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第96話 結ばぬ蕾に見る夢は-3-

 閉ざされたフェンスの向こう――ピュリア城の秘密の花園は、そこだけがレヒトの記憶から抜け出たかのように、美しいかつての姿そのままだった。

 色とりどりの花が咲き乱れ、ところどころに灯った蝋燭の明かりが、幻想的な雰囲気を醸し出している。

「! ……これは……」

 秘密の花園をぼんやりと歩いていたレヒトの前に、それは姿を現した。

 美しい大輪の花――ミーツェの花が絡み付いた硝子の棺。花弁を思わせる柔らかなドレスに身を包み、その中に横たわる可憐な少女。

「……ミーツェ……お嬢さん……」

 記憶の中、六年前とまるで変わらぬ姿のミーツェ=ピュリア。胸の前で腕を組み、静かに眠るその姿はまるで――。

「……そんな馬鹿な……ミーツェお嬢さん……」

 レヒトは棺の中の少女に手を伸ばす。あと少し、わずかで指が触れようというところで、響いた金属音に振り返れば。

 壊れた外界と花園とを隔てていたフェンスが開き、火の灯された蝋燭台に照らされ、浮かぶ姿は執事服に身を包んだ青年。

 ――リヒャルト=クロウヅ。

「おや……このような場所に入り込まれるとは。少々、礼儀を知らぬお客様のようですね」

 レヒトを見るなり、さして驚きもせずにリヒャルトは言った。蝋燭の火に照らされた顔は無表情で、どこか冷たささえ感じさせる。

 彼の腕に抱えられた少女を見て、レヒトは思わず息を呑んだ。

「ミオ! 貴様……ミオになにをした!」

 声を張り上げたレヒトに対し、リヒャルトは自らの唇に人差し指を当てた。静かにしろ、と言っているのだ。

「お静かに。眠っているだけですよ」

「……眠っている?」

「はい。失礼ながら、お客様にお出しした晩餐に、薬を混ぜさせて頂きました。少しの間、大人しくして頂きたかったのですが……このお嬢様と貴方は、どうやら効きが悪かったようですね」

 リヒャルトはそう言うと、近くの台座に蝋燭台を置いた。

「快とシャウトは……無事だろうな」

 腰のホーリィ・クロスに手をかけながら問えば、リヒャルトは出会った時と同じように柔らかな微笑を見せる。

「さて……無事かどうかは断言できませんが、仮に抵抗されても命は奪わないようにと命じてありますから。いずれ、ここにいらっしゃいますよ」

「……!」

 絶句したレヒトを眺めて、リヒャルトは小さく笑う。

「動かないでくださいね。私も、このお嬢様を傷付けたくはありません」

 レヒトが頷くと、リヒャルトはぱちん、と指を鳴らした。

 全身の毛が逆立つような嫌な感覚を覚えて振り返れば、背後の草花を掻きわけるようにして現れる、幾つもの奇妙な人影。緑の肌、落ち窪んだ眼窩。意思を持たず動く様は人形のようにも見える。

 人間に植物の種でも埋め込んでやれば、こんな感じになるのだろうかとレヒトは思う。

「この化け物は……」

「おや、化け物とは随分と酷い言い方ですね。これはログレスの住人です」

「……これが……ログレスの……」

 言葉なき声をあげて近寄ってくるそれから逃げるように、レヒトはじりじりと後退する。リヒャルトがログレスの住人だと言った緑の人影は、虚空を掴むような動作で両手をあげながらレヒトに迫る。

「ええ。花を愛するログレスの住人……お嬢様の糧となって頂きました」

「! ……ミーツェお嬢さんをどうしたんだ! 棺の中のお嬢さんは、六年前からなにひとつ変わってない! なにひとつとして!」

 レヒトの言葉に、リヒャルトはす、と瞳を細める。後退しながら、レヒトはリヒャルトを見据えて言い放った。

「俺は六年前、ミーツェお嬢さんに会っているんだ! この花園で!」

「……そうでしたか」

 その言葉で、レヒトを包囲しつつあった住人たちが動きをとめた。

 リヒャルトが静かに目を伏せる。

「貴方が……お嬢様の花盗人」

 レヒトの脳裏に、鮮やかな光景が蘇る。大輪の花に囲まれ、笑っていた少女の姿が。

「お嬢様の心を手折った……花盗人の方」

 ゆっくりと、リヒャルトが顔をあげる。その瞳には、明らかな憎悪が滲んでいた。

「花盗人の方。貴方に出会って、お嬢様は変わってしまわれました。話してくださるのは、いつも迷い込んだ花盗人の方のこと。花園の中で微笑んでいらした、あのお嬢様が……外の世界を見たいまでとおっしゃられるようになった」

 レヒトが語って聞かせた外の世界。狭い花園で生きる少女は、レヒトの言葉を楽しげに聞いていた。

「生まれ付いて病弱なお嬢様は、外になど出られるお身体ではなかったのに。……あの日、お嬢様はロイゼンハウエルへ行きたいとおっしゃられ、私の知らぬうち、馬車に乗って出かけられてしまった」

 ロイゼンハウエル――レヒトが、自らの故郷だと語った街だ。ログレスの街に負けないほどに美しい街だと。活気に溢れ、生き生きとするあの街が誇りだと――。

「……最初から、辿り着けるわけもなかったのに。お嬢様は高熱を出され、その日のうちに戻られた。そして――息を、引き取られた」

 リヒャルトの言葉に、レヒトは少なからぬ衝撃を受けた。

「ミーツェお嬢さんが……六年前に……」

「そうです。先代の領主様は酷く嘆かれ、お嬢様を硝子の棺に眠らせた。ミーツェの花の種とともに。すると不思議なことに、ミーツェの花が見る見るうちに咲き誇ったのです。……私は確信しました。お嬢様は……まだき続けたいと願っているのだと」

 ミーツェが眠る棺を眺め、リヒャルトが静かに言葉を続ける。

「……お嬢様の棺に咲くミーツェの花が力をなくす度、私はミーツェの花の種を城の者に、街の住人たちに埋め込みました。すると、まるでその者の命を奪うように花は咲き誇り――種を埋められた者は生気を吸われ、あのような姿となったのです」

 レヒトは無残な姿となった住人たちに視線を移した。言葉にならぬ声、救いを求めるように虚空を掴む仕草。

「酷いことを……」

 リヒャルトがレヒトに視線を向けた。眼鏡の奥の瞳に、不思議そうな色を湛えて。

「酷くなどありませんよ。言ったでしょう、この街の住人は皆――咲き誇る(ミーツェ)を愛しているのだと」

 言葉に覚える微かな違和感。リヒャルトはにっこりと微笑んだ。

「花盗人の方。貴方がここを訪れたのは運命だったのかもしれません。お嬢様の心だけでなく、命まで手折っていった貴方が、こうして私とお嬢様の前に現れたのは」

「俺が、手折った……」

「そうです。一度目はお嬢様の心を、二度目はその命までも。聞こえますか、お嬢様の声が。きたいと願うお嬢様の想いが」

 リヒャルトの目が爛然らんぜんと輝く。その奥に、静かな狂気と悪意を湛えて。

「……貴方もミーツェの糧としようと思っていましたが、気が変わりました。貴方など、ミーツェにとって毒でしかない!」

 弾かれたように、ログレスの住人たちがレヒトに襲いかかった。ホーリィ・クロスの柄に手をかけ、しかしレヒトは躊躇った。あの男がミオを人質としている以上、下手に動けばミオが危険に晒される。

 眼前に迫る緑の住人。レヒトは死を覚悟するが――。

「ぐぁっ!?」

「――レヒトさん!」

 闇夜を裂いて響く声。振り返る暇も惜しんでホーリィ・クロスを抜き放ち、レヒトは迫る住人を斬り伏せる。次の相手を斬り捨てながら振り返れば、そこには。

「ミオ!」

 赤く染まった抜き身の剣を提げ、走り寄ってくるミオの姿。その向こうには、腹を押さえて呻くリヒャルト。

「大丈夫か?」

「私は問題ありません。ご迷惑をおかけしました」

「君が無事ならそれでいいさ」

 向かってくる住人の攻撃を掻い潜り、レヒトはホーリィ・クロスを振るう。身体の構造はすでに人間から外れてしまっているらしく、首を飛ばそうが心臓を突こうが怯む様子もない。

 レヒトは倒れ込んだリヒャルトに視線を向けた。蒼白になった顔に、はっきりと浮かぶ憎悪の色。

「……花、盗人……許、さない……お、嬢さ……の……」

「――違う」

 リヒャルトの言葉を遮ったのは、ミオだった。

「違います、リヒャルトさん! 領主様……ミーツェ様は……こんなことは望んでおられない!」

「……馬鹿なこと、を……お嬢様、は……」

「リヒャルトさん!」

 地に伏せたリヒャルトが、小さく身体を震わせる。二人を取り囲む住人たちも動きをとめ、ゆらゆらと小さく揺れるのみ。

「……ミーツェ様は、泣いておられます。貴方が壊れてゆくのを見続けて……」

 はっとして、レヒトはミーツェの棺に目をやった。花に囲まれて静かに眠る少女の目には――涙が。離れたリヒャルトにも、その涙は届いたらしい。倒れ伏したまま、縋るように両手を差し伸べる。

「お嬢、さま……ミーツェ……お、嬢さ……」

 ミオは、懐から小さな硝子箱を取り出した。箱の中に納められた、不思議な力を感じる黒い種。

「……貴方の部屋で、この黒い種を見た時……誰かに語りかけられるような感覚を覚えました。気のせいかとも思ったけれど……今、わかったんです。この黒い種から流れ込んで来たのは……ミーツェ様の想い」

 そう呟いて、ミオも眠る花の少女を見上げる。

「貴方をとめて欲しい……そう、眠る私に語りかけてくれた。私を夢の世界から解放してくださったんです」

 ミオは、硝子の棺に近寄ると――花の少女に、そっと触れた。その時だった。

「……ぅ、ん……」

 花の少女が、薄く目を開いた。

「! ……ミーツェ、お嬢様……!」

「……リヒャルト……あぁ、ごめんなさいね、リヒャルト……」

 棺から降り立った少女の唇が、小さく謝罪の言葉を紡ぐ。

「リヒャルト。私が、貴方の言いつけを守らなかったから……貴方を、こんな風にしてしまった。私が、あんなわがままを言ったから……」

 倒れ伏した執事の傍まで近付き、花の少女は膝を折る。

「私の声は、貴方に届かなくなってしまった。神様が、私に罰を与えたの。貴方を苦しめて、傷付けてしまったから……リヒャルト……全部、全部……私のせいなの……貴方をこんな風にしてしまって……私……」

「……お、嬢さま……私は……わたし、は……」

 執事を抱き締め、花の少女は囁く。

「だからもう、苦しまなくていいの。全部、私のせいだから。貴方の苦しみも、悲しみも……全部、私が持っていくから。……ごめんなさいね。それから……」

 大輪の花のように。花の少女は微笑んだ。

「……大好きよ、リヒャルト……」

 執事の目から、葉に溜まった朝露のように、澄んだ透明な滴が零れ落ちる。レヒトとミオを取り囲んでいた街の住人も、静かにその場へと崩折れ――それきり、起き上がることはなかった。

 花の少女は、その双眸をレヒトに向けた。あの頃と変わらぬ、美しい眼差し。

「花盗人の方。……かなうことなら生きているうちに、貴方にお会いしたかった。外の世界を見せてくれた貴方に……もう一度でいいから、会いたかった。お話したいことがたくさんあるのに……許されないの」

「ミーツェ、お嬢さん……」

「私が私でいられるうちに、眠ります。罪を犯した私は、神様のもとへはいけないかもしれないけれど……リヒャルトがいてくれるなら、寂しくないから。……貴方に見ていてもらえれば、怖くないから」

 花の少女は小さく微笑む。

「……ありがとう、花盗人の方」

 その言葉とともに。台座に置かれた蝋燭から炎が迸り、周囲の草花を巻き込むと、一瞬のうちに燃え上がる。

「これは……!」

「レヒトさん、行きましょう!」

「あ、ああ……!」

 頷き、先を走るミオを追いながら、レヒトは一度だけ振り返る。

 執事を抱いた花の少女は、燃え爆ぜる炎の中――大輪の花を思わせる、美しい笑みを浮かべていた。

 ――あの頃と、同じように。




 炎の勢いはやむことを知らぬかのように燃え続け、ピュリア城の広大な中庭は、城や城下町をも巻き込んで、一晩のうちに瓦礫の山と化してしまった。

「……なにも、なくなってしまったな……」

 もはや、どこになにがあったのかすらわからなくなっているその場所で、レヒトは小さく息を吐いた。

「レヒトさん」

「……ミオ。ミーツェお嬢さんは、どうして……」

 ミオはゆっくりと首を振る。

「わかりません」

「……そう、だな。俺にもわからない」

 六年前に死んだはずのミーツェと、不思議な黒い種。ミオが持っていた硝子箱の中の種は、ことが終わって見てみると、まるで宝石かなにかのように砕けて消えてしまったのだ。

(……ミーツェお嬢さん……)

 もう一度、そっと息を吐いて。レヒトはぎゃあぎゃあと賑やかな声のほうへと視線を移す。少し離れた場所で、快とシャウトが騒いでいた。

「シャウト! ほら、これじゃない!?」

「おぉ! あった、あった!」

 瓦礫の中から快とシャウトが引っ張り出したのは、シャウトの愛用する戦斧である。昨晩の戦闘で紛失したと嘆くシャウトのため、今まで瓦礫をひっくり返して捜索していたのだ。あの業火の中でも無事だったらしく、シャウトは子供のように喜んでいる。

「見付かったみたいですね。……そろそろ行きましょうか」

「そうだな。……俺たちはこんなところで、立ち止まってはいられないからな」

 レヒトの答えを聞き、ミオは小さく笑うと二人のもとへ走って行った。

 昨晩の出来事、愛する者のために壊れてしまった執事との邂逅かいこうは、もしかしたらミオの心にも、小さな傷を残したのかもしれない。

(……さよなら、ミーツェお嬢さん……)

 三人のもとへと歩きながら、レヒトは心の中で、美しい思い出に別れを告げた。

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