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第10話 遥かなる旅路へ-1-

 天界城の一室に、ぶつぶつとなにかを呟きながら、一枚の紙と向かい合うレヒトの姿があった。

「……地図は持った。ランプは……必要ないか。レイヴンに頼めばいい。……それから……」

 レヒトが手にしている紙には、旅に必要だろうと思われる持ち物の一覧が書き込まれている。そこに書かれたものを手当たり次第に荷物袋に突っ込み、今は忘れ物がないかの最終確認中というわけだ。

「……よし。これでとりあえずは大丈夫だろう。あと足りないものは、ロイゼンハウエルに降りてから買えばいい」

 続いてレヒトは、自身の旅装を整えにかかった。

 ぴったりとした黒い服の上から、ほぼ全身を覆うタイプの銀色の鎧を纏う。これは使い物にならなくなった鎧の代わりに、とトゥールが用意してくれたものだ。今までレヒトが身に着けていた簡素な鎧とは異なり、こちらは指の一本一本までを覆うような、かなり本格的な形状ではあるが、決して動きは妨げないよう機動性にも配慮された造りとなっている。その上に羽織るのは、お気に入りのコート。白地に紅の縁取りが施されたこのコートは薄手で、非常にゆったりとしたデザインである。お洒落のためではなく、これも立派なレヒトの戦闘装備だ。

 レイより授けられた大剣、セイクリッド・ティアは腰に佩き、それぞれ形状の異なる複数の短剣をコートの内側に仕込めば、支度は完了。

「……よし、これでいいな」

 旅支度を終えたレヒトが部屋を出ると、廊下ではレイヴンが退屈そうに欠伸をしていた。

 レイヴンの格好は、先程と変わりない。身に纏うのは銀糸のぬいとりが美しい白い法衣。額に当たる部分に大きな宝石の埋め込まれたサークレットやアミュレットなど、どこをどう見ても普通の旅人ではないのだが。

 この格好が、後に魔界で一騒動起こすことを、世間知らずな旅人たちはまだ、知る由もない。

「むぅ、レヒトってば遅すぎだよ!」

「すまない、支度に手間取ってな」

 レイの指示で、二人はまず魔界へ降りたのち、真魔界へと向かうことになっている。長旅になるからと張り切って支度をしていたのだが、これが思った以上に大変だったのだ。

 レヒトは魔界評議会議長を務めるラグネスの護衛という立場上、たとえば評議会の定例会議などに出席するため、魔界のさまざまな土地を訪れる機会もそれなりにあった。とはいえ、そういった場合の旅支度は、同行する世話役や使用人がやってくれていたので、いざ自分で支度を整えようと思った時にはなにから手を付けるべきなのかまるでわからなかったのだ。レイヴンはレイヴンで、自分の必要なものだけはさっさと纏め、それ以外の支度はレヒト任せだったのである。

 それで遅いと責められるのはいかがなものかと思いつつも、レヒトがそれを言葉にすることはなかった。信頼関係どころか、すでに力関係までもが構築されている。

「これで全部おしまい?」

「いや、まだだ。水と日持ちする食糧、それから応急処置用のアルコールと、手に入るなら薬草なんかも……」

 先程の紙を眺めながらレヒトが答えると、レイヴンがきらきらと目を輝かせた。

「あ。じゃあね……」

「先に言っておくが菓子はだめだぞ。遊びに行くんじゃないんだ」

「むぅ。いいじゃん買ってくれたって!」

 訴えは無視して歩き出す。絢爛豪華なシャンデリアが美しいエントランスホールへと足を踏み入れ、レヒトはふと立ち止まった。

「……歓声?」

 城のどこからか響く声は、確かに歓声のようで。

「なんだろ。ねえ、ちょっと気にならない?」

 好奇心の旺盛なレイヴンは、この歓声がいたく気になるようである。レヒトのコートの裾をちょいちょいと引いた。レヒト自身も気にならないといえば嘘になる。

「……そうだな」

 わずかに聞こえる声だけでは正確な判断はできないが、それなりの人数が集まっていると思われた。

「見に行ってみるか」

「賛成!」

 城にこだまする声の正体を確かめるべく、レヒトとレイヴンは踵を返し、元来た道を歩き出した。




 響く声と気配とを頼りに二人が辿り着いたのは、天界城の中心部に位置する広い中庭だった。

 綺麗に手入れされた芝や、色とりどりの花が咲き乱れる美しい中庭に、背に純白の翼を頂く天界の兵士たちが隊列を組み、整然と並んでいた。その数、ざっと百五十人。

「うわ、なんかいっぱいいる」

 歓声がやんで静寂を取り戻した中庭に、レイヴンのあげた声は嫌に大きく響き、最後尾にいた何人かが振り返った。見れば、遥か前方の檀上に立つ、進行役かなにかなのだろう男性も、眉間に皺を寄せてこちらを見ているではないか。レヒトは慌ててレイヴンの口を塞いだ。

「……それでは、行軍第二陣となる天界軍第四小隊、第五小隊、第六小隊の出立に際し、天界最高責任者レイ=クリスティーヌ様よりお言葉を頂戴する」

 そう言って進行役の男性は檀上を降り、代わりに現れたのは、この場に集った兵士たちとは異なる、三対六枚もの美しい翼を持つ若い男性。天界最高責任者、レイ=クリスティーヌである。

「天界軍兵士諸君」

 澄んだレイの声が、中庭に響き渡る。それほど大きな声で話しているとも思えないが、その声は離れた場所に立つレヒトにもしっかりと届いた。

「この度、諸君が従事することとなった任務は、魔物の恐怖に怯える、同盟国魔界の民を護ることだ。魔界では日を追うごとに魔物の目撃例が増加し、民は不安な日々を送っているという……」

 いつになく真面目な顔で語るレイの言葉に、まるで魅せられたように、兵士だけでなく、レヒトまでもが、飽きもせず、熱心に耳を傾けている。

 少なくとも、見ていて飽きることはないだろう。誰もが見惚れてしまうほどの美貌。さらさらとした金色の髪は自身の身長より長く、雄大な蒼穹を思わせる切れ長の瞳は、強い光を宿す。そして、内面から溢れるような、輝きに満ちたオーラ。指導者としては、類稀たぐいまれなる天分だ。まさに、人を統べるために存在するのではないかと思うほどに。

「……この度の任務を見事遂行してみせるよう、諸君の働きに期待する。以上だ」

 いつの間にか、話は終わっていたようだ。

 レイが壇上を降りたところで、周囲の雰囲気が変わった。戻ったと表現するほうが正しいかもしれない。まるで夢でも見ていたような感覚だ。レヒトは改めて、レイの持つオーラの強さを思い知ったような気がした。

 ふと周囲を見渡してみると、感激に打ち震え、涙を流す者もいる。なにを大袈裟な、と思うかもしれないが、これが事実なのだ。それだけの魅力、それだけの力を、このレイという男は持っているのである。レヒトはそれに感嘆すると同時に、どこか恐ろしくも感じた。

 あの進行役の男性が壇上に戻り、兵士たちに号令をかけると、兵士たちは統率のとれた動きで敬礼し、一斉に方向転換して歩き出す。彼らの邪魔になっていることに気付き、レヒトはレイヴンを抱えてその場所――城内へと続く扉の前から離れ、扉を通って中庭を離れる兵士の一団を見守った。

 やがて兵士の姿が中庭から消え、レヒトとレイヴンは同時に、小さく息を吐き出した。

「……なんか変に緊張しちゃったよ」

 胸に手をあてるレイヴン。レヒトは苦笑しつつも頷いた。

「そうだな。身が引き締まるような思いだった」

「なに言ってんだ、お前らが緊張する必要はねぇだろう」

「ええ、まあそうなんですが……」

 背後から聞こえた声に、無意識のうちにそう答え――数度瞬きを繰り返した後、レヒトは勢いよく振り返った。

「レ、レイ様!?」

「……んなに驚くことか?」

 腕を組み、少し気分を害したように眉を跳ね上げる。

「驚きます! 気配を消して背後に立つのはやめてください!」

 レイは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「修業が足りねぇな。俺は普通に歩いて来ただけだ。気配も消しちゃいねぇし、魔法も使っちゃいねぇ」

 レヒトが言葉に詰まると、レイは面白がるように唇の端を持ち上げた。先程、兵士たちの前で見せていたあの姿と、このレイ。どちらが本当の彼なのだろう。

「っていうか、レイさん。こんなとこでなにしてたの?」

 レイヴンがそう問いかけると、レイは退屈そうに欠伸した。

「魔界に送る兵士に激励の言葉を……って聞いてたんじゃねぇのかよ」

「聞いてたけど。いつものレイさんと全然違うんだもん。笑っちゃうとこだったよ」

「あー、そうかよ。俺だってやりたかねぇよ、こんなかったりぃ仕事は……」

 心底面倒臭そうに答えると、硬くなった身体を解すように、大きく伸びをしてみせる。

 この言葉を、レヒトは少々意外に思った。レイはこういった、自身が注目を集めるような場面が好きだとばかり思っていたのだが。それとも格式ばった堅苦しい場面は苦手なのだろうか。

「それより、お前らまだここにいたのかよ」

 レイに視線を向けられ、レヒトは苦笑した。

「ええ。……思ったより支度に手間取ってしまいまして」

 レヒトとレイヴンだけではどうにもならず、結局ラグネスを頼って、旅に必要な装備品を書き出してもらったのだ。それがあの紙である。そのあたりの事情はレイも知っているらしく、その目は如実に、こいつらに任せて大丈夫だったんだろうか、などと訴えていたが、幸か不幸か、世間知らずの旅人たちがそれに気付くことはなかったのだった。

「ところでレイ様。よろしいのですか? 天界最高責任者が、こんな場所で……」

 レヒトがそう言いかけた時。

「レイ様ぁっ!」

 怒気を孕んだ叫び声と、扉を蹴破るような破壊音に、何事かと振り返れば。鬼の形相のトゥールが、扉があった場所に仁王立ちとなって、周囲にその視線をやっていた。

「え、と……トゥール、さん?」

 躊躇いがちにレヒトが声をかけると、ようやく彼らの存在に気付いたらしいトゥールが視線を向けた。その形相たるや、まさに鬼という言葉がぴったりだ。どのくらいかというと、視線を向けられたレヒトが思わず数歩後退り、レイヴンが慌ててレヒトの背後に隠れたほどである。

「……レヒト殿か」

 少し落ち着きを取り戻したらしく、トゥールは鉄面皮と評される普段の表情に戻った。

 やや冷たい印象を受けるが、よく見ればなかなか整った顔立ちだ。短めの黒髪、紅玉のような鋭い瞳。無表情で寡黙だが、そんなところが素敵、と城の侍女からは人気があるらしい。しかし、今の表情を彼女たちは見たことがあるのだろうか。……きっとないに違いない。

「あ、あの……どうかされたんですか?」

 控え目に問う。それに対し、トゥールはいつものことなのだが、と小さく言葉を続けた。

「レイ様を見なかっただろうか。式典の後、また行方をくらまして……」

 ため息混じりのトゥールの言葉に、レヒトとレイヴンは顔を見合わせる。

「トゥールさん。レイ様なら、俺たちと一緒にいらっしゃいますよ。ほら、こちらに……って、えぇっ!?」

 振り返ったレヒトは、思わず声をあげていた。つい先程までそこにいたはずのレイの姿が、忽然こつぜんと消え失せていたからである。

「くっ、遅かったか……まったく、あの方は!」

「そんな……ほ、本当についさっきまでここにいらっしゃったんですよ? いつの間に……」

「護衛の目を盗んでの隠密行動はレイ様の得意技だ。あの方に、我々の常識は一切通用しない」

 驚きに慌てふためくレヒトに対し、トゥールはどことなく疲れを宿した声で、呆れたように言ったのだった。

「……どうせ城下にでも行かれたのだろう。私が護衛に付いている意味がまるでない」

「城下……というと、アンジェラスですか?」

 アンジェラスというのは、天界城下の街の名だ。天界人の多くが住まうかなり大規模な街で、アンジェラスで揃わぬ物はない、といわれるほど、物資も豊富に揃っている。しかし、いかに大きな街とはいえ、あの目立つ天界最高責任者が現れれば、街は大騒ぎになるのではないだろうか。そんなレヒトの疑問に気付いたのか、トゥールがやはりため息混じりに答えた。

「城下に逃げたレイ様は無敵だ。……なにしろ、民はこぞってレイ様の味方なのだからな」

 深刻な表情のトゥールには悪いが、レヒトは思わず吹き出してしまうところだった。

「そ、それは大変ですね」

「まったくだ。……たまにはこちらの身にもなって頂きたい」

 トゥールは額に手をやり、それはもう深い深いため息を吐いた。

「レイ様の行かれる場所としては、アンジェラスかロイゼンハウエルだろう。……レヒト殿、カトレーヌ教授。もしもレイ様をお見かけしたら、私が探していたと伝えては頂けないか」

「あ、はい。わかりました」

「私はレイ様を探さなくては。……それでは失礼する」

 軽く頭を下げ、トゥールは背中の翼を羽ばたかせると空へと飛び立ち、その姿はすぐに見えなくなった。

「……レイ様の子守り……じゃなかった。お守りも大変そうだな……」

 しんみりと呟くレヒト。実は、彼の仕えるラグネスにも放浪癖がある。少しでも目を離すと執務室から姿を消し、大慌てで探してみれば、ロイゼンハウエルのカフェで優雅に紅茶を楽しんでいたり、広場でのんびり野良猫と戯れていたりするのだから困ったものだ。

「似るもんだな、兄弟って……」

「なにが?」

「……なんでもない。さ、俺たちも行くぞ」

 そう答え、レヒトはレイヴンとともに、天界城を後にした。

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