side story 10 愛に駆ける超越者
炎の燃え爆ぜる微かな音に青年が目を開くと、焚き火を挟んで向こう側に腰をおろす、一人の男と目があった。
『目が覚めたか』
ぶっきらぼうな口調で声をかけ、男は手にした木の枝で焚き火を突く。白髪に、金色の瞳。整った顔立ちだが、人を威圧するようなその眼差しが、魅力を半減させている。
青年はなにも答えず、ゆっくりと身を起こし――身体に起きた変化に気付き、琥珀の瞳をわずかに細めた。
なくしたはずの右腕が、ついている。折られたはずの両足が、動く。そしてなにより、潰された瞳が、光を映している。しかし、その冷たい肌に、人としての温もりはなく。命の鼓動も、消え失せていた。
『……まだ動かないほうがいい。身体に馴染むまでは』
青年は、やはりなにも答えなかった。
『ずいぶんと愛想のない男だな。せっかく私が助けてやったというのに』
男がそう言うと、なにかを確かめるように身体を動かしていた青年が、唇の端を吊り上げた。笑ったのだ。
『お前の名を聞きたい』
『……名前など聞いてどうする』
そう言葉を返すと、男はむっとしたように眉根を寄せた。それを見て、青年は咽喉の奥で笑う。
『……疾風、だ』
『そうか。私は『大いなる意思』と名乗っている』
『お前……俺に本名を名乗らせておいて、自分は偽名か?』
小さく笑ってみせる男。青年は、それ以上を追及しなかった。
『……なぜ、俺を助けた? わざわざ、このような方法をとってまで……救う価値のある男か、俺は?』
男が、金色の瞳をすぅ、と細めた。
『そうだな。私はそう思った』
手に持った木の枝を、男は燃え爆ぜる炎の中へと投げ入れる。
闇の中から現れた、小さな蛾。炎の色に、誘われたのか。
ひらり、ひらりと浮かぶその姿は、吸い寄せられるように炎の中へと消え――すぐに散って、見えなくなった。
『……酔狂な奴だ』
青年の言葉に、男は唇を笑みの形に歪めた。
『酔狂、か。そうだな。……お前に、これを返しておこうか』
男が指先で弾いたものを、青年は虚空で掴み取った。それがなんであるかを確認し、猛禽類を思わせる青年の瞳に、優しい光が宿る。
『お前が握り締めていたのでな、それを媒体としたのだが……』
指輪に注がれていた青年の視線が、男に移る。
『なんということをしてくれたんだ。これは俺のものではないんだぞ』
『そのようだな。お前の無骨な指には、その指輪は小さすぎる。それに、そこに刻まれた愛の言葉は、お前が彫ったもののようだからな』
『……読んだのか、これを』
男はにやりと笑い、指輪に彫られた誓いの言葉を、詠うように諳んじた。
『なかなかいい言葉だとは思うが、声に出すには少しばかり気取り過ぎだな。お前が考えたのか?』
『……三日ほど、寝ずに』
指輪を握り締め、青年は立ち上がった。
『行くのか』
男の問いに、青年は無言のままで頷いた。
『そうか。娘であれば、殺されるという可能性は低い。……慰みものにされるか、金持ちに売られるか。後者のほうが、可能性としては高そうだが』
『……場所だけ、聞きたい。ここは、どのあたりになる?』
『南に三日ほどの場所になるが……まあ、待て』
聞くなり歩き出そうとした青年に制止の声をかけ、男は右手を軽く振って炎を消した。
『案内してやる』
『……そこまでしてもらう義理はない。場所だけ聞ければじゅんぶんだ』
そう言って走り出す。虚を突かれたらしい男が慌てて付いてくるのがわかったが、走る速度は緩めない。
『待てと言っているだろう! まったく……私も手を貸してやる!』
『……理由は?』
『愛する者のために、命を賭けるお前が気に入った。それだけだ!』
妙な男だ、と青年は笑った。琥珀色の瞳を細め、夜の闇が支配する天空を振り仰ぐ。
――この指輪を捧げた娘が、どうか無事であるように。祈るような思いで、青年は誓いの指輪を握り締めた。