第9話 はじまりの終わり-3-
レヒトが会議室の扉を開くと、そこには――。
「おお、貴方がカトレーヌ教授!」
「お待ちしておりましたぞ!」
「いやいや、カトレーヌ教授のお力添えが頂けるとなれば、魔物どもなど恐れるに足りません!」
会議室にずらりと並んでいたおっさんたち――もとい、魔界評議会の議員たちが椅子から立ち上がり、口々にレイヴンを賞賛していた。気を良くするかと思われたレイヴンだが、おっさんたちを一瞥すると不機嫌さを隠そうともせずに椅子に座る。どうやら歯の浮くようなお世辞は嫌いらしい。
「……それで? わかってはいるけど、一応聞いてあげるよ」
レイヴンは見るからに不機嫌なのだが、待ち望んでいたレイヴン=カトレーヌ教授の登場に、舞いあがっているおっさん連中は気付かないようだ。上機嫌で捲くし立てた。
「ご存知の通り、我々には魔物に対抗する術がありません」
「教授が魔法について精通されておられると、以前より聞き及んでおります」
「それゆえに、ぜひとも教授にご助力頂きたく……」
「やだ」
きっぱりと。不自然でない程度に低い声で、レイヴンは一蹴した。おっさん連中は唖然としている。
「……やっぱりなぁ」
いつの間にか、レヒトの背後にはレイとラグネスが立っていた。
「レイ様、どういうことです。レイヴンを呼んだのは、このためだったのでは……」
「まあ見てろって」
首を傾げるレヒトに、レイは悪戯っぽく笑ってみせた。
「カ、カトレーヌ教授!」
「なぜでございますか! 我々は……!」
縋るような眼差しのおっさんたちを見下ろし、レイヴンは退屈そうに欠伸する。
「人にものを頼むんなら、それなりにすることがあるんじゃないの?」
弾かれたように、おっさんたちは一斉に頭を下げた。
「し、失礼致しました!」
「お願い致します! この通りです!」
「どうか、どうかお願い致します!」
対して、レイヴンが返した言葉といえば。
「しつこく頼まれるのは嫌いなんだ。それに……」
「そ、それに……?」
「面白くないからやっぱりやだ」
これである。完全におっさん連中で遊んでいる。
(……やっぱり似てるな……)
おろおろと狼狽するおっさんたちを見て、楽しそうに笑うレイとレイヴン。二人を見比べて、レヒトは素直にそう思った。
「まあまあ、レイヴン。そのくらいにしておあげよ」
救いの手を差し伸べたのはラグネスだった。きっと、狼狽するおっさんたちには後光が見えたに違いない。来期における、ラグネスの評議会議長続投が決まった瞬間でもあった。
「断るには、それなりの理由があるんだろう?」
「まぁね。できるにはできるよ。けど時間がかかる」
「どれくらいだ?」
レイの問いに、レイヴンは首を傾げた。
「一年か、二年か……もしかしたら十年かかるかもね」
「そ、そんなに……」
おっさんたちの一人が、絶望的な声を上げた。無理もない。最後の手段として、彼らはレイヴンを頼ってきたのだから。
「魔法についての謎を解明するにはね、生まれついて魔法が使える人の力が不可欠なんだよ」
「レ、レイ様はどうなんです? 魔法が扱えるんでしょう?」
視線を向けられ、レイはひょいと肩を竦めて見せた。
「俺の魔法は生まれついて使えるもんじゃねぇんだよ」
レイはいつもと同じ、人を食ったような笑みを浮かべていたが、レヒトの目には、少し悲しそうな表情に映った。
「作って欲しいなら、精霊族――精霊人か魔精霊、あるいは竜族でも連れて来るんだね」
「そ、そんなこと……不可能だ……」
また、誰かが声を上げた。
(そうだな、不可能だ)
精霊人、魔精霊、そして竜族は、このヘヴンでともに暮らす種族であるが、魔精霊、竜族とは四百年前の天魔大戦以降、精霊人とは十年前の大異変以降、親交は途絶えたままになっている。
「他に、方法はねぇのか?」
「ある……っていうか、レイさん、最初からそのつもりだったんじゃないの?」
レイとラグネスが密かに目配せし、笑みを浮かべたのをレヒトは捉えた。
「ほ、他に方法があるのですか?」
藁をも掴む勢いのおっさんたちに、レイはひとつ頷いてみせる。
「レイヴン本人が魔物出没の原因調査に向かってくれるってことだ」
「本当ですか!」
「それはありがたい!」
「さすがはカトレーヌ教授だ!」
つい先程まで泣きそうな顔をしていたというのに、まったくもって調子のいいことである。
「引き受けるのか?」
「うん」
レヒトはきっとまた断るのだろうと思っていたのだが、意外にも、レイヴンはあっさりと頷いた。
「それが一番手っ取り早いでしょ」
「……確かに、そうかもしれないが」
なんにせよ、もう俺には無関係な話だ、などとレヒトが他人事のように考えていると。
「そういうことだから。頑張ろうね、レヒト!」
しばし、その言葉の意味を掴めずに沈黙する。
「……は?」
ややあって、かなり間の抜けた声をあげたレヒトの腕に、にこにこと満面の笑みを浮かべたレイヴンが抱き付いた。
「ちょっと待て! どうしてそうなるんだ!?」
「だってほら、子供の一人歩きは危ないから。護衛がいるでしょ?」
「都合のいい時だけ……だいたい、お前に護衛なんか必要ないだろう!」
視線を移すと、レイはとても楽しそうな顔をしていた。最初からこういう魂胆だったということか。
「あのですね……」
レヒトが言葉を続ける前に、レイヴンが声をあげた。
「レイヴン可愛いから、誘拐とかされちゃうかもよー?」
「……あのな」
声は再び遮られた。おっさんたちにである。
「それは大変だ!」
「カトレーヌ教授をお一人で向かわせるわけにはいきませんしな!」
レイヴンだけでなく、どこまでも調子のいいおっさん連中にまで騒がれ、額に手を当ててこの状況をどう打開するかを悩んでいると、肩に手が置かれた。レイとラグネスである。
「んじゃ、頼むぜ」
「お土産よろしくね」
にっこり笑顔で告げられる。
「……拒否権は」
あるわけありませんよね……と、続いた言葉に、その場にいた全員が頷いた。
「いや、これで安泰! はっはっは!」
「今夜は宴会ですな」
「おお、それはいいですなぁ」
おっさんたちは上機嫌で去って行った。
「……いい気なもんだぜ。魔界に迫る魔物の影が、取り払われたわけじゃねぇってのによ」
「そうだね。けれど、レイが天界軍の兵を魔界へ送ってくれたから……民の不安も、少しは取り除けているはずだよ」
「……気休め程度にでもなりゃいいさ」
そう答えたレイは、どこか照れたように微笑む。蒼穹色の双眸は、とても優しい穏やかな光を湛えていた。
(そうか、やけに静かだと思ったら……)
レイは魔物に対抗する術を持たぬ魔界の民のために、天界の兵を遣わしたのだろう。天界人は魔界人とは違い、魔法を扱うことができる。魔物が相手でも、十分に対処することが可能だ。
(本当は、優しい人なんだな……)
自身を守るための兵を、他国の民の身を案じて送ったレイ。彼がなぜ天魔大戦を終結に導き、今の平和を実現させることができたのか――レヒトはなんとなく理解できたような気がした。
「さてと。邪魔なジジィどもも消えたことだし、そろそろ本題に入るぞ」
レイは机の上に、ヘヴン全域が記された詳細な地図を広げた。
「お前たちにゃ魔物出没の原因調査とは別に、もうひとつやって欲しいことがある」
「やって欲しいこと?」
レヒトとレイヴンはほぼ同時に聞き返す。二人の視線を受け、レイはいつになく真剣な表情で頷いた。
「他種族との同盟の締結だ」
ヘヴンに生きる種族は、大きくわけると天界人、魔界人、精霊人、魔精霊、竜族。このうち、天界人と魔界人――天魔両界には同盟が結ばれているものの、残る三種族とは、前述した通り親交は途絶えたままになっている。レイは以前から、関係改善のための手段を模索していたらしいことを、レヒトはラグネスから聞いたことがある。歴史的な問題もあり、それが、なかなか上手くはいっていないとも。
「……真魔界、精霊界、そしてドラゴン・リバティ……」
レヒトは地図の上を滑るレイの細い指を追いかけた。ヘヴン中央大陸のちょうど真ん中に、浮遊大陸である天界が記されており、真下に広がる中央大陸、そして北方大陸にも跨る広大な領土を誇るのが、ラグネスをはじめとする魔界評議会議員が治める魔界となる。中央大陸北西部、険しい山脈を挟んで北に位置する国が、魔精霊たちの住まう真魔界。中央大陸東部、どこまでも続く深い森に囲まれた神秘の国が、精霊人が隠れ住む精霊界。そして、北方大陸の北東部、雪と氷に覆われた極寒の大地に存在する秘境が、竜族の都ドラゴン・リバティである。
「今のところ、魔物による被害は天界と魔界に限られてる。とはいえ、これからもそうだという保証はどこにもねぇ。お前たちは俺の名代として、真魔界、精霊界、ドラゴン・リバティへと赴いて、同盟締結を申し入れるとともに、ヘヴンに迫る危機について伝えて欲しい。……これは、俺の勘なんだがな……」
レイは小さく息を吐いてから言葉を続ける。
「……ヘヴンに、終焉が近付いているような気がしてならねぇんだ。なんとかしねぇと……ヘヴンは、終わる」
静まり返った会議室に落ちる、重苦しい空気。永遠に続くかのような沈黙を破ったのは、レヒトだった。
「確かに……なにか、嫌な予感はします。うまくは説明できませんが……」
「けど、それってただの予感なんでしょ?」
不安げにレイヴンが返すと、ラグネスがおっとりと首を横に振った。
「私は信じるよ。レヒトの予感が外れたことはないからね」
「……例の不思議な力ってやつか」
そう。レヒトにはある不思議な能力があった。それは自身に降りかかる危険を、その少し前に察知するという能力である。そして、まるで神の加護があるかのごとく、危機に陥るその度に、レヒトは大いなる力に守られてきたのだ。
「ヘヴンの危機を君が察知したということは、その危機からヘヴンを救えるのも……レヒト、君なのかもしれない。まるで……運命のようだね」
「ラグネス様……俺は、自分が世界を救えるなんて、思っていませんよ」
目を閉じ、レヒトは静かに言葉を紡ぐ。
「……けれど。世界を救うために、自分にできることがあるのなら……精一杯やる。それだけです」
それを聞き、ラグネスはやんわりと、どこか満足げに微笑んだ。
「――失礼致します」
扉の向こうから、控え目に声がかけられた。レイが入るよう促すと、ゆっくりと扉が開き、入ってきたのはレイの世話役兼補佐官のトゥールである。その手に、大きな包みを抱えていた。
「お、見付かったか!」
包みを見て嬉しそうに言ったレイに、トゥールは呆れたような表情を見せた。
「物置に乱雑に放られていましたよ。もう少し丁寧に扱ってはいかがです?」
「あー、はいはい。小言はいいから寄越せって」
トゥールから包みを受け取り、レイは幾重にも巻かれた布を外していく。中から現れたのは、洗練された美しい装飾の施された大剣だった。
「ちっとばかし扱いにくいが、お前なら問題ねぇだろ」
「レイ、それは……」
驚きの声を上げるラグネス。レイはとっておきの悪戯が成功した時のような笑みを見せた。
「三闘神は返せって言わなかったからな」
「え、それって三闘神に貰った剣なの?」
伝説の神々から与えられた剣だと聞き、レイヴンは興味津々な様子だ。
「まったく……三闘神様より頂いた大切な剣だというのに、物置に放りっぱなしにしておくとは。いつか神罰が下りますよ」
「うわ、罰当たりぃ」
「うるせぇ、小言は後だ」
どうせ聞かないくせに、と深いため息を吐くトゥール。レヒトはちょっぴり彼に同情した。
「ほらよ。餞別だ、持っていけ」
レイはレヒトに剣を投げて寄越した。慌てて受け止めた腕に、ずっしりと感じる重み。剣は美しい、不思議な輝きを放っている。
「天魔大戦の時に、俺が振るった剣だ。三闘神の剣だからな。魔物どもとも渡り合えるだろ。銘は『セイクリッド・ティア』――その閃光はすべてを切り裂く」
「ありがとうございます」
レヒトが礼を述べると、レイはひらひらと手を振った。
「いいってことよ。まずは魔界に下りろ。魔界のロイゼンハウエルで支度を整えたら、目指すは北の真魔界だ。これからも指示は送るが……目的を外れない程度には、自由に動いてもらって構わねぇ」
「任せてよ!」
「よし。それじゃあ、行くか」
レヒトが声をかけると、レイヴンはピシッと敬礼して見せた。
「了解ッ!」
――こうして、二人は旅立つ。最初の目的地、真魔界へと向かって。