴンは知りたいと強く思った。

「……あ、ねえ。そういえばさ、レヒトのお父さんとお母さんって……あれ?」

 レイヴンはきょときょとと周囲を見渡す。先程まで一緒にいたはずの、レヒトの姿がどこにもない。

「レヒト? おーい、レヒトってばー!」

 とりあえず呼んでみるが、返事はなかった。

「……もう! 勝手にいなくなるなって言ってたくせに、レヒトが迷子になっちゃったみたい」

 腰に手をあて、レイヴンはむぅ、と膨れる。

 しかし、いつまでも膨れているわけにもいかない。まだそう遠くへは行っていないと踏んで、レイヴンは大通りを歩きながらレヒトの姿を探した。

「レヒトー! どこー?」

 しかし、いくら探してみても、人混みの中に、あの目立つワインレッドの姿を見付けることは出来なかった。

 あちこちをぐるぐると探し回り、疲れ果てたレイヴンは、ロイゼンハウエルの中央広場で足を休めることにした。

「……はぁ。レヒトってば、いい年して迷子になるんだから。探しまわるレイヴンの身にもなってよね」

 噴水の縁に腰かけ、大きなスタッフで肩を叩く。慣れない人混みの中を歩き続けたおかげで、足はくたくたになっていた。

 さすがに大きな街だけあり、広場もたくさんの人で溢れていた。そんな中、レイヴンはたった一人。よく知りもしない場所で、はぐれてしまったレヒトを探している。絶えず行き来する人々を眺めていたレイヴンは不意に心細さを覚え、法衣をぎゅっと握り締めた。

「レヒトぉ……どこ行っちゃったの……?」

 心なしか声も震えている。猫のような金色の瞳の縁に、じわりと涙が滲み――。

「ちょっと、そこの君」

 声がかけられた。法衣の袖で目を擦り、声のしたほうを振り返ると、人の良さそうな顔をした男が立って、こちらを見ていた。年齢は四十歳前後だろうか。なにか特徴的なところがあるわけでもない、ごくごく普通の男だ。

「なに、おじさん。レイヴンに用?」

「君、さっき紅毛のお兄さんと一緒にいた子だね?」

「おじさん、レヒトのこと知ってるの?」

 男はにっこりと笑って見せた。

「ああ、知ってるとも。あのお兄さんがね、君のことを探していたよ」

「え、ほんと? レヒト、どこにいるの?」

 レイヴンの顔がぱあっと輝く。それを見て、男はまた笑みを浮かべた。

「ついておいで。おじさんが連れて行ってあげよう」

 そう言うなり、男はきびすを返す。レイヴンは慌てて後を追った。

 男が向かったのは、街の最南端。怪しい店や宿が、狭い路地に立ち並んでいる。魔界首都といえども、大都市と呼ばれ、大勢の人々が生活する場である以上、街のどこかにこういった場所は存在するのだ。賑やかで美しい大通りとは裏腹に、昼まであるゆえか人通りも少なく、薄汚れ、古びた家々がところ狭しと軒を連ねていた。

「ねえ、おじさん。ほんとにここにレヒトがいるの?」

 お世辞にも綺麗とはいえない服を身に纏い、寂れた通りを歩く住人たちの、上から下まで値踏みするかのような視線に耐えきれなくなったレイヴンがそう問いかけると、前を歩く男が立ち止まり、レイヴンのほうを振り返った。

 相変わらず、あの人の良さそうな笑みを浮かべたまま。

「そうだよ。……ああ、あそこだ。見えるかな?」

「えっ! どこ? どこにいるの?」

 立ち止まり、男の指差した方向へと顔を向けたレイヴンは、不意に強い眩暈を感じてその場に昏倒した。優しそうな笑みを張り付けていた男の唇が、醜く歪むのを捉えて。




「……おい、おいってば。起きろよ」

 押し殺したような声が降ってくる。レイヴンはもぞもぞと寝返りを打った。

「おい起きろ、起きろってば」

「んぅ……なぁに、ガル。もう朝ぁ……?」

 肩を揺すられ、レイヴンはむにゃむにゃと口の中で文句を言い、うっすらと目を開いた。

 あたりは真っ暗、とまではいかないが、薄暗い。誰かが、顔を覗き込んでいるのがわかったが、その顔はよく見えなかった。まだ夢見心地のレイヴンは、鬱陶しげに肩に置かれた手を払うと、まどろみの世界に落ちてゆく。

「……あと、もうちょっと……」

 うとうとと心地よい夢の世界に誘われかけた瞬間。

「起きろっての!」

「冷たッ! なにするんだよッ……!」

 悲鳴をあげて飛び起きたレイヴンの口を塞ぎ、静かにしろ、と小声で告げる。押し殺されているため低く響くが、それはまだ高い、少年のものだった。状況がさっぱりわからないレイヴンだが、口を塞がれているために文句も言えない。とりあえず頷くと、今までレイヴンを拘束していた影がその手を離した。

「……静かにしてろよ。騒ぐとあいつらが来ちまうからな」

 そこで初めて、レイヴンはその少年の姿を目にすることになった。

 年の頃は、おそらくレイヴンと同じか少し上くらいだろう。とびきりの美少年、というわけではないが、愛嬌のある顔立ちをしている。日に焼けた小麦色の肌に、癖の強そうな赤茶色の髪。瞳は深いターコイズブルーだ。その手には、端の欠けたグラスを持っている。レイヴンの顔を襲った水の出どころはここだろう。

「なになに? なんなの?」

 物珍しそうに周囲を見渡すレイヴンに、その少年は呆れたような眼差しを送る。

「……お前、変な奴だな」

「レイヴン、別に変じゃないよ」

「変だろ。まあ、なんでもいいけどさ」

 そう言って、少年はレイヴンの傍に腰を下ろす。

「俺はルーク。お前は?」

「レイヴン=カトレーヌだよ」

 手を伸ばせば届くほどの距離だが、獣油の薄暗い明りでは、ほとんど見えないに等しい。レイヴンは両手を胸の前にかざし、その間に小さな光の球を生み出した。ルークが驚いたように声をあげる。

「お、お前……なんだよ、それ」

「なにって魔法。こんなの簡単だよ」

 光の球はレイヴンの手を離れ、天井付近まで上り、獣油の明かりよりもはっきりと部屋の中を照らし出した。

 大して広くもない部屋には、古びた机と椅子があるだけで、他にはなにもない。隅のほうには汚らしい毛布が数枚敷かれており、その上に固まるように、幼い少年少女、数人が座り込み、レイヴンに視線を向けていた。下は五、六歳、上は十歳前後。見る限り、レイヴンの傍に座っているこの少年、ルークが最年長であるようだ。

「んー……あのさ、よくわかんないんだけど……ここ、どこ?」

「お前さぁ……自分が誘拐されてきたことにも気付かないのかよ」

「なに?」

 レイヴンが聞き返すと、ルークは呆れたように、なんでもない、とため息を吐いた。

「ここってじめじめしてるし黴臭いね。鼻が変になっちゃう。あーあ……レヒト、早く迎えに来ないかなぁ……」

「誰だよ、レヒトって」

 ルークに問われ、レイヴンはにっこりと笑った。

「えーとね、レイヴンはレヒトと一緒に旅に出るんだよ。だから、レヒトはレイヴンの護衛かな」

 レイヴンがそう答えると、ルークは少し驚いたような顔を見せた。

「護衛……。もしかしたらってみんなと話してたけど……お前、本当にお貴族さまだったのかよ。まあ、すごい服着てるし、そうかとは思ったけどな。それで、その護衛とはぐれたのか」

「まあね。レイヴンがちょっと目を離したらいなくなっちゃって。レヒトはレイヴンがいないとだめだから、ちゃんと迎えにくると思うんだけど。みんなはお迎え、来ないの?」

 その言葉に、ルークと部屋にいた少年少女が、悲しげな顔で俯いた。

「……来ねえよ」

 ぶっきらぼうに答えたのは、ルークだった。その深いターコイズブルーの瞳の奥に見えたのは、悲しみと、寂しさと――ほんの少しの怒りの色。

「俺は親に売られたんだ。他の連中だって同じようなもんさ。……誰も、俺たちを迎えになんか来ない。このまま……売られるのを待つだけだ」

「ふぅん……」

 交わす言葉がなくなり、重苦しい空気とともに沈黙が落ちる。それを破ったのは、小さく押し殺したような泣き声だった。

「うっ……ぐすっ……お母さん……」

「泣くなよ。泣いたってしかたないだろ? 誰も助けになんか、来ないんだから」

 固まって座っている数人の少年少女から離れた場所で、一人膝を抱えていた幼い少年が泣きだした。最年長のルークがそう言うと、その少年は聞きたくないとばかりに顔を覆う。その少年よりは少し年上だろうと思われる少女が傍に寄り、慰めるように少年の肩に手を置いた。

「……あいつ、お前と同じなんだよ。誘拐されてきたんだ」

 小声で、ルークがレイヴンに囁いた。

「だから、ひょっとしたら……あいつの親は、あいつのこと探してるのかもしれないけど……無駄さ。ここからは逃げられない」

「逃げられないの?」

「無理だ。ここは地下みたいで窓はないし、扉はそこの一か所だけ。いつも鍵がかかってるし、開くのは一日一回、食事が運ばれてくるときだけだ。向こう側は違う部屋になってて、階段はそこにあるみたいだけど、いつも見張りがいる」

 レイヴンの問いかけにそう答えるルーク。見た目にはまだ幼さを残す少年だが、とてもしっかりしている。

「……ねえ、見張りって何人いるの?」

「隣の部屋にいつもいるのは二人だけど……全部で何人かはわからない。上の階からも声がするし……十人以上はいると思うぜ……」

 聞き耳をたてていた少年少女たちが、絶望的な表情を浮かべた。力を持たない彼らにとって、十人以上の大人を相手に逃げることなど、それこそ不可能に近い。

「……嫌よ。売られるなんて嫌……」

 そう呟いた少女の瞳から、大粒の涙がぽろっと零れ落ちた。

「う、うぅ……」

「ぐすっ……助けて……」

 座り込んでいた少年少女たちが、つられたように泣き出した。その中で、ルークだけは、決して泣くまいと唇を噛み締めて耐えている。

「大丈夫だよ」

 そんな悲壮な雰囲気をぶち壊したのは、能天気なレイヴンの言葉だった。少年少女たちの視線がレイヴンに集まる。

「さっき言ったでしょ? レヒトが来るって。そしたら逃げられるよ」

「……そいつ、いつ来るんだ」

 ルークに問われ、レイヴンは首を傾げた。

「うーん……それは、わかんないけど」

「……さっき、連中が話してるのを聞いたんだ。これであと一人、なんとか明日には間に合いそうだって。だから……」

 それはつまり、明日には全員が売られてしまうのだ、ということを意味する。

「……むぅ」

 レイヴンがなにかを思案するように腕を組むと、ルークが小さく息を吐いた。

「だから、無駄なんだよ。もう、覚悟を決めるしかないんだ」

 幼い少年に似つかわしくない、疲れを宿した、すべてを諦めきってしまったような瞳。レイヴンはルークの傍まで歩み寄ると、その顔を覗き込み――思い切り、その頬を引っ叩いた。

 周囲の少年少女が、息を飲んだのがわかった。

「なにすんだよっ!」

 レイヴンよりやや背の高いルークが、レイヴンの胸倉を掴みあげる。それに対し、レイヴンはルークの顔をまっすぐに見据えて言い放った。

「レイヴン、そうやってうじうじしてるの嫌いなの」

「なら、どうしろってんだよ! 言っただろ? 逃げられねぇんだよ、ここからは!」

 血を吐くようなルークの叫び。泣きたいのを必死に堪えるような少年の顔を、レイヴンの猫のような瞳が映して――レイヴンは唇の端を吊り上げた。

「大丈夫!」

 そして、ふわりとその手から抜け出す。

「面倒だから、レヒトが来るまで待ってようかと思ったけど。作戦変更!」

「な、なんだよ……?」

「みんなで逃げよう。レイヴンが助けてあげるよ」

 そう言って、レイヴンは思い切り息を吸い込み――。

「痛い! いたーい! お腹痛いよッ! うぅー、死んじゃうッ!」

 隣の部屋まで響くような大声で叫ぶ。唖然とするルークに向かい、レイヴンはウィンクひとつ。すぐさまレイヴンの意図を察した利発な少年は、鍵のかかった扉を叩いて同じように大声を張り上げた。

「おじさん! 新しく来た子が腹痛いって! 綺麗な服着たあの子だよ! なあ、助けてやって!」

 隣の部屋で気配が動く。

(……二人、だね)

 レイヴンはルークに扉の傍から離れるよう目配せし、自身は音もなく扉の前に移動する。そして掲げた右の掌に、輝く赫い光が宿る。

「なに、腹痛だって? だから言ったんだよ、あんないいとこの子供を汚いガキどもと一緒にすんのは反対だって。せっかく、フォードの旦那が喜びそうな上玉だってのによ……」

 ぶつくさと、男の溢す愚痴が聞こえてくる。鍵を外す音がし、扉が開かれた。

「おい、来てやったぞ。あの子供は……ん?」

 扉の前に立っていたレイヴンと、男の目が合う。レイヴンはにこっと笑った。

 ――それが、男が目にした人生最後の光景となった。

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