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第100話 錯綜する想い-2-

 悲しみの雨が降る街を、快は酷くゆっくりとした足取りで歩いていた。

 雨雲に月が隠れた夜でも、この街は薄ぼんやりとした、どこか幻想的な光に包まれている。それが、この街が闇に光る真珠(パールセフォン)と呼ばれる理由のひとつなのだ。

 街を包む光の正体は、精霊界でしか採掘できない希少な鉱石である。細かく砕かれたこの鉱石が街のあちこちにちりばめられているため、街全体が淡い光を放っているように見えるのだ。

 地図にも載らぬこの街が造られたのは、今から三百年ほど前のこと。天魔大戦で失われた、人間と精霊人の間に絆を取り戻すため、一人の精霊人が立ち上がった。他の誰でもない、快のために。

 混血児であった快は、幼少期から辛い思いをして過ごしていた。自分を見つめる精霊人の瞳に見える、形容しがたい感情――わずかな恐怖心と嫌悪感、そして同情とが綯い交ぜになったそれに耐えられず、快は部屋から出ることを怖がるようになった。物心付く前に母親を亡くし、公務に追われる父親とも離され、ずっと孤独を抱いて生きてきたのだ。

 そんな快にとって、時折旅から帰ってくる父親の友人だけが唯一の遊び相手であり、理解者でもあった。彼への想いが愛に変わるまでにそう時間はかからず――快は彼とともに精霊界を飛び出した。

 旅から旅への生活を続けるうち、快は知った。この世界には、自分の他にも多くの混血児がいるのだと。彼らも同じように、辛い思いをしているのだと。

 ヘヴンの各地に存在する混血児は、ほとんどが人間を親に持つ。その中でも、特に多いのが人間と精霊人との間に生まれた混血児であろう。天魔大戦がはじまる前まで、人間と精霊人は親しかったのだ。他のどの種族とよりも、関係が深かったと言っていい。だからこそ、多くの混血児が生まれることになった。

 人間と大差ない外見を有する彼らは、わずかながらに魔力を秘めている。生粋の精霊人には遥かに劣るが、それでも小さな火を起こす程度の魔法は使え、寿命も人間に比べればずっと長い。魔力を有するがゆえに精霊人には正体を見破られ、変わらぬ外見と人を凌駕する命ゆえに人間の土地でも生きられない。彼らは魔界と精霊界との境で、身を寄せ合って隠れるように暮らしていた。

 どちらの種族とも認められない現実。それを知って悲しむ快に、彼はこう言ったのだ。ならば絆を取り戻せばいいと。

 最初は二人ではじめた街造り。長い年月をかけて、少しずつ形になってゆく街の姿を見るのが楽しかった。やがて噂を聞き付けたのか、魔界の辺境に造られたパールセフォンには、多くの混血児が居場所を求めてやってくるようになり。心ない者からの誹謗や中傷もあったけれど、彼らに理解を示す人間や精霊人もこの街を訪れ、二人ではじめた街造りは多くの人々の手を借りることによって完成したのだ。

 取り戻した絆は、まだまだ弱いものだろうけれど。それでも信じていた。

 人間と精霊人――異なる種族は、わかりあえるのだと。ともに、生きることができるのだと。

 幸せだった。あの忌まわしい事件が、起こるまでは。




 街の中央部にある広場。雨に打たれる石碑の前で足をとめると、微かな光を放つ石碑に、背を預けて座り込む。

 快は、この場所が好きだった。この街を見渡せる、お気に入りの場所。ここに住んでいた頃は、それこそ毎日のように足を運んだ。

 買い物ついでにと、会話に花を咲かせる女性たち。広場を走り回る、子供たちの笑い声。露天商のあげる威勢のいい掛け声が響き、行き交う人々には笑顔が溢れる。すべてを見渡せるこの場所で、快は飽きもせず、日がな一日、その様子を眺めていた。

 やがて日が傾き、夜空に一番星が見える頃。人々は愛する人が待つであろう家へと帰ってゆく。ちょうどその時間、彼が迎えに来るのだ。なにも言わずにそっと近寄り、快の隣に腰を落として。彼が発する一言に、快は小さく言葉を返し、歩き出した彼の数歩後ろを追いかける――。

 そんな平和で幸せな毎日が、永遠に続くと思っていたのに。

「……どうして、だろうね。どうして、こんなことに……」

 数え切れぬほど繰り返しても。探す答えは見つからない。

「……ね、疾風。見てるかな」

 闇にぼんやりと浮かぶ街並みに目をやって、快は小さく問いかける。

「貴方と僕の楽園は――あの頃から、なにも変わっていないんだ。……この広場も、あの家も……なにも変わらない。記憶の中に残る、パールセフォンそのままだよ……」

 刻の流れに取り残され、この街は過去の記憶を夢見ている。失ったものを、忘れられずに。

「……だからね、余計に信じられないんだ。あれから十年も経つのに、僕は……」

 快は小さく首を振った。

「あの日以来、僕の心はとまったまま。この街と同じように、僕も過去の世界を生きている。……貴方は、怒るかもしれないね……」

 そう呟いて、快はそっと息を吐く。やまぬ雨に打たれたまま目を閉じれば。

 別れ際に見た、ワインレッドの眼差しが蘇る。

「……いっそこの街が壊れてしまったなら……僕は、すべてを忘れることができたのかな……」

「忘れたかったのか?」

 背後から響いたその声に、快は目を見開いた。慌てて振り返るも、目に映るのは微かな光を放つ石碑だけ。

「誰……」

「俺を忘れたのか、快?」

 今度の声は、姿をもって現れた。

 快が背を預けていた石碑の向こうから、一人の男性が姿を見せる。

 小麦色の肌に、硬い金色の髪。鋭く澄んだ琥珀の双眸。

「なにを驚いた顔をしている。幽霊だとでも思ったか」

 驚愕に動けずにいる快に、彼はそう言って笑いかける。

 彼が歩を進める度、金属製のブーツが音を立て、雨に濡れた髪や服から、ぽたりと雫が滴った。

「……僕、夢を見てるのかな」

「夢、か。そうだな、そうなのかもしれん。……だが、これが……」

 そこで言葉を切ると、彼は座り込んだままの快に、そっと手を差し延べた。

 快は躊躇い、おそるおそる、彼の手に触れる。

 これは自分の記憶が作り出した都合のいい幻で、手を伸ばしてその手に触れたら、跡形もなく消えてしまうのではないかと、快は一抹の不安を抱いていたが。

 触れたその手は、夢でも、幻でもなく。

 伸ばした手を掴まれ、逆に強く引き寄せられる。さしたる力を入れていなかった快は、反動で彼の胸へと飛び込むことになった。

「……これが夢であるのならば、このまま目覚めなければいいだけだ。……違うか?」

 胸に抱く快に向けるその眼差しは、幸せだった過去の時間と同じように、優しくて。腕に抱かれるその感覚も、甘い記憶と同じなのに。

「うん。……けど……」

 快を抱くその胸に、その腕に。あの頃は確かに感じることのできた温もりはなく。

「……冷たいよ。疾風……」

 震える声で呟いて。それでも彼を求めるように腕を回せば、疾風はす、と瞳を細めた。

「……雨の中を、ずっと歩いてきたからな」

「うん、そうだね……そう、だよね」

「……ああ、そうさ」

 お互いの姿を映す瞳の中に、優しい嘘を滲ませて。時のとまった箱庭の中、その甘さに酔いしれる。

「疾風……」

「うん?」

「……ずっと……会いたかった……!」

 琥珀の瞳に、悲しい微笑みを見せて。疾風は快の身体を掻き抱いた。あわせた唇と背に回された腕、そして、その胸の冷たさが――快は、酷く悲しかった。

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