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第94話 結ばぬ蕾に見る夢は-1-

 ランプの明かりの消えた部屋で、ミオは眠りに落ちた二人を目覚めさせぬよう慎重に身を起こした。

 隣の寝台と斜め向かいの寝台とに横たわった二人は身じろぎひとつせず、ミオはそっと息を吐く。

 中庭を見に行くと言い残し、レヒトが出て行ったのは数時間前。それからほどなくして、睡魔に襲われた二人は眠りに落ちてしまい、疲れているのだろう二人の迷惑にならぬようにと、ミオも身体を横たえたのだが。

「……眠れませんね」

 どうにも目が冴えてしまっている。このまま眠るのは難しいだろう。

 ミオは音を立てぬよう、慎重に窓辺まで移動した。

 窓の向こう、月明かりに照らされた中庭を眺める。蝋燭でも置かれているのか、ところどころ、薄ぼんやりとした明かりが灯っている。月と蝋燭との明かりに浮かぶ朽ちた中庭はどこか恐ろしく感じられ、ミオは小さく身体を震わせた。相変わらず、夜の闇は好きになれない。

 不安な気持ちを振り払うように、ミオは名もなき小島を出てから今までのことを思い返した。

(大陸は不思議ですね。……大地がどこまでも続いていて……)

 シャウトの背から見た大陸の大地は、ミオに大きな驚きと感動を与えていた。記憶をなくしてからずっと名もなき小島で生活していたミオにとって、どこまでも続く大地はとても珍しいものだった。今は破壊され、壊れてしまっているというが、昔はもっと緑豊かで、美しい光景が続いていたのだろう。

(この大地のどこかに、私の生まれた故郷もあったのでしょうか)

 ロイゼンハウエルの地下遺跡で対峙した、ミヤと名乗る少年。ミオの兄だと名乗った少年は、確かにそう言っていた。その故郷が、すでに存在していないとも。

 自分を知ること。それが、ミオが無理を言ってまでレヒトに同行し、大陸に渡った目的だった。ミヤと出会うことで、ミオは幾つかの欠けた記憶を知ることになった。

 魔界で生まれ育ったこと、故郷はもうなく、両親はすでに亡くなっているのだということ。自らの記憶を消したのが『大いなる意思』と呼ばれるレヒトの半身であったこと、そして、兄であるミヤのこと。

 しかし、いくら考え、思い出そうと努力してみても。ミオの欠けた記憶が戻ることはなかった。十年前、魔界の辺境を通りかかったリーシェンに拾われるまでの記憶は、今も霞がかったように閉ざされている。

(ミヤ……私の大切な人。もう一度、会いたい……会って、話をしたい……)

 欠けた記憶を取り戻すため、そして、なにより。

「……ミヤ……私は、貴方を……」

 声に出して呟いてから、ミオは慌てて振り返った。眠っている二人の様子を窺うが、目を覚ました様子はない。よほど深い眠りにでも落ちているのだろうか。

(お疲れなのでしょうね……)

 ミオはふと思う。

(……そういえば……レヒトさん、まだ戻って来ませんけど……)

 レヒトが出て行ってから、もうだいぶ時間が経っている。レヒトは今も、あの中庭のどこかにいるのだろうか。

 しばし思案し、ミオは寝台の脇に立てかけた二振りの剣を手に取った。リーシェンがミオのためにと鍛えてくれた自慢の逸品で、名をそれぞれ桜吹雪さくらふぶき雪月花せつげっかという。

 二振りの剣を腰に佩き、ミオはそっと部屋を出た。



「……おや、貴女は」

 宛がわれた部屋を出て廊下を歩いていたミオは、かけられた声に視線を移す。

 火の消えた蝋燭台を手にした執事服の青年――リヒャルトが、ミオを見て驚いたように佇んでいた。

「どうされました、このような夜更けに。なにか不都合がございましたでしょうか」

「あ、いえ違うんです。ちょっと仲間が……」

 そこで、ミオはこの青年から、あまり出歩かないようにと忠告されていたことを思い出す。中庭を見に行った仲間を探して、と正直に言わないほうがいいだろうと判断し、小さく笑って誤魔化した。勝手にうろついていたことを自らが叱られるならともかく、ここで正直に答えるとレヒトに迷惑がかかってしまう。

「……なんだか眠れなかったんです。仲間はもう眠っているので、起こしてしまうかなぁと」

 とりあえず、嘘は言っていないのでいいだろう。

「そうでしたか。それでしたら、なにか温かなお飲み物をご用意致しましょう」

 ミオは大いに慌てた。レヒトを探しに行きたかったのはもちろんなのだが、おそらく仕事中なのだろうリヒャルトの迷惑にもなってしまう。

「けど、ご迷惑じゃ……」

 ミオの言葉に、リヒャルトは小さく微笑む。

「迷惑などと。貴方がたはお嬢様の大切なお客様です。誠心誠意、おもてなしさせて頂くのが私の役目」

 そう言って、リヒャルトは蝋燭台に火を灯す。

「どうぞ、こちらへ」

 どことなく、有無を言わせぬ雰囲気がある。

「……わかりました。それじゃあ、お願いします」

 答えて、ミオはリヒャルトの後を追った。




 リヒャルトに連れられたミオがやってきたのは、城の一階にある小さな部屋だった。予備の執事服が壁にかけられ、書類や城の雑務に必要なのだろう小道具が置かれている。

 ミオを椅子に座らせ、リヒャルトはカップを用意しはじめた。

「ここは、私がお嬢様より頂いている休憩室です。狭く見苦しいところではございますが、ご容赦ください」

「そんなこと……私のほうこそ、すみません。お仕事をされていたのに邪魔してしまって」

 背を向けたままのリヒャルトが、小さく笑ったのがわかった。

「先程も申し上げました通り、お客様がお気になさることはございません。今、城の中で動けるのは私一人ですので、こうして夜遅くまでかかってしまうのです」

「え……お一人でこのお城のことを? じゃあ、もしかしてあのお料理も……」

 驚いて聞き返せば、リヒャルトはミオを振り返り、頷く。

「ご満足頂けたようで幸いです。しかし、日々の雑務はこなせても、手が回らず、城の修繕などは後回しとなってしまっていますが……」

「そ、そんな……大変じゃないですか。このお城のことを全部、お一人で支えるなんて……」

 リヒャルトの細められた瞳に、不思議な色が宿ったのをミオは見た。

「大変、といえば大変なのでしょう。しかし、このピュリア城はお嬢様の花園です。花のしとねで眠るお嬢様をお守りすることこそが……私の望みであり、誇りです」

「リヒャルトさんは、領主様のこと……」

 ミオが言いかけると、リヒャルトはその唇にそっと指を当てて言葉を遮った。

「私は城仕えの使用人……それだけです」

「……リヒャルトさん」

 リヒャルトは小さく笑った。

「ちょうど紅茶も飲み頃ですね。さあ、どうぞ」

 花の装飾が刻まれた、美しいティーカップ。セピア色の紅茶の上には小さな花が浮かんでおり、柔らかな芳香が漂う。

 ミオも自然と笑顔が零れた。

「いい香り……」

「私が育てている特別なハーブを使った紅茶です。精神を落ち着かせる効果があるので、よく眠れるかと」

「ありがとうございます」

 口に含めば、いっぱいに広がるハーブの香り。甘さを控えてあるためか、爽やかな香りが口内を満たす。

「……美味しいです」

「お気に召して頂けたようで、よかった」

 リヒャルトは、どこか安堵したように微笑んだ。

 カップを口に運んだミオは、ふとテーブルに置かれた黒い種に気が付いた。小さな硝子製の箱に、大切そうに収められた小さな種。

「……花の種ですか?」

 ミオが問うと、リヒャルトは愛おしげに目を細めた。

「ええ。……ミーツェの花の種です」

 ピュリアにしか咲かないと言われる美しい花。ミオはその花を目にしたことがなかったが、その種は特別な形や色をしているわけでもない、どこにでもありそうなものだ。

 しかし、ミオはその種から目を逸らすことができなかった。硝子の箱に納められた小さな黒い種が、まるで自分に語りかけてくるような――そんな錯覚に襲われたのだ。

(……この、不思議な感じ……まるで、人の心を覗いた時のような……)

 ミオが目を離せずにいると、不意に視界が闇に覆われた。背後から、手で目を塞がれたのだ。

「……あまり見てはいけません。囚われてしまいますよ」

「囚われる……」

「ええ。……ミーツェの花は人を惑わす魔性の花です。この花を巡って、過去には何度も争いが起きたほど」

 ミオの目を塞いだまま、耳元でリヒャルトが囁く。

「多くの者がこの花に囚われ、幾多の血が流れました。その血を吸って、この花はより美しく咲き乱れる」

「……幾多の血を」

「そうです。……自らを愛した者の血で、ミーツェの花は彩られる」

 閉ざされたままの視界がぐらりと揺らいだ。脳の奥が痺れるような感覚に、とっさに腰の剣に手を伸ばすが、力の入らぬ腕は虚空を切ったのみ。

 テーブルから滑り落ちたティーカップが、高い音を立てて砕け散る。椅子から崩れ落ちそうになるのを、背後のリヒャルトが抱き止めた。

「お飲み物に薬を混ぜた非礼……お許しくださいね、お客様。貴方が起きてこなければ、もう少し別の方法を取らせて頂いたのですが」

 ミオは意識を手放すまいとするが、脳の奥の痺れは増している。身体の自由も利かず、どうすることもできない。

 動かぬ身体を抱えあげる、相変わらずの微笑を浮かべた執事の青年。彼がなにをしようとしているのか、自分をどうするつもりなのか、そして仲間は無事でいるのか。ミオにはなにもわからなかったが、ひとつ、理解したことがある。

 感情がほとんど感じられない希薄な心の中に、確かに存在するその想い。

「……貴方、は……愛して……」

「愛していますよ。私は心から、ミーツェを愛しています」

 焦点のあわぬ瞳に映った青年は、どこか悲しげに呟いた。

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