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3話 秘密を測る視線

俺はベッドから跳びはねるように起きた。まだ目覚ましのなる前だった。

昨夜、あれだけ「葉山のことは俺が支える。」と誓ったばかりなのに。


俺の体は鉛のようにとても重く、頭がぼんやりとしていた。しょうがないので、この状態で洗面台へと向かった。


鏡に映った自分の顔は、寝不足のせいであまり冴えてはいなかった。髪がボサボサで、目の下には薄いクマができている。


この顔では偽りの優等生と秘密の共犯者との新しい日常に自ら泥を塗ってしまう。

濡らした手でボサボサになっている髪を押さえつけ、体裁を整える。


洗面台を真剣に覗き込み今の自分の表情を確かめた。

「いつもの俺に見えるだろうか。葉山にはどう見えるだろうか。」


昨夜布団で何度もルールを言い聞かせたじゃないか。


それは後になって自分の重石になっていることに俺は気がついた。

制服に着替え、早急にリビングに向かった。 

 

リビングに向かうと、母さんは朝ご飯を作ってくれていた。

「おはよう、理久。あんた顔色悪いわよ。昨日の夜は遅かったけど、大丈夫だった?」


母の言葉に俺は昨夜、父についた「友達と盛り上がった。」という嘘が喉の奥でつかえるのを感じた。一口ずつトーストと目玉焼きを口にした。


昨夜と同じだ。どれも味がなく、食べている気がしない。

「うん、大丈夫だよ。早めに食べて行くね。」

早くこの『日常の空間』から抜け出したかった。

逃げたかった。

葉山との秘密を抱えた俺はもう家族と食卓を囲む平和な時間さえ、演じきれないのかもしれない。


ドアを開けると、12月の冷たい風と眩しい太陽の光が俺を狙っていたかのように、俺の方に一斉にきた。

「行ってきます。」

俺はそう言って小走りで家を飛び出した。数分ひとりで歩いてると、前に小学生の集団が現れた。


「ねえねえ、昨日発売されたゲームやった?」

「俺はもう買って、今日は寝ないでプレイするつもりだよ。」

「いいなぁ、僕はまだ買ってもらってないよ。」

そのような会話が前から聞こえてきた。


微笑ましいと思いながらも、やっぱり葉山のことで頭がいっぱいだった。

横断歩道を待っていると、反対側から声が聞こえてきた。


「潮見くーん!」

見ると葉山だった。眩しいくらいの笑顔で俺に手を振っていた。

俺は走って横断歩道を渡った。 


「おはよう!」

「昨日は本当に寒かったね。風邪引かなかった?」

「あの場所で本当にごめんね。」 

無理に明るく話そうとしてくれている。


だが、その声や雰囲気には、昨夜の冷たさが薄皮一枚残っているように感じた。


多分そう感じたのは俺だけかもしれない。それに対して俺は謎の優越感があった。


「大丈夫だよ。葉山も風邪ひいてないか?」

俺は必死にいつもの『潮見理久』として振舞った。そう、影として彼女の演技に乗るのだ。昨夜誓ったからには全うしなくては。


葉山はクスッと笑い、首に巻いてあるマフラーをキュッと締め直した。


「うん、バッチリ。ね、潮見くん」

葉山はそこで一瞬、足を止めた。太陽の光を少年から受けた彼女の笑顔は、あまりにも完璧で眩しかった。


「昨日のことなんだけど、本当に気にしないでね。あの場所で座り込んでたのも、急に冷え込んじゃって、少しぼーっとしちゃってただけだから。」


「潮見くんが心配して手を握ってくれてたおかげで、すぐに落ち着いたよ。ありがとう!」


彼女は昨夜の凍りついた感情も、膝を抱え切羽詰まった表情も、全て『寒さ』と『クラスメイトの親切』という枠に収めようとしていた。


俺が感じた冷たさも、あの孤独の吐露も、全て彼女の中では無かったことにされていた。


昨夜、俺が抱いていた『共犯者』という意識は葉山にとって迷惑な記憶に過ぎなかったのか。


胸の奥に、直接冷たい水が流れ込むような強い苛立ちを覚えた。

 

「本当にありがとう。でも、もう全部大丈夫だよ。」

葉山はそう言って再び歩き出した。その言葉はまるで彼女が俺に対して無意識に貼った、『友達』という新しい境界線だった。


「俺はこの境界線の外に弾き出されたのか。」強く心の中でそう思った。


俺の役割は『秘密を共有する特別な相手』ではなく、『ただのクラスメイト思いの優しい人』にされてしまった気がした。


葉山は隣に並んで歩いている俺をチラッと見て、不意に尋ねた。


「そういえば、さっき潮見くんの前を歩いていた小学生たちがゲームの話をしていたけど、潮見くんが昨日夜遅くまでやっていたRPGってどんな話なの?」


彼女は何事も無かったかのように安全な話題へと話を変える。


俺はこの上ない彼女の完璧な防御態勢に屈辱感を覚えた。

俺は咄嗟に言葉が出なかった。

出たとしても「あー、えー。」と言葉が詰まるばかり。


それで最初に出た言葉が「魔王に攫われた姫様を助けに行くゲームだよ。」だった。


それを聞いた彼女は「抽象的すぎるよ笑」と笑いながら言った。


「なんかもっと面白かったステージとかないの?」

「いやー忘れちゃった。」俺は笑顔でそういうしかなかった。なんせ昨日は今日のことでいっぱいだったからだ。


そうこうしてるうちに、学校が見えてきた。

「今日は時間余裕で着きそうだね。良かったー」

「そうだね。」

少し急な坂を上り、学校に無事に到着した。


「そういえば今日の3時間目、数学llの小テストだけど勉強した?」

「そうなの?すっかり忘れてた。葉山はやったの?」

「私は少しだけやったよ」

そんな他愛もない会話をしてるうちに教室に着いた。


教室を入ると、真ん中辺りの列の1番前の席で、顔を下にし、頭を手で抑えてる男子に目が止まった。


クラスで特定の人しか話したことがない俺に、名前は分からなかったが、顔をあげた瞬間、「前、葉山に告白していた人だ。」とすぐわかった。俺は早急に自分の席に座った。

 

数分後、お手洗いに行っていた葉山が、教室気入ってきた。


「おはよう!」


クラス全体に聞こえるように言っていた。ただ、自分の席に座るために歩こうとした時、不意にその男子と目があった。葉山は男子に対して一際良い笑顔で挨拶していた。


その笑顔は昨夜の俺に見せた「大丈夫だよ」と言う言葉のときと同じ、完璧な、そしてどこか冷たい美しさを持っていた。


告白を断られた彼であったが、一瞬、葉山の笑顔で救われたかに思えた。だが、すぐ顔を伏せてしまった。


葉山はそれ以上、彼に何もするのではなく、颯爽と自分の席についた。彼女の席は俺の席の斜め前だ。

彼女には、彼への罪悪感が微塵もないように見えた。


俺は思わず右手の拳を握りしめた。

葉山が彼にとったあの行動は、優等生にとしての『冷徹な儀式』だ。そう思えた。


相手の告白を断り、屈辱を与えないように完璧な笑顔で日常の生活に復帰させ、自分は何事も無かったかのように振る舞う。


彼女にとってあの告白は、自分の殻を一時的に乱した、小さい雑音に過ぎなかったのだ。


昨日俺に対して「誰にもこの疲れた私を見せたくない...」涙ながらに俺に話した、葉山燈子。彼女が恋愛という関係を拒否するのは、誰かと深い関係を築くことで、この『完璧な殻』を破られるのを恐れているからに違いない。


その瞬間、俺の体の中に朝の強い苛立ちとは違う、ねっとりとした優越感が湧き上がってきた。

俺はここにいる他の人たちと違う。


彼女が今、この教室で演じている完璧な日常の裏側を俺だけが知っている状態だからである。


彼女は俺を『友達』という境界線の外に弾き出したつもりだろう。だが、その境界線の中にいる誰もが、彼女の孤独を埋めることは永遠にできない。


その優越感はまるでなにかの中毒になったようにとても心地よいものだった。

 

俺だけが彼女の孤独と、秘密という名の鎖で強く結ばれているのだ。だが、それと同時に、俺の役割が『影』であることに再び、屈辱的な焦燥も同時に覚えた。


「俺は秘密のゴミ箱じゃない。」心の中で叫んだ。

キーン、コーン、カーン、コーン。

チャイムが鳴り、朝のホームルームが始まった。


担任の先生が朝の挨拶をする声が、いつもより何故か遠くに聞こえる。

俺と葉山の新しい『友達』の日常が、こうして始まった。葉山はいつも通り背筋を伸ばして完璧な姿勢で前を向いている。

その瞳の奥が、今、何を考えているのか、俺には全く分からなかった。


そして、俺は知っている。彼女がこれから今日一日、誰にもバレずに完璧に優等生を演じきり、そして夕暮れには、再び自分の心を頑なに閉じ込めてしまうことを。


この殻を破るのは、葉山の秘密を知っている俺が何とかしなければならない。


理久は小さく、強く、息を吐いた。そして、優等生の隣に座る『影』として、今日の授業をやり通すことに決めた。


放課後、葉山から人目のないところに呼び出しがあった。俺は気持ちが落ち着かない様子でそこに向かった。


着いて、開口一番「昨日のことは誰にも言わないでね、私には完璧な優等生を演じる責務があるから。」

と、口止めのことを言われた。


そのとき俺は自分が『秘密の共犯者』ではなく『秘密の保管庫』にされたと思った。それと同時に、俺に対しての認識が変わったって今までの関係は何も変わらない気がすると思った。


ただこれからは、今まで以上になにかあるのではないかと頭の中で考えた。 

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